散歩の第一コースは3.3㌔(日本地理院地図で計測)、これをほぼ40分で歩いてきた。時速4.95㌔である。
今朝は新記録を立てたいと思い、少々速足であるいてみたところ4分短縮することが出来た。
たかだか4分だが1/10の短縮だし、時速にするとほぼ6㌔だからすごい事ではある。
まだこれくらいはやれるな~と思いながらも、又ひざを痛めるとまずいからもう記録更新を目指すのはやめようと思う。
本当に膝痛がないのが不思議ではある。健康が一番を痛感するこのごろである。
一六四
一於密間仁田市郎左衛門被申候ハ、此間も追々被申達候
通、御内檢ハ下見見下ヶ候と申、下方ハ御内檢見込候と
申候へて争候様有之候へてハ難相滞事候間、下方随分委
ク相しらへ、御内檢・御惣庄屋も委敷見しらへ申候ヘハ
少も違可申様も無之候、其所重疊御内檢へ申渡儀ニハ御
座候へ共、此上心得違貮ても有之候ハヽ不相濟儀候條、
各様より私共へ御内意被仰聞候様、呉々下方教諭之儀委
被仰付候様、尤下方へ申渡之儀、小百姓之内もあら/\
呼出申渡候様、右之趣私共より及御通達候様被申聞候事
七月廿七日 木 村 辨蔵
田邊孫右衛門
澤田又大夫
一孫右衛門儀又々罷出候様申來、於密間仁田氏被申聞候
ハ、只今之趣御内檢へ委敷被申渡候處、何れも得斗致承
知候様子相見候得共、又いか様之心得違も可有之哉、各
様御見及之趣も候ハヽ早々可被仰聞候、右之通御内檢も
精々相しらめ申事に付、下方へも委敷下見等之儀も申聞
候様此方より申渡候間、左様被思召候様ニと被申聞候事
右之通ニ付、同廿九日於詰所御惣庄屋幷下方え委細申
渡、案文帳・仕法書共相渡、寫相濟候間、八月朔日御郡
間へ及返却候事
一八月十二日渡邊喜平次御郡間へ罷出候處、仁田氏被申聞
候ハ、今年より見積損引仕候御仕法被改候貮付、御惣庄
屋積つき合ニハ相成不申事候得共、いつれ御惣庄屋も積
ハ不仕候ハてハ踏へニも成不申元ニ候處、御内檢之内ニ
は心得違之者も有之、御惣庄屋積ニハ及不申候よし、御
惣庄屋へ申聞候者も有之段承被申候ニ付、御内檢ニハ右
之稜被申聞候間、仲間中ニも右之段承置候様ニ通達仕候
様被申聞候事
一六五
八月十四日於御間蒲池喜左衛門より渡邊喜平次へ被相
渡候書附寫
覺
御郡御吟味役
田添源次郎 緒方九郎左衛門 志賀何右衛門
尾崎杢助 雑賀甚兵衛
右は諸御郡作方毛上致見分、此度被改候御徳懸之趣も下
方得斗呑込候様教示いたし、當御免極之儀ニ付諸御郡共
無甲乙様ニ心を附、若存寄有之候ハヽ見込之有前を以、
可否御惣庄屋・上地御内檢ニも申談候様被仰付候間、左
様被相心得可有御申談候、此段御同役中へも御通達、御
惣庄屋へも夫々可被申聞候、以上
一六六
覺
一今度見積御損引御仕法潤色ニて、下り米ニ貮割五歩之了
簡米取計之儀被仰付、先以結構成御仕法と奉存候、然處、
零落之者共何分難取續及潰申様成類ハ、不得止當時迄之
通御米拝領奉願にて可有御座と奉存候、勿論容易ニ相願
可申様無御座、精々相しらへ難閣分可奉願候、此儀各別
申上置候ニ不及申儀と奉存候へ共、申談候趣御内意申上
置候、以上
七月 御郡代
一六七
一今度御免方御仕法潤色被仰付候、然處、たとへハ一村田
方大概之毛上ニて御土免通ニ受除可申處、間ニ不作之者
有之、積合候ヘハ御免ニ合兼候者共有之、纔之儀ニて御
損引願出候儀も御座候、右躰之所々は、當時迄御惣庄屋
共見込を以委敷積立候上、少々宛之御足米奉願、惣御土
免通り受除申候儀御座候、左候ヘハかり揚収納・諸作仕
付等至迄速相濟、下方勝手ニ相成申儀ニ御座候間、右取
計之儀は、只今迄之通被仰付置被下候様有御座土奉存候
