妙應院様江長岡佐渡指書二通
乍恐申上候
一、御當家ハ 幽齋様・ 三齋様・ 忠利様、所々にて御代々功
第一、武道等に御心懸被遊候故、近代迄御家風相残、
諸士武芸心懸候處、當 御代に至、武芸を止メ遊興に
日を送り候、 殿様武芸御嫌被遊、御遊興御好被遊候故、
上之風俗にならひ、以の外悪敷罷成候事
一、昼夜之御酒宴、御近習もつかれ、御養生にも不可
然候事
一、御代々忠勤の者共被捨置、當時出頭之者・御小姓迄
過分御知行被下、不可然候事
一、忠勤を励候ても御知行不被下故、御代々之侍不快
存候事
一、不相應之金銀を以、おとり子被召抱、毎夜の御見物
不可然候、御慰ハ外にも可有御座候事
一、近年出頭用人申上候儀、御承引被成候故、彼両人
中悪敷者ハ讒言仕、念比(懇)成者ハ不奉公仕候ても、
能様に取成申上候事
一、今度御参府之節、御側廻之美麗、殊に御小姓
道中過美、御代々無御座候儀不宜奉存候事
一、近年之御物入、御代々に無御座儀に候故、御勝
手向及困窮候事
一、御遊興に被長候故、 公儀之御務疎略ニ罷成候
儀不可然候事
一、御代々格式相定候て、古例之通相計候處、近年者
先例被指置、種々新法被仰付候儀不可然候事
一、御奥之女中、御寵愛に任せ、我儘申不可然候事
一、公事訴訟之儀、出頭御用人江音物付届、よく仕候ヘハ、
非を利に成候様、諸人申候事
一、加様之品々、公義へ相知候ハゝ、御領内危奉存候事
右之條々、御承引無御座候ハゝ、八代城地并私知行差上、
永之御暇拝領可仕候、恐惶謹言
月 日 長岡佐渡判
此書或人秘して所持せり、予届請て写之、其後
追々武家秘録等之書に此諫書あり、江戸にてハ
専ら持てはやし由
綱利公寛文元年四月廿八日御歳十七初て御入国
佐渡興長病中なから押て御城に出仕し御成長
を奉拝謁感激に絶兼直に引入同六月廿一日病死此
書に御参府之節御例廻り美麗之事とあり然ハ佐渡
存命の内にてハ無之と云人あり是又いふかし武家秘録にハ
諫書差出御帰国御道中御供さるとあり 寄之は
同六年正月二日病死終に御供の事なく■らくハ
偽なるへし然し或人の説にハ八代に此写有之と云
尚尋向へしと有之
万治三年 綱利公於江戸相撲を被成御好候に付於
御国相撲可被成御仕立旨被仰付候由沢村宇右衛門
方より申越候趣長岡興長承之畢竟宇右衛門
相撲を好候故右之通と察入候由宇右衛門方へ稠敷申
越右相撲之儀を乍憚不可然よし山本三左衛門まて
存寄之趣申越候扣
佐分利吉左衛門罷越候間 謹而言上仕候
一、其御地御静謐、 殿様弥御機嫌能被成御座旨、目
出度奉存候事、
一、御国にて御相撲取を御仕立被成由にて、相撲取共御雇被成
師匠二被仰付、熊本へ御下し被成候に付、御国中在々所々二而■(欠字)
すくやか成人柄を撰、只今相撲の指南仕候、就夫御
扶持人共、人々相撲取と申候得ハ、何と仕候ても其者心得
も違、町方・在々にてかさつを成し候儀候へハ、何も下々痛ミ
に罷成候、 幽齋様・ 三齋様・ 妙解院様御三代、
相撲なと一円に御てうあい不被成候て、結句御きらひニ而、
堅御法度に被仰付候、 真源院様御代、少之間相撲
被成御覧候二付而、乍憚私儀存寄之通、推参申上候處、
殊外御同心被成、其侭いつともなく御止メ被成候、
細川御家之儀者日本に隠れも無御座高家にて、御
三代御こゝたうなる御作法、他家にてもかゝみに仕のみにて御座候、
真源院様御若ク御座候得とも、万事御しみなる御様躰に
て、御若き御人様のやうなる人も不存、 上々様方も左様
思召たると相聞申候、當殿様御若年に被成御座候
とても、御先代より之御作法被成御替候儀、以の外之様に
乍憚奉存候、たとひ江戸中いつれの御大名衆にても、
御年来に応し候而為御慰に被成候、とても 殿様御事
は脇々に御構被成事にてハ無御様奉存候、たとひ
御先祖様之内、相撲なとのよふなるはしたなる儀、又は
下の痛申候様成御慰を、被成候事御座候とも、左様の
不可然儀者、当時は御止被成候て候■、御尤之儀にて
御座候、終に御代々無御座候相撲を、御一身之御慰計にて、
初て御取立被成候儀ハ、如何敷奉存候、相撲を御好被成候
得者、只今被召抱候相撲取之者之儀は不及申、下々
奉公人・町人・百姓二至迄るまて、相撲取不申者も其手を仕
かふきたる躰を仕候得者、見物人まての心中も左様成行申候
得者、いかゝにて御座候、其元より相撲取為差下、此中熊本
