津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■地図を書く

2023-05-07 14:39:16 | 創作

             

 数日前から小説を書こうと思い立ち、原稿用紙に書きつけるではなし、直接パソコンを叩き始めようかと考えた。
ある若侍が歩いていると、右手の坂を赤い布を首に巻いた飼い猫が下ってくる様子をトップシーンにした。
桜が咲いているとか、菜の花や水仙が咲いているとか書こうと思うが、さてこれらの花はどんな順番で咲いていくのだろうと疑問に思ったら、これは途方もなく難儀な作業であることだと感じ始めた。
そして、主人公が歩く道筋や取り込む景色を理解するために周辺の簡単な地図を書いてみる。
遠くに見える小さな天守を持つお城の方角や、そこへ至る道筋、街の中に入り込むが街道の有様や侍の町、商人の町などをああでもないこうでもないと、書き始めるとタイピングどころの話ではなくなった。
ふと、藤沢周平の「海坂藩」の小説の「散策地図」を持っていたことを思い出し、まだダンボール詰めを免れている本棚をあせって何とか発見した。
いわゆる鶴岡の城下町が「海坂藩」な訳で、沢山の小説の舞台の場所が地図にプロットされている。
私が書こうとしている町は全くの仮想の世界だから、熊本の城下町をベースには出来ない。
海にも近いご城下で、何となく宇土の城下町が浮かんだりしてくるが、これとも違う。
前作の「桜守」のイメージも地図の中に入れなければならない。
ベッドに入るとこんなことばかりが頭をよぎり、眠りに就けない。なんとか地図が出来るころには、粗方の筋書きは出来上がればそれからようやくタイピング開始という感じである。
来月11日は引っ越しもせねばならぬ。さていつ出来上がるかはとてもお約束できるような話ではない。

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■創作(ニ)完成をみず

2023-05-04 17:18:15 | 創作
 
■創作(一)桜守

 いつも散歩をしている自衛隊通りの桜並木の内のかなりの数が開花を待たずに切り倒された。根元は洞になっているが、殆どの木がその祠の中からだったり、脇からだったり新しい芽を吹いて......
 

 ちょうど一年前、こんな小作品を書いていた。読み返してみると「下手くそだなあ」とつくづく思ってしまう。
その後小太郎が成人していくさまを続けて書いてみたいと思うが、構想がまとまらず中々筆が進まない。
我が人生で一つくらい、何か書き遺しておきたいと思い続けてきたが、所詮才能がないことを思い知らされてしまった。
少し脱線した筋立てで、別の主人公を立てて、こんなところに小太郎がという具合にしたいと妄想している。
いつになったらご披露できるか保証の限りではないが、「いずれその内に」こっそり発表したいと思う。

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■創作(一)桜守

2022-05-04 13:11:50 | 創作

 いつも散歩をしている自衛隊通りの桜並木の内のかなりの数が開花を待たずに切り倒された。
根元は洞になっているが、殆どの木がその祠の中からだったり、脇からだったり新しい芽を吹いて5・60㎝程の高さに成長している。
こういう再生の方法があるのだと改めて気付いた。
そんな状況を見ながらいろいろ妄想を膨らませ、次代小説仕立てにして一文を書いてみた。大いに推敲を重ねなければならないが、出来立てのほやほやである。
ご笑覧いただきご批判を頂戴したい。


