津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お安く読む・文春文庫「本朝甲冑奇談」

2015-02-28 15:35:47 | 先祖附

       本朝甲冑奇談 (文春文庫)

 
           文藝春秋

内容説明

戦国乱世にあって、甲冑は単なる武具ではなかった。凝りに凝ったデザインはその実力を誇示するばかりでなく、信ずる「神」すら顕示されていた。それは究極の自己表現でもあった。本書は信長、秀吉ら武将たちの甲冑にまつわる奇妙な物語6編を収録、その夢、野望、そして無念の死を鮮やかに描きだす。舟橋聖一文学賞受賞作。

著者紹介

東郷隆[トウゴウリュウ] 
昭和26(1951)年、横浜市に生れる。国学院大学経済学部卒業。同大博物館学研究助手、編集者を経て執筆活動に入る。平成6年『大砲松』で吉川英治文学新人賞、16年『狙うて候―銃豪村田経芳の生涯』で新田次郎文学賞、24年『本朝甲冑奇談』で舟橋聖一文学賞をそれぞれ受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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■「旦夕覺書」--月・5

2015-02-28 07:43:25 | 史料

 忠興公に殉死した興津彌五右衛門の子・才右衛門はいささかの慢心があっとみえ、後年鉄炮頭を務めていた折許可なく鉄炮足軽共に鉄炮をうたせて罪を得た。その才右衛門について旦夕(傳右衛門)はその人となりを詳しく書き記している。

                   (249頁後段から250頁後段にかけてタイピングを終えたころ、この項は以前upしたように思えて調べたところ・・・・ありました。以下の如くです 嗚呼)

                                ■興津才右衛門天の罰め

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

                                               堀内角之允
                一、或時堀二郎右衛門拙者へ被申候は此比御家老中角入事數年被召仕弟の文左衛門にも御鐡炮御預ケ被
                  成候 角入も物頭に被 仰付候様にと被申上候 太守様御意にはとく御心も付候へ共角入儀は御次に
                  て心安く被召仕度其身も左様に可存候 文左衛門に貮拾挺御預被成候へは角入には三拾挺被 仰付
                  候共其儘御心安く被召仕候事却て悦可申と思召御意候と直に有難申聞候 拙者へ申聞候へと被申候 右

                  之通角入に申候へは扨々難有仕合御意の通に存候 年若くも候はゝ他國の一類共のおもはくも可存か
                  成れ共文左衛門結構に被召仕候へはおれ儀結構に被召仕候同前の事に候 少しも/\外様にて結構に
                  被召仕候望なく候 此旨次郎右衛門殿に可申候 其方は十左衛門殿舎人殿御心安く候間左様成る御噂に
                  可有之候 おれか心底を申候へと誓言にて被申聞候 妙解寺に参拝の時分三盛見申由に咄被申候 御香の
                  物を乗物に入れ持参被仕参御佛前に御備被下候へと出家衆頼被申候を見申由被申聞感し入八十に成
                  候ても少も失念不仕候 其信實故弾蔵結構に成申候 弾蔵御聞番勤申候内に小田原武兵衛も働申候か米
                  屋六兵衛と申御家中に米入申者拙者前々ゟ心安く拙者へ申候は平八様御勝手は頓(ヤガ)て成り申間敷候 御
                  勝手にて見申候へは御手付衆食被下候夜食も其通御酒迄被下候 武兵衛様は終にあの様には不被成手
                  付衆夜更迄御用にて居被申候へ共歸候て夜食給候て又被参候様にと御申付候 夫故御勝手も能く御加
                  増も御取候 是非/\拙者に申武兵衛様の真似を被成候様にと申候 拙者申候は其方心入は過分に候へ
                  共若き平八昨今勤武兵衛真似したらは末々しかり可申候 其上小身成者共に宿へ戻り夜食給候へとは
                  御用にての事夫程の事は物入申も苦に成り申さぬ事と申候 歸リて角入に申候へは笑被申候 平八勤き
                  けは後々は立身も可仕候 平吉も能き生付後々は聞番にも可被成哉抔と悦被申候 如願両人共に成り申
                  候 拙者歩の御使番勤歸りて江戸咄なと仕候て立申候へは老父母へ被申候は傳右衛門咄きけは後々は
                  御駕奉行に成御知行も被下歩頭抔に可被成候そなたは年若く候間永いきして子共にかゝり被申候 お
                  れは随分人の為に成る様にと計おもふた程に子共にむくひ可申と被申候 二三日程有之承候て偖は拙
                  者咄気に入たると悦申候 二組にて六十人有之候歩の使番の内に拙者被仰付候事又歩の頭に可被成と
                  被申候は定て 忠利公御代の事にて被申たると存候 安井太衛門・寺内五兵衛・真下喜左衛門・牛島一郎右
                  衛門なと申六人共に歩の小姓より百五拾石宛被下歩頭勤申候 右之衆は御入國後迄しはらく居申覺候
                  箇様の事思被申候哉と存候 然處に如斯親の願ゟは結構に被 仰付候は老父信實顕れ候 角入も同前
                  に存候 右之才右衛門事は親彌五右衛門三齋公追腹三年の御忌かと承候 京都舟岡山にて致追腹天下に
                  知られたる親の子にて信實にて勤候はゝ能く可有之に我満計にて三百石に御鐡炮迄御預ヶ先祖を被
                  思召結構に被召仕候得共右の仕合天罰と存候 各若く委細被存候ために書置候 

                

