津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

有吉家文書「年中行事抜粋」(三十八)御裏召出之式

2011-07-31 14:48:57 | 有吉家文書

    御裏
    召出之式
一、被召出御用人より詰間又ハ口之間ニて申達
  有之候得者御請申上候前御礼申上として
  中柱御間江罷出候ニハ不及候事
一、御裏御門通り御次口より上御用人間江罷
  通り候尤御次口ニハ罷出候段家来より答サセ
  候事
     但御模様ニ應し候ハ供帰為致候儀茂
     有之候事
一、於御用人間西側ニ座着刀ハ後ニ置候茶
  煙草盆等御次小姓より出し諸事右之
  役より取計候事
一、罷出候段ハ御用人より御取次を呼申達
  被召出候節ハ御取次より御用人江申達シ
  御用人より致案内候直ニ御印口御奥江
  罷通候事
     但毎々八畳敷ヘハ御取次已下致坐着
     居候間会釈いたし罷通候奥より引取
     候節も右同断之事
一、罷通候間江者御老女等出迎居此御
  間之御襖を後ニ〆左頭ニ座着致し候事
     但茶たはこ等出候事
一、夫より御老女申上致案内候ヘハ脱剣 控居候御間也
  罷通通り 懸女中ヘハ致会釈候 御居間之御次之間ニ而
  御辞儀申上御意被為在
  御向通りを敬し御障子際ニ罷出御座之
  間御敷居越ニ座着之事
     但御模様次第ニハ御敷居内ニ入候事
一、御吸物御夜食等頂戴物有之候得者
  足付御膳 ヒクキ足有也ニ て被下候得共御器ハ下ニ
  卸候事
     但御茶者出候得共御煙草盆者出
     不申之候
一、御盃被下候ヘハ御向通御際越ニ罷出内ニ
  入頂戴之仕御盃を下タニ置候ヘハ御肴
  被下候是ハ御側より御紙ニ御肴を戴
  差上候を御手自頂戴被仰付夫より
  御老女ニ向御返盃ハ御断申上候併
  強而差上候様被仰付候得ハ御盃を
  御次之間まて持下候此内御次間御目通控居左候ヘハ
  御女中受取清メ御臺ニ載差出
  候を受取御同間へ入御老女江御台
  なから分差出候若又猶御酒頂戴
  差上候様被仰付候ヘハ其通仕其節ハ
  清メル紙を御老女ニ相願候上御老女
  より相渡候間内外清メ能改候上御老
  女まて手自差出候併多くハ御直ニ被遊
  御取揚候其時御辞儀仕御肴ハ
  不差上候其儘御老女江御礼申上
  元之座ニ帰候事
一、御前より下候節大勢之時ハ末座より
  下り最前之御間ニて帯剣候尤
  茶煙草出候事
     但此時御用人も右之御間江参居候
     事
一、夫より御老女江御礼申上一ト通致会釈
  御用人間江下り候事
     但御裏ニてハ御老女之外ハ咄等致候ニ
     不及候尤臨時見計も可有之之事
一、右之通ニは候得共拝見物拝領物等其
  外臨時之儀は豫難記候事
     但御服拝領之節ハ御廣蓋ニ
     載御取次より持出御品物次第ニハ御用人又ハ
     御老女なと取計之事も有之
     御意之上御廣蓋なから載持出候
     人江頼候ヘハ御次江廻御次小姓より
     挟箱ニ入候事
一、御用人ニ而猶御禮申上供廻御次小姓江
  申聞引取候其節御次小姓ハ箱段上迄
  送り候御用人ハ送等無之候
     但以前ハ翌日奉伺御機嫌候節茂
     猶御礼申上候得共寛政之頃より其儀者
     相止候当時ハ翌日之手数無之候事
一、御裏御玄関より致出入候儀ハ無之夫故
  御裏附江出会先ハ無之候事

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いささか泥縄にて候へとも・・・

2011-07-30 22:10:04 | 書籍・読書
回想 子規・漱石 (ワイド版岩波文庫)
 
        岩波書店

 