           桜 守
                                         津々堂

 少右衛門は台所に回ると、少しひびが入って水漏れがするようになった茶碗に水を汲み、二杯ばかり続けざまにのどを潤した。
下働きのお霜が奥に声を掛けると、五歳に成った孫の小太郎が走り出てきて、膝をつくと「爺様、お帰りなさいませ」と挨拶をする。
嫁のお佐幾は掃除でもしていたのか、前掛けを外しながら出迎えた。
少右衛門は久しぶりに、かって住んだ屋敷の付近を尋ねてみたのだ。ほぼ一里ほどの所にあるその屋敷というのは、昨年亡くなった息子庄兵衛の役宅で、今は跡役の祐筆伊藤孫大夫の屋敷となっている。
代々庄兵衛を名乗るこの家で少右衛門だけ名乗りが違うのは養子だからである。
そして少右衛門から祐筆を勤め、庄兵衛は二代目である。
住み慣れたこの役宅のすぐ裏手にある追分に、一本の桜の木があって、大きく枝を張って満開になると近郷の多くの人々が眺めに来て賑わったものだ。
その桜の木が今年はその時期を待たず、思いがけぬ春先の大風に多くの枝が折れ、幹も途中で折れて、とうとう根元から切り倒されたと聞いたからだ。
村人らは「庄兵衛様の跡を追うたか」と噂しあった。

「如何でござりましたか」と嫁のお佐幾が尋ねる。
「うん、見馴れたあの追分に桜の木がないのは、なんとも不思議な景色じゃ。しかしのう、根元は洞になっておったが、脇からもう若い芽を出して、そして高さも二尺ばかりになって居った。」
「そうですか、枯れずに育てば宜しゅうございますなあ」お佐幾は膝の上で手を揉みながら応えた。
「あの桜は死んだ庄兵衛だと思えてのう、涙が出てしもうたぞ。しかし、あの若々しく生えてきた木はあれは小太郎じやと思えてな。根はしっかり致して居る。あと七八年もすれば背も高かく太うなって、又花もつけようぞ。」
一年前、風邪をひいて寝込んだ庄兵衛は床上げすることなく帰らぬ人となった。誠にあっけないことで嫁の佐幾はしばらくは寝込んだほどの憔悴ぶりであった。
「儂も小太郎の為に、まだまだ元気で頑張らねばならんと、あの木を眺めて思うた事よ」
「ほんにお義父上さまには、いつまでもお元気でこの家のご先祖様の事など、小太郎によう教えていただかなければなりませぬ」
今ではすっかり元気になって、五歳になった小太郎を生きがいに思うている。
「そうじゃ、剣術も学問もしっかり教えて、また庄兵衛の後を継いで、殿様の御為になるようお仕えしてもらわねばならぬ。あと十年で元服ぞ、小太郎一緒にがんばろうのう」
小太郎は「はい」と元気に返事をした。
「小太郎、御父上が亡くなられた時に、殿様は涙を御流しに成られたそうじゃ。そんな父上を誇りに思うてのう・・・」
そんな少左衛門の言葉にお佐幾の目も涙で潤んでいる。小太郎はそんな母を見上げて「がんばりまする」と健気に答える。
「庄兵衛が死んだあと、殿様は儂にまた祐筆役を勤めよと仰せであったが、このお役は若い者建ちにお任せに為さりませと申しあげて、殿様の書物藏の御番を仰せ付けられたが、これは年寄りには有難い御役で、いろいろ見たこともない書物を拝見できて有難い事じゃ、いろいろ小太郎にも教えてやれそうじゃ」
「佐幾にもほんに苦労を掛けるが小太郎の為に堪忍してくれい」と、佐幾を労わった。
「なにを仰せで御座りまするか。私は庄兵衛どのに小太郎を命と思うて育てますると誓いました。お義父上さまにもお力をいただき、庄兵衛どのの見事な跡取りとなりますようお助け下さいませ。」
「なにを申す、儂にとっても小太郎は大事な/\孫じゃ。あの桜の木が花をつけるころには、殿様にお目見えが出来よう。殿様も待って居ると仰せであった。」
お佐幾は小太郎を膝元に引き寄せると、「有難いことで御座います」と言いながら、そっと目頭を押さえた。
小太郎が不思議そうに見上げて小さな手でお佐幾の頬をなでた。
「そうじゃ、殿様にお願いをして、そこの小川の脇に桜の苗木を頂戴して植えてはどうかのう。
明日殿様にお願いをしてみよう。あそこなら田の仕事に通うここらの者も喜ぶであろう。うん、そうしよう」

