菫程な 小さき人に うまれた志 漱石
熊本市立京陵(けいりょう)中学校の前に、夏目漱石の句碑がある。
この場所は豊前街道への出口に当たり、沢村家(大学吉重流)の屋敷があった。広大な屋敷は京陵中学と、裏手の熊本大学付属小・中学校の校地になっている。
明治29年第五高等学校に赴任する夏目漱石は、池田駅(現・上熊本駅)におりたつと、新坂をのぼりこの場所を通り豊前街道をよこぎって寺原方面へ下りはじめる。
そして眼前に阿蘇を遠望する緑豊かな景色を愛でながら、「熊本は森の都だ」と感嘆したのだという。
藩政時代には豊前街道添いには勢屯があり道向こうには、家老有吉家の下屋敷があった。そして京町口の構が設けられ夜には有明燈がともされ番人が昼夜を分かたず詰めて通行人を監視していた。現在はここに交番があったりして思わず笑ってしまうのだが・・・・
さて漱石の句碑だが、これが建てられたとき孫聟にあたる作家・半藤一利氏が除幕式に出席されている。半藤氏はこの句を漱石の傑作の句の一つだと言っている。この句の意味するところはいささか難解であるが、わたしは句の末尾の「し」を「志」としたところに、漱石の深い思いを感じる。
この句は30年に作られたとされるが、この頃から、市井にあって自由に生きていきたいという志を決意した句ではないかと、私は勝手に解している。
前を通る小中学生がこの句碑にどう対してくれるか・・・・(京陵中学は、わが三人の子たちの母校である)
近所の路傍の決まった場所で、毎年健気に小さな菫が顔を出してくれる。