 高浜虚子の著である。
今般肥後金春流の中村勝氏が、「漱石の俳句と能」について興味有る論考を発表しておられるが、いささかなりともこれを理解するために、子規-漱石-虚子の関係を勉強しようと思い至った。私の得意とするところの「いささか泥縄にて候へとも・・・」である。

氏の論考
■ 能と草枕考        http://www1.odn.ne.jp/higo-nakamura/kusamakura.html
■ 夏目漱石謡曲俳句   http://www1.odn.ne.jp/higo-nakamura/kanwa16.html  

 漱石と謡曲について、なにかご存知の方が居られたらご一報いただければ幸いである。 

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有吉家文書「年中行事抜粋」(三十七)出火之節之覚

2011-07-30 20:38:23 | 有吉家文書

  大抵左之通
一、御用番者
  御在国御在府之無差別御殿江
  出仕之事
一、御用番外者御在国ハ御殿江出
  出(仕カ)御在府者大御番所江出仕之
  事
一、両御寺近辺出火之節ハ御用番ハ
  御寺江罷越御用箱之鍵ハ近辺之
  同席江譲可申申事
     但泰勝寺者在中之事ニ付火元得と
     分候上罷越候筈ニ候事
一、往生院 神護寺近辺出火之節者
  御城出仕之上申談御用番之外より一人
  罷越筈ニ候事
     但急場之節ハ御用番より駆付
     鍵ハ右同断譲可事

  安永七年
  御城御花畑御近所火事之節心得之覚
一、火事之節役懸ニ而被罷出候場所兼而定
  有之輩ハ先其場所江可被相揃候左候而
  其内より火防之方ニ配候儀も候ハヽ拙者共より
  可差図事
一、其外火防ニ懸被申候面々御城ハ大手門前
  御花畑ハ表御門ニ駆付可被申候右両所共
  御門前ニ御目附出張罷在筈候条被罷出
  面々ハ右御目附江可被申達候左候ハヽ拙者共
  承届可被差図候左候而引取被申候節御物頭
  衆ハ足軽何人召連候との儀御目附江被申達
  其外手人数有之面々茂其人数之儀右同断
     但御目附出張之所夜中ハ御紋附挑燈
     差出置候事
一、御城御花畑より隔キ候火事ニ手一旦火元ニ罷出
  被居候内風筋悪御両所之間火近相成候ハヽ
  直ニ駆付可被申候事
  右之趣支配方へも被相達其節ニ到間違
  之儀無之様堅示合置可被申候以上
     八月

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夏らしい夏

2011-07-27 15:48:09 | 熊本

 今日はまだその気配がありませんが、ここ二三日今頃の時間ものすごい夕立に見舞われました。ここ数年「夕立のない夏」を経験し、随分気候が変わったものだと感じていましたが昔に戻った感じがします。小学六年生の時、夕立に追われた経験があります。不思議な経験で人様にお話しても信じてもらえませんが・・・本当です。

 井上陽水の「少年時代」という楽曲が大好きですが、この歌を口ずさんでいると不思議にこの夕立に追いかけられたことを思い出します。埃っぽい道が雨にたたかれて、独特のにおいがしました。

 歳を重ねると、つい昨日の事は思い出しませんが、古いつまらないことは忘れずにいます。
暑さにばてながらも節電に協力しながら、なんとか頑張っています。

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歯止めが掛かりました

2011-07-25 23:17:22 | 徒然

 今夏に入って5キロほどやせたのですが、2キロほど元に戻してしてどうやら体重の減少傾向に歯止めが掛かりました。歳を取ってからの体重の減少は、あんまり見た目にもよいものではありません。めまいが止まりませんが、知人からは一度CTスキャンをしろと盛んに進められていますし、PC三昧も大概にしろとお小言をうけています。(まあ、程ほどに致しましょう)