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■「旦夕覺書」--月・4

2015-02-28 07:42:46 | 史料

                一、數十年心つけ見候に江戸被 仰付候か又は役儀に付十人か九人は被 仰付候につけて願申内にて家
                  内の或は娘の婚禮の用意なとゝ差當る御奉公に入申外に自分の用にたて申事多く候 尤知行物成の内
                  にて相應/\に心かけ子供の為に仕候事は本より其筈の儀夫も相應より内に心得可申事に候 千年傳
                  右衛門御國にて御巡見の時願事の外かろく御座候 元より拙者事能く被存候 兼々存候 併今度脇の願の
                  邪魔に成候程にと頭差圖にて候由傳右衛門申聞候 左様に候はゞ脇々の為にと被申候事夫には構不
                  申と申儀も心に叶不申其通と申候 是は頭により何卒申立によりさのみ脇の願の邪魔にも成間敷事と
                  乍存右之通りにて事濟申候 各心に能く心得差當る御用程願被申私用に心當被仕候はゝ 天罰蒙り可
                  被申候 神以拙者覺申候 目あしく成り勝手能も不慮の事多く後に不勝手に成悪事多く數人神そ/\心
                  には能く存候故 天罰と存候へ共同類大木世の中にて夫もそふ是もそふ皆々外にも有事と天罰と思
                  ふ者すくなく候 老父被申聞候事覺居申候昔しも今も同前と思ひ當り申候 貮百石にて定江戸おごり不
                  申候 何としても跡先の用不足仕候 壹貫目御座候へは貮百石にても事足り申利なしに借候はゞ休息候
                  時ぼつ/\拂可申なとゝ存る處に存不寄御加増被下候 其時分一貫目上に當り偖々難有奉存親よりは
                  くわほふ生れ増申候 親被致拝領候はゝ三人の子供に米にても夫/\わけて可給候 兄に遣候とても請
                  可被申様なく候 三盛は勝手別て不調法にて度々三友に頼被申候事能く存三友に必々三盛りに申間敷候
                  差つかへ申時遣候へと頼申候 神以返し申様に不申候得共三友方々ゟ返したる事覺申候 又存候は兄弟三
                  人にて六百五拾石にて候 昔し片山自庵も六百石山田竺印六百石老父も六百石は被下間敷物にてもな
                  く被致拝領三人の子に分け呉被申候 其三盛角入両人に五百石わけ可被申候 弟の儀拙者には百五拾石
                  分可被申候 然れは親の子を思ふは世の習ひにて候 如斯の道理に五拾石被下候事は親に増した
                  る御恩てんのめくみと八十に少も失念不仕候 傳右衛門事は如形能く心得致案堵候 三悦・幸右衛門・傳右衛門
                  申合随分心かけ天道恐れ必々真實に萬事尋其外彦四郎・尉九郎・三郎兵衛何もむつましく寄合候ては互に
                  吟味いたされ堀内中唯今迄壹人も御勘気蒙りたる者無之結構に被召仕候 各子々孫々迄悪名請不申様
                  に天道恐れ慎可被申候 左候はゞ彌繁昌可被仕候

                一、和田十郎兵衛新知三百石大組に被 仰出候由方方ゟ知せ申候 拙者其時は御中小姓にて金津助十郎屋
                  敷借り居申候時にて用事有之候て夕方衆議に参へしと折節七八寸の江鮒賈に参候故手前調鉢に入
                  れ遣申候處に舎人殿其外兄弟衆他人の歴歴居被申候處に十郎兵衛持参して傳右衛門祝儀を呉れ申候 御
                  覧候得とて打寄大笑の由後に承候 暮方に参候得は誰も戻り被申小川次郎右衛門・宇田彌二兵衛・織部殿
                  以来之五名にて和田と咄居申所へ参候へは偖々今日の御祝儀は忝は候へ共舎人屋敷へ江鮒の鉢に入
                  れたるは初てにて何も誰誰も見被申候て笑被申候由被申候故いかにもいかにも左様に可有之候 併世
                  上不相應の事多く御座候 私中小姓には少過たると存候へ共今日の目出度さに進上申候 偖御自分には
                  御家の古き事御存被成ましく候 次郎右殿・宇田殿は御存可有候御備頭の御次男御舎弟には三百石被下
                  大組に被仰付候 氏家源助殿は二百五拾石被下御小姓組に其時節長鹽源太殿・青木権之助殿・南部・土山は
                  皆々五百石被下候得共氏家同前に御小姓組に御入被成候へ共御番御供は御免被成候譯有衆にて可有
                  御座候 氏家は備頭にても無御座候得共家がらにて貮百五拾石被下候と皆々批判承候 今日三百石御拝
                  領被成殊更大組と御座候は誠に/\兎角被申ぬ目出度事に存候 随分御勘略被成馬をも御持被成候へ
                  と申歸申候 重て参候時舎人殿御申候は先日十郎兵衛に委細に咄治部右衛門なと咄聞候 偖々尤成る
                  事重ても能々御家の事咄聞せ可給候由御申候 終に馬持不被申候 馬具一通りに氏家甚左衛門殿よりも
                  らひ被申咄は承候 舎人殿全盛之時織部殿存生の内は貮拾人扶持被下候織部殿母方の叔父にて先代清
                  正公の和田備中子孫と申傳候

                一、拙者新知被為拝領時分右の和田十郎兵衛被申候は此間清助・彌一右衛門・七右衛門と申談候 拙者は格
                  別に舎人殿懇比成る事に候間そば粉に何そ肴そへ被送候はゝ打寄そば切給へ祝ひ可申と内意被申候 拙
                  者申はいかにも私も其心はつき申候へとも如御存新知被為拝領即刻借銀願申候右之通の儀に私に御
                  懇意と申我身の祝ひに一銭にても遣申候はゝ却て舎人殿御心に叶申間敷と神以何にも遣不申候 如斯
                  兄弟衆十郎兵衛差圖と申候はゝ十人か九人は幸と存遣可申候 此後も心付け可被申如斯拙者は天道を
                  恐れ申候 折々母を振舞候 相伴に伯父共被参候事は可有之候 他人に出來合ふづ汁は打寄り給申候 終に
                  舎人殿・十左衛門殿呼不申残念には存候 土之進出生にて下着の刻舎人殿御申候そなたは有無にしわき
                  と思ふと御申候故何と思召候て左様に思召候やと申候へはいや/\男子出生にて祝ひ申せおれなら
                  は結構に祝可申とお笑ひ候 

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■「旦夕覺書」--月・3

2015-02-27 16:43:56 | 史料

                一、或時角入拙者に被申候は其方は大勢咄衆多く候 我等はいか様に申候やと尋被申候 拙者申候御相組衆
                  用事は不破五郎右衛門は能く請合申候 おまへは物六ヶ敷御請付不被成様に承候と申候へはいかにも
                  左様に可申候 此間も高瀬善兵衛か三百日の願申候 いかにしても善兵衛が身分の才覺にても調可申候
                  公儀に申上候ては善兵衛為にならぬ事と思ふて請合不申候 併大勢願候故要人迄は咄置候 御駕の御用
                  にて源兵衛其方は折々宿にても出合被申候様に承候 拙者なと宿の時参候へは頓て御次に罷出候間其
                  刻可承と五郎右衛門にも被申候由いか様各両人は外様にては口きくと申由要人もしかられぬ様にと
                  思ふと見へ候とて笑被申候 神以笑被申候

