津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■晩秋の・・・

2024-10-30 15:24:40 | 俳句

 あと十日もすれば暦の上では冬だというのに、ちょっと外に出るとまだ汗ばんでしまう。
今年の秋は短かった。先日の選挙の日には、会場の小学校から隣の広い公園の中を通って帰ってきたが、まだ木々は青々としている。
       晩秋の樹々青々と色失わず   と思わず口に付いた。

       晩秋や選挙は波乱の予感有   とも・・・

結果は御覧の通りである。自民党はお金の問題で終始して大敗北となったが、今後の政局が興味深い。
晩秋の季節感あふれる、しっとりとした句をものにしたいところだが、こう暑くては脳みそが反応しない。

       晩秋や季節外れのあせもかな

                      お粗末・・・・
 

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■川上の桃源郷

2024-04-22 06:53:20 | 俳句

            けいしょうざん
 夏目漱石に「行く春や 瓊觴山を流れ出る」という句がある。
漱石俳句集には「けいしょうざん」としているが、浅学菲才の身には「瓊觴山を流れ出る」の意を解し得ない。
ところが、半藤一利先生は「けいしょう、やまを」と読むべきだとされる。「瓊=玉」であり「觴=酒杯」だから、「瓊觴=玉杯」だとされる。
そして、これは漱石先生お好みの「蒙求」の「劉阮天台」の話しからこの句をものにしたのだろうと推理される。
ある人が山中に迷い込み、桃の実を食べていたら川に玉杯浮かんで流れてくるのを見て、上流に人が住んでいると思った。
仙女と出会い歓楽を共にして半年後に帰宅してみると、知る人は居らず七代後の子孫にであったという話である。

別の一句にはやはり「蒙求」の「武陵桃源」から「桃の花民天子の姓を知らず」という句があるが、桃源の別天地を詠んでいるのだという。
難しい話はよくわからん~~~。

 球磨川のことを「木綿葉川」といった。「ゆうば川」と読むが、綿の葉かと思わせるが「麻の葉」だとされる。
往古、下流の八代の人たちは木綿葉川に上流から「麻の葉」が流れてくるのをみて、その上流部に人が住んでいることを確認したという話がある。
桃源郷ならずとも、その「麻の葉」の流されたところをたどると、まさに平家の落ち武者の隠里があった。
扨そんな風景を句にしようとなると‥‥難題過ぎて遁走しなければならない。

 

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■ ゝとちいさき

2024-03-03 06:53:15 | 俳句

                         ほうこひな
         おん口のと小さささよ婢子雛  富安風生

 風生は「」を「ちょん」と読んでいるが、虚子が「ちゆ」と直し、以後は自らも俳誌などでは「ちゆ」とルビを振られているらしい。
踊り字とよばれるこの文字、本当は何と読むのか?答えは「読み方は無」ということである。
それを「ちょん」とか「ちゆ」とか読むのは、これはもう一流俳人の力量のなせるところであろう。
ほんとうに「雛」のお口はちいさい。紅が「ちょん」と描かれている。
今日は「雛まつり」こればかりは男どもは立ち入り禁止である。

              

 10年ほど前であろうか、大津町の入り口辺りから南に入った集落の通り道で野仏を見つけ、ほんのりと紅が差されているのを見かけた。
その時 野仏にちょっと紅差さしありにけり という句を作ったが、最近控え帳の「ちょっと」を「ゝと」に置き換えたりしてみた。

           野仏に と紅をさしてあり       津々

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■菫

2024-02-09 08:13:07 | 俳句

 漱石の句に 大和路や紀の路へつづく菫草 があるが、やはり菫は野原や道端に咲くものが愛らしく思える。

 そんな道端に咲いていた菫を頂戴して、バルコニーに置いているプランターに植え付けたが、今では実生の「菫」が生い茂っている。
その菫の今頃は、可憐な紫色の花が次々に咲いて騒がしいほどだが、これが小さい種を抱え込むように丸い球を作る。
これが三又にはじけるのだが、種は乾燥してから落ちるので、はじけてすぐ摘み取り、プラスチック・ケースに入れて乾燥させている。
それを、植木鉢に蒔いたり、マンションの植え込みに蒔いたり、それでも余れば道のわきの植え込みに蒔いたりもしている。
 そして私の部屋の前のベランダには、小さな鉢に「肥後スミレ」の種を蒔いてみたが、随分古い種子だから発芽するか心配していたが、二つほど芽を出している。

