いつも散歩をしている自衛隊通りの桜並木の内のかなりの数が開花を待たずに切り倒された。
根元は洞になっているが、殆どの木がその祠の中からだったり、脇からだったり新しい芽を吹いて5・60㎝程の高さに成長している。
こういう再生の方法があるのだと改めて気付いた。
そんな状況を見ながらいろいろ妄想を膨らませ、次代小説仕立てにして一文を書いてみた。大いに推敲を重ねなければならないが、出来立てのほやほやである。
ご笑覧いただきご批判を頂戴したい。
桜 守
津々堂
少右衛門は台所に回ると、少しひびが入って水漏れがするようになった茶碗に水を汲み、二杯ばかり続けざまにのどを潤した。
下働きのお霜が奥に声を掛けると、五歳に成った孫の小太郎が走り出てきて、膝をつくと「爺様、お帰りなさいませ」と挨拶をする。
嫁のお佐幾は掃除でもしていたのか、前掛けを外しながら出迎えた。
少右衛門は久しぶりに、かって住んだ屋敷の付近を尋ねてみたのだ。ほぼ一里ほどの所にあるその屋敷というのは、昨年亡くなった息子庄兵衛の役宅で、今は跡役の祐筆伊藤孫大夫の屋敷となっている。
代々庄兵衛を名乗るこの家で少右衛門だけ名乗りが違うのは養子だからである。
そして少右衛門から祐筆を勤め、庄兵衛は二代目である。
住み慣れたこの役宅のすぐ裏手にある追分に、一本の桜の木があって、大きく枝を張って満開になると近郷の多くの人々が眺めに来て賑わったものだ。
その桜の木が今年はその時期を待たず、思いがけぬ春先の大風に多くの枝が折れ、幹も途中で折れて、とうとう根元から切り倒されたと聞いたからだ。
村人らは「庄兵衛様の跡を追うたか」と噂しあった。
「如何でござりましたか」と嫁のお佐幾が尋ねる。
「うん、見馴れたあの追分に桜の木がないのは、なんとも不思議な景色じゃ。しかしのう、根元は洞になっておったが、脇からもう若い芽を出して、そして高さも二尺ばかりになって居った。」
「そうですか、枯れずに育てば宜しゅうございますなあ」お佐幾は膝の上で手を揉みながら応えた。
「あの桜は死んだ庄兵衛だと思えてのう、涙が出てしもうたぞ。しかし、あの若々しく生えてきた木はあれは小太郎じやと思えてな。根はしっかり致して居る。あと七八年もすれば背も高かく太うなって、又花もつけようぞ。」
一年前、風邪をひいて寝込んだ庄兵衛は床上げすることなく帰らぬ人となった。誠にあっけないことで嫁の佐幾はしばらくは寝込んだほどの憔悴ぶりであった。
「儂も小太郎の為に、まだまだ元気で頑張らねばならんと、あの木を眺めて思うた事よ」
「ほんにお義父上さまには、いつまでもお元気でこの家のご先祖様の事など、小太郎によう教えていただかなければなりませぬ」
今ではすっかり元気になって、五歳になった小太郎を生きがいに思うている。
「そうじゃ、剣術も学問もしっかり教えて、また庄兵衛の後を継いで、殿様の御為になるようお仕えしてもらわねばならぬ。あと十年で元服ぞ、小太郎一緒にがんばろうのう」
小太郎は「はい」と元気に返事をした。
「小太郎、御父上が亡くなられた時に、殿様は涙を御流しに成られたそうじゃ。そんな父上を誇りに思うてのう・・・」
そんな少左衛門の言葉にお佐幾の目も涙で潤んでいる。小太郎はそんな母を見上げて「がんばりまする」と健気に答える。