                一、或時文左衛門に申候は大鹽彌五左衛門と御別ていな事と他人も申私も其通に存候 御存知可被成候 大
                  鹽は度々うそつき勇も薄く申候由申候へはいかにも/\能く存候 此方ゟ扣候へとも近所にて節々参
                  り前かと御側筒預りたる故咄なと聞たかりついつい参候ゆゑおれに慕うてくる故に外よりは別てと
                  申も尤に候由高橋彌次兵衛も縁者に成申候

                一、横井左平太に御鐡炮十挺御預ヶ被成候節大木織部殿へ被 仰聞候は左平太にケ様と御意の時早々私
                  所にも参申殊の外難有がり申由被申候へは左平次(ママ)に申聞せ候得十五六年以前に戸越屋敷にて鷹をは
                  はさみたる犬をひさの下にしき犬引の迷惑せぬよふにと存おれかそはにて寄て見たる事おれ共おし返し
                  /\三度迄申候 爰を以慥成者と思召由左平太拙者へ申聞涙を流申候 御一言にて命捨ると申はケ様成
                  る久敷事迄被為思召出候事承候程の者銘々身に引くらへ難有可存事と書置候

                一、拙者未御奉公に不罷出候前かと杉生次太夫と申御鷹匠御意に叶御家老中も鷹數寄の時分何もかわゆ
                  かり被申候由高瀬へ御供に参候砌 殿の御休息のため御茶屋へ御入御膳被召上候内御湯御あかり被
                  成候時御門前に鴨のすわり御座候由達御耳御湯を捨られ御出被なり次太夫/\と呼候へとも居不申候
                  御手鷹部屋の錠ねし切御すへ被成御あわせ被成候へは取不申候 御機嫌も彌不宣候處に二三丁向より
                  頭巾着ぬき入れ手にてそろ/\参候を御目に懸りあれからくるは次太夫かと御意被成御ゆかけ御ぬ
                  き御腰物を御さし是へつれて参候へと御意の時織部殿其儘立被申候次太夫右方へ近く居被申候 御成
                  敗可被成候間留めさし可申との心得と承候 織部きけ扨々にくきやつめ成敗と思へ共久敷事を思ひ出
                  したるは先年戸越にて巣鷹を頂たる時夜白百日程夜も寝す精を出したる事今思ひ出したるは連て行
                  けと御意被成織部殿偖々難有仕合とて引立被参候由原田小右衛門御駕奉行にて其時具に承申候 何も
                  御供中是は御成敗と心得見申候處に右之御意承何も涙を流したると咄申候 拙者見申さぬ事成れ共誠に
                  誠に久敷事被思召出候事有難き事と今も落涙仕候

                一、拙者共新知拝領は九月十二日にて候 十六日に舎人殿村井・林・大矢野・拙者四人に銘々手紙にて御用有之
                  間参候得と申來候 折節角入へ祝振舞に一家参居申所に申來直に参候へは三人は参り拙者を待居被申
                  候 揃候て罷出候へは各の儀心安何事も用の儀承遣候へと御懇比の御意傳右は前々ゟ心安事に候 傳右
                  同前に存候由御申吸物にて酒出申候 角入へ参咄候へは悦被申候 老母も参居申候 弾蔵十八九多分覺可
                  申候 其後江戸用意にて米三石餘にて手つかへ新知被下如斯願申は偖々迷惑併才覺難成候本ゟ拙者は
                  前前より心安く候間一人参候て具に咄申せと三人申候 尤に存参候て咄申候は今度新知被為拝領四人
                  共に借銀の儀申上候事別て致迷惑候 先身の上の事に付申上候 私儀は具足持不申候尤馬具は尚以に
                  て御座候 尤残る三人の内所持仕候も可有御座候 親小身すり切申候て調呉申儀難成亦譲り申と申儀も
                  無御座尤私たしなみにて持居候哉と伯父共初存ましく候 持たる振仕御供に参り候事私の心に叶不申
                  候 御知行被下候ては又其通の用意仕候儀本意と奉存候 就夫思召の外に銀高多く可有御座候間御内意
                  申上候様にと三人共に申上候由申候へはいかにも/\尤に存候 不及申古具足古馬具にても先今度は
                  申合随分願すくなき様に尤頭々へも拙者へ被申聞候様に具に咄被申様に三人へも可申聞由御申候
                  偖其年ゟ四つ六分にて御借銀元は御すへ被下候故拙者願ゟは五百目多く渡申候由高坂検校銀子借申
                  候故拂候得は村井少不足仕候程に拙者五百目村井方へ遣候へ一つに仕暮に遣可申と所望に任せ村井
                  方へ遣申候 如斯實に願候得は却てあまる程渡り申候 天明らか成る故に候 
                   

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■松寿庵先生 第132講

2015-02-27 13:48:20 | 史料

                             明智憲三郎氏の二冊の著書は読み物としては大変面白かったですね~。
                             「敵は本能寺にあり」なんていう言葉も後世の作り話だと私は思いますけど如何。 