「肥後スミレ」は白い花弁がかわいくて、随分以前鉢物を買って育てていたが、夏の暑い日に水やりを忘れて枯らしてしまった。
さて今年白い花を見ることができるか楽しみではある。

           かわいいと思う齢や菫かな  津々

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■大寒や・・

2024-01-20 13:21:24 | 俳句

           大寒や 転びて諸手つく悲しさ  西東三鬼

                      たちい
           大寒に まけじと老の起居かな   高浜虚子

           大寒や 阿吽の像の力こぶ     津々           

 諸手をつくくらいは転倒するよりは良いのかもしれないが、本当に悲しいと思うだろうとつくづく思う。
齢を重ねなければこのような句は生まれない。
数年前、濡れたコンクリート型枠用の合板に足をかけて、見事に体が宙に浮いてしりもちをついてしまったが、以来転ばないように十分気を付けている。
転んでの骨折が怖いから滑らない靴底の靴を履いたりと、年相応の気遣いをしている。
もう力こぶはいらないが、まずは足腰がしっかりしていないと話にならない。

           大寒や 出かける前のスクワット   津々

今日は熊本史談会の例会に出席してきました。そろそろ20年、皆勤です。

 

 

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■私の今年の年末

2023-12-27 08:58:13 | 俳句

                                        枯れ菊のやや色残す垣根かな       津々

 一昨日年賀状を出し、図書館に本を返しに出かけて、昨日は某家の先祖附の原本の写並びに読み下し文を何とか年末にお届けしようと発送、これで私の年末の仕事もガラス拭きを残すのみとなりました。
近所のスーパーマーケットに別に用事もないのに入って、何となく年末の雰囲気を味わいました。

           人の列に身を置いてみる年の暮れ

私がひそかに、地元のアビーロードと思い込んでいる通りがあります。
4人そろって誰かが歩くということもないのですが、今朝は落ち葉が走り回っていました。

           寒の朝 アビーロードは落ち葉かな

早めにガラス掃除を済ませ、のんびりの歳末を過ごすことにしましょう。

         

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■田螺の不平

2023-11-30 07:08:20 | 俳句

 現在のMに引っ越した後、メダカが7~8匹死んでしまい、水槽の中は3匹ほどの誠にさみしい状態になったが、購入するにも季節的にはあまりよくないと思って来春を待っている。
二個入っていた田螺も死んでしまい、近頃その水槽がコケに覆われ始めた。
田螺をペットショップで求めようとすると、6~7mmくらいの小さなものでこれでは掃除もままならない。
以前は15mmほどのものを入れていたが、掃除能力は大変なもので壁はいつもピカピカ状態にコケを食い尽くしてくれた。
田螺くらい近所の水路で見かけないものかと思うが、これがなかなか見つからない。
以前はピンク色のジャンボ田螺の卵があちらこちらで見られたが、相当丹念な駆逐作業が行われたと見えてあまり見かけなくなった。
ジャンボ田螺ならばメダカの水槽など朝飯前で掃除してくれそうに思えるが。

 ぶつぶつと大なる田螺の不平かな という漱石先生の句があるが、これは熊本滞在中のものらしい。
どこで田螺に遭遇されたのか、先生がおいでだった時期は、本当にあちこちの水路で生息していたろう。
私が若いころには、飲み屋のおつまみに醤油で煮込んだ田螺がよく顔を出したものだ。
コリコリしてなかなか美味いものだったが、もうずいぶんお目にかからない。
田螺の不平とは何だったのか、まだ解説を承ったことがない。

 わがMの下を流れる健軍川は、100メートルほど上流に堰があり天気が続くと下流部は水無川になる。
つまり田螺など住める環境にない。少し上流部で探せばいるのではないかと散歩のコースを変えて発見にこれ努めようと思っている。

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■お盆に寄せて

2023-08-11 07:45:59 | 俳句

 台風一過、被害に遭われた皆さんにはお見舞いを申し上げます。
一方では、コロナ禍の中でなかなか規制できなかった方が、故郷の被害を心配しながら久しぶりの帰省される方もおられよう。
飛行機にしろ、新幹線にしろ、またバスや自家用車など多様である。いずれにしろ熱い最中、お気をつけてお帰り頂きたい。

            窓を上げて駅弁かって帰省かな

こんな句が残るが、こういう風景は随分過去のもので地方でももう見られなくなりつつある。
新幹線の中でのワゴン販売もなくなるらしいから帰省の形は随分と様変わりした。
歳時記を見ると次のような句が見える。

            水打って暮れゐる街に帰省かな   高野素十
            帰省子に腹ばふ畳ありにけり    生田恵美子

ようだよな~と思わせる風景が目に浮かぶ。
帰省される皆さん、久しぶりに孫子をお迎えになる皆さん、お盆の数日の恙ないことをお祈り申し上げます。

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■火の神様は御出張?