 津々堂どうやら元気です。他事ながら御休心下さい。

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ご恵贈御礼「隣人」第24号

2011-07-25 22:49:37 | 書籍・読書

 赤穂義士研究家の佐藤誠氏から、草志会年報VOL.24「隣人」を御恵贈いただいた。
この中には氏の論考「堀部弥兵衛とその周辺-堀部(甚之丞)家文書-に見る赤穂事件」20ページが掲載されている。氏は堀部文書を所蔵する、熊本の島田美術館を訪ねられて各種文書を調べられた。その報告ともいえる論考であるが、その結論は堀部弥兵衛については三代前からの浅野家家臣だとされるが、弥兵衛自信が召出しをうけて仕官したものであるとされる。
私もブログでご紹介してきた、堀内傳右衛門の記述が誤解を招いているようだ。主語の無い文章を如何に理解するかの難しさをお教えいただいた。

 島田美術館を訪ねられた折熊本をあちこちご案内したり、夜には楽しく御酒を飲み交わしたりした。その折はエッセイストの近藤氏もご一緒であった。ちなみに近藤氏のご先祖様は、堀部弥兵衛の介錯役を勤められた米良市右衛門である。「介錯人の末裔」を御覧いただきたい。そのサラリーマン・エッセイスト近藤氏は、今年も「ベスト・エッセイ集」に掲載が決定されたらしい。快挙である。

私S藤は来年は70代突入、近藤氏50代、佐藤氏30代・・・・不思議なご縁の「藤原三兄弟」である。熊本・・北海道・・東京と離れ離れではあるが、「遠距離恋愛」の関係の様なものである。感謝

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「風説秘話」から 鑓と釣竿

2011-07-24 15:38:03 | 歴史

 金津孫太郎正澄(嫡家八代)のこと

金津孫太郎或時山鹿街道を通たるに薩摩の士ニ逢ぬ 行違時孫太郎か僕持し釣竿を向の鑓ニ打當たり 彼士大ニ怒り是非御家来を可被下と云 金津様々断レ共不聞入ニ付然らは御取■ニ任せ家来を逢可申扨御家来事此方釣竿ニ鑓を打當候故共此方より御取■可申と云しかハ彼士詞なく其侭ニて止たるとなん

 なんとも笑いたくなる話だが、あてたのは孫太郎の僕の方なのであろう。
しかし鑓が釣竿に当ったかもしれないし・・・真相は判らない。
機転を利かした孫太郎が一枚上手であったということだろう。何事も機転と冷静さが必要だという教訓。

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金津氏のこと

2011-07-24 15:35:36 | 歴史
 昨日の河喜多氏につづいてのガラシャ夫人殉死関係で、今回は金津氏をご紹介する。 
金津(かなつ)家祖・金津助次郎は、ガラシャ夫人(秀林院)の生害に自刃してお供をしたが、その最期の模様は綿孝輯録(巻13)に詳しい。
「少斎(小笠原)と共に駆廻り御死骸のあたりへ猶燃草を投込、所々に火を散らし、台所にはしこを掛け、屋根の上にて大肌抜きつゝ立、われらハ金津助十郎と云もの也、越中守奥方生害にて少斎、石見(河喜多)も殉死を遂け畢ぬ、士の腹切て焔の中に飛入りしとなり、言上の表にはのせす候へとも、諸人の耳目を驚し勇猛の振舞なり」
 時に助次郎は43歳であったとされるが、幼い男子二人が有った。秀林院の七回忌(慶長11年)にあたり夫々二百石を拝領した。嫡子・助次郎十一歳、二男又十郎九歳である。

 助十郎---+--助次郎---+--十次郎---十次郎---十次郎---略(十次郎家)
        |        |  
        |        +--又助----左次兵衛---又助---略(又之允家)
        |
        +--又十郎----助十郎----又十郎----助之進---略(十郎家)


 父の従兄妹(祖父の三弟の長女)が金津於兎三郎なる人に嫁いでいるが、どの金津家なのか分からないでいる。高祖父・上田久兵衛の二男・彦熊の次女が祖父の弟に嫁いでいるから、父の従兄妹は久兵衛の娘そして孫娘の二代の血を受けた。男子は亡くなり絶家、関係者のお墓は禅定寺の曽祖父のお墓近くにある。上田久兵衛もここに眠っている。
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「風説秘話」から お上人と願人坊主

