(126)
一逗留中、津輕越中守樣内大石無人、本多中務樣御内伊藤十郎太夫えも參逢申候、松平與右衛門樣御内内藤萬右衛門、磯谷十郎左衛門母貞
柳と一所に被居申候、貞柳も十郎左衛門死去後病氣指重り、五月二十六日果被申候、病中にも見廻申候、富森助右衛門母義は、助右衛門
舎弟半左衛門、初は麹町に居被申候、後に増上寺裏ちり屋敷と申所に被居候、助右衛門旦那寺淺草長延寺、十郎左衛門旦那寺芝寺町淸休
寺、近松勘六甥文良被居候所は、谷中眞言宗長福寺、八丁堀松平伊豆守樣御組保生太夫近所、與力町に吉川藤次郎。同新兵衛、藤次郎は
矢田五郎左衛門叔父に而、息作十郎、小瘡煩逢不申候、右之衆中、拙者方へも禮に被參候事
(127)
一九月二十五日、御先立にて泉岳寺へ參、金子寺納いたし、出家三人同道にて、墓所へ參候事
(128)
一十月十日、京都へ著致候處に、寺井玄渓被訊候て、音物なと有之、初て對面候、拙者も返禮に參候、子息玄達も在宿にて、ゆる/\語