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■「旦夕覺書」--月・2

2015-02-27 07:26:45 | 史料

                一、門司源兵衛日奈久入湯の刻被召連御鑓御打太刀仕舞罷立候刻来春も江戸御供に可被召連旨被仰聞
                  其後又唯今御直に被 仰付候得共熊本へ御歸被成候て組頭共より觸れ申候間唯今御直に被 仰付候
                  事沙汰仕ましき由被 仰聞候 熊本にて奥田藤次郎組頭にて拙者も相組にて御供の御請に参候へは源
                  兵衛事ケ様/\と咄被申日奈久にても熊本にても此間右の御意を背方々にてよせいに咄被申候由承
                  候 偖々いつきよふ成事と藤次郎拙者へ咄被申候江戸にて節々出合申にもよせい咄多候つる 其後御國
                  にて前川與三兵衛殿・谷與三左衛門・田中次太夫・門司源兵衛・續三四郎・同五左衛門・坂井十兵衛此分御隙被
                  遣候 八月末と覺申候 皆共新知被為拝領候は九月十二日少前にて覺申候 其後門司御國を出江戸へ参候
                  由承候刻十左衛門殿へ参色々咄申内に門司なとは江戸へ参候由承候 定て鎗を申立ての望と存候 私存
                  候は鎗を聞及可被召抱と他所ゟ申來候共私は先祖以来代々取立被申候渡しにて剰鎗の相手に越中守前
                  に節々罷出候別儀にて被召出候はゝ罷出可申候 鎗を申立候ては少心に悪候儀も御座候と可申事に候
                  太守様御鎗殊之外御數奇被成御鎗の位も可存候 しかれは右之通に申候はゝ御心にも叶武士の道にも
                  叶可申候 御覧被成候得江戸へ参候ても中々今の當世はやり不申候 いか程も牢人多く亦御國へ戻候は
                  ゝ諸人笑可申候 昔長尾伊織と申千五百石に三拾挺御預被成病死仕候 伊織は出田作左衛門伯父子は安
                  右衛門と申候千石被下候故御暇申いか様銀子澤山に持申候と承申候 夫故かと申たるも覺申候 其刻長
                  谷川久兵衛老父へ被申候は今度安右衛門御暇申事合點不参候 如何に存候やと尋被申候 老父申候は尤
                  に候親跡へり堪忍ならぬ筈と申候へは久兵衛被申候は日本國をあるき候ても千五百石にて抱可申時
                  節にてはなく候 おれは明日にも御暇被下候はゝ三十日は牢人仕ましきと被申候へは偖々うは気成る事
                  大坂京江戸に参候とても三十日はかゝり申と老父申候得はいやわけか有る拙者は嶋原御褒美にて貮
                  百石被下候 親は武功にて千石被下候 親の知行無相違被下候は御家他家に少く候 筑後へ立退貮百石望
                  候て熊本程近く御座候聞に可被遣候千石被下鐡炮も預け申候 拙者さのみうつけもいたさぬは肥後に
                  て千石にて鐡炮頭勤候拙者を貮百石にては三十日の内に有馬殿か立花殿家からも能望候はゝ有付可
                  申候 安右衛門はおれ程もなき者の定て銀子澤山に持たる程に男を止町人に可成と思ふへし銀子は子
                  孫迄續かぬ物子孫に成たらは後悔して御家に御扶持にても被下候様に無面目参へくと被申候 其刻此
                  比の長尾安右衛門は未た御家に不参候 數年過候て此方に参り廿人扶持比下候 其後熊本へ参後に堀飛
                  騨守殿若狭守様を御頼被成五百石被下候事宮川團四郎咄承候 右の通色々咄候へはいかにも尤成る拙者
                  申分成れとも昔は知らす若き門司か又た江戸へ参るもにくからぬ事と十左衛門殿御申候 門司其後江
                  戸より歸り申候 いか様誰か出家衆頼候て御國へ戻申候と覺申候 志方玄求なとも縁者にて右の咄江戸
                  にて仕笑申候 是皆古人の咄承付申候 右の通に御意を背たる天罰と存候 前川谷田中は拙者別て咄申候
                  御暇被下候程の事に候得は常々の儀も悪敷達 御耳候哉其時分の沙汰打寄物なと給申たる由輕き事
                  の様に聞候へとも皆々不實より起申候 兎角實と申物なくては人柄能候ても役に立不申候 

 この文章に登場する前川與三兵衛(300石)・谷與三左衛門(300石)・田中次太夫(200石)・門司源兵衛(150石)・續三四郎(350石)・同五左衛門(200石)・坂井十兵衛(200石)などに、「知行被召上や御暇」の処分がなされたのは貞享二年(1685)八月十九日のことである。そのほかに「里杢之介(200石)」も含まれている。

前川・谷・田中・門司等は元禄三年(1690)・妙解院様五十回忌にあたり御勘気御免となった。その他の人の其後については判らない。
又前川與三兵衛は「旦夕覺書」によく登場する十左衛門(三渕重澄)の従弟である。 

 

                     大木兼近
                一、右の刻舎人殿へ参候得は側へ御呼次の者とも退御申候は今度の御暇被遣候衆何れも心安き事に候處
                  に拙者のかれ申事偖も/\大慶に候 偖江戸逗留中物なと給へ御法度背たる覺はなきかと尋被申候故
                  江戸詰の内急に御供觸仕候故其儘出申候へは間有之故心安き者の所へ参申立なから茶漬給申候儀存
                  出申候 夫は背たるにてはなく御供の事不苦候いや熊本より八代蜜柑に付参候牧團之允歩の御使番落付
                  三日と御座候に差合御法度の日數延申候私事如御存御使番勤申故なしみと存なから茶振舞申候 夫も
                  落付の心にて振舞候へは日數違候ても背たると申儀にてなく偖々安堵とてもの事に誓言立申せ少子
                  細あるそなたの為にも能きと被申候 神以暫らく案し申候は唯今右の外に覺不申候へとも數月の儀に
                  御座候へは此外に御座候事も思ひ出可申候 左候へは只今誓言は御免被下候へと日本大小の神立不申
                  候 是老父被申候儀存出申候 其後承候へは頭々に誓紙組脇なとの咄承申候 皆々古人の咄聞ぬ者は越度
                  とも存ましく候 昔の能侍は一言にて名を上ケ一言にて心顕れ申候 拙者にさへ誓紙を以別儀にて候得
                  共舎人殿へ申譯頼申候故いやケ様の事はせぬ物能可申とて差返し申候 其後御鐡炮三十挺御預候 名は
                  書不申候 色々役も被 仰付候折々存出おかしと存候 右の誓言御所望は舎人殿には似合不申候と存候
                  十左衛門殿ならは誓言御所望は有ましくと存候

前回書いた一件が「御暇」につながるのではないかと舎人(大木近兼)が痛く心配している。 「拙者(傳右衛門)のかれ申事偖も/\大慶」と安どしている。こういった一見些細に思えることが藩主の不興を買うと「知行召上げ・御暇」となるのである。まずは目出度し・・・・