2011-07-22 12:17:05 | 旦夕覺書

 以前「風説秘話」をご紹介してきたが完結していない。今回は八代番頭・河喜多三左衛門についての一項をご紹介する

三左衛門 後兎山
    字不知
河喜多○三郎或人の許ニ行しに亭主掃除様して取紛レ様子ニ付直ニまたんとせしかハ 亭主云今日は延壽寺の上人見へ申筈也滞可被咄と云 然らハ迚居けりしに端して亭主最早追々見候半迚上下を着けり 河喜多大ニ心ニ不叶居内延壽寺来りたれハ亭主迎入次之間より手を突慇懃ニ挨拶す 河喜多少も不構居たり 主人気の毒ニ思ひあれは河喜多○三郎とて八代番頭ニて御座候と云 延壽寺聞て是ハ/\當時迄間違不得御意私様は世外之事ニ候得は御侍方ニ對し御番頭衆も御番方衆も同様ニ心得御無礼致候と云しかハ河喜多云様是は被入御念御挨拶ニて御座候 成程御世外之事故此方も御自分様も願人坊主も同様ニ存ると云たるとそ

 言葉の使いようには随分と気をつけなければならない。
延壽寺の上人さまも願人坊主と一緒になってしまった。

 ここに登場する三左衛門(兎山)とは、次のような人物である。

    三左衛門・一英  六百五十石外二百石 宝暦五亥二月廿四日当役
               宝暦五年二月(廿挺頭)~宝暦十三年三月 八代番頭
    
河喜多斗山 名は一英、三左衛門と称す。世禄六百五十石藩に仕へ八代番頭を勤む。
    剛直の士なり。致仕後免山又は吐山と号す。寛政二年九月二十日没す。


 ちなみに延壽寺とは川尻にあるお寺のことであろうか。(断定は出来ないが)
         http://www.tendai924.com/enjuji/

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河喜多氏のこと

2011-07-22 08:58:51 | 歴史

 熊本在住の河喜多さんは史談会の会員で時折お目にかかっている。本家のS氏は東京在住、昨年「幽齋公五百年忌」の折りお目にかかり歓談、その後も親しくお付き合いをさせていただいている。毎年御墓参りを欠かすことなく来熊されているらしいが、今日その合間をぬってお目にかかることになった。何かしら史料をお持ちいただいているらしい。
河喜多氏といえばガラシャ夫人に殉死した初代・石見が有名だが、二代・藤平石見は飯河豊前誅伐を命ぜられ戦死している。故に河喜多氏の家は弟・甚吉(嘉兵衛)が相続し、本家として今日に至っている。今日お目にかかるS氏のお宅である。熊本在住の河喜多氏は藤平石見の末っ子だが、史料は「石見相果候砌出生」と記す。熊本城内にある「源之進櫓」にその名を残している。
お二人は「幽齋公五百年忌」の際に始めてお会いになった。いささかのお手伝いをした。

 夕刻お目にかかるが、又楽しい話題で盛り上がるだろうと楽しみにしている。
 

        
          +--河北五左衛門
          |  明智家中小笠原甚左衛門誅伐仕手・討死
          |
          |            +--平十郎
          |            |  父・石見死亡時勘気、後五百石、病死跡断絶
          |            |
          |            |           +--某 御暇
 ガラシャ夫人殉死 |   妙見龍王城預    |           |        
 河北石見---+--藤平(石見)---+--五郎左衛門---+--助兵衛 →(列蔵家)
          |    飯河豊前誅伐仕手・討死         | 
          |           |           +--次左衛門 病死
          |           |           |
          |           |           +--吉兵衛 病死
          |           |           |
          |           |           +--勘左衛門 →(助三郎家)
          |           |           |
          |           |           +--角左衛門 →(一二家)
          |           +--某
          |           |
          |           +--源之進・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(和学家)
          |               (父)石見相果候砌出生仕候
          +--甚吉(嘉兵衛)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(治部左衛門家)
              細川休無忠隆家臣(誕生時より慶長八年迄)その後豊前にて召出

