私の中学校の同窓に林田戦太郎君がいる。なにしろのマンモス校で同学年が700名以上おり、クラスが15クラスあった。
長じて彼が音楽家になっていることを知った。そして「はなしのぶの歌」を作曲した。
1985(昭和60)年5月、阿蘇野草園で第36回の全国植樹祭が行われたとき、昭和天皇のご臨席の際に、熊本の歴史ある女子高校・尚絅学園のマンドリンクラブがこの曲を演奏ご披露された。
阿蘇の原野の中に咲く「はなしのぶ」のあわい美しさに、植物学者として御心に留められ、また楽曲にも御心にふれるものが御有りになったのであろう。
その年の12月昭和天皇は次のような御製を寄せられた。
はなしのぶの歌しみじみ聞きて 生徒らの心は花のごとくあれと祈る
彼の音楽家としての名誉の最たる曲となった。今でもメロディーが流れると懐かしく思われてハミングしてしまう。
その後南阿蘇では「はなしのぶコンサート」が続けられてきた。
「野の花コンサート・はなしのぶ」は第7回だという。形が変わっているのだろうか。
もう39年にもなる。当時の熊本県知事は細川護熙氏であった。南阿蘇の原野にはさわやかな風に吹かれて、はなしのぶが咲き乱れていることだろう。