にてはやり申事も出来仕候、定而吉左衛門申上にて可
有御座候、 殿様相撲御好被成候得ハ、御国中相撲はや
り申にて可有御座候、此中も於熊本勧進相撲を取
申候、其已後も勧進相撲、又々所々にて相撲取申にて可有御座候、
左様御座候得者、又々申事出来可仕と奉存候、
上に御好候得は、下々御示しも難被成候儀と奉存候、相撲は
やり申候得は、他国方より相撲取ハ不及申、若きかふき
たる者ハ見物にも参申候物にて御座候、 公義より
切支丹逢改稠敷被仰付候て、御国はし/\迄、他国より
往来之ものに宿をかし申儀、其国より此手形持て参る
を見届一夜の宿をもかし申候御定法にて、此儀ハ他国も
同前にて御座候、か様の相撲なとの事に付て入込申候者
は、へん/\と滞留仕候、只今の躰にて方々ゟ人数多く入込
申候へは、御国のしめし何とも可仕様無御座仕合と奉存候、
其上度々申度出来仕候ハゝ、御仕置も不可然様に世上之
批判も御座候得は、一大事の儀と、此處乍憚気遣
千万奉存候事
一、當国の儀は、御人躰を御選被成、国主ニ被仰付候と相
聞申候、 妙解院様以来 殿様迄三代無御恙
被成候儀ハ、 細川之御家之中興にて御座候と奉存
候事、出来間敷とは誰しも存候而も、出来候時の
分別、前廉に仕者無御座候と、此所第一之御心得之様に
乍恐奉存候、一国一郡御座候御衆、夫々に應し候ての御分
別可有御座候、餘国と違ひ申たる當国の 御国主様
にて御座候得は、万事御一心に可有御座と乍憚奉存
如斯申上候事
一、妙解院様御跡目を 真源院様へ被仰付候刻、 万事
御国之御仕置、 妙解院様之御時之ことくに被成候
様にと 上意御座候、 真源院様之御跡目
殿様へ被仰候刻、為上使朽木民部殿・兼松弥五右衛門殿
熊本へ御下向、御本丸にて、何れも年寄共并者頭を被
召出、右近様も御座候て 上意之趣被仰渡、其時分被成
御渡候 御黒印にも、御国之御仕置は、真源院様之
御時のことくに被成候様にと御座候、か様之儀も御心得に
不可然と被為思召候儀ハ、御直し被成、加様之相撲なと
御取立被成候儀ハ、如何敷奉存候事
一、真源院様御国御拝領被成、初て御入国候刻、御礼に
私を江戸江為御使者被遣候、其節酒井讃岐守殿江
参上仕候に、私へ被仰聞候は、御国之御仕置、 妙解院様之
ことく被成候へは、何と申事も無御座候、 真源院様御若
く御座候間、何もかも可然様ニと被成候ハゝ、結句あしく可
有御座候、不悪様にと被成候か能候間、今五六年之間家
老共常を抄油断不仕候様にと被仰聞候に付謹て奉得
其意候由申上、熊本へ罷下候て、残年寄共へ右之通申付、
よきさへ過申候へは悪敷御座候、まして悪敷事ハ不及申
と思召候間、如此讃岐守殿被仰候と奉存候事
一、先年 公儀御禮に私参上仕候節 殿様私存寄申
通りを乍憚申上候、其御座敷へ成(清)高院・沢村宇右衛門(友之)・
山本三左衛門・御つぼね・かいつ、此者(居脱カ)候かと覚申候、
妙解院様之御事は、御取立にて當御国被成御拝領
候、 真源院様江ハ御逝去之刻、御国被差上候由被
仰上候へ共不相替 殿様へ被成御拝領候儀は、不
大方 公義之御厚恩にて御座候得は、常々御衆なミに
御心得被成候儀ハ無御座候、萬事御作法も御先代之
ことくに被遊、乍憚可然奉存候、何も年寄共其覚
悟にて御座候に付、皆共心得悪しく、殿様の御難儀ニ
成候儀なと無御座候様にと、是のミ不断心遣を仕候、當
御家風ハ格別にて御座候ニ、當世めきたる御風俗
に成候てハ、是非も無御座候に奉存候、為御心得申上候事
一、 年寄共も、定而此儀存寄可申候へ共、殿様之被仰
候儀ハ、年若者申何角申上、自然御気にも叶不
申候へは、如何敷遠慮仕候と私推量仕候、私儀者
幽齋様以来、御當家五代御奉公仕、最早弥老衰
第一病気に罷成候に付、明日をも不存儀御座候へハ、慮外
を顧不申、又ケ様之儀申上間敷者とハ被思召間敷と
奉存、旁憚多奉存候得共申上候、悪筆と申、年罷寄、中々
加様之儀、書申事は不相成仕合に罷成候付而、十日計
かゝり申候てようように書調申候、文躰もあとさきニ罷成、
難被成御覧可有御座と奉存候私事七十九に罷成候
得は、命なからへて申計の躰に御座候、命ながらへて今一度
御目見仕、相果度奉存候計御座候、右之趣宜敷預御披露候
恐惶謹言
万治三年三月十一日 長岡佐渡守(興長)
山本三左衛門殿