先の史談会で毛利会長が意外な話をされた。
それはかって飽田郡池田手永(熊本市)城山にあった中代村が、なぜか村ごと現在の菊陽町(大津手永久保田)に引っ越したというのである。
私の本籍地は「城山下代」だが、上代はあるが確かに中代はない。■肥後の手永と村(1)飽田郡・詫麻郡ー(2)池田手永をながめても同様である。
毛利会長のお話によると、上代や下代と揉め事があり、村民が揃って出奔し、現在の菊陽町久保田中代の地に移住したとのことである。
城山上代(かみだい)・下代(しもだい)と呼ぶが、菊陽の方では中代は「ちゅうだい」と呼ばれている。
小字に九文があるが「九文の渡し」があった処である。
かっての大津手永に属しているようだが、慶長九年の検地帳にも出てくるから揉め事はそれ以前加藤時代の事であろうか。
平凡社の「熊本県の地名」辞典を眺めているが、詳細については記されていない。
私の本籍地に近いところに存在していただろう「中代村」の領域は、どう処分されたのかも興味深い。
歴史はこれだから面白く、また調べ事がふえた。しかし、なかなか図書館にも出かけられないが「レファレンス」に申し込んでみた。
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