津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■松寿庵先生・第243講(最終講)

2017-06-30 08:43:55 | 史料

 誠に残念なことだが、松寿庵先生とれき女様の江戸咄が今回で最終回になることがアナンスされていた。
承諾も得ないまま記事をスキャンしてご紹介してきたが、全国の皆様によりふかく熊本の歴史をお伝えしたいと思ったからだ。
いつかお叱りを受けるのを覚悟していたが、思いがけずれき女様からご連絡をいただき過分の御言葉を頂戴した。
この記事が掲載されている熊本日々新聞が発行する情報紙「すぱいす」は、次週紙面を改編するらしい。
また新たな企画が登場することを期待したい。松寿庵先生とれき女様の長きにわたるご苦労に感謝申し上げたい。

 

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■「おあむ物語」by上妻文庫 その(四)

2017-06-29 09:51:26 | 史料
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■「おあむ物語」by上妻文庫 その(三)

2017-06-28 18:18:37 | 史料
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■歯痛つづく

2017-06-28 08:17:45 | 徒然

 今朝も歯痛が続いています。内服薬と痛み止めを処方されましたが、痛み止めは一日一錠なんですね。
昨晩飲んだので少々我慢です。次の予約が来週の月曜なのでこの状態が早く収まるようにと願うばかりです。
食事も少々控えめにして、堅いものは遠慮してます。おやつのせんべいはストップ、コーヒーを何倍も飲んでいます。
梅雨の中休み、図書館に出かけようかと思いますが、自転車の揺れがこたえるのです。さてどうしましょうか・・・

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■1年前

2017-06-27 18:22:56 | 熊本地震

 1年前の今日、壊れたアパートに罹災証明発行のための調査が入った。地震発生から74日目である。
コンクリート壁に外が見えるような大きな亀裂が走り、サッシュの開閉がままならず、水・ガスが使えないという状態であった。
「大規模半壊」の罹災証明が出たのは、7月22日のことである。4階建32戸の入居者はちりじりとなりもう会う機会もないだろう。

「大規模半壊」以上の被災者は「医療費無料」になるというので、おそまきながら昨日は歯の治療を受ける前に役所まで出かけ「証明書」をもらってきた。
おかげで今日の歯の治療代は無料である。ついでに整形外科にも行ったらと奥方は言うけど、私の膝は到底治るとは思えない。
この特典も9月末まで、歯を直したらお終いだ。

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■歯医者行き

2017-06-27 11:10:31 | 徒然

 80歳まで自前の歯で行けますよ、と言われたものだが、昨年ついに左上の奥から3番目を抜歯した。
その後地震があって歯の治療はストップしたまま転居、若干奥歯が痛んできたがそのままで放っていた。
奥方が同時進行で歯が痛み出しこちらは6ヶ月かかってようやく先日完了、私はといえば昨日は激痛がきてトンプクを都合4回服用した。
これは我慢も限界だと思い、評判の良い歯医者さんに出かけて初診をうける。
診立てがまことに適切で好感が持てる若い医院長、予約がいっぱいで繁盛しているようだ。
いきなり抜歯してもらおうと思ったが、歯茎が炎症を起こしているのでまずはこれを鎮めてからにしますとのこと。
次回の予約を入れてかえる。奥歯を抜くと2番目の歯が孤立状態になるので、4番目の歯にブリッジするらしい。
二か月ほどかかりますかなー。わが人生最後の歯の治療としたいものです。


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■65年目

2017-06-26 20:18:44 | 熊本
 
■試練

 今日は昭和28年に大水害に見舞われた日である。今年も大変な大雨に見舞われたが、昭和28年は雨が長期に及び累計雨量は比べ物にならないほどであった。あの水害で命を拾い、今度の地震でま......
 

 「昭和28年西日本水害」と正式に呼ぶ65年前の大水害は、熊本では6:26水害と呼んでいる。
今年は梅雨の合間の曇り模様であったが、毎年この時期が近くなると本当に気持ちが滅入って来る。
多くの同窓が亡くなった。上の記事は昨年のものだが、毎年変わらぬ思いである。ただただご冥福を祈るばかりである。

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■鎌田軍兵衛殿

2017-06-26 06:20:09 | 人物

                                        上質厚紙・指物附、天明6年10月福田軍0045.4cmx31.2cm

 鎌田軍兵衛は「鎌田泰家」の5代目で御鉄炮廿挺頭(千石)である。
先祖は團平八郎、美濃国岩村城主(肥後先哲遺蹟では大垣城主としているが?)で織田信長に仕え明智光秀謀反の折に御供にて討死した。嫡子・市兵衛は福島正則に仕え番頭、市兵衛嫡子・五右衛門は福島正則落去に際し浪人、初代源大夫は五右衛門の三人兄弟の次男である。兄弟三人が豊前で忠利公に召出された。(300石)
初代源大夫については面白い逸話がある。
       忠利君御代、御庭に蘭植させ被成御好被成候て、蘭のこやしにハ月代の毛を蘭の根に置たるか吉と御聞被成、
       御側ニ被居ける衆中へ右之御物語被成、銘々月代剃候ハ其毛を集置候へとそ被仰付ける、何も奉畏けるに、其
       中に鎌田何某とかや申ける御児小姓十三歳成けるか、申上けるハ、私儀ハ御断申上候、何そや士の頭毛をこや
       しに仕候儀ハ何様ニ御座候ても成申間敷とそ申上る、忠利君被聞召、成程其方云分尤也、予あやまりたりと被仰
       けるとそ、此御児小姓成長之後鎌田源大夫と申ける由    綿考輯録巻五十三(忠利公・下p438)