 数日後お庭方の者が四尺ばかりに育った苗木を二本植えて呉れた。
少左衛門は非番になると、裏の竹山に登って数本の竹を携えて下りてきては、下男の音八に加勢をしてもらい、それぞれに垣を廻した。
そして毎年の手入れも怠りなかった。

 小太郎がお目見えをすませ前髪を執したころ、追分の桜は見事な花をつけた。村の人々は勝手に「追分桜」と呼んで手入れをしていたが、殿様の御耳にも達すると「其方たちにとっては庄兵衛桜じゃな」と仰せられた。
お佐幾は、そのことを聞いてて身を震わせて泣き崩れた。
「思うた通りじゃ、小太郎、そなたの父上は桜に身を替えて見事にこの世に戻ってきたぞ」と、小太郎の初々しい月代姿の肩を叩いた。
そして小川の脇の桜も、これに負けじと花をつけた。少左衛門は密かに、「この桜は小太郎桜じゃ、佐幾の桜じゃ」と心に想うていた。
少左衛門は桜を眺めながら、亡き庄兵衛に語り掛ける。
「庄兵衛、来年は小太郎に家督をゆずり儂も隠居が出来そうじゃ。そしてまた苗木を頂戴して、川沿いに十本も十五本も桜を植えてみようと思うておる。桜守じゃ。何年かかるかわからぬが、殿様が参勤で御發ちの頃には桜の花でお送り申し上げたいと思うておる」そして、
「庄兵衛、お佐幾は気が早うてのう、もう小太郎の嫁探しを始めおったぞ。小太郎はまだ十五になったばかりじゃ。里の父や弟にも頼んでおりますが、お義父上も良い人を見つけてくださいませと申して居る。それでの、心得た、お佐幾のようなおおらかで元気な美人を探そうぞ、これはなかなか見つかるまいて・・・成就するには桜と同様十年もかかろうぞと云うておいた」
「そうしたら庄兵衛、お佐幾のやつが儂の背中をどつきおったぞ。もうすっかり実の娘のように思えるぞ」

 非番の一日、少左衛門は寝起きする離れの六畳の間で書見をしていると、お佐幾が襖越しに声を掛けてきた。
「お義父上様、お霜が早起きして花見団子を作ってくれました。音八も一緒に五人そろうて庄兵衛殿の桜を見に参りましょう」
少左衛門は思わず膝を叩いて、「おう、それはよい。行こうぞ行こうぞ」と立ち上がった。
野袴を着けると、少左衛門はポンと帯をたたいて小脇差を取ると歩み出した。満開をむかえ、桜吹雪になっているかもしれないと思いながら・・・

                    (この項・了)

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■「阿部茶事談」(01~02)釈文

2019-12-10 08:38:16 | 創作

01     阿部茶事談
         忠利公肥後国拝領之事
                       世にも
                 たくひありと誰かハい王ん末尓匂ふ世尓毛       たぐいあり と誰かはいはん末匂ふ秋より後の白菊の花 後水尾帝御製
                               よく栄えいや増す
      名高き白菊能栄へ弥増武功の花
      羽林源忠利公 参議宰相源忠興公の御          羽林 この場合は少将を示す
      譲りを請續セ給ひ 豊後豊前三十一万石余
      を領し給ひ小倉の城尓在/\ける尓 寛永
      九年九月十三日 忠利公小倉を發し為
      参勤江府へ赴き給ふ処奉書到来せり
      其文ニ曰

       一筆令啓達候當地御参候儀最前十
       月中旬於江戸御参候様ニと申合得共
       貴殿御事早々御参勤可然候為其以
       飛札申入候恐々謹言
                稲葉丹後守           稲葉正勝
        九月十六日   酒井讃岐守           酒井忠勝
                土井大炊頭           土井利勝
          細川越中守殿
              人々御中
        猶々御参尤ニ候以上
      右三人連書之外稲葉正勝唯寄書副
      之書使速ニ参府不及申候得共御意御

