津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■肥後菊池氏・西米良菊池氏・東北菊地氏

2025-01-04 10:05:19 | ご挨拶

 去年の大河ドラマを観て「刀伊の来寇」で活躍した藤原隆家の事が気にかかっている。
隆家というよりも、その子孫だという菊池氏の事だと言い換えた方が良いかもしれぬが・・・

                   

 熊本史談会では2022年3月、菊池市在住の歴史家・堤克彦氏をお招きしてー新資料で「菊池氏初代則隆の出自」を探るーという、お話を聞いたが、「土豪説」と「藤原氏後胤説」のいわば合体説とでもいうべき御説の解説であった。
これは堤先生の古文書解析から導かれたものあり、説得力のある御説として受け止めている。
私は菊池氏の藤原隆家後胤説には組しないが、「菊池一族の興亡」の著者・荒木栄司氏がその著の冒頭に、「菊池一族が藤原姓を称し、自分たちが藤原摂関家という王族の血統を色濃く継承した氏族であるという認識を持ち続けた氏族であった、と述べるに止める。」と書かれているが、非常に卓越した表現である。
「藤原氏後胤説」は、その根拠として弘和四年七月の藤原(菊池)武朝の「武朝申代々家業之事」にある一文をもってそう信じられてきた。
           謹んで当家忠貞の案内を検するに中の関白道隆4代の後胤太祖大夫将監則隆
           後三条院の御宇延久年中(1069-1073)始めて菊池郡に下向してより以降
           武朝に至るまで17代凶徒にくみせず、朝家に奉仕する者なり。

太祖とする則隆からすると、武朝は15代の孫にあたるが、その間このことを証明する一次資料は存在しない。
武朝もまた、そういう認識を持ち続けた人であったのだろう。

 菊池氏よりも古い歴史を持つ阿蘇氏にしても、氏族の滅亡は氏族内での主導権争いが原因している。
菊池家では武朝から5代の孫・22代当主能運が一族の宇土爲光(菊池氏19代当主・持朝の子)と戦い、次第に力を失って行き、能運は自らの子を宮崎の山深い西米良村に落ち延びさせた。
菊池姓を秘め米良氏を名乗り近世になると、人吉相良家の附傭となり、交代寄合となった。
南朝の忠臣・10代当主菊池武時の後胤として認められ明治に至り旧姓に復して叙爵された。米良家17代の則忠氏である。

 又菊池氏は東北地方に菊地氏の姓で大いに繫栄している。菊地武義という人物の存在が知られているが、肥後菊池氏が「南朝系の後胤やら公家の子息等を守って奥州下向した」ともされるが、未だその関係は明らかではないようだ。

 菊池系米良氏の詳細や、東北系菊地氏などの関りなど菊池氏はまだ謎に包まれている。
西米良の米良氏について今年は色々調べてみたいと思っている。

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■初ヤフオク

2025-01-03 13:18:44 | オークション

 お正月の三が日は、連日実業団駅伝・箱根大学駅伝をTV観戦して過ごすしかない。
お宮参りも妻が出かけようとしないから、私もまだ控えている。時間が余って仕方がないから、ヤフオクで「絵画」を眺めている。
そんな中に、大好きな田崎廣助氏の絵、阿蘇やその周辺を描いた作品が数点出品されている。
     ・真作保証 田崎広助 『阿蘇山』 油彩12号 額装 絵画 田崎廣助
     ・【真作】【WISH】田崎広助「由布岳と志高湖」油彩 4号
     ・真作 田崎廣助 ジクレー「阿蘇」画寸45cm×38cm
     
「朱富士」等の作品もあるが高くて手が出ないなとため息をついていたら、「滝室坂から見た阿蘇五岳」というスケッチを発見。
勝ち負けは時の運だが、一応応札をしてみた。

真作・田崎広助 5号大 スケッチ 滝室坂から阿蘇高岳を望む 実力ある作家のスケッチはときに本画より迫力あります 額600*490 ヤマト140

          

