延元(延之)様御一代諸事御勤一帳 延元は寛永元年に死去しており、以下の内容は息・延之の事跡である。
御家御代々御出陣之時分御留守居役御断之事
一先代加藤忠廣公落去之刻肥後陳と申候時分長岡
佐渡殿ハ豊後杵築領地肥後筋にて候間被召連候
勘解由延之小倉ノ御留守を被仰付候て兼て天下へ
被召上置候は国本之儀長岡佐渡守・長岡勘ケ由ニ申
付置候得は氣遣成事無御座候 御自身は何国にても
御旗本へ馳付御奉公可被遊と被仰上置候間左様に被得
可申旨被仰付候 勘ケ由御留守居之断被申上候内に無程
肥後国無事に成 忠利公御拝領勘ケ由御留守居と
有之候を心外ニ思召借銀に事寄小倉江御座候内弐知
行一国ニ差上られ百人扶持被下候様にと御届候
忠利公之御意に勘ケ由此申分にてハ定而馬乗共
咄出し可申候 久敷家来共に候熊谷右馬之允・永井惣右衛門
冨田小助各別の者共ニ候間知行其侭に御自分より
被為拝領其外之馬乗とも當前の扶持方従
公儀各別に可被為拝領候由之事
嶋原陣之時之事
本ノママ永ノ誤
一寛文十四年嶋原陳之時分御城御定法に御人数
出候叓有之砌は勘ケ由に御留守居被仰付と御極置候
忠利公近日御下り被成由に付御詔訴可被仰上と御待
候処に熊本へ御寄不被成白川鹿来瀬を勅に川尻へ
御通御出舩被遊候付兎角之無了簡夫より嶋原へ
以使者御詔訴一番に冨田杢之允右杢之允帰り不申
居留り居申候訳ハ寛永十五年二月廿七日本丸に乗
込本陳石垣下にて討死仕候 二番に伊東源之允・村越
惣左衛門事
傳兵衛・加来八郎兵衛段々被遣候 光尚公間に御入御扱
此度は伺御意可申候重てハ 光尚公御談合被成候と
被仰遣候得共承引無御座候 其後之御断にハ石井清兵衛
を被遣候 早二月廿八日落城之跡に参着仕候事
一嶋原御帰陣之上にて御家中御侍中御働之程御吟味相極
候後江戸へ御参勤明る六月爰元へ御下着被遊候
七月の時分より勘解由方御留守居之御断取極被
仰上候之取次之衆津田三十郎殿・松山権兵衛殿・田中又
助殿・明石権太夫殿・熊谷九郎兵衛殿・丸山左京殿此節
此六人衆を為御取次之御談合にて勘ケ由存分之
一筋之御紙面故右之衆中餘り無艶御文体に候間私とも
可通リ調見可申由にて両方を被兼繕たる帋面故勘ケ由
同心無御座候 然上は馬乗中江二通之紙面被見せ候とき
坂井半右衛門・取井見候而勘ケ由殿帋免ハ餘り無艶御座候
又各様へ被成候共急ぎたる御帋免此一大事之詔訴ケ様之
儀にては中々埒明申間敷候由申候得とも然は半右衛門
存寄に調へ見せ候様にと御座候に付相調懸御目
候得は勘ケ由殿御心に叶此紙面可然とて其通に
御書物調被差上候事
一御書物上り候上にて然ラハ一陳にハ可被遣と被思召御同心
無之に付其刻奈良より西源院と申出家下り被居候を
御加へ御扱せ候得とも勘解由方合点不仕候 其後隔番に
可被仰付旨御免ニ候得共是も御合点無之候 兎角御留守
居と御座候儀何ケ度も御断可申上よし一筋に
極被仰上候 ■ハ御讃談決不申候事
一去夜長岡佐渡守殿ゟ呼に参勘ケ由殿も御出被成候
大叓之場に極り候故詰に参り者共覚悟を極メ一左右
を今やと待居候処に伊東源之允刀を取裏玄関より
出跡より佐渡守殿御屋敷へ参候 其様子冨田十左衛門
坂井半右衛門目を見合兎角不申候処に浅利九郎左衛門・原
喜太夫両人刀を取可出と仕候時十左衛門・半右衛門両人を押留
申聞せ候は各不心得にて候 跡より何十人参候共旦那
之あたりへも不寄佐渡殿玄関前にて闇々とはて
申事に候 最早旦那は捨り者に御成り行候 一左右次
第に御嫡十五朗殿を押立云合置候如く熊本中を
引請はたはりなき心得と申に付浅利・原至極仕留り
申候 其夜も御別条無御座候叓
其後重長岡佐渡殿より呼に参り御出候座席に坂崎
内膳殿御一座ニ而勘ケ由殿申分を被聞候而然は勘ケ由
殿御意を御背キ候哉と被申時勘ケ由殿返答に推参成ル
被申様出頭をかさに着てか佐州の聟と被存左様に
被申候哉あたまより御意を背き御断申候と氣色を
変し御申候時佐渡守殿間に御入勘ケ由殿其訳にて
無御座候 内膳も兎角被申間敷候と御取持にて無別条
御帰候に門を打せ可申旨御申付候 扨馬乗り中泉水の間
に被召出段々を被仰聞ケ様に有之迚殿様へ少シも御恨ミ可
申上訳にて無之候 如斯申候とて妻子をかはひ申にては
少しも無之と大誓言を御建て我等不仕合久敷其方共一日
とても心あき叓に不逢不及是非候得共其方共我等一人
切腹可有由御申候 冨田十左衛門座順に居申候か立破り申候
に付何連も進出仕候 次の間に出十郎左衛門申候は皆ともへ
對し可有御切腹よし空虚を御つくし候と申候時半右衛門
申候は名誉を御申氣か違たるものにて可有之と申を
〇御花畑へ聞エ
たく/\御聞ふこと御笑にて候 扨門を御打せ候事〇当番之
勘ケ由殿取籠り被申と
御小姓頭丹羽龜之允殿詰被居候ニ付冨田十郎左衛門・坂井半右衛門
セキ・本ノママ関ヵ
処へ手帋ニ而勘ケ由殿咳御申付候共各乍在門を打せ被申
筈ニ而無之候 急き被備候へと申来候得共両人聞入不申候 然処に佐
渡守殿御出何と仕たる仕合にて候哉此佐渡有間ハ勘ケ
由殿此難に可逢哉と御高声にて■両度涙を被拭御通
り候 勘解由殿奥江御はつし候て氣色悪しく奥に
罷在候間不懸御目候由御断被仰候 左候ハヽ常々奥様江も
懸御目佐渡にて候間夫に通り可申と御申に付了簡な
く御出御相對候 佐渡守殿毎々被仰分候間此佐渡参候而
取持候上は御難に成申間敷候私に御任せ候と被仰門を
明させ御帰候叓
(続く)