一阿蘇・南郷・小國・久住・野津原、其外諸御郡之内奥山
在見積之御法は、里在同前之事御座候得共、例等之取計
用捨仕來候所々ハ、當時迄之通被仰付置被下候様有御座
度奉存候
右之通申談候ニ付奉伺候、以上
八月 御郡代
[付札]「此儀相達候處、村毎ニ不作之者有之、何ヶ村ニて
も積立御足米願出候仕法ニては、今度改正被仰付候
詮も無之候間、左様之節は被改候仕法之通徳懸を受
可申候、譬ハ一手永御土免受除か申作方之處、其内
一二ヶ村ニても不作之もの有之、其分御足米被下候
ヘハ、壹手永之受除貮成候と申節ハ、御達之通御心
得可有之、夫とも願米高御惣庄屋共之見込を、御内
檢改積立御引合有之、得斗御詮議被詰、双方之見込
相違無之候ハヽ御郡吟味役御申談、願米を究可被
相達候
一阿蘇・南郷・小國・久住・野津原其外諸御郡山奥在
之儀は、惣躰之取計今迄之通御心得、若御内檢改見
込割増難受合、極々及難澁候村々ハ、直ニ改正被仰
候通例御申付可有之候
右之通可及達旨候間、左様御心得候様ニと存候、已
上
八月廿日 御郡間
昨晩のサッカーワールドカップをTV観戦したおかげで、少々眠い中それでも朝の散歩40分(3.3㌔)にでる。
今日で6日目になった。段々身についてきたという感じである。
殆ど糖尿病状態(血糖値226・HbA1c 10.7・LDLコレステロール 184)の私だから、日頃身体がだるくて仕方がない。
昼食後眠いこともあってベッドにごろりとしたら、すっかり寝込んでしまって二時間の昼寝、倦怠感は相変わらずである。
血圧の薬・目まい改善の薬に血糖を下げる薬、都合五種類の薬を飲んでいるから、気分はすっかりSick personである。
食事の量は全く変わらないのだが、運動のせいか、すべて身になり体重が増えている。
糖尿病はやせると聞くがそのような状態はないので、摂生にこれつとめブログの発信を続けたいと念じている。
一六二
一昨日被仰談候御免方被改候帳面、於密間仁田市郎左衛門
へ相達候處、付紙夫々披見有之候上ニて被申達候ハ、御
免切之儀ハ帳面ニハ一手永限と有之候得共、一郡相濟候
迄貮割五歩之御米を以、手永下免所又ハ零落所之三割四
割にも當候様、免切仕候様無之候てハ不當御座候間、其
通被仰付貮て可有御座と奉存候、尤一郡一紙之下米ニ貮
割五歩之御米被下貮て可有之と申達候處、其通被仰付ニ
て可有之と被申聞候、口達ニて被申達候迄ニてハ、御仲
間中御通達有之事ニ付、猶又付紙を用可被相渡由被申聞
候、猶又申達候ハ、御免極方之儀畑只今迄之通御惣庄屋
積を私共へ指出、御内檢積と見合、高下有之所ハ見撫候
て相極候様申談、尤只今迄は右之外至て零落所ハ、私共
より各別申談、下米差加へ申渡儀ニ御座候得共、免切ニ
被仰付儀ニ御座候ヘハ左様取計可仕様無御座候、御内檢
一手之積ニ被仰付候ハヽ、後年御内檢へ下方より賄賂之
氣味も生候様ニハ有之間敷哉、旁只今迄之通御惣庄屋・
御内檢双方突合せ相極候様有之度旨申達候得は、仁田氏
被申聞候ハ、此節御内檢も畝廣・薮陰ニてためし不申、
随分正道ニ仕筈候由被申聞候
一御内檢試仕候儀も、見積前ニ打廻り候様有之候てハ隙取
ニも相成り加申候間、見積之節も試仕事ニ付、只今迄之
通被仰付置度奉存候、御内檢打廻見込候坪迄試仕候ハ
ヽ、高段下段ニよりて甚違も仕候へ共、夫をふまへに見
積置候様有之候ハヽ、見積相究候節、受兼村毎ニ例相願
候様ニ有之候へてハ相成申間敷候、私共立合候節ハ毛上
も見撫候て試仕せ候儀ニ付、有筋ニて可有之段申達候、
此間被相渡候書面も一同ニ及御通達候事
七月廿日 田邊孫右衛門
澤田 又大夫
坂根長右衛門
一六三