 

01     下尤ニ存候 乍去餘御急候て路次ニ而不審
      可有候間其心得尤ニ候 将大御目見一段御
      年比共ニ候 何事も面上可申候
       九月十六日    稲葉丹後守
          忠利様
        頓而々々奉待候已上
      斯て江戸御着座有けり十月三日又法
      書有
       明日御登城候旨其心得ニ而上屋舗
       ニ而可被有御待候 時分之儀ハ自是可申
       達候 御進物入申間敷候 恐々謹言
                稲葉丹後守
        九月十六日   酒井讃岐守
                土井大炊頭
          細川越中守殿
              人々御中
      依之十月十四日御登城有りける処ニ 将軍
      家家光公 忠利公へ肥後国十二郡豊後の
      内三郡都合五拾四万石を給ル 是加藤
      豊後守忠廣闕国也                  加藤忠廣  闕国

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■細川小倉藩(88)寛永元年・万日帳(九月二日)

2019-11-28 06:51:49 | 創作

          (寛永元年九月)ニ日

         |                          
         |     ニ 両人詰 晴天
         |
         |一、中津御奉行衆ゟ書状来候、中津御長ゑノ仁左衛門と申者、持参申候事
         |              ゟ                          裄丈
三斎ヘノ重陽ノ小 |一、谷助太夫、たつノ刻ニ中津被帰候、 三斎様へ之御小袖長さ・そでのゆきあい不申候ニ付、めし
袖丈ハズ書状 |                                      
共ニ返サル    |  て御らん被成、御返シ被成候、中津御奉行衆被申候ハ、定而御小袖かわり候間、此方ニ而御あら
         |                                      〃
         |  ため候て、御上ケ候由、ニ候事助太夫ニ口上ニ而被申渡候、則 越中様ゟ之御書も御小袖之上ニ
         |             〃〃〃
         |  置、此方ニ置候ていらさる儀ニ候間、返シ可申由被申候事、式ア殿・民ア殿へ中津御奉行衆ゟ返
         |         (西郡清忠)
         |  事被申候を、今朝形ア殿御小袖持参被申候、右之状写参候事
         |
公儀早飛脚    |一、公儀早飛脚之儀、三ケ番之御鉄炮頭衆へ可申渡之由候事
         |
         | (河田)    (林)               (塀)
小倉城廻リノ塀土 |一、八右衛門・弥五右衛門登城、御城廻り之坪七百五十間、どだいくさり候て、ひかへ柱斗ニてかゝ
台朽ル      |  わり申候、風ふき候ハヽ、たおれ可申候、いかゝ可有哉と申候、左候ハヽ、角木三百五十本入申
角木三百五十本ヲ |               (惑)  
渡ス   倒壊セ |  候、其内ニ三寸角無之候て迷悪申候由候、たおれ候てハ、 公儀へ被得 御意候ハてハ不成候
バ公ノ許可を要ス |  間、早々つくろひ被申付可然之由、被申渡候事
         |                         (米田是門)  (矢野)
三斎小袖ノ仕直  |一、三斎様ゟ九日之呉服被成御返シ候ニ付、御奉行三人、米與右殿・利斎、 式ア殿へ御呼、民ア殿
         |  打合、談合ニ而候、中津へも式ア殿・民ア殿ゟ飛脚を御奉行衆迄被遣候、 又呉服を調直シニ京
         |  へも中川四左衛門被指上せ候、今夕小早出船候事、呉服之御袖ノゆきを、式ア殿ニ而御くらべ候
         |                       〃
         |  ニ、弐分ほど宛みしかく、三つともニ少宛違申候事
         |        (親英)
松野親英懸り銀  |一、同所ニて、松野織ア懸り銀之事談合、とかく月引・日引ニ仕候へと、 御印御座候上ハ、此地ニ
月引  日引   |                                (逗)
         |  織ア殿被居候分、懸可申候、其上清兵衛・仁兵衛所ゟ書物ニも、此地通留中もかゝり申間敷との
         |                                  
         |  様子無之候間、かゝり申筈ニ可仕候、入江・宗像所、織アゟも御奉行衆〇へも右之通被申遣可然
         |  よし、御両人被仰候事                     
借米物成ニ不足ス |一、江戸書立被成 御下候、御給人衆物成不足祖候ほと御米借候儀、たれがさしつニ而候哉、急度言
ルホドニ貸セル者 |  上可仕旨被仰下候ニ付、豊岡ニ被申付、算用仕候へと被申付候、只今書出し候御書付之内、大田
ノ詮索      |  八郎右衛門・曽祢勘介ハ惣並ノ御借米も三十石宛ノ内ニかり申候、又三十石宛ゟ外ハかり不申衆
         |  も御座候、御増借仕候家ハ請人をニ三人宛立候而あかり申候、今少あらめニ候間、成ほと念ヲ入
         |  仕直候へと被申渡候
         |            (仕脱)
         |一、御鉄炮衆二人、平二郎荒子一人明晩出船、江戸へ可差遣ニ相済候事
         |

