書き出しにある「朽木家の血脈」がどうも理解できないでいる。
「典禮殿御兄弟幷定彦方江有之之由」とあるが、典禮を名乗る人は松井分家(古城家)で二代・周之と六代義之、その子七代・武の三人である。
この書状は文化十二年のものであるから、典禮は義之であろう。
義之の実父は四代・賀之、賀之は松井本家の弘之(七代豊之の末弟)の嫡子であり、朽木家の血脈を伺わせるものがない。
朽木家の系図を詳細に眺めていると、朽木家六代昭直の女が七代昭恒と松井賀之に嫁いでいる。どうやら「朽木家の血脈」は女系に依っているようだ。
典禮=義之だと仮定すると、彼に弟がいるはずなのだが系図には見受けられない。ましてや定彦なる人物も典禮とどういう関係なのかが見えてこない。
この問題の発端は朽木内匠が義弟(先代の実子)定彦を順養子にしようという話である。
私は文化十二年に朽木家の当主であったと思われる昭久を内匠と比定した。ところが系図には定彦の名前が見えない。
思いあぐねた私は、昭久が当主になるまえに朽木家に入っていた、宇土細川家八代当主立之の伯父・昭信(左膳)についても当たってみた。
しかし、曾孫の国麿が朽木家に入ったという事実はあるものの、定彦に関係する情報はない。
ところが思いがけないところで定彦の名前を見つけた。
もうだめだと思いながら「細川藩・主要家臣系図」をぱらぱらめくっていたら、なんと細川刑部家の嫡流六代興彭(細川重賢弟)の分家筋の二代目に朽木定彦の名前を見つけた。
「某・朽木定彦 長岡定彦 与三郎 文政八・十名跡相続 七百石 中着座同列 番頭 用人 大目附 中老職 文久ニ・六没(64)」とあった。
調べ物は偶然を伴うことが良くある。まさにこの例もそうであった。「快感」としか言いようがない。
この書状の結果はすっかり見えてしまったが、後につづく書状の部分もまたご紹介しながら楽しんでいただこうと思っている。