明治五年明治天皇は、細川家が明治新政府に献上した甲鉄艦「龍驤」を御召艦として西国巡幸に出られた。長崎を経て熊本にもお立ち寄りに成り、「龍驤」は奇しくも故郷に錦を飾る事に成る。随行した一人に写真師・内田九一がいた。この内田が大変貴重な写真を残してくれた。
右手が花畑邸、左手は作事所跡である。正面の書物櫓・馬具櫓越しに飯田丸五階櫓が見え、右手奥には大天守が見える。
どうも判らないのが花畑邸の塀から半ば突き出したような二階建ての建物である。藩政時代の絵図では見受けられず新しいもの(絵図作成後)なのだろう。
熊本鎮台に関係する建物と考えるにはタイムラグがある。その先に正面玄関の冠木門らしいものが見えている。
左手黒い腰壁の建物と、手前の建物(掃除方)の塀のラインが食い違っているが、これは絵図上でも確認されここから山崎天神をへて船場橋方面に向かう道がある。
作事所跡には鯉幟の旗竿みたいなものが見えるがこれは何だろうか。この時期は作事所は廃止されているから、人家であろうと思われるが、果して何だろう。
いろいろ妄想を搔き立てられる写真である。
ご厚誼をいただいているS氏のブログ「徒然なか話」では、とっくの昔に取り上げられていた。