                                     

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■春浅し

2015-02-26 17:30:57 | 徒然

                  甘味やの 暖簾のゆれて 春浅し   津々

 あまり膝を大事にしすぎて家の中ばかりにいると、体力さえも落ちてくるような気がする。
久しぶりに友人がTELをしてきて、たまにはコーヒーでも飲もうという。下心が見え見えなのだがOKした。
ところが近場でなないらしく「車で迎えに行く」という。大げさなことになったなーと思ったが、着替えをして出かけることにした。
朝からの雨は午後になって上り、晴れ間さえ見えるようになったがまだ「春は名のみ・・・」である。
出かけていくと案の定先客があり合流とあいなった。電話でもいいような頼まれごとをしてあとは雑談である。
小代だと思われる壷に水仙を束にして差してある。店主に「なかなか好いですね~」というと、「有難うございます」と満更でもないように相好をくずす。
友人曰く「私は人間が雑でどうもこのような物の良さが判らんですな~」。随分前の事だがその友人が夜の巷で飲んだ後、「今日は家内の誕生日ですから・・・」と街中の花屋でバラの花束を買って、いそいそと帰って行ったのを覚えている。
帰りの道筋にある甘味やの入り口には「やぶ椿」であろうか、一輪差しに活けてあるのが見えた。
風で暖簾がゆれている。
 

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■泰寶丸 その他の資料

2015-02-26 09:06:44 | 史料

下の図は御座船・波奈之丸の御召替船とされる泰宝丸である。東京大学駒場図書館・情報基盤センターには「大日本海志編纂資料」が残されており、その中の「第七部門 絵画・図巻」で、泰宝丸その他の船に関わる詳細がわかる。

                                                                             

 

                7-2-64 泰宝丸・同小伝馬・御召八挺立・鯨八挺立・河御座船・御軍船・川舟大平田之図

                7-2-63 細川家関船之図

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■「旦夕覺書」--月・1

2015-02-26 07:21:59 | 史料

                      (傳右衛門大あくびの顛末)

                一、御中小姓にて御駕奉行勤候時江戸にて村井四五十日相煩候て拙者一人にて勤 家綱公五月八日の御  (延宝八年没)
                  一周忌にて芝より上のへ被成御座候 事の外草臥少腹中もすき本覺寺に 太守様は被成御待黒門外
                  に惣御供も寺を御借り被召置本覺院には大矢野源左衛門拙者新組一人三人被召連小姓頭岩間彌左衛
                  門其外三人玄関にて布衣の装束被申候を外より見候得は茶菓子有之候得は傳右壹人にて毎度苦
                  身茶こ有之候 給候はぬかと可被申處に能き公家かなとゝたわ事斗のみにて偖々気のつかぬ男計と存
                  候處に須佐美源左衛門参芝よりは別て御苦身茶参候得宿坊へ同道可申と被申候得は大矢野源左衛門
                  申候は此中源兵衛久々相煩申傳右衛壹人勤申候由申候へは是へ/\と大矢野拙者同道仕宿坊へ被参
                  候て此両人は今朝芝ゟ供に参候茶つけ御振舞被下候得と申置須佐美歸申候 跡にてなら茶給申仕舞候
                  て大矢野申候は偖も/\須佐美聞番勤候程有之候 岩間か親は百五拾石取朝山何(太兵衛)とかいふて子拾貮
                  人持ふとん壹つにならへて寐させたるものゝ子なれども兒小姓の時出頭して岩間小十か養子に成早
                  幼少にて親にかゝりたることは忘れ先刻茶さへ呑といわず三人共に同類の男皆にさのみかわらぬ
                  男共仕合よけれはなとゝさん/\わる口申候 偖芝へ御歸候時は暮六ツ半比にて御玄関に御駕すへ其
                  儘御出被成色付の間御廣間唐紙より内に被成御座候迄草臥立申時に大あくび仕候 南風吹多分達御
                  耳可申候 御手廻り御駕の者か兎角病人と聞へ候吟味申候へと小姓頭御側衆被申候由御廣間御取次
                  澤猪左衛門居申肝つふし申由後に承り申候 翌九日戸越御屋敷に御供小屋に致休息居申候處御廣間よ
                  り御用有之間参候へと堀次郎右衛門殿御申候由小使参候故罷出候へは昨夜上野ゟ御歸被成候刻大あ
                  くひしたる人有之候拙者も御供と承候誰か定て可存候由被申候 いや私にて御座候と申候へは神以肝
                  つふし偖も/\苦々敷事昨日は御一周忌にて御参拝被成殊の外萬事御慎被遊候故今に御尋なく候 先
                  頃讃岐守様御出御用の事有之間次の者共退候得と御意被成候以後御書院の方に人音聞へ申由にて拙
                  者に誰か穿鑿仕候得と御意被成候故御次坊主に尋申候得は何某殿と申候 偖々無勿躰歴々にて侍の作
                  法に違たる儀故神以不申上知れ兼申由申上候へは何と思召候や其後は御尋不被成候 拙者は仕合何も
                  承候程の事御聞不被成事は有間敷候得共多分上野の御歸と思召御穿鑿不被遊と覺申候 右の仕合故承
                  度存候に扨も/\何と仕たる事かと被申候故ケ様/\御奉公随分精を出し勤申候ても草臥はて申候
                  皆共或は御小姓頭なと心付られ可申事なとゝ如形悪口申候へは笑ひ/\三人の噂に成申候 立聞侍の
                  第一きらひ候事名は傳右衛門に御申聞候 是には書不申候 其後舎人殿も御尋次郎右衛殿へ申ことく咄
                  申候 岩間と其後縁者になられ候魚住又助御次方ゟ歸り候刻家来に尋申候へはあくひ傳右衛門様と申
                  又助も気遣いたし候由御廣間御番は不及申右の仕合にて何の御吟味なく八十迄存命居誠に/\天の
                  恵みと難有奉存候
                   

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■細川韶邦公初入部

2015-02-25 18:00:24 | 史料

 大名行列の絵図として有名な「細川韶邦公初入部の圖」を、サイトで紹介されていた「古文書で読む参勤交代」が閉鎖されている。
某古文書の会でご一緒するH様のサイトである。誠に残念なことでなんとか復活させていただきたいものだと考えている。