口達
一私儀今日支配所御用ニ付御役所へ罷出候處、於密間仁田
氏被申聞候ハ、澤田氏ハ御出局ニて無之哉と尋ニ付、見
へ不申段申達候處、市郎左衛門被申候ハ、昨日御達被成
候御免方付て之御付紙之趣、此方よりも筆足ろ不申所も
有之、大方御付紙之通相濟可申候、然處御惣庄屋積・御
内檢之積突合之儀、且又御内檢毛上見分打廻り試候儀、
此両條今度潤色之第一之用文ニて、下方ハ下見随分入念
置、御惣庄屋ハ村々舛を入試置、御内檢も委敷見分、左
候ヘハ少も見込違可有之様無之候、御内檢ハ見立之檢見
先を以御免を極候ヘハ、御惣庄屋も同様之積ニて少も難
澁之筋嘉有之様無之候、昨日も得御意候通、畝廣薮陰抔
にて例可申様も無之、只今迄御内檢ハ村方之見立不宜と
申、下方ハ御内檢無理成積と申候へて、上下こも/\利
を争申候、此節ハ引起シ候て正道ニ導キ、御内檢より少
も無理成儀無之様、精々被仰付事ニ候間、其所ハ支申間
敷候、若檢見先之取計、此等ハからきと各様思召候處
は、夫こそ貮割五歩之米を以、だくほく御取計可被成候、
又大夫殿昨日も被仰聞候、御内檢しらへニ成候ハヽ、又
々まいなひヶ間敷儀も可有御座と御心付候處ハ御尤ニ候
へ共、其心持ハ只今にてもならぬ事ニてハ無之候、若左
様之儀有之候ハヽ、其節被仰付候趣も可有之候、其所迄氣
遣候ヘハ萱家の下ニて火をたくことならぬと申様なる物ニ
て御座候、此両條さへ思召無御座候ヘハ外ハ御達之通ニ
て、明日帳面堅り申事之由被申候、左候ハヽ御演説之趣
御付紙ニて御下ヶ可被成哉と申候ヘハ、夫ニハ及不申、
右両條御仲間中御存寄無之候ハヽ、帳面堅り候上御達ニ
成可申候間、今晩被仰談、明日早々御存寄御達被成候様
ニと被申聞候、此節私申達候ハ、御内檢積を以檢見先之
御仕法ニ候ヘハ、見積之名目は中晩田一同ニ下見仕様を
受候と申所迄ニて、昔之御徳掛にて御座候由申候ヘハ、
見積檢見先取交潤色被仰付候事ニ御座候、各様惣下より
貮割五歩を以御取計可被成候、當秋よりハ御内檢よりも
無理成事ハ有之間敷とくれ/\被申候間、いか様歩下之
御仕法近年之儀にて、一品限御徳掛貮て、其節は二割を
越不申様御免切被仰付候御時節も有之處、貮割五歩有之
候得は結構成御仕法にて御座候、當年初年之儀故、先試
不申候てハ分り兼可申と申候ヘハ、御為合之儀に候ヘハ
御存寄有之儀可被差置様も無之、明年にても御存寄之儀
ハ御達可被成由被申聞候間、先仲間中へ早々可申達旨返
答仕引取候事
七月廿一日 田邊孫右衛門
右之通ニ付、同日夕飯後打寄申談候處、被申聞候通ニ候
ヘハ尤之儀、此上存寄之儀無之候間、其通被仰付、澤田
両氏より其段被申達候事
私説 ミジンコ大全 | |
晶文社 |
著者はサックス奏者の坂田明、長年にわたるミジンコの研究普及活動が認められ、日本プランクトン学会より特別表彰を受けたという人だが、
大学は水産学部出身と聞くからなるほどと納得する。
我が家の「沢潟」を育てている鉢の中にも、相当量のミジンコが活動しているが、これは用土に市販の荒木田土をつかったからで、この土の中に生きていた。
時折メダカに生餌として与えているが、絶対量が足りない。
最近ミジンコを増殖させてみようかなどと思っていた処、ミジンコ博士の坂田氏の事を思い出し、この本を注文した。
CDがうれしい・・・今日は着くんじゃないかな。
前代未聞!! ジャズCD+ミジンコ写真
サックス奏者として名高い坂田明は、ミジンコにも造詣が深い。ミジンコの世界をカラー写真で紹介。
飼い方・観察法、さらに三人の学者と、ミジンコを通して見た生態系(環境)、DNA(進化)の問題などを論じる。
