熊本市内のいわゆる飲み屋街に「追い廻し田端」と呼ばれた所がある。現在では通称栄通りといっているが、地名が示す通り追い廻しの馬場やその南側に低湿地が広がる田畑で、侍町(現在の下通り界隈)と一線を画していた。
馬の調教・教練などを見物しようと人などがあって不都合なことも多かったようである。文化二年の記録に次のようにある。
追廻御馬場山崎之方土手筋垣加■方不宣候付、御掃除方より丈夫ニ御手入致出来候處、間ニは垣を破り入込候者も有之段相聞、
御所柄不埒之至候、依之以来心得違之者無之候、家来/\末方ニ至迄不洩様精々被申付候様、尤廻り役或ハ御掃除方見■之者
より右躰之儀見當り候は不及遠慮姓名等承糺シ、様子ニ寄候ては直ニ押方いたし、其段相達候様及達置候、此段一統可及達旨
候條左様御心得、已下例文
十月 御掃除方御奉行中
付けたし ■は熊本独特の文字で「扌編にメ」と書く。島根県立大学の「e漢字」でも見ることが出来ない。