「鶴崎町史」を見ると、第八十五章に「藩主初入部の行装」があり、この絵図に書かれている供廻りを詳細に記している。
絵図と合わせて見ることが出来ないのが何とも残念である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   組頭二人---庄屋二人---小頭四人---在御家人四人--- 一領一疋六人---五町手永御惣庄屋一人---歩御小姓二人---御鉄炮二十挺(十挺 御行規方の歩御小姓附添、手代三人、玉薬
   十挺 小頭一人、手代二人、玉薬)---御物頭 騎馬、若黨及ひ外様足軽一人附添---沓籠---御弓十張 御側足軽十五人、外に小頭二人(小頭二人、弓十張、手代五人、御矢箱二荷、通日雇二人)---御長柄十本
    御長柄の者十五人、小頭二人(才料 御長柄二人、手代五人、小頭二人)---御物頭 騎馬、若黨及び外様足軽一人付添---歩御小姓二人---御挟箱 御小人三人(御行規方附添)小頭二人---御挟箱 御小人三人
   ---御蓑箱 御供荒仕子三人---拝領の御馬 御厩の者四人(小頭一人附添)---御召替御馬 御厩の者四人(才料小頭一人附添) ---白大鳥毛對御鑓 御鑓持片々に四人宛(御行規方附添)---小御馬印
   御供方荒仕子二人---御立物箱 御供方荒仕子五人---御持筒箱 御小人十二人---大道具箱 御供方荒仕子十三人(御行規方附添)---荒氏子支配 二人---小御具足箱 供方荒仕子十七人---御具箱
     供方荒仕子二人(御行規方附添---御䑓弓三飾 御長柄の者六人---御持弓二張 御持弓の者四人(御行規方附添--- 土俵空穂 御長柄の者、手代共四人---御鐡炮十挺 外様足軽十五人、外に小頭二人
    (十挺、手代五人、小頭二人)
---玉薬箱 荒仕子二人(御行規方附添)---御物頭 騎馬、若黨及び外様足軽一人付添---御先御注進 歩御小姓六人
   (是より御側御行列といふ。御物頭列以上は踏込、御馬廻り士分以上は脚絆に紫の角ずり附)
   御立傘一本 二人---御䑓傘一本 二人---御先箱一對 手代共六人---御對鑓 手代共六人、例外に御郡代---御長刀一本 御槍持二人---御弓一飾 御長柄二人---御脇差筒(左方)御刀筒(右方)
   (歩御使番八人の内より持つ)---御共役惣立 左右にて二十二人、列外に御歩頭---御案内御駕役左右にて十人、内八人は御鼻立、二人は御戸前立 

   (右方)両役、御小姓役 二人、御小姓頭、御取次、御駕役、御歩頭、御用人、御茶道、御醫師、歩御使番 二人
                    藩主・駕 駕舁前三人、同後三人、御駕の者二十四人
   (左方)両役、御小姓役 二人、御小姓頭、御歩頭、御取次、御祐筆、歩御使番二人 

   御鍵鑓一本 二人---御立傘一本 御小人二人---十文字御鑓一本 二人---御挟箱一對 御小人六人---御蓑箱 御小人二人---御草履持 二人---御下駄持 二人---御床几・御手傘御
   菅笠 御小人二人---御茶瓣當 荒仕子四人---御茶道方定手傳 一人---御樂器 荒仕子三人、御醫間定手傳一人---御召馬一疋 厩の者四人(沓籠持共)---押 歩御小姓二人
   (是より御小姓頭行列)
    
日雇二人(御行規方附添)---足軽 弓持---手鑓一對
 手廻の者四人---御附人足軽 左右にて四人---歩の者 二人---駕 左右に馬乗二人附添---歩の者 二人---手廻の者 山鹿屋
   (是より二番御小姓頭行列)
   駕 日雇二人---足軽---御附人足軽四人---歩の者---駕 馬乗---手廻
   (是より七ツ馬)
   若當 左右---第一馬 御側御取次---若黨 左右---第二馬 御使番---若黨 左右---第三馬 御歩頭---若黨 左右---手附足軽 左右---手附足軽の者---第四馬 歩御使番頭---第五馬 御茶道
   ---第六馬 御祐筆---第七馬 御側御物頭---御掛硯 才料足軽一人・通日雇一人---歩御小姓 二人、御醫師の鼻切塲--- 一番御醫師 駕・若黨左右
---小者---二番御醫師 駕・若黨左右---
   小者---
薬器---御家中槍三十八 何れも小者 (御案内役、御駕役、御小姓役御小姓組)---御貸馬十三疋 御仲間三人宛---小頭---御桐油箱---是足箱四十六---(御側御取次、御
   使番、御歩頭、
御茶道、御祐筆、御案内役、御駕役、御小姓組、御小姓役、御中小姓、御小姓役)---両掛(御側御取次、御歩頭、御小姓役、御両師、御案内役、御駕役、御小
   姓組、御醫師、
御中小姓、御茶道、御祐筆)---合羽(御側取次、御使番、御歩頭)---竹馬(御取次、御歩頭)---御拍子木番 御長柄の者
   (是より御用人行列) 歩の小姓左右---駕---足軽---手廻の者---御附人足軽---歩の者 左右---駕籠
馬乗、左右にて四人---手廻の者---引馬 
   (是より二番御用人行列) 駕---足軽---手廻の者---御附人足軽---歩の者 左右---駕籠 馬乗、左右にて四人---手廻の者---引馬  
     (是より着座御奉行行列) 駕---足軽---若黨 四人---御奉行駕---御召替御馬 通日雇八人---小頭一人附添---合羽目籠八釣
   (支配役、歩御使番二人、附足軽八人、日雇手代共三十二人、御家老行列) 

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■「旦夕覺書」いよいよ「月」の巻へ

2015-02-25 07:19:29 | 徒然

 堀内傳右衛門著の「旦夕覺書」がようやく「風」の巻を完了した。肥後文献叢書・第四巻を横においてタイピングしてきたが、116頁を3年9ヶ月費やしてしまった。
悪友の言を借りれば「ご苦労なこったい」という一語に尽きるのだが、始めたからには何とか終わらせなければならない。