名曲“サイレント・プランクトン”を含む坂田明・幻の音源「海」(CD)を付録。
目次
第1章 ミジンコ入門 (坂田明/飼育法、観察法)
第2章 ミジンコ図鑑 (写真集)
第3章 ミジンコの生態(対談・花里孝幸)
第4章 ミジンコ研究史(対談・遠部卓)
第5章 ミジンコの進化(対談・山形秀夫)
一六一
見積損引仕法書寫
一早田大唐之儀は、只今迄之通徳懸を受可申事
一中田・晩田之儀、差急キ成たけ一ㇳ下見ニ仕出、見積を
受歟申事
此儀一ㇳ下見ハ中田・晩田一帳ニ仕出申事ニてハ有
之間敷、左候得は只今迄之通ニて、随分差急キ一同
ニ仕出可申事と奉存候事、但割増極り不申候てハ、
下方落付不申様子ニ付、向後ハ徳懸向ニて割増極メ
可申候
一下見帳下地之儀、先名寄帳前之畝數・名前迄書抜、右下
地帳田俵ニ持出、村役人幷惣百姓立合、田方一坪/\之
有籾を極、免下地帳ニ書込可申候、勿論最初より通り方
ニ相成候分ハ除置可申事
但、下見方ニ付て、小百姓共疑敷存候者ハ、其節
/\坪/\之籾反を書付置候儀、勝手次第ニ可致候
[付札]「此儀、當時迄ハ歩下之米高迄を御内檢より御惣庄
屋え相渡來候得共、以來は割増をも付相渡申事と奉
存候、尤御惣庄屋積書ハ當時迄之通差出、御内檢積
と引合、其甲乙有之節は、私共存寄をも今迄之通申
談ニて可有御座哉、尤貮割五歩了簡下をも被仰付事
貮付、零落村ニ付て之取計は仕間敷事」
[付札]「此儀通方之者共ハ除置、損方ニ出候者共迄之名前
書抜候儀と奉存候、且又下見前田表にて致封印置、
惣毛上見積候迄ハ所ニより日數かゝり加申候間果敢
取申間敷事」
[付札]「此儀付札之通ニ候、且又下見前田表にて致封印置
候儀ハ、畢竟小百姓共疑を生不申ため之儀ニ候へ
ハ、及延引申見込も候ハヽ本行書面を直可申事」
一下見ニて村役人共、壹坪之籾高を極候節、畜主納得致兼
候ハヽ壹坪例を以あり籾を極可申事
一下見之儀、未熟の節より随分入念差急可申事
[付札]「本行未熟と申儀は被差止、随分差急候様被仰付度
奉存候事
本行直可申候」
一右下見前御百姓一人/\の田方しらへ候得は、土免前
有無之儀相分り候、依之右躰土免にあひ通方成り候分ハ、
畝付帳ニ仕出しはやく苅揚可申候、土免にあひかね候分
ハ見積ニ出可申候事
[付札]「此文面惣下見仕候事と相見申候、最初より遠方ニ
片付候分ハ除置、下見前有籾を以積合、高分り仕候
分本行之趣ニて、只今迄之通被仰付度奉存候事」
[付札]「此儀最初より通り方相成候分ハ下見ニ不及候、通
り方・損方と難決もの共、下見ニ加り積り合高分ヶ
候儀勿論之事候得共、一統差急せ可申為之書面ニて
候事
但、高分之儀村役人共随分心を用、小百姓へ納得
致せ、早々相極候様取計可申候
一見積之儀は、中熟之時分より通り方ニも相成申事ニ候、
依之刈揚不申内、強風雨、大蟲病等有之、土免ニあひ不
申様徳米ニ極メ、殘毛分下見仕直シ徳懸を受、前後打込
積立可申事
但、右之通ニ付土免ニ通候者共、畝掛米請候節も毛
上有前を以受置可申事
[付札]「本行之通御座候得ハ、最初より通り方相成候者も
下見仕候様相見申候、畝懸を受候ハ勿論ニ御座候得
共、惣下見ニ相成候得は、下方甚手數相増、立損之
恐も不少候、依之若天災ニて殘毛下見仕直被下候様
ニ有御座度奉存候事」
[付札]「此儀付札之通ニて、最初より通方ニ相成候分ハ下
見ニは加り不申、今迄之通畝付帳を仕出、畝懸を受
申事候、尤通り方相成候分ハ畢竟毛上宜有之候ニ
付、其見計を以土反米少々割増を加、畝掛致し直
候事
一初穂を受、土免ニ通候以後、萬一天災ニて見積損引願出
候ハヽ、初穂前刈揚候分前徳米ニ極、殘分下見仕直、徳
