宝暦の改革で名君とされる重賢だが、一方では本草の博物知識でも知られ「錦繡叢」や「毛介綺愌」など採色図鑑などを残している。そのようなことを知ってか、あるとき江戸へ出府する某が、大阪で「紅メダカ」なるものを見て人を通じて申し上げると、そのようなものがあるはずが無いと叱られてしまう。後日佐田右州なる人が同様「紅メダカ」を見つけて買い求め、フラソコ(ママ)に入れて重賢に献上したという。重賢は大変喜ぶと共に、先に叱り付けた某に対して、「自分の誤りであった」と断りを入れられたという。
その値は二尾で百疋だという。百疋=千文(一貫文)=1/4両とすると、二匹で二万円ほどだろうか。珍しいものだったのだろうが高い、ところで「紅メダカ」って何・・・・?
某なる人「御側に相勤居候が、感涙にたえかねけり」と「槙集記」は記している。
その値は二尾で百疋だという。百疋=千文(一貫文)=1/4両とすると、二匹で二万円ほどだろうか。珍しいものだったのだろうが高い、ところで「紅メダカ」って何・・・・?
某なる人「御側に相勤居候が、感涙にたえかねけり」と「槙集記」は記している。