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■細川小倉藩(86)寛永元年・日帳

2019-11-26 06:53:25 | 創作

          (寛永元年八月)廿九日

         |                          
         |     廿九日 両人詰 晴天
         |    (童=わっぱ)     (規矩郡)
筑前ヨリ童走来ル |一、筑前ゟわつは壱人走来候ヲ到津之庄屋所へはしり参候ヲ、上田忠左衛門召連、登城被仕候、奉公
ヲ規矩郡奉行連来 |          〃〃〃〃                    (肥)  
ル        |  人ニ而ハ無之候、爰元ニ而いわしうり成共仕度由申候事、右之者本国ハひ前之者ニ候、ちくせん
本国ハ肥前    |  ニ弐三ケ月居申候て、御国へ参申候事
         |
田川郡松茸ノ進上 |一、田川ゟまつたけ参候を、中津へ被遣候ヘハ、まつたけさかり、其上おれ候をくきニ而つき候て参
方無念      |  候、以来ハあたらしきを、念を入候て御こし候由、中津御奉行衆ゟ申来候事、従林與兵衛所添状
         |  仕候故、彼方へノ返書也、
         |
三斎ヘノ重陽祝儀 |一、中津へハ九月九日ノ御小袖、谷助太夫持参被申候事
ノ小袖      |     〃
         |(一脱)          (米田是門)  (矢野)
公事聞奉行等惣談 |  式ア殿・民ア殿、與右衛門殿・利斎ヲ御本丸へ被呼候て、御奉行衆惣談被仕候儀候事
六箇状      |
入米法度ハ御諚ヲ | 一、他国ゟ米入候ヲ留候儀、不得 御諚法度仕候儀、如何と今度之 御書ニ被 諚下候、莵角 御
得ズ       |   諚次第前々のことくニ可仕之由候事、則御家中へ御両人ゟ可被触之由候
         |  (国東郡)          (国遠)
         | 一、古市村與三右衛門儀、道倫被得 御諚儀も可有之候間、平二郎参候時、可得 御諚之由ニ候事、
寺内八兵衛誅伐  | 一、寺内八兵衛儀、せんさく科ニ究候間、誅伐可仕哉と、得 御諚可申談合候事
         |
薮兄弟ノ知行ノ口 | 一、藪図書・同小吉知行之口不明候儀、三左衛門中津ノ御貸米八百石有之 儀ニ候間、此埒明候まて、
明        |        (知)   
末弟政三ノ借米  |   右両人ノ地行口ヲ不明候儀いかゝニ、三左衛門運上物ヲ兄弟両人ゟ被 召上候ニ究候ハヽ、地行 
         |   之口を明候とても、いなや被申儀ニ無之候間、地行之口をハ惣並ニ明候て可然之由、談合候事
         | 一、三輪源右衛門儀、中津御奉行衆今一度被申届可然之由、談合之事 
         |
香春城ノ道具   | 一、香春御城之道具香春ニ御座候、うわふき損申候通、中津御奉行衆へ御郡代衆被申届可然由之事、
         |   右之六ヶ條惣談之事候て相究候
         |          〃〃
         |            (矢野)                            (正直)(慰英)
小笠原長元賄米ノ |一、同所ニ而與右衛門殿・少右衛門、御奉行衆談合之儀、民ア殿賄七月中ハ、河喜多・仁保ゟ指帋に
渡方       |  て渡候、当月ゟ差かミも御蔵へ不参候故、被不申候、左候ヘハ、民ア殿御台所はたと不相成候、
         |  惣別民ア殿手前相続候まてハ、右之通ニ御賄ニ被仰付候、第一御賄候とても、民ア殿御貸米之差
         |  引ニ成候地行之口ヲ不明候間、被渡可然之由、左候ハヽ、御奉行衆ゟ河喜多・仁保へさしかミに
         |  て可申渡之由候、同御地行懸り米五百石ニて候、此分ヲ下毛・宇佐郡之地行ニ而口を明給候へと
         |  の儀、惣談相済申候事
         |
加子大坂ニテ走ル |一、鏡善右衛門登城、■■去年大坂ニ而與助と申御加子一人走り申候、大坂ニ而水橋五郎助所へ参、
         |  理申候ニ付、五郎助ゟ状添下申候、請人を立させ候て置可被申よし、被申渡候事
         |    (幸長)
         |一、野田小左衛門夜前中津ゟ被帰候事へ共、目悪敷候て、登城無之候事
         |                〃
         |一、一宮善太夫江戸ゟ被下候間ハ、留守之内十人之御扶持方加被遣由、江渡ゟ被仰下候事、善太夫内
         |  (儀)                                                                                                                           (田中)
         |  き知行所へ引こし居被申し候ニ付、則知行ニ而扶持方被請候やうニと、猪兵衛ニ被申渡候事

         |

               (寛永元年八月・了)                                   

