七一
一追々大風等之節、諸職人手間料之儀、區に相増候者も有之様子ニ候、手間料之儀は兼て及達置候儀も有之候間、
心得違之者候ハヽ追て吟味之上、屹ト被仰付之筋可有之候、且竹木縄ニ至迄各別直段引上ヶ、心得違之商賣無之
様及達候事
右安永六年七月日帳
七二
一御家中一統渡り之御米、町家之者買込預りニいたし度望候者、渡り方ニ込合候てハ甚不捌ニ付、御家中現渡、又
ハ預等相濟候上、町方之者着ヶ候切手ハ預り出申筈ニ相成候段及達候事
右安永六年八月日帳
七三
一十禅寺・山王社祭禮ニ付、囃子興行之儀は御忌御日數之内たり共不苦旨候段、新座大夫左陳ニよつて及達候事
右安永六年九月
七四
「天明二年八月
此客屋下宿之儀ハ、新壹丁目・貮丁目・三丁目・蔚山町右四町にて相勤中筈ニ被仰付候處、式稿之内ニ相見候、
然處當時笠屋藤左衛門相勤相当ニ付、いつ比より相勤申事ニ候哉と藤左衛門手前及吟味候處、委細申出候趣此節之
日帳ニ記シ、式稿ニも其譯書入置候事」
一新壹丁目旅人問屋笠屋藤左衛門儀、従前々御客屋下宿相勤來候、然處、右付て一宿輪番幷日田御用箱輪番共ニ被
成御免被下候様願出、如願及達候事
右安永六年十一月日帳
七五
一正月朔日、町人御禮ニ付、町方根取壹人相殘來候處、殘り居候ニ不及儀付てハ、安永三年之日帳ニ記置候、其後
は両殿様御在國迄ニて、三日ニ御禮申上候付て、根取之内一人宛罷出來候、然處前文之通ニ付、猶又此節御小姓
頭付根取黒川才右衛門・御使番戸岐儀大夫・田中八郎兵衛え申談、以來共元日御禮之節ハ相殘候ニ不及、御樂屋
ニ相揃せ名付ニ引合せ、其段御小姓頭え申達、引取申筈ニ相極メ候事
右安永七年正月日帳
七六
一薩州御家中衆通行、河尻止宿にて候ヘハ、彼町馬ハ、相良様御用ニ差出候由ニて、熊本町馬拾疋索越之儀、達有
之候付及其達候、然處、夜前ハ河尻止宿無之由ニて索戻り候、右之通之儀有之候てハ、馬子共迷惑仕候由馬指よ
り申出候ニ付、右躰之節ハ、河尻止宿との儀決定之上達有之候様ニ、尤筋々相達候てハ、手まとひニも可相成哉、
右之通之節ハ、別當より直ニ馬指え申遣可然趣、根取より町奉行所え申遣候事
右安永七年二月日帳
七七
一他所より入込候藍買賣共之内、直賣いたし、望不申者えハ預置候抔と申、押て差置候様成儀も有之、不■(締)之様子ニ
相聞、津端役人幷問屋共不埒之至ニ候條、津端は勿論所々陸口共ニ、不依何品入念相改、早速問屋着致せ、御格
之通取計、直賣堅不致様屹ト可被申付段、丹後紺屋岩崎茂兵衛より御郡間御銀拝借、染藍買込紺屋中え賣渡候譯
付て、依願及達候事
「右茂兵衛儀、安永八年十二月ニ至り染藍惣問屋、依願及達候事」
右安永七年五月日帳
七八
一主水殿、八代え歸り之節、毎町馬貮拾疋雇有之候とも、不残ハ入用ニ無之戻り候、何れも、前晩より相詰居、脇
荷物物受合居候も、其日之手筈違、馬士共迷惑いたし候由ニて、馬指より及内意候付て、其趣彼屋敷留守居え申
遣、入用分之馬積立、差紙之儀達有之筈候事
右安永七年七月日帳
七九
一河尻町御奉行、御船方御作事所御用使之儀ハ、相互ニ何れ之書状類も請取、夫々相届申筈ニ候處、我儘ニて他之
書状等ハ請取不申者有之候、右之通ニてハ不便利人費之事ニ付、右躰之儀も候ハヽ、右之譯申聞相渡候様ニとの
趣、町奉行より河井清左衛門え申來候付て、其通御飛脚番え申付、已後難澁ヶ間敷申候ハヽ、其譯書付致せ、
相達候様ニ及達候事
右安永七年閏七月日帳
八〇
一大火付て、竹木等之直段甚引上ヶ候由、請人困窮之折柄、強欲之次第不埒之至候條、相當之利分を以商賣いたし候
様、諸職人手間料之儀も同前之段及達候事
右安永七年閏七月日帳