忠興(三斎)文書-元和八年
327、正月三日書状(三斎在国・忠利江戸12月14日着)
・年頭ノ祝儀
328、正月十六日書状
・金森可重遺物(染付鹿之香炉)を給い礼状が延引、心外
329、正月廿一日書状
・三斎江戸屋敷(愛宕下?)の作事
・忠利(12月16日)・新發智(光尚・21日)、秀忠並びに夫人ニ謁す
・松平忠直未タ参府セズ
・忠利、秀忠ヨリ鷹ノ鶴、米ヲ拝領ス
・秀忠西丸ニ移リ、家光川越ニ赴ク
330、正月廿一日書状
・忠利屋敷ト三斎屋敷トハ程遠シ、屋敷普請ノ進捗ヲ督促ス
331、二月十七日書状
・家中京借銀ノ三斎袖判證文ヲ取返シ烏丸光賢室(三斎女・萬姫)ニ預ク
・幕府年寄衆ニ御振舞アリ
・加藤明成邸火事
・松平忠直ニツキ沙汰ナシ
・忠利、諸大名妻子江戸移居ニツキ土井利勝ト談合ス
・家中人質ノ交替ノ件ハ既ニ承知スミ
332、二月十七日書状
・元和五・六年、湯布院・横灘ノ幕府蔵入地ノ勘定一覧拝見、幕府蔵奉行大唐米ヲ請取ザルニヨリ賣替ニ手間取ル
・江戸蔵前堀割工事ノ為米ノ蔵入ヲ延引ス、切手到着次第算用スベシ
333、二月十七日書状
・細川興昌(忠興甥)従五位下玄蕃頭ニ叙任
・愛宕下屋敷、事済候コト
334、三月九日書状
・松平忠直御煩ノ使・近藤縫殿、帰路落馬ニテ死ス
・三斎屋敷ノ作事ノ念ノ入ㇾ具合ハ奉行次第、早期完成ヲ申付ラレタシ
335、(月日未詳)覺書 略す
336、四月晦日書状
・端午ノ祝儀、祝着
337、五月朔日書状
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