 この迫力あるスケッチにどう色付けをされるのだろうかと考えると大変興味深い。

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■妻の「レシピ」障害

2025-01-03 09:47:38 | ご挨拶

 私事で恐縮だが退院50日にして妻の障害を実感している。
高次脳機能障害の中の「失語症」だとの事であったから、これを踏まえて彼女を傷つけないようにと気を付けて会話をしている。
ところが、年末からお正月にかけての料理作りの中で、失語症ばかりではないことを強く感じさせる事件が起きた。
一週間ほど前には「焼きそば」を作っていたが、食べてみると全く味がついていない。
大晦日の「年越しそば」に「海老の天婦羅」を入れてもらおうと、わざわざ「海老」を購入していたのだが、この「海老」は天婦羅にはならず、ただ焼かれて夕食に顔を出した。
「年越しそば」は、「天婦羅そば」が「素そば」になって出てくるなと思っていたら、なんと「煮そば」になって登場した。
煮詰まって食えたものではない。さすがに妻に断って処分をした。

 さてお正月の朝、御雑煮造りの段になってから、彼女は考え込んでしまっている。
準備の段取りができないでいる。急きょ出汁の代わりに「永谷園の松茸の味・お吸い物」を使って、「具を入れたら」と提案してみた。
それでも、何を入れるかが判らないらしい。「ほうれん草・だし巻き卵・紅白かまぼこ」を準備させた。
敷き大根とか人参とかは省略である。ここまで手配すればOKだろうと台所から離れた。
お取り寄せの「おせち料理」を挟み、さて御雑煮をいただこうと思ったら、なんと肝心のお餅が入っていない。
私はあわてて、お餅を焼きこれを入れて何とか体裁を整えて、あわただしいお正月の食膳となった。

「レシピ障害」というべき障害を改めて感じ、こちらは「失語症」より厄介だと実感している。

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■「新たな決意」

2025-01-02 13:48:25 | ご挨拶

 今日は「書初め」、昨年の大河ドラマを見て、今年は少々思うことがある。

藤(紫)式部を演じた吉高由里子さん、藤原実資を演じたロバート秋山さん、劇中での書くシーンはお二人ともご自身のものであったというが、特に吉岡さんはもともと左ききでこの作品に出演するにあたり急きょ右で練習をされたと聞く。
そしてクローズアップされる優雅な文字の運びにも魅了させられた。
秋山氏も日頃から文字を書くのはお好きらしく、いつも筆ペンを持ち歩いて居られるらしい。
まさに「小右記」を認めている感じが好もしく思えた。

 私も身近にあるペン立てにはいろんな筆記具や、色鉛筆や蛍光ペンなどに混ざって習字の小・中筆や面相筆、そして筆ペンも入れている。
最近は墨を摺ったりが面倒で、もっぱら筆ペンを使ってはいるが、これを毎日日常に使えば少しは上達するのではないかといつも思っている。
古文書に触れるなかで、先人が書き残した筆跡は、悪筆・達筆いろいろだが、必ずしも上手ではないどちらかと云えば悪筆であるものは読み下しに余計な時間を浪費させられることがある。
かとおもえば、男性の見事な細い文字で書かれた冊子なども所蔵しているが、見事な文字であっても読み下しは簡単とはいかないから不思議である。
やはり自らが筆を使い文字を認めることを習慣としなければ、古文書の深淵部には入り込めない気がする。
今年は筆ペンで日記でもしたためてみようかと思っている。頓挫している「般若心経」の模写も再開したい。

 今日の書き始めは小学生のそれではないが、大文字で「新たな決意」と戯れてみた。
文字の上手下手は遺憾ともしがたいが、筆に成れることを第一義としてチャレンジしたい。

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■新年の御挨拶を申し上げます

2025-01-01 00:03:35 | ご挨拶

 明けましておめでとうございます。

  新しき年の初めにあたり謹んでご挨拶を申し上げます。
  旧年中は大変ご厚誼にあずかり有難うございました。
  当サイトは昨年8月に21年目に突入いたしました。
よくぞ続いたという感慨のみでございますが、年寄りの馬鹿力を発揮して本年も猛進したいと思っております。
    変わらぬお付き合いを給わればこれにすぎる幸せはございません。

   生かされて又重ねたる老いの春 津々

   本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
    御尊家ご一同様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

  令和七年乙年 元旦

  津々堂 敬白

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