懸を受、是又前後打込積立か申候、依之土免ニ通り候者
も下見ハ随分入念可申候
一御惣庄屋打廻毛上見分いたし、村々に舛を入、試置可申
事
[付札]「此儀見積立合之節試立候儀も有之候ニ付、前以内
舛を入候儀は御見合ニ相成候様有御座度奉存候事
此儀御惣庄屋は村々内舛を入試置候得共、御内檢ハ
一通之見分迄ニて見込違も可有之哉、左候てハ極方
之難澁ニも相成申事ニ付、内舛を入試石かねふまへ
にいたし候ニ付不苦候、御立合之節若受かね候ハ
ヽ、歩例を以可被相極候事
但、御内檢毛上見分ニ打廻候節、内舛を入試之儀
ハ不苦候」
一一郡限見積相濟候上、地惣上之見込を以何村下り物成ニ
何割何分、何村下り物成ニ何割と申儀御郡代へ相達、讃
談之上了簡米之極可有之事
一諸帳面仕出方は只今迄之通ニ候、乍然所ニより少宛之違
ハ可有之哉、依之帳面文案も相添候事
[付札]「此儀下り物成ニ貮割五歩ハ被為拝領候由候間、一
支配限見積り相濟候上ニて、本行之通取計申度奉存
候事
但、御郡間へ仕出來候諸帳面、只今迄之通仕出可
申候」
此儀付札之通候事
一右帳面之内土免割帳手札數相成不申様、本方給知免違共
ニ積寄ニ相成候得共、損引之仕法ハ只今迄之通、免切通
方損引と引分ヶ申儀不苦候事
一右帳面之内、小前色付帳畑方迄品を出不及申候、萬一畑
損引等願出候節は、名寄帳付札前より色品を書出可申候
事
[付札]「此儀畑方色付を出申ニ不及と御座候ヘハ、積之節
粟畝等も土より上り候儀は無御座候と奉存候事
此儀畑損引之節ハ、本行相見へ候通、色品を書出申
事ニ候、各別豊作之年柄ハ上り下り加有之候事
但、山付在畑損引いたし來候所々ハ、只今迄之通
小前色付帳色品を書出可申事」
一御郡ニより仕馴候儀、此節御仕法之通改替候得ハ、手數
かヽり、其所之迷惑ニ成候儀有之候ハヽ、被指出候御役
人へ申達、差圖を受嘉申事
一徳懸之節、下方受合かたく例願出候節ハ、御内檢幷下方
見立之坪貮ヶ所にて三歩例いたし可申事
但、例坪惣畝貮竿を入、延縮共ニ三歩ニ割合極可申
候、三歩舛を入候所ハ其坪々毛上中分之所を見合入可
申候
一中田・晩田見積徳懸之節、御内檢見込割増受合かたく候
ハヽ、直ニ三歩例願可申候、此節割増之内了簡引難叶候
事
但、此節例之儀も、御内檢□下方見立之坪二ヶ所ニて □印字不明
三歩例シ可致事
一見積損引ニ出候分ハ下り米之手札を渡し、庭帳之拂ニ立
可申事
右之通相心得可申候、勿論御定法之通無損引等堅シ間敷
候、以上
安永三年七月
西区花園にある成道寺は、沢村大学以下沢村家代々の菩提寺として知られる古刹である。
自然山水の緑豊かなお寺として知られている。
夏目漱石はここに足を運んだかどうか知らないが、次の俳句を残している。
若葉して 手のひらほどの山の寺 漱石
この句には「成道寺」と前書きがあるそうで、漱石の孫娘婿の半藤一利は「3,000坪も有する名園」に対して失礼だろうと「漱石俳句を愉しむ」で解説している。
半藤氏もこの著が出たときまでは「残念ながら訪ねたことがない」と正直に吐露されているが。
「漱石熊本の句200選」の坪内稔典氏によるこの句の解説を読んでも、どうやら現場を踏んでおられるようには思えない。
「ひめくり子規・漱石 俳句でめぐる365日」の神野紗希氏も同様と思われ、「手のひらくらい小さな山寺。人間の体の部位になぞらえたことで、静けさの中にある体温が加わる」と解説されるが、このお寺の由緒は抜け落ちている。
正岡子規は「寝牀三尺」を読むと、身動きもならぬ病中でいくつかの句を顕しているが、現場を踏まずともすばらしい句が創作されることに大いに感嘆する。