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加藤清正を大河ドラマに・・・さて如何に

2011-07-20 22:46:33 | 熊本

加藤清正公の生誕450年・没後400年記念事業実行委(荒木章博委員長)は14日、東京・渋谷のNHK放送センターを訪れ、清正を主人公にした大河ドラマの制作・放映の実現を要望した。
 実行委は県内外で実現に向けた署名活動をしており、これまでに約17万人分を集めている。この日は実行委代表世話人で加藤神社宮司の湯田榮弘さん(66)らがNHKの新山賢治理事らと面会。熊本市と友好協力都市関係にある韓国・蔚山広域市から大河ドラマの撮影許可を得たことをアピールしながら、清正公の足跡を紹介した。
 これに対し、新山理事は「盛んに交流されていることに驚いた」と感想。ドラマ化については「真摯[しんし]に検討したい」と述べた。   熊本日日新聞より

 さてどうなるか・・・大河も再来年までは決定しているから、実現しても随分先のことになるのだろう。しかし関係者は熱い。実現の折には、「加藤清正妻子の研究」を熟読していただき、誤り伝えられている事柄を一気呵成に正していただきたいものだ。

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BBSの活用について

2011-07-19 00:06:23 | 徒然

 痛烈なご指摘を受けた。甘んじて御聞きしておくが、これが私の能力の範囲だと申上げておく。私は学者でも研究者でもない。単なる市井の物好き爺である。当初はサイトの頭に「他力本願」と書いておいたが、皆様の忌憚の無いご意見を受け入れる心の余裕は持ち合わせているつもりである。郷土史家という頑迷なお方が沢山おられるが、私はいたって柔軟な方で間違っていたら直ちに修正をさせていただく。「笑っちゃいますよ」もあえて御聞きしておく。
攻撃しようと思えばへんてこりんなサイトは有象無象ある。礼を失さぬ範囲で意見を述べるという礼儀も必要であろう。BBSを閉鎖しているが、又再開させようかとも思う。
ただ節操の無いSEX狂いした馬鹿どもがいろいろ書き込むのが許せなくて封鎖している。
純粋な議論の場としてどうすれば良いのか、皆様のご意見を拝聴したい。

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オリオンの末を冥土に

2011-07-17 23:17:32 | 徒然

 ブログ画面に出てくるカレンダーを見ていたら、随分サボってしまったことが判り、こりゃ~頑張らねばと思ったことだが・・・なんとも身体が云うことを利かない。
何とか云うおじさんに「気合だ /\ /\ /\」と気合を入れて貰いたいものだ。
(猪木のビンタでは・・死ぬかもしれない・・・)

 九州は台風の影響が明日から出てくるようですが、今晩の空は「月に群雲」月齢は何日かわかりませんが(調べるのも億劫で・・・)、なかなか良い風情です。
今日はそんなことでオリオン座も雲の中です。オリオン座の何とか云う星もそろそろ終末期を迎えて、あわよくば私たちはその瞬間に出会える可も知れないという話を聞きました。
 

           願わくはオリオンの末を冥土への
                         土産話に成らば逝くべし  津々

 

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暑中お見舞い申上げます。

2011-07-16 22:59:00 | 徒然

 各位さま 

昨年に引き続き夏痩せがつづき、一年で14~15キロ体重がダウンしました。胸や尻の筋肉が落ち、裸になるとまさに古希爺の体型に成りつつあり愕然とします。もう筋肉が付くことは無いのでしょうね。
 
メールをいただいた皆様にもご返事が滞っていますが、今しばらくお待ち下さい。
生きるの死ぬのという話ではありませんが、なんとも疲れが抜けずこんな体たらくです。
言い訳がましく一言認め、生きている証拠と致します。

                                     津々堂 敬白

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江戸藩邸物語

2011-07-13 22:03:52 | 書籍・読書
   江戸藩邸物語―戦場から街角へ (中公新書)
 
           中央公論社

 月末にある史談会の7月例会では、会員のF氏の延べ195ページに亘る研究の成果を発表していただくことになっている。まだご本人と私しかその内容は知らないのだろうと思うが、いやはや恐れ入った研究である。マニアックでアカデミックなこの研究は、日本でも稀有なものではないだろうか。この成果をどう皆さんに知っていただくかが問題だが、F氏とご相談しなければならない。
 いろいろぐぐっていたら、こんな本が出ていることを知った。
例会までにちょっとくだけた情報を手に入れようという次第である。

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