2023-08-04 10:07:49 | 俳句

 俳名・久米三汀=作家・久米正雄に うららかや袱紗畳まず膝にある という句がある。
お茶会の風景だろうがいささか茶道の心得がある私としては、作法としては通常ならありえないことで、余程打ち解けた茶会であったろうと察せられる。
心に残っている句である。

 今のマンションに引っ越してきてから、稜線が幾重にも重なった山々の景色が日々刻々、色合いを変化させているのを楽しく眺めている。
         在まさぬ       こむらさき
三汀に 火の神のゐまさぬ阿蘇は濃紫 という句が有り、浅学の身にはこれがよく理解できないでいる。
「ゐまさぬ」は「在ます」の否定形である。そうすると「火の神様がいらっしゃらない阿蘇は濃紫ですよ」という大意である。
「神無月(神有月)で火の神様も出雲へお出かけの時期」とでもいうのだろうか。

私の大好きな画家・田崎廣助の阿蘇を描いた一連の作品の中に「紫色」で描かれた「阿蘇」の絵が多く存在する。
阿蘇は濃紫が似合うのだろう。「火の神様は出雲へ御出張中」と勝手に理解しているが、本当の処はどうなのか、ご存知の方のご教示を給わりたい。 

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■勝海舟の俳句

2023-07-30 06:28:45 | 俳句

 勝海舟の「氷川清話」には、海舟の幾つかの俳句が紹介されている。それぞれが大変興味深く御紹介してみようと思う。

■この中の「文芸評論」の中に「俳諧のはなし」という項が立てられており、数種の句が披露されている。
 ・時鳥不如帰遂に蜀魂
   蜀魂(しょっこん)は、蜀の望帝の魂が化してこの鳥になったという伝説からホトトギスの漢名。
   ゆえに「ほととぎす、ほととぎす遂にほととぎす」と読む。それぞれが少壮・中年から初老・そして晩年の意で「十七文字の中に人
   生
を一括したのさ」と解説するが、周りの人たちは「どうも先生の句はわからない」と言う人がいた。

 ・昼顔のとがまを漏れてさきにけり
   この句は其角の「道の辺の木槿は馬に食われけり」という句から思い付いたという。とがまは「利鎌」とも書くがよく切れる鎌の
   事。人名にもよく使われた。刈り取られることを逃れた一輪の昼顔の花の情景が浮かぶ。
うまいなと感心した。

 ・稲妻やまたたくひまの人一世
   この句は「稲妻の行く先見たり不破の関」(芭蕉の句らしいとされるが??)という句を読んで大いに感心して作句したものであ
   る。
維新の大業が為されるなかで有名無名の人々が命を落としている。大業を為さんとした人々の命のやり取りの一瞬だろうか。
   そして新しい時代を迎えての感慨であろう。

 ・外の雪草鞋もぬかで子を思う
   少々しんみりとした句だが、「少し調子が卑しい」などと云っている。「調子が卑しい」が理解できない。

 ・車引き車引きつつすぎにけり
   随分長く車引きの仕事をしてきたが、新しい時代になったから商売を替えようと思いつつも、未だに車を引いていて、一生このまま
   
過ごすのだろかという感慨である。明治の大改革では不器用な人には生きにくい時代であった。

 ・米櫃に一夜つかるる老鼠
   貧乏士族を鼠に見立てた句である。これも上の車引きと同様、次代に翻弄されて米櫃の底に残る米を心配しながら生きる人間の悲哀
   を
詠んでいる。

   そして今の人たちの俳諧は「みな規模が小さくて、小天地の間にせこせこしている」といって次の句を披露している。

 ・雲の峰すぐに向こうは揚子江
   「詩でも山陽の「雲耶山耶」などは、まだまだ小さいよ」と言って作った自画自賛の句だが、皆様はどうお感じだろうか。
   熊本ゆかりの「泊天草洋」と題する頼山陽のあの「雲か山か呉か越か」でしられる詩に対抗している。