さて指物にある家紋は「釘抜に梃子」、「三幅のふきん」に染められているが「ふきん」とは「布でつくった巾」と解すべきだろう。

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■「おあむ物語」by上妻文庫 その(二)

2017-06-25 16:32:17 | 歴史
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■「おあむ物語」by上妻文庫 その(一)

2017-06-24 14:31:15 | 歴史

 古文書に親しみたいので、テキストとして何か提供していただけないかとのご要望がある。
細川家の藩譜採要なども所持しているからどうだろうかとも思うのだが、量が膨大でそして読み下しが全く進んでいないので、釈文の提供ができない。いろいろあさっていたら、上妻文庫の「おあむ物語」が出てきた。
これならば内容をご存知の方もおられようから、七回ほどに分けてご紹介しようと思う。
釈文は http://www.j-texts.com/kinsei/oan.html をプリントアウトして下さい。
(但し内容が強烈ですから、お気をつけて・・・)

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■加藤清正卒す

2017-06-24 09:23:09 | 歴史

 慶長16(1611)年の今日・6月24日、加藤清正が熊本で亡くなった。
帰国途中船内で発病したとされ、毒饅頭を食したなどと伝えられるが単なる風聞であろう。
前年には京都において「容易ならざる」体調であったことが、時慶卿記にしるされているが、体力の衰弱などが響いたのかもしれない。
一周忌の17年の7月23日、菩提寺の熊本本妙寺では、全山の僧が法華経を一夜にして写経をしたことから、以後「頓写会=とんしゃえ」と称して熊本の夏の風物詩となり、お詣りの参拝客でごったがえす。
昨年は地震の影響で中止されたが、今年は賑わいを見せることであろう。どうぞお出でまっせ。

 

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■松寿庵先生ー242講

2017-06-23 08:33:07 | 史料
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■「蛍丸」復元さる

2017-06-22 10:35:58 | 熊本

          ウイキペディアから

刀身が3尺3寸4分5厘(約100.35cm)もあるという阿蘇惟澄の佩刀とされるこの太刀は、阿蘇神社に伝えられてきたが、戦時中その行方が判らなくなった。
2015年その復元計画(レプリカ)が持ち上がり、今回完成を見て阿蘇神社に奉納された。
メディアが取り上げていた映像を見ると、尋常ならざる大太刀である。
一度は拝見したいものだと思うが、展観されるのだろうか。
阿蘇神社は先の熊本地震で甚大な被害を受けた。こちらの復興がいつになるのか、2022年を目途としているとのことだが・・・

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■「細川家史料」にみる山家藩御家騒動記

2017-06-22 10:09:52 | 論考

この論考は寛永4年12月の末に亡くなった谷衛友の跡目に関わるものである。細川忠興・忠利親子は谷家の遺領相続に大きく関わっている。
衛友の遺言通りの跡目を主張したが、幕府の相入れるところではなかった。砂をかむような思いが残った。
細川家は衛友の息・谷大蔵允を家臣として迎え入れている。
これ等の顛末を「細川家史料」から解明されているが、一時期私も年表を作りながらも途中で頓挫してしまった。
それゆえにこのような論考に出会うと感慨一入である。
         「細川家史料」にみる山家藩御家騒動記

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■ドメイン+レンタルサーバー

2017-06-21 10:09:55 | 徒然

 私のサイト shinshindoh.com のドメイン+レンタルサーバーの更新時期である。同じ会社が取り扱っているのだが微妙に時期がずれている。
請求も一緒には来ないし、メールで来る案内を開くための当方のIDやPWがそれぞれ違っているので、確認が大変である。
契約を一年更新にしているから、一年ごとにPWを記した書類を探すのに大ごとで、去年は地震の直後で良くやったものだなと思う。
ことしもどこかに紛れ込んだファイルをようやく探し出して契約更新を済ませた。
年間5,000円ほどのことだから、三年とか五年契約にしておけば、この様な苦労もしなくて済むし少々は安くもなるのだが、何となく一年契約で約14年を過ごした。クレジット支払い契約をすると、延長契約は自動的に行われるのだが、昔からの習いで振り込み決裁である。
途中何度もPCのトラブルで貴重な資料をなくしてしまったが、サイト内の記事などはサーバーに残っているから、ブログなども資料のメモ代わりになっているきらいもある。つまらぬ私事が時折登場するのは、日記替わりのようなもので、皆様のお目を汚すことになっている。

サイト開設から14年、切よく20年まで頑張ってみたいと思っているが、昨今の体力低下で全く自信がなくなってしまった。
差し当って来年の契約更新まで、くたばらないよう頑張ってみましょう。

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