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■細川小倉藩(84)寛永元年・日帳

2019-11-24 12:49:36 | 創作

          (寛永元年八月)廿七日

         |                          
         |     廿七日 両人詰 朝ハ曇
         |      (茸)
三斎へ松茸献上  |一、田川ゟ松竹弐本参候、林與兵衛方ゟ、すくニ中津へ被遣候由申候て、與兵衛者ニ被渡候事
         |          (吉重)     (正重)
魚住正重遺物献上 |一、沢村大学登城、魚住加介ゟ進上候鉄炮壱丁七匁玉、鞍壱口くろぬり十文字ノ金巻絵、右二色持
         |             (安場)  (三上)
         |  せ被参候事、但、鉄炮ハ仁左衛門・宗於ニ被渡候、鞍ハ嶋田孫兵衛ニ被相渡候
         |一、今度江戸ゟ罷下候村田忠右衛門、則中津ヘノ御書持参仕、罷帰候事、御返書御座候事
         |                               〃
         | (長兵衛)(勘三郎)
早舟ノねうし接ガ |一、元田・入江登城、今度被仰付候御早舟ノねうし取置候処ニ、はき候ハてハ不成候、御念入候御舟
デハ成ラズ    |                                    (忠有)
         |  ニて御座候ニ、はき候てハいかゝニ御座候間、取なをし申度候、左候ハヽ、彦山座主御知行山ニ
         |  有之儀ニ候間、座主へ御状被遣候へと申候、則状被渡候事
波奈之丸仕直シ  |一、右両人、なミなし丸ノ御舟、今度御船頭甚右衛門ニ御この三被 仰付候而、仕なおし御座候故、
         |                                    (樋口)
         |  御奉行之ニ付候衆、御さしかミ不で候、然ハ、かゝみ善右衛門不承儀申候間、淡路罷下候而可否
         |     〃
         |  申付之由申候而、さしかミ不出候、おかゝ可仕哉と申候、善右衛門さ様候とても、御直ニ御こ
         |  のミ被成候と申、大分之儀ニ候間、急出来不申候ヘハ、いかゝニ候間、急被申付候へと、被申渡
         |  候事
         |一、冨田十太夫与小頭四左衛門、十太夫理被申候ニ付、被召上、似相之御用等可申付之由候、小頭
         |  余人ニ申付由、十太夫申候ニ付、右之通、昨夕四左衛門ニ被申渡候事
         |(一脱)                                                      (野中)
狼ノ頭黒焼    |  大かめノ頭ヲ、国東郡之御惣庄屋二子久左衛門進上仕候而、塩木又兵衛持参被申候事、則作庵ニ
         |  申付、黒やきニ仕候へと被申渡候事                     〃
末次宗也ヨリ借銀 |一、長崎之銀子上方ゟ被下候故、長崎ニ而かり候へと借状調、明日御舟可下之由ニ候、末次宗也銀
         |  子之由、先日申越候故、彼仁へ借状当、式ア殿・御奉行衆加判之事
         |  (田川郡)
香春ノ籠修理   |一、香春籠そこめ申候通、林與兵衛申候、則河田八右衛門ニ與兵衛を被引付候て、繕之儀、被申渡候
         |  事
         |  (河喜多正直)(仁保慰英)
奉行等談合    |一、五郎右衛門・太兵衛所へ、御奉行衆被集ス籠而談合之事
新規召抱ノ禁   |一、同所ニ而御物書、其外新之者召抱間敷之由候
船作事定手伝   |一、同所ニ入江・元田手前定手伝ニ成候者見立申候間、御抱可被成之由候、是又今まてノ分ニ出人
         |  にて可仕候、新参ニ抱申間敷由之事
         |            (松本)(栗野伝介)
         |一、藤崎言斎内十兵衛を抱、彦市・伝ニ可渡由之事
         |

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■細川小倉藩(71)寛永元年・日帳

2019-11-11 06:20:44 | 創作

 