いよいよ最終章の「月の巻」に入る。こちらは46頁に及んでおり又1年ほどかかりそうな感じ・・・・

          花の巻  2011・5・20 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011・6・14了
                 p125               p157

          鳥の巻  2011・6・19 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2014・8・20了     (ここでへたっていますね~・・・)
                 p158               p190

          風の巻  2014・10・8 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2015・2・24了
                 p191               p241 

タイピングしながらあまり興味がないような事柄に出会うと全く手が止まってしまい、一週間も二週間も再開しないことがある。
先の悪友は「デジタルライブラリー」で見ることが出来るから余計なことだというのだが、私はブログ自体を「人名索引」だと理解している。
この「覺書」から思いがけない事柄に出会い、それから伺えるいろいろな広がりが貴重な資料として蓄積できている。
「ご苦労なこったい」だが、あとひと踏ん張りである。

 

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■鶴崎居住有禄士族卒御奉公帳

2015-02-24 18:08:17 | 歴史

 鶴崎に居住する熊本藩士は明治維新に至り大分県の士族として記録されたのであろうか。
熊本の藩政史を考えるうえで貴重な資料であり、「鶴崎町史」から引用してここにご紹介する。
我がサイトの「有禄士族基本帳」に加筆すべきであろうと考えている。

                阿部藤次郎(作事方)
                安達勘兵衛
                秋重半之丞(船手)
                有田運次(船手)
                洗    (船頭)
                石川甚右衛門(船頭頭)
                石橋太郎右衛門(鐡炮組)
                岩本伊右衛門
                磯邊新助(船頭)
                池田與作(船頭)
                井上重右衛門(船頭)
                磯谷久右衛門(船手横目)
                石松新右衛門(船頭)
                今井      (船頭)
                伊藤      (船頭)
                上田十右衛門(船頭)
                植田
                内田八右衛門
                宇高源三郎
                小澤忠之助(船頭)
                小篠左衛門(船手)
                小野久助(船頭)
                小川三右衛門(船手)
                岡
                岡田      (船頭)
                尾崎      (船手)
                岡本      (作事方)
                加賀角右衛門(船頭)
                河村喜左衛門(船頭)
                加来久次郎(船手)
                川上
                木岐與右衛門(船頭)
                桑田佐兵衛(船頭)
                小出惣左衛門(船頭)
                小今井長左衛門(船頭)
                塚本茂右衛門(船頭)
                佐野利左衛門(船頭)
                澤
                佐藤      (船手)
                重田吉左衛門(船頭頭)
                島崎庄兵衛(船手)
                島崎佐兵衛(船頭)
                志水     (船頭)
                島田     (船手)
                柴田     (船手)
                鈴木喜右衛門
                須原彌三兵衛(船頭)
                杉田助右衛門(船手)
                杉山
                勢塚清左衛門(作事方)
                袖 九右衛門(船頭)
                田島長助  (船手)
                田中角八
                田村善兵衛
                田邊長助  (船頭)
                高木半助  (船頭)
                武井勘助  (船頭)
                武井彌兵衛(作事方)
                丹後     (船手)
                津野久右衛門(船手)
                續 仁右衛門(船頭)
                利根松五郎
                都甲
                中山與三兵衛(作事方)
                中山清右衛門(船頭)
                中山宇兵衛(作事方)
                中村太兵衛(船頭頭)
                中之子次右衛門(鐡炮組)
                中鶴
                二宮彌左衛門(船頭)
                二宮九左衛門(鐡炮組)
                西村半内   (船頭)
                西郡権平   (船手)
                野原平   (船手)
                野原長三郎(船頭)
                野島
                橋本勘左衛門(船手)
                林田作右衛門(船頭)
                早水治左衛門(船手)
                羽田庄左衛門(船手)
                原 茂助   (鐡炮組)
                姫野
                古野次郎左衛門(船頭)
                古野小十郎
                古野十次郎 (船手)
                富米野金左衛門(船手)
                福浦七右衛門(船頭)
                松本三右衛門(鐡炮組)
                松村久兵衛 (船頭)
                松井勘助
                松尾
                丸山      (船手)
                南 喜左衛門(船頭頭)
                三木清左衛門
                水橋刑部右衛門(船頭)
                水野又右衛門
                山田利左衛門(船頭)
                山由野    (船手)
                吉村角左衛門(船手)
                吉田市左衛門(船頭)
                吉武治兵衛 (船手)
                吉武利兵衛
                渡邊

 その他いろんな資料に氏名が散見されるが、ここでは形の調えられた資料として 「鶴崎居住有禄士族卒御奉公帳」のみを取り上げた。
ご理解をいただきたい。
                                              「鶴崎町史」第四十九章「鶴崎定詰藩士の來住」から引用 

                
                 

                 

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■思いがけずGet「加藤清正傳」

2015-02-24 08:42:32 | オークション

 昨晩ヤフオクを眺めていたら中野嘉太郎の「加藤清正傳」が出品されていた。応札は一人、点数からすると私の1,000倍くらいあるからこれはプロであることは一目瞭然。
締切10分ほど前に先の応札者の価格に100円乗せて一応入札、どうせ負けるだろうと思いそのままにしておいた。

今朝メールをチェックしていたら、オークション落札の通知が入っている。思いがけないことに驚いてしまった。
値段は・・・・内緒。「日本の古本屋」を覗いてみると、こちらから購入してもよかったかなーという感じ。 

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■「旦夕覺書」--風・29(了)