しかし、成道寺に親しむ熊本人からすると、少々筋違いの解説には違和感を禁じ得ない。私ばかりだろうか。
今朝は5時過ぎに目が覚め又寝込んでしまい、起きたのは7時前、散歩は食事後と相成った。
すごく涼しい風が吹いていて恰好の散歩日和である。
今日は散歩の第二コースを開拓しようと思い、西部方面総監部の正門前から県庁方面へ右折、熊本東部センター・熊本東郵便局方面へ右折、健軍川に添って帰るというコースである。約3.2キロ、第一のコースとほとんど一緒である。時間も約40分、良いコースだ。
散歩を始めて四日目、奇跡的にひざ痛がない。ただ階段の上り下りは相変わらずの難儀である。
一六〇
〇安永三年見積損引一巻御達之事
今日御郡間密間ニて、両人へ仁田市郎左衛門方被申聞候
ハ、御免方之重キと申儀ハ改被申聞不及、各様御存之前
御座候、當秋見積之儀も何そ此間之御法を被崩候と申儀
ニては無之候へ共、少々潤色可被仰付旨演述有之、帳面
被相渡候、猶又被申聞候ハ、右潤色之趣ニ應し、御内檢
へも委ク被及達、兎角正ク有之候様取計、檢見向例之儀
は御内檢も歩例ニて、山陰等と申様成畝坪ニハ決て不仕
様、右躰之所柄ニてハいろ/\様子も有之事ニ付、御内
檢方ニても見掛之坪を以三歩例仕候得は、下方見込之毛
上ニ差て相替不申所よりハ、起方之高下もさまての替り
無之、例之仕法も同様之事ニ五左候へハ、疑惑も晴レ候
處より正直ニ基可申候間、其所随分御教諭歟被成候、近
比委ク被申事ニハ候得共、只今迄見積向キニて、御郡代
少々了簡之筋有之様子ニハ候得共、右之通相成候上ハ、
貮割五歩ハ可被為拝領候間、以來今迄之通ニ願米等容易
難被為成由被申聞候、孫右衛門より申達候ハ、例之儀見
積御損引、初發御内檢三歩例・御百姓三歩例と被仰付
候得共、翌年より畝例ニ被仰付候由御内檢より申聞、百
姓ハ三歩例ニて當時迄押移申候、御内檢も三歩例と有之
候ヘハ下方疑も無之、先は結構成御仕法ニて御座候段申
達、貮割五歩と申候ハ、御免切貮て被下候儀ニて可有御
座段相尋候得は、其通候由被申聞候、且又右帳面之御仕
法ハ各様迄被仰談、御存寄被仰達候ハヽ、清書有之、一
郡切歟被相渡候間、被及其達段教示可被成旨被申聞候、
明日は月次寄合日ニ付、此方ニて之申段相成可申との被
及返答候、八代表ハ早熟之所柄故差急申談候様との儀ニ
て、右潤色之帳面一冊幷此間之仕法帳共相添相渡日申
候、應答之内ニハ色々被申聞候事も有之候得共、趣意相
替不申候付て略仕候事
安永三年七月十日 田邊孫右衛門
月番
坂根長右衛門 長右衛門 明和三年八月 菊地郡奉行
明和八年~安永三年八月 合志郡奉行
6時前園芸用の小さなスコップ片手に朝の散歩にでる。外に出ると小雨が降っている。傘を取に帰って改めて出発。
途中でやや降りが強くなったが今朝は目的がある。スコップ持参の目的は「ねじばな」の採取(?)、確信犯である。
この花はよく芝生の中に見られるが、根張りが半端ない・・・一株を掘り起こすのが大変だった。
まだ早朝だから人通りも少なく、屈みこんで数分格闘してゲット。やや花の時期は過ぎているが、まあ良しとする。
相当降られてそれなりに濡れて、約50分の散歩。帰宅してシャワーをしてついでに濡れた物の洗濯・・・
朝食前に「ねじばな」を植木鉢に植え込む。そうこうしていると7時半、朝食をとっていつものごとき一日が始まる。
大降り状態だった雨も小康状態となった。今日は6月26日、65年前熊本大水害で我が母校・大江小学校の校友20数名が死亡・行方不明となった。
この時期は本当に胸が痛くなる。あらためてご冥福をお祈り申し上げる。