■また「太田道灌」という項では次の句が見える
 ・咲く花を散らさで祝え田舎人
   どうやらいろんな役職に誘われるらしいが、生活に苦しい人々を見ていると、華やかに騒ぎ立てるのではなく静かに生きていきた
   い
という思いが強いようだ。

 上野飛鳥都の花となりけり
   正岡子規の句に「つらつらと上野飛鳥の夏木立」とある。「飛鳥」は飛鳥山と思うが、徳川吉宗が享保の改革の施策のひとつとして、
   飛鳥山を桜の名所にし、行楽の地としたことで知られるが、上野に並ぶ東京の名所になったなあという感慨か

   また、詩も紹介している。
 ・たちかえるわが古里の隅田川昔忘れぬ花の色かな
   これは徳川幕臣たちが江戸を離れ静岡に引き払うときに、当然海舟もそうしているがその時に詠んだ「つねにだも住ままくほし
   き
隅田川わが故郷となりにけるかな」と前後照応していると説明している。

■「日本の下層階級」という項では三句が披露されている。
 ・新米や玉を炊ぐのおもひあり
 ・落栗やしうとと孫の糧二日
 ・唐茄子に一日は飢をいやしけり

   それぞれに悲しい情景が伺える句である。あちこちの戦いでの悲惨な状況や、新たな時代になっても底辺の生活を強いられる人々
   の代弁者としての詩であろうか。

■そして「西郷の礼儀正しさと肝の大きさ」では、今は亡き西郷を回顧している。
 江戸城の無血開城における会談に際しての、幕府の臣に対しても敬礼を失わず、終始座を正して手を膝のうえに乗せて、戦勝の威光
 を以て敗軍の将を軽蔑するというような素振りは無かったと述懐する。

 次の句はいつの頃のものかは判らないが、上野に西郷の銅像が出来たころのものであろうか。
 西郷夫人と久闊をあたため、いろんな会話が為されたのであろう。素直な句である。

 ・南洲の後家と話すや夢のあと

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■雑俳三題

2023-07-01 09:40:33 | 俳句

 引っ越して20日ほどになる。1ミリとか2ミリの雨は降ったが梅雨らしいものではなかったが、どうやら梅雨が本気を起こしたらしく、眼下の日頃は涸川の健軍川が水嵩をまし濁流怒涛と為し激しい水の音が聞こえるが、激しく泣いていた石わくど共はというとどうやら非難でもしたらしくて鳴き声が静かである。
紫陽花の花も水を得て元気を取り戻している。

           あじさいや紫陽花らしく水の玉  津々
 

 前の住まいの3階から、5階に転居してみると、周囲に遮る建物もなく家の中を風が走り回るのが有難い。
今の時期やや湿気を帯びてはいるが、風がこんなに気持ち良い物かと実感している。

引っ越し前にベランダにつるしていた風鈴が短冊を失い、引っ越し後もそのままの状態が数日つづいたが、風のさわやかさを味わおうと新たに短冊を付けてみた。

           風鈴に短冊新た 風美味し    津々
 

 熊本市の西北部にある金峯山と、南東部・上益城郡益城町にある飯田山がその高さを競い、樋を掛けて水を流したという逸話が残されている。天気が良いとその飯田山がベランダ越しの真正面に樋を掛けたであろう二股になった山頂が望める。
改めて標高を調べてみると金峯山が665m、飯田山が431mで歴然だが、二股になっためずらしい山形からそんな逸話が生まれたのだろう。

           樋を受く飯田の頂 深みどり    津々        

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■奇麗な風

2023-06-21 06:35:46 | 俳句

 神野紗希と言う女流俳人の編著「日めくり子規・漱石 俳句でめぐる365日」の6月21日は、子規の次の句が紹介されている。

            六月を奇麗な風の吹くことよ 子規(明治28年)

 明治27年(1894)夏に日清戦争が勃発すると、子規は翌28年4月近衛師団つきの従軍記者として遼東半島に渡ったものの、上陸した2日後に下関条約が調印されたため、同年5月帰国の途についた。その船中で喀血して重態に陥り、神戸病院に入院。7月、須磨保養院で療養したのち、松山に帰郷した。喀血したことから、「鳴いて血を吐く」と言われているホトトギスに準えて、ホトトギスの漢字表記の「子規」を自分の俳号とした。(ウイキペディアから要約)
この句はそんな時期の句である。

