津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ぬしが殿様じゃったや

2025-03-12 07:01:07 | 言葉

 江戸城中で人違いで殺害された細川宗孝の同母妹・喜和姫は、対馬国府中藩主(3万石ー10万石格式)の宗義如(よしゆき)に嫁いでいる。
義如は8代目当主だが、9代は弟・義蕃が継ぎ、10代は義如の4男猪三郎が継いだが御目見えも済まぬまま14歳で死去した。
そこで六男富寿が身代わりとなって兄の名・義功を名乗っている。10代・11代とも側室の子だが同じ名前を名乗ったのである。
11代の義功(よしかつ)だと思われるが面白い話が残っている。中川延良が記した「楽郊紀聞」という著書に次のような話がある。

 ある時義功がわずかの供の者と馬で遠乗りに出かけた折、川の近くに居る者たちを見かけ、供先の侍が「下に居れ~」と声掛けすると、大人たちは逃げ去ったが、川遊びしていた子供たちは逃げるもならず頭を下げた。
その中の一人が顔を上げて殿様を見上げ「ばあい、ぬしが殿様じゃったや」と声を上げた。殿様は叱ることもなく供の者と声を上げて笑われたという話である。
殿様の顔など見知る事のない百姓の子供だから、怖いもの知らずの正直な感想であろう。

 ふと大国熊本ではこのような事が起こりえるだろうかと思った。遠乗りの道筋は前もって整備することを言いつけられ、当日は外出も制限されたことだろう。
もしこのような事態が生じたとしても子供が罰せられることはないにしても、親や五人組、村役人などは少なからずお叱りを受けるだろう。

対馬という国の小藩ならではの温かさや睦みあいが伺い知れてホッとさせられる。

 

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■しょんなか~~

2025-03-11 06:58:17 | 言葉

 過日妻の買い物の「見張り役兼荷物持」としてスーパーに出かけたとき、米の販売は火曜・金曜限定、そしてキャベツなどが相変わらず高いことに改めて驚いたことであった。
近くに居られた母娘と思われるお二人が「たっかね(高いね)どぎゃん(どう)すんね」「しょんなかたい(仕樣がない)買わんと」とそんな会話をされていた。

古文書などではこの「しようがない」の同義語として、古い処では「詮方ない」「拠所(よんどころ)ない」「是非無い」「余儀無い」「止むない」などがある。近代においては「致しかたない」「仕方がない」などがある。

熊本弁の「しょんなか(しようがない)」は、元々は「仕様のない」だと私は密かに考えている。
熊本弁では「~の(no)」を「~ん(n)」と置き換える言葉が非常に多い。つまり「仕様no
ない」が「仕様nない」と変化したものではないか。

 帰り道、「もやし」を買い忘れたことに気づいた。そのことを妻に言うと「もやしって何ね」と聞いてくる。
「もやし」が判らなくなっている。これには驚いて両手の荷物が重く感じられ、又引き返して買う気にもならず帰宅したが、まさに「しょんなか」という気分であった。

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■五反百姓

2025-03-07 07:18:19 | 言葉

 「五反百姓」という言葉があるが、「五反百姓出ず入らず」とも言うように、「五反の農地があれば家族(5~6人程度)が借金せずに何とか暮らしていけるが、金が残ることもない」という意味である。
夫婦二人に子供一人、爺様・ばあ様と下人一人と言った按配で、牛か馬が一頭いる。
「1反=300坪=991,7㎡」ということからすると、現代世界では、市街地に5反などという土地を持っているとデベロッパーに狙われてしまう。
米の収量は、江戸時代大方1反あたり1~1,2石とすると、5反の農地を有する百姓は5~6石の収量があったことになる。
四公六民として手元に残るのは3~3,6石である。これでは「出ず入らず」とはいかない、別途畠を持ち色々な作物を耕作したり、夜なべ仕事をしたりしての話となる。
 しかし、熊本の百姓衆の田畑面積は大変零細だったという。
矢部郷を舞台とした「仁助咄」というものが残されているが、矢部教育委員会発行の冊子「仁助咄」の「序文にかえて」に於いては、一人一日分の食料は、「柚木村=1合1勺7才」「猿渡村=6勺9才」と言った数字が紹介されているが、まさに「仁助咄」の冒頭にある、正月を迎えても「餅もなく、濁り酒もなし」という有様である。