金春流職分・能楽師による「第5回若楠会 謡・仕舞特別鑑賞会」が、上記要領で開催されます。
多くの皆様のご来場・ご鑑賞をお待ち申し上げます。
一五九 (つづき)
横帳ニ〆 年號
何郡何手永何村、歩下御損引下作一人別前揃御帳
何十一月
一高五石六斗五升五合八勺
御土物成貮石七斗六升五合六勺九才
内
高三石六斗五升貮才
田貮反貮畝貮拾壹歩
内
六畝拾五歩 早田
徳米五斗貮升貮合五勺
壹反壹畝三歩 中田
徳米五斗三升壹合七勺
五畝三歩 晩田
徳米壹斗六升壹合貮勺
田米合壹石貮斗壹升五合四勺
高貮石五合七勺八才
畑貮反五畝拾五歩
内
四畝貮拾四歩 大豆
徳米壹斗九升壹合九勺九才
貮畝拾八歩 胡麻
徳米壹斗四合
壹反三畝貮拾壹歩 粟
徳米五斗三升三合貮勺
三畝 諸作
徳米壹斗壹升九合九勺九才
高壹斗貮升六合
壹畝拾貮歩 居屋敷
御土物成六升壹合六勺壹才
畑米合壹石壹升七勺九才
田畑米合貮石貮斗五升六合壹勺九才
差引下五斗三升九合五勺
右之内
一高貮石六斗九升壹合壹才 十作
御土物成壹石三斗壹升五合九勺
高壹石九斗六升貮合壹勺
田壹反貮畝六歩
四畝 早田
徳米三斗六升
八畝六歩 中田
同三斗七升六合壹勺三才
田米合七斗三升六合壹勺三才
高七斗貮升九合
畑八畝拾八歩
貮畝 大豆
徳米八升
六畝拾八歩 粟
同貮斗七升七合六勺
畑米合三斗五升七合六勺
田畑米合壹石九升三合七勺三才
差引下貮斗貮升貮合壹勺七才
一高壹石六斗四升三合六勺九才 六作
土御物成八斗三合七勺七才
内略ス
田畑米合五斗七升九合九才
差引下貮斗貮升四合六勺八才
一高壹石三斗貮升壹合壹勺 自分
御土物成六斗四升六合貮才
内略ス
田畑米合五斗五升三合三勺七才
差引下九升貮合六勺五才
以上
何十一月 何村庄屋 十助
御惣庄屋
御内檢
下作前揃と申帳、諸帳面ニ附録いたし候様との事ニて、
書付二通幷案文一冊被相渡、急ニ仲間中御惣庄屋中存
寄有無か申達との事ニ付、當時仲間中大かた御通行ニ
付、罷出急速難申達由申達置候、仁田氏より猶又市太郎
へ被申聞候ハ、右帳面之儀ハ御土免割以後迄高地片付兼
候ヶ所/\迄之儀ニ御座候、御土免割帳狂無之、名寄帳
ニ付送等仕出候所々ハ、只今迄之通ニて、何そ附録ニは
及不申と被申候間、同三年七月夫々藪市太郎より御請申 藪市太郎(1)七番与 三百石
達候事 (2)御留守居御番頭同列中着座・御奉行 三百石御足五百石
安永元年九月~安永六年一月 奉行副役
安永六年一月~寛政元年四月(病死)奉行
名は安、通称市太郎、字は子壽、槐堂と号す。慎庵の長子にして孤山の兄なり。
人と為り剛直質朴、古人の風あり、政を為す正義を執りて屈せず、往々俗吏を驚かし
政務を正し、種々の現行世に傳はり、其名高し。禄三百石、奉行職となり、宝暦改革
に力を盡し其功多し。寛政元年四月三日没す。享年六十一。墓は本妙寺山中。
一五九
〇下作前揃帳之儀ニ付御達之事
覺
一先般、地引合相濟、見圖帳・名寄帳・下名帳迄案文相渡、
追々致出來候、然處其外在方仕出之諸帳合方不委、第一
下方ニて取扱候帳面ニ至候てハ區ニ有之、帳面表裏有之
趣ニ相聞候ニ付被遂御僉議、御徳懸一巻之帳面案共ニ去
ル子四月相渡、御達之趣有之候處、右之通ニては色々差
障申儀有之由、各幷御惣庄屋共申出候趣ニ付て、右之御
仕法ハ先披見合候旨被及御座候、然共今迄之仕法ニて
は、御免割手形前之米と庭帳受米不致符合所々も有之、
其譯は高受米受之下作有之、年柄悪候得は別て高地之片
付方難澁いたし、其所より喰違候と相聞候、依之今迄之
取計之諸帳ニ下作前揃と申帳を致附録、至秋御免極候上
