細川綱利の生母・清高院の親を「たいこうのそうせふ様御内ニ而内海但馬
と申候、此そうせふの儀ハ只今之広橋大納言殿御舎弟ニ而御座候」と綿考輯
録は紹介している。・・・・・・・・・・・・・・?
一方清高院の実家とされる清水家、父親は清水道是、於豊前小倉御侍帳には
「五十石 京都浪人御客分 清水大納言」とある。
慶安三年肥後下向とあり、清高院の出産後のことである。
道是の子・勝昌は合力米五千俵の御大身で御家門に連なった。
と申候、此そうせふの儀ハ只今之広橋大納言殿御舎弟ニ而御座候」と綿考輯
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一方清高院の実家とされる清水家、父親は清水道是、於豊前小倉御侍帳には
「五十石 京都浪人御客分 清水大納言」とある。
慶安三年肥後下向とあり、清高院の出産後のことである。
道是の子・勝昌は合力米五千俵の御大身で御家門に連なった。