「庄兵衛が死んだあと、殿様は儂にまた祐筆役を勤めよと仰せであったが、このお役は若い者建ちにお任せに為さりませと申しあげて、殿様の書物藏の御番を仰せ付けられたが、これは年寄りには有難い御役で、いろいろ見たこともない書物を拝見できて有難い事じゃ、いろいろ小太郎にも教えてやれそうじゃ」
「佐幾にもほんに苦労を掛けるが小太郎の為に堪忍してくれい」と、佐幾を労わった。
「なにを仰せで御座りまするか。私は庄兵衛どのに小太郎を命と思うて育てますると誓いました。お義父上さまにもお力をいただき、庄兵衛どのの見事な跡取りとなりますようお助け下さいませ。」
「なにを申す、儂にとっても小太郎は大事な/\孫じゃ。あの桜の木が花をつけるころには、殿様にお目見えが出来よう。殿様も待って居ると仰せであった。」
お佐幾は小太郎を膝元に引き寄せると、「有難いことで御座います」と言いながら、そっと目頭を押さえた。
小太郎が不思議そうに見上げて小さな手でお佐幾の頬をなでた。
「そうじゃ、殿様にお願いをして、そこの小川の脇に桜の苗木を頂戴して植えてはどうかのう。
明日殿様にお願いをしてみよう。あそこなら田の仕事に通うここらの者も喜ぶであろう。うん、そうしよう」
数日後お庭方の者が四尺ばかりに育った苗木を二本植えて呉れた。
少左衛門は非番になると、裏の竹山に登って数本の竹を携えて下りてきては、下男の音八に加勢をしてもらい、それぞれに垣を廻した。
そして毎年の手入れも怠りなかった。
小太郎がお目見えをすませ前髪を執したころ、追分の桜は見事な花をつけた。村の人々は勝手に「追分桜」と呼んで手入れをしていたが、殿様の御耳にも達すると「其方たちにとっては庄兵衛桜じゃな」と仰せられた。
お佐幾は、そのことを聞いてて身を震わせて泣き崩れた。
「思うた通りじゃ、小太郎、そなたの父上は桜に身を替えて見事にこの世に戻ってきたぞ」と、小太郎の初々しい月代姿の肩を叩いた。
そして小川の脇の桜も、これに負けじと花をつけた。少左衛門は密かに、「この桜は小太郎桜じゃ、佐幾の桜じゃ」と心に想うていた。
少左衛門は桜を眺めながら、亡き庄兵衛に語り掛ける。
「庄兵衛、来年は小太郎に家督をゆずり儂も隠居が出来そうじゃ。そしてまた苗木を頂戴して、川沿いに十本も十五本も桜を植えてみようと思うておる。桜守じゃ。何年かかるかわからぬが、殿様が参勤で御發ちの頃には桜の花でお送り申し上げたいと思うておる」そして、
「庄兵衛、お佐幾は気が早うてのう、もう小太郎の嫁探しを始めおったぞ。小太郎はまだ十五になったばかりじゃ。里の父や弟にも頼んでおりますが、お義父上も良い人を見つけてくださいませと申して居る。それでの、心得た、お佐幾のようなおおらかで元気な美人を探そうぞ、これはなかなか見つかるまいて・・・成就するには桜と同様十年もかかろうぞと云うておいた」
「そうしたら庄兵衛、お佐幾のやつが儂の背中をどつきおったぞ。もうすっかり実の娘のように思えるぞ」
非番の一日、少左衛門は寝起きする離れの六畳の間で書見をしていると、お佐幾が襖越しに声を掛けてきた。
「お義父上様、お霜が早起きして花見団子を作ってくれました。音八も一緒に五人そろうて庄兵衛殿の桜を見に参りましょう」
少左衛門は思わず膝を叩いて、「おう、それはよい。行こうぞ行こうぞ」と立ち上がった。
野袴を着けると、少左衛門はポンと帯をたたいて小脇差を取ると歩み出した。満開をむかえ、桜吹雪になっているかもしれないと思いながら・・・
(この項・了)