夜中柵際に詰たる御鉄炮頭或は両御旗本を守護し、或は柵外に出て御鉄炮うたせ候中ニ就て、寺尾喜内ははやく御のぼを柵の前に出し左助と共に下知いたし候に、敵大勢ひかへたるにかゝり鑓を合、同所にて寺尾孫之允も鑓を合せ候、藤本伊右衛門 松山権兵衛与 も旗の先に進て敵を突伏首を取、弐ヶ所創を被り、明石源左衛門・志賀安之允 真下喜左衛門与 ・鎌田源大夫 道家左小右衛門与 ・下城長三郎・山田次郎助一緒に在て働き、下城 加々山与 ハ鑓を合敵を突伏る、山田 松野左馬助与 ハ松の木の下にて賊脇差を投付けるを透さす鑓付討取、又壱人かゝるを是をも突伏て猶先にすゝむ、原田十次郎 道家与 兄弟も敵ニ三人宛突たほし、十次郎ハ手を負引取候、十次郎を切たる敵ハ弟十兵衛仕留候、矢野吉之允も同所に働、門池次郎兵衛 松山権兵衛与 ハ軍使として来り、是も松の木の下にて力戦、敵弐人突伏る、長谷川兵四郎 仁左衛門二男 ・吉冨五左衛門 明石与 ・片岡半之允等も鑓を合、敵弐人宛討取、佐藤庄三郎も鑓を合敵弐人仕留、弓ニ而六人射留申候 一二四人射ふせ、一人ハ鑓付候と有 、入江伝右衛門 沢村宇右衛門与 ・佐分利半左衛門 同人与 ・桑原浅右衛門 同人与 ・武藤長兵衛 丹羽亀之允与 ・糸川元貞・金子十郎兵衛・益田九兵衛 真下喜左衛門与 ・国友十左衛門 坂崎清左衛門与 ・野田源四郎 松野右京与 ・阿部五大夫 松野左馬助与 ・同権十郎・栗屋猪兵衛 松野左馬助与 ・宮部宮(久)八 嶋又左衛門与 ・吉川孫左衛門 松野左馬助与 ・猿木権七 平野九郎右衛門与 ・竹村弥助 松野左馬助与 いつれも敵を鑓付首を取、上津浦太兵衛ハ敵を突伏る時鑓疵を被り、花房次右衛門 道家左近右衛門組 も鑓を合手負候、粟津平左衛門 御櫛役 昨日城に乗かゝる時石手負、働難成引取しか、今日ハいたミを押へ乗込候処、鉄炮にて頭をうたれ伏居候を、津川四郎右衛門見届、本陳に連越候 此手疵ニ而果候由 、其外組頭と一所二在て働面々二ハ、荒瀬三四郎・町野作之允・金守次郎助・庄林猪助・藤田与次兵衛・伊佐権三郎・北村八十郎・桑原仁平次・可児藤七等也、町熊之助 丹羽亀之允与 ハ昨日之手疵をも不厭、武藤長兵衛と一所に働、賊大勢立合候を弐人突殺し追払ひ、其時手足に亦創を被り候間、たへす小屋にかへり候、森三右衛門ハ敵の突鑓をたくり取、直ニ其敵を仕留る、入江三之允忰召連相働キ、堀田彦之允も手に逢、後藤又左衛門もふりよく働候、安井喜平次ハ敵七八人なた長刀鑓を持居候に参合からち合壱人突伏せ候、田中作之允ハ浜の手の塀を廻、諫早口十間計西の方の塀に乗、筑前家の人数塀ニ付クを敵五百はかりにて防候所を、塀の上より数多つきころし候、湯浅次郎大夫 坂崎与 ハ楯の奉行なれとももはや御楯板におよはさる間、進て働き敵四人突伏る 一ニ二ノ丸ニ而働き、廿八日本丸ニ入と有 、近藤新五左衛門ハ昨夕本丸江乗込、西郡要人与と同所ニ相詰今日も早々打出、敵壱人討取、篠原清兵衛ハ七人突伏、八人目の敵に長刀にて面をつかれ、疵を被りなから其者も仕留め候、いまた鑓をも不引取、あたり二控たる水野家・松倉家の士に向ひ・細川越中守内篠原清兵衛唯今のつらのかわりを仕候と呼り申候、
其外志有ハいつれも手にあひ、或ハ残屋ニ火を放ち我先と働き、組持ハ組衆を励し、物頭ハ足軽を下知してよく其業をつくさせ、殊に荒木助左衛門ハミつから手をくたきて功あり、松尾小才次 筑紫大膳組 ハ鉄炮手負て陳屋ニ帰り候、興長家士遠藤九兵衛強く働き、同山本四郎大夫 奉行役山本源左衛門嫡子 ハ城中の大城戸を一番ニ乗入、小溝の土橋を渡る所に賊三人鑓を揃へ突かゝり、三本の鑓一同ニ四郎大夫か腹に突立、仰に土橋に突付る、されとも山本真中に受たる鑓を引抜て奪取、敵をなくり倒けれハ、残弐人ハ逃去り候、山本透間なく乗かゝり首を掻落し候へとも、三ヶ所の創其痛其首を提なから身体すくミけるを、或浪人走り寄背負て本営に還り候 翌廿九日死 、的場喜八郎 後改井山孫右衛門、禄四百石 も進て敵を討、歩卒芳賀喜平次ハ賊三人討取、小身作大夫・入江喜太郎・岡忠兵衛・坂本伝之允・水津六之允・田中清蔵・渕上瀬左衛門・平井少助・石川作之允・井上五大夫・松永言斎等松下に接戦して首を取、生地武右衛門ハ昨夜持筒に加るへき旨下知を請、夜中は張番して未明に本丸に入、南の方筑前手の境に張出し鉄炮を打せ候、近藤少兵衛・中西孫之允も来て一所に働候
其外志有ハいつれも手にあひ、或ハ残屋ニ火を放ち我先と働き、組持ハ組衆を励し、物頭ハ足軽を下知してよく其業をつくさせ、殊に荒木助左衛門ハミつから手をくたきて功あり、松尾小才次 筑紫大膳組 ハ鉄炮手負て陳屋ニ帰り候、興長家士遠藤九兵衛強く働き、同山本四郎大夫 奉行役山本源左衛門嫡子 ハ城中の大城戸を一番ニ乗入、小溝の土橋を渡る所に賊三人鑓を揃へ突かゝり、三本の鑓一同ニ四郎大夫か腹に突立、仰に土橋に突付る、されとも山本真中に受たる鑓を引抜て奪取、敵をなくり倒けれハ、残弐人ハ逃去り候、山本透間なく乗かゝり首を掻落し候へとも、三ヶ所の創其痛其首を提なから身体すくミけるを、或浪人走り寄背負て本営に還り候 翌廿九日死 、的場喜八郎 後改井山孫右衛門、禄四百石 も進て敵を討、歩卒芳賀喜平次ハ賊三人討取、小身作大夫・入江喜太郎・岡忠兵衛・坂本伝之允・水津六之允・田中清蔵・渕上瀬左衛門・平井少助・石川作之允・井上五大夫・松永言斎等松下に接戦して首を取、生地武右衛門ハ昨夜持筒に加るへき旨下知を請、夜中は張番して未明に本丸に入、南の方筑前手の境に張出し鉄炮を打せ候、近藤少兵衛・中西孫之允も来て一所に働候