右之受米抜差致シ、御内檢清算を受、手札前と庭帳之受
米致符合候仕法ニて、先ツ被補候様有之度、則別紙仕法
書相渡候、右之通被仰付候て、故障之儀は有之間敷哉、
各幷御惣庄屋共存寄可被相達候、尤平太左衛門殿御出立
前、是非決定之筈候條、御仲間中へも御通達候て、急々
ニ様子可被相達候、此段可申達旨候事
明和八年三月二日 御郡間
覺
一所々より御百姓共受持高之内、若出作ニ入候者有之、御
土免通受除候節、御土免ニ受除申分ハ、下作共通方勿論
之儀ニ付、名寄帳之内高受ニ入候坪々に下作人之名札を
打、右之坪高を取揚、直ニ御土免割帳ニ移し、地主之座
付札之内ニて下作之面別幷自分作を書列、一様ト/\ニ
二口米御免聞を立引いたし、殘分當上納と記、何人ニて
も右之仕法ニて、又下作人の座付札ニハ本受米之外ニ下
作當上納一稜相記、其合之米辻を手札ニ調渡候ヘハ、手
安有之庭帳之受米ニ致符合候
一御損引方ハ下作共御損引ニ出候儀勿論候、御土免割之
節、御内檢へ調出候御損引、一人前揃之儀、御土免割帳
前之高をふまへ仕立候ニ付、右前揃帳ニ下作前揃と申帳
一冊附録いたし候ヘハ相濟候、右帳糺方之仕法ハ先ツ名
寄帳之内高受ニ入候坪々ニ下作人之名札を付、夫より田
畑下見帳ニは地主名之脇ニ下作人之名直書いたし置、畝
高ハ名寄帳より徳米ハ下見帳より取出し、下作之面別地
主共一人限立下を書列、右帳面より御土免割帳ニ移し、
高の主座付札ニ二口米御免分積下米、其外諸下り立引い
たし、殘分當上納米と何人ニても右之仕法ニ〆、又下作
人之座付札ニ調渡候ヘハ、手安有之庭帳之受米ニ符合
いたし候
一右下作人共、御土免割帳外之者間々可有之候、是ハ其村
之無高者歟、隣村より出作之者ニて可有之候間、左様之
者共ハ御土免割帳之終ニ付紙を用、當上納米迄一稜/\
書並へ、右付紙にハ御内檢・御惣庄屋継印いたし置可申
委敷仕立ニて、為差替りハ有之間敷候、畢竟御免割手札
前と庭帳之受米と為符合、御土免割帳付札ニ書顕し、表
向ニ押出申迄之違ニて候
一前條之通候得は、御内檢役御免割之清算少々手數相増申
ニ付、年内届兼候分ハ翌春ニ懸糺申ニて可有之候
一惣御土免ニ受除候村々ハ、御土免割帳之奥ニ右書継を相
用可申旨、前稜被仰付置候通彌相心得可申事
一米請下作之儀、御免反別ニも拘り不申、地主と下作人と
相對次第ニ米極いたし申儀ニ付、惣百姓御年貢算用ニ打
寄候砌、本受米之外書ニして請拂いたし可申事
明和八年卯三月二日
(この項は二回に分けて記す・続く)
ウイキペディアより
散歩の途中ねじ花を発見した。自衛隊(西部方面総監部)前は歩道と車道を分けるように分離帯があり、数百メートルにわたり桜が植えられている。
その下草という感じで高さ15センチほどのものが6・7本見受けられた。
この時期写真のようにらせん状にピンクの花をつける。
私は以前、奥方の実家からもらい受けて育てていたが、管理が悪かったのか枯らしてしまった。
一応「ラン科」の植物で、よくよくながめるとそれらしく可愛らしい花である。
学名「スピランセス」はギリシャ語の「螺旋」に由来するという。神様は誠に不思議な形を創造された。
6時スタートで約40分、すれ違う自衛隊の方たちと挨拶を交わしながらの散歩の途中の発見だった。
さきにメダカが数匹死んで、我がビオトープが少々寂しくなった。もっともベービーが4匹ほどすくすくと育っているが。
散歩の途中に寄り道して「楊貴妃3匹+青メダカ3匹+タニシ2匹+ホテイアオイ+水苔」を買う。
楊貴妃は1疋430円となかなかのもの、タニシ2匹はおまけにしてくれた。
近い将来の産卵を期待している。