文化年間幕府からの「細川家の家紋の由来」の問い合わせに対し、藩のあたふた振りを伺わせる文書がある。
つまり問い合わせに応えるだけの資料が存在しなかった訳だ。これは不思議としかいいようがない。
細川家紋之事
新続跡纜巻二百七十六ノ三 文化五年九月(印判にて数文字判読不明)
一櫻御紋御由来之儀白金御用人より申来於御國御
吟味之趣書付参候付白金江差上事
十月四日御國江立石助之進より申向之
△(1)櫻御紋之儀付而差紙之通白金御用人より申来候付
御吟味を御便被仰越度則右之紙面御取遣之御紙面
写進達仕候以上
△(1)上ニ付紙
享和元年正月其元より御紋本被差越候節之御
申向は此元ニも扣御座候御家譜御吟味も可有
御座と本文之通進達仕事御座候
△(2)付紙
御当家之御紋之御由緒之儀去年申達候節公儀江
御届ニ相成候御紋本写一冊并御由緒之書付一通詰合御
右筆頭中より被指上候右紙面并御由緒之書付共写を差
越申候右紙面写ニも有之候通櫻御紋之御由緒於此元
相分兼候由御國御書所江は御紋之委敷相分居可申
哉之趣ニ付右御紋之御由緒共吟味有之候上猶又被差上
候様被仰出候間御國許江早々被申向吟味之上委物申
上ニ相成候様可有御取斗候此段申達候以上
九月十六日 白金 御用人中
立石助之進殿
△(3)付紙
△付紙(2)
十五日之御飛脚ニ如左
被仰越候櫻御紋之儀小野武次郎編集之御家譜(綿考輯録)之中
も及吟味候へ共相分不申候ニ付寛政十二年御目付様より
御尋之節吟味有之候趣を以付札用参候間右之訳を以
申上之■御取斗候様被差越候白金より之別紙
致返達候
△(3)付札
櫻御紋之儀
頼有様宛之御武器之内ニ相見候哉ニ薄々及承候との
趣去年白金江申上置候此節政府之趣承合候処御天
守方ニ而吟味有之 頼有様御武器ニハ相見不申由
ニ而差紙之通申来候付而写之差(紙・脱カ)進申候右之趣も申上ニ
相成可然候ハヽ宜御取斗有之候様存候
十一月十五日
(書き込み中)