 一方侍の世界では「扶持米」というものがあるが、「一人5合×360日=1.8石」が一人扶持として、三人扶持・五人扶持といった形で支給される。
当然のことながら、食料としてではなく生活費であるから、一部を現金化して所要の品を賄うことに成るが、百姓の世界と侍の世界ではこのような歴然とした違いが存在していた。

 「仁助咄」の「序文にかえて」を書かれた井上清一氏は、かつての矢部町の初めての名誉町民となられた歴史家だが、「宝暦の改革は農民にとっては改悪であった」と断言されているが、私も同じ思いを持つ。
重賢公を名君とするのは、残された関係する書物などがすべて、藩の体制側の人物の著であり頌徳碑的儀礼的文献だと手厳しい。
現実的には飢餓者が多く見受けられたし、そんな時代に旅行者として肥後の地を歩いた古川古照軒の「西遊雑記」などの記述をみると、肥後の地の最悪の状況の時期を目の当たりにして記録に残されてしまった。
こちらの方が真実なのだろうと思わざるを得ない。何時の時代も歴史は体制側のものとしてつづられて来た。
ひねくれ者である私は「西遊雑記」や「仁助咄」を精読して、歴史の裏側をのぞき見しようと躍起になっている。

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■漱ぐ・雪ぐ=すすぐ

2025-03-01 07:25:59 | 言葉

 夏目漱石の「草枕」を読みながらふと思った。「漱石」というペンネームの由来についてだ。
「石を漱ぐ」とはどういう意味なのか、ほかに読みようがあるのかと思って調べたのは四半世紀ほど前の事だ。
インターネットの世界は誠にありがたく、すぐさまその回答を得ることが出来た。
賢明なる諸兄はすでにご存じの事かと思うが、これは漢詩の錯誤に由来していた。漱石はどうやら「錯誤」の言葉をさかてにとって自分のペンネームとしたらしい。
中国の故事に、「枕石漱水」(=流れに漱(くちすす)ぎ石に枕す)という言葉があり、俗世間から離れて川の流れで口をすすいで、石を枕として眠るような引退生活を送りたい」という意であるという。
ある人物が自らも引退するにあたってこの言葉を引用したが、間違って「漱石枕流」としてしまった。
友人が間違いを見つけてはやし立てると、本人は「石で口を漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うため」と強弁した。
つまるところ「漱石枕流」は「負け惜しみ、頑固者」の意味となってしまった。
漱石はこれをよく承知したうえでペンネームとしたというが、今手元にある小説「草枕」の「」や「=情に棹させばされる」という文字も案外「枕流」のこじ付けかもしれない。

 古文を読んでいるとたまに「雪ぐ」という文字に出くわす。例えば「汚名を雪ぐ」といった具合だが、これは「すすぐ」というよりも「そそぐ」である。
「雪辱」という言葉があるが、同様の意味を持つ。これらの場合においては「そそぐ=すすぐ」は雪でなければならない。
降り積もる雪できれいに覆い隠そうとでもいうのであろう。
日本各地の寒波もそろそろ打ち止めに願いたいものだが、落雪事故で亡くなる人が出たり、路面凍結で交通事故が発生したり、こちらの汚名は隠し切れない現実だ。

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■頑是(がんぜ)ない、肯(がえん)ずる

2025-02-15 07:31:44 | 言葉

最近「首肯=しゅこう」「頑是ない」という二つの言葉と出会った。

■「首肯」という言葉は「うなずくこと。納得し、賛成すること。」の意だそうな。
 一方「がえんず=肯ず」という言葉があるが、古文書の中でもそう度々登場したことはないように思う。
 「肯なう=うべなう=宣なう・諾なう」とも読むようだが、私の知識の埒外にある言葉である。

 つまり「肯ず」とは「承諾する。同意する。」の意であり、「首肯」とは首を振るという動作が伴っての言葉のようだ。

■「頑是ない」(=がんぜない)という言葉は承知している。
 「頑」はかたくなの意であり、「是非」の区別がつかない、つまり「頑是ない」とはその道理が判らない「あどけな」
「無邪気」という
 意味である。可愛い子供の笑顔が浮かんでくるが、これはまさしく昨日ご紹介した「耈姫さま」のお姿が目に浮かぶ。

「言葉」のカテゴリーで時折こんなことを書いてみたい。

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