                         (寛永元年八月)十二日

         |                          
         |     十二日   両人詰 晴天 
         |  (備前)                                            本
小豆嶋ノ普請役帰 |一、小豆嶋ゟ、御普請衆夜前下候衆、大竹内蔵・弓削茂右衛門・鯛瀬九郎太郎・橋惣右衛門・みき猪
着        |  兵衛・河野清右衛門・西田吉内・郡勘八下被申候事
林二郎兵衛知行召 |一、林二郎兵衛 三斎様御前そこない、知行被召上候由、大竹内蔵物語二候、中津へ見舞二参度由被
上        |  申候事           (衍)
野田幸長眼病   |一、野田小左衛門眼病能候て、今日罷被罷出候事、 
家来召抱ノ禁   |一、式ア殿ゟ江戸ゟ 奉書参候ヲ、御奉行衆へ御見せ被成候、来年御普請無之候間、人なとかゝへ申
         |     〃          (飯田) (永良)  (坂崎成政)
         |  間敷由、御家中へ申触候へと、才兵衛・長兵衛・清左衛門方ゟ申来候事
         |       (元明)
行倒レノ処置   |一、三ノ丸住江甚兵衛わきノ御門ニ、死人御座候を、御さうしノ者二取すて候へと、御奉行衆被申付
         |         (ママ)
         |  候ヘハ、小頭上申候ハ、今まてさうしノ者かやう成物をあつかい、すて申たる儀無御座候、其上
         |                          (上林)(野瀬)
         |   御意ニも死人取すて候事ハ、御意之由申候、然ハ、甚介・少左衛門参候ニ、右之様子被尋候ヘ
         |  ハ、 御意ニ而ハ無御座候、先年ゟ作用之儀ハ不仕候、其上御本丸之さうじを仕候、仕人なと取
死人取捨テヲ掃除 |                                     (ママ)
ノ者二命ズ    |  あつかい候儀如何ニ候条、仕間敷と申候へ共、さうしノ者ノ役ニ而候条、仕候へ被申付候事、
         |
         |  (高月)
筑前ヨリ走来ル女 |一、人留西村善兵衛登城仕、ちく前ゟ女壱人走参候を、式ア殿・民ア殿へ召連参候ヘハ、おやしんる
ヲ追返ス     |    (者)
         |  い有物ニ而候由申候間、人を付、おいかへし候へとの儀ニ而御座候事
         |
         |                  (正直) (仁保太兵衛・田中猪兵衛)
代官人替ノ諸奉行 |一、御代官之入替、今日究、御奉行三人、川喜多・保仁保猪兵衛・新兵衛惣談ニ而判形被仕候事書立