 最近引っ越した我が家は、以前の3階から5階に高登りした。東南角であるため、窓を開け放つと気持ちの良い風が部屋の中を吹き抜ける。
子規が言う「綺麗な風」の意が今一つ理解できないが、梅雨の中休みの時期に吹き抜ける爽やかな風だと考えると、私は子規と同じ感慨の中にある。
夜中も窓を開けて寝ると、風邪を引きそうな冷たい風が吹き抜けて心地よいが、ついでといえば「石わくど(蛙)」の大合唱が余計ものであった。
同じ時期漱石は「どっしりとしりをすえたるかぼちゃかな」(明治28年)という句をものにしている。
ふと次の句が浮かんだ。
            どっしりと尻据えて啼くわくどかな  津々

            

             

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■寒中駄句四句

2023-01-28 16:38:12 | 俳句

 この寒い中、朝散歩にも出ましたし、お昼から郵便物を投函にもでかけました。
お昼からは風も強くボタン雪が降ったりして、行きかえり1㌔に満たない距離が寒さで奮いあがるようでした。
今日は最高気温3℃だそうですが、風があるので随分寒く感じられます。南国熊本返上です。
明日いっぱいは寒いようですが、週明けから少しは寒さも落ち着くようです。少々背骨をのばしましょう。

             ふろふきに 寒忘る如盃重ね

             ベビーシューズ 歩みの先の菫かな

             山茶花をやたらと散らす 風のわざ

             一つところを目指して落ち葉の走りかな

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■歳時記に見えない二つの元旦の句 + 1

2023-01-01 08:45:51 | 俳句

 蕉門十哲の一人の向井去来に次のような貞享3年(1686)元旦の作句がある。

       元旦や 家に譲りの太刀はかん 去来

「元旦には(嘉例として)家に代々伝わる太刀を佩いてみよう。」の意。
去来は長崎の出身、父は儒医であり、去来は堂上家に仕える武士で武芸に優れた人物であったというが、この句は若い頃に浪人の身となってから後の作だとされる。
有名な落柿舎に住んだ人だ。

実は、俳句を英訳した最初の人物の一人であるとされるバジル・ホール・チェンバレンの「芭蕉と俳句」にも数十首紹介されているうちの一つで、私はここでこの句の存在知った。
   T'is New Year's day:-I'll gird me on  My sword, the heirloom of my house. と英語解説がある。

向井去来の元武士としての矜持と気格にあふれる作品だと評価されている。元旦の淑気に満ちた空気感も伺える。
私が持っている角川の「歳時記」には、この句は紹介されていないから、鉛筆で書きこんでいる。好きな句だから・・・
もう一つ好きな句は大谷句仏の次の句だが、これも乗せられていない。残念。

       元旦の犬も尾を振る御慶かな  大谷句仏

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
我が家からの初日の出は、叢雲の切れ間からわずかに光が漏れるほどの事で残念でした。皆様のお宅では如何でしたか?

                          叢雲やどこにおいでか初日の出  津々

 

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■俳句鑑賞・菫ほどな・・・

2022-11-20 07:30:01 | 俳句

                                  

                

 ちょっとした狂い咲きだろう、鉢植えの菫が花をつけている。
そもそもの始まりは、義父からもらった平鉢にこんもり群れ咲き誇る菫だった。
もう半世紀も前の事だが、直ぐ枯らしてしまい再生を試みたが、いまだ群れ咲く菫を見ることはできないでいる。

ただ一鉢だけ、放っぱなしだが枯れもせず元気に育っているのが、この鉢である。
「やはり野におけ蓮華草」という言葉があるが、やはり植物は自然に育つのが一番よく、よほど熟練しないと平鉢に群れ咲く状態を作るのは難しい。

              ほどな 小さき人に生まれたし  夏目漱石

 菫の花が大好きな私は、漱石のこの句も大好きだが、当初はこの句の意味がよく判らずにいた。
意訳としては、「道端にひっそりと目立たずともたくましくさいている菫のように、そんな人間に生まれたいものだ」とされている。
「ほどな」の「な」を正岡子規は嫌ったと言われているが、私は漱石先生に組したいと思う。
随分、菫に対する意味合いが強調されているように感じる。そして、なにかしら漱石先生の鬱々たる心情の中の作品ではなかろうかと感じる。

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