2015-02-24 07:37:55 | 史料

                一、江戸にて歩の御使番の時十左衛門殿三左衛門殿澤伊左衛門奥田傳右衛門毎度出合咄申候 其時分御精
                  進日は定り雲歩法師被召出色々御前にて御咄し御次に出候ては角入なと皆々承申候 外様にても大勢
                  承或は小屋に泊りたる別て多く御座候 十左衛門殿も御親父白雲老御果候由申來忌中に雲歩御呼候て
                  平野九郎右衛門伊藤角右衛門上羽四郎太夫次にて皆共承申候 仁王心の心にてはたとへは鑓を顔に付
                  あて雷落かゝりても驚不申候 たとへは此障子のすきまの風強き物病気者などは致用心候むねに仁王
                  心を持不断居候へは風もひかぬ物と武士の前にて扨も々々死様の事咄申候 十左衛門殿は忌中にて
                  御座候故御尤其外小姓頭物頭雲歩若武者たる者の前にて別儀御語候へ 死様の事は武士の役にて御咄
                  におよひ不申候と可申物をと拙者廿四若く能々承候に何とか挨拶唯今覺不申候へ共伊藤角衛門挨拶
                  承さすか(林)外記打果候自分の額に疵有之程志顕れたるよと神以其刻存候 唯今とくと覺不申候 重て案し
                  出可申候 扨其後十左衛門殿二王かゝせ屏風におし澤伊左衛門雲歩一の弟子とて笑申候 或時十左衛門
                  殿に打寄咄申候折節拙者に是非々々雲歩に咄承候へと御申被成候時拙者申候は先夜次にて承申候 ヶ
                  様々々に被申候 さすか伊藤角右つらの疵顕れ候と私は感申候 私も先祖以来武士を立申者の末にて御
                  座候故出家に習ひ不申とも可死所にては果可申心にて御座候 此頃承候へは雲歩風引薬給申と承候 気
                  味能事と申候 十左衛門殿御申候其心を思ふよりすゝめ申候 是非々々聞申候へと申候哉と御申候故二九殿
                  は未廿にも御成不被成其上に柔和成生れ付殊更圖書殿御嫡子にて後々は侍の頭も可被成候へは色々
                  様々の事御聞被成候か能御座候 妙解院様も澤庵和尚を御別てに被成御兵法の極意は御尋被成候由承
                  及申候 私式とは替り申候 其上私母常々申聞候私顔付母の目にも見ぬ事なれとも傍輩衆にも憎れ可申
                  なと能心得候へと江戸前に就中度々申聞候 二王心を習ひ候はゝつらにも表れ可申候 第一私心にふつ
                  と叶ひ申さぬ事に御座候 神以雞うたひ申迄二夜も三夜も御すゝめ候へ共承引不仕候 同苗文左衛門は終
                  に出合被申たる咄不承候 角入に申候へは御次にて度々承候に其方咄の様成る事終に不承と被申候 其
                  後澤伊左衛門雲歩所に咄居候時坂崎清左衛門殿御出候て此間の禮に参候由雲歩申候はいか成御禮か
                  と申候へはいや此間の御前にて度々御咄候故か戸越に被成御座候事も少止御鷹もおろかに成不申候
                  是はひとへに御咄故と被申候 雲歩申候は扨々存もよらぬ御咄に候私は御國の者乞食坊主同前御門は
                  いり出候時一度々々に是かおさめと存心底に一ツも残し不申萬事申上候 御自身は江戸にては御一人の
                  御役直に可被仰上事と存候由さすか雲歩とて誉申候 拙者申候はいかにも々々々々夫程の事出家の彼
                  身を捨たる坊主の役珍敷からぬ事諫言は唐にも少く有之と聞へ申候當世は日本にも尚少く昔は有之
                  由持懸り々々々にて我身を捨て勤候者さへ少く却て輕薄ついしょふはやり物なとゝ申拙者は終に一
                  座も不仕候 八十に成り候て合點参候 扨々若き故心付不申佛道殊に二王心承候てこそいよ々々心を
                  みかき可申事に候 必々各何事も不捨御聞可有候事と書置申候
                                         八十歳に而書
                           享保九申辰十二月二日         堀内旦夕入道勝重
                                  堀内傳右衛門殿
                                  同  傳次殿


                                             (風の巻・了) 

                  

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■「旦夕覺書」--風・28

2015-02-23 07:24:43 | 史料

                一、右の通御案内御禮廻りの時一人は御駕御供拙者當番の時に番町に大岡佐渡殿大御目附にて御禮に被
                  成御座候時内藤五郎左衛門に御意被成候はあの森の邊佐渡殿屋敷と思召由いかにも左様にと五郎左
                  衛門申上候 初て拙者御招き御尋被成候に付少御左に寄可申候 森よりは余程御左に當申由申上候時跡
                  より五郎左衛門罷出申は御前に御意被成候通に御座候由申に付拙者は其儘下り申候 扨段々被成御座
                  候に付拙者申上候通に御左へ被成御座候 其時又御招被成われかのか能そと御意被成候 惣體御中小
                  姓より上には名を御意被成候 歩御使番はこれ々々とか又は御招被成候 扨御供等仕舞織部殿に参候へ
                  は傳右先日御供にて初て御詞にかゝりたると被申候故成る程左様に候と申候へは御意にても違申事
                  は有様に申たる事は尤に候 御案内の事成れは初て御意承候共そなたの見覺へ候に申事尤に候 今時
                  白鴈多く候 少調候て祝候へと御申候 其時分心付不申御詞にかゝり難有とて織部殿にも不参鴈を調
                  いわるも不仕候 其後承候へは御詞にかゝりたるの何の角のと申時に心も付申付尤五郎左衛門も病気
                  と申させ程なく御断申様に平野九郎右衛門組にて續彦太郎組にて承申候番方へ出申候 結城孫助も熊
                  本にて御隙出申候 拙者如斯の仕合は老父おしへ守り有様に心付申勤候事天の恵地にかけうつる同意
                  に候 能々御吟味可被被仕候

                一、内入御供に被召遣候時織部殿へ禮に参候へは折節庭に出唯今も可有御座候 昔 忠利公御直させ被成
                  候石御座候 其所に居被申候切ゑんに取付喜左衛門儀江戸御供被仰出候 偏に御影と申候へはいや々々
                  おれか蔭にて可有様なく候譯を段々御吟味にて被仰出候 併織部殿にはいきて禮をいやれと御申候 老父
                  存生之内山田竺印上月八右衛門に頼置被申候 其□此比の尾藤助之丞は次男にて金左殿は番頭にて縫
                  殿助殿組の時野瀬甚五兵衛を以御中小姓に被召出江戸御供願被申候 其座にて承候 中々御吟味つよく御
                  中小姓に被召出候事惣領は人により申次男は中々ならぬ事に織部殿御申候 近年見申候へは成能く見
                  へ申候 

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