惣談       |  被出候事                                                 〃      (加藤)
         |                                      ( 渋 紙 包 )
江戸ヨリ書状   |一、江戸ゟ、御中間惣左衛門・與介、両人下候、御奉行衆へ 御書箱壱つ、式ア殿へしふかミつゝミ
         |  ニて 御書参、浅山清右衛門持参被申候、江戸廿五日之日付之 御書也
代官坪井五郎太夫 |一、つぼ井五郎太夫、御代官被召上、御蔵奉行ニ申付候由ニ候、是ハ主手前せんさく仕儀ニて之儀ニ
詮索       |  候事
         |
村上景広水除普請 |一、村上八郎左衛門ゟ今日両度使、中津郡知行所、先日之水田地なかれ申候、今ノ分にてハ、弥なか
ニ竹木ヲ乞ウ   |  れ可申候間、御郡ノ山にて、竹木を被下候ハヽ、時分之者にて水よけノ普請可仕と申候ヘハ、
         | 伊良原村、中津郡  
         |  いらわらニ而被下候、是ハほと遠候て夫手間殊外入申候間、彼所近所ニにて被下候へかしと被申
請薮       |  候、彦市伝介御郡奉行両人へ被申候ハ、近所ニハ無之候、其外さとめハ皆以請薮迄ニ候間、不
         |      〃〃
         |  成之由候、右之通を八郎左衛門へ返事被申候事
         |
         |      (仲)
惣銀調ウ     |一、林久太夫・中間市太夫、上方にて惣銀相調候て、今日罷下候事
田川郡相代官   |一、山田次右衛門ニ、田川郡御代官梶原平兵衛相代官ニ被仰付候通、被申渡候事
         |

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■御恵贈御礼「さつま人国誌、戦国・近世篇、同2」

2019-11-05 19:23:53 | 創作

                 さつま人国誌 戦国・近世編 古本 古書さつま人国誌 戦国・近世編 2 古本 古書

 著者・桐野作人先生からご恵贈給わった。厚く御礼申し上げる。
実は近々発刊に至る新刊本においてご紹介いただくある事柄についてお問い合わせがあり、ささやかな資料をお届けしたところだが、このようなお心遣いを頂いた。
この二冊の単行本はすでに第三刷となっていて好評を物語っている。

先生のブログ「膏肓記」は随分以前からいつも拝見しているし、いろいろな御著の発刊についてはブログで知ると読ませていただいている。
戦国時代から近世・近代に至る迄、ご出身の鹿児島にかかわらず幅広い視野で歴史を語られ、私どもを楽しませていただいている。
今後のますますのご活動にご期待を申上げる。感謝。
    

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