「丹羽亀之允言上之覚」という文書がある。三齋死後の不安定な八代の状況を、本藩に報告したものである。約二年間十二通に及んでいる。これがいわゆる「立聞」といわれるものである。現代の我々が考えるようなものではなく、「情報収集」といったものであろうか。かって私はこのブログで「公安調査」と書いた覚えがあるが、三齋亡き後多くの人が離国するという噂や、宮松による宇土藩立藩の噂など八代侍衆の動揺や、これに対する本藩の監視が強化されていることが分かる。
三齋の娘お万からの三千両の借金の話は、随分以前「お万様はお金持ち」でご紹介したが、これらの話も同様で、亀之允の言葉を借りれば立聞で「追々致言上候間乍恐御披露云々」としている。全て藩主光尚に報告された。此の金は返済されていない。私も、藩士の離国や本藩へ帰ったり又は宇土支藩へ移籍させられた人々の動きに大変興味が有り、「追々・・御披露」したいと考えている。
三齋の娘お万からの三千両の借金の話は、随分以前「お万様はお金持ち」でご紹介したが、これらの話も同様で、亀之允の言葉を借りれば立聞で「追々致言上候間乍恐御披露云々」としている。全て藩主光尚に報告された。此の金は返済されていない。私も、藩士の離国や本藩へ帰ったり又は宇土支藩へ移籍させられた人々の動きに大変興味が有り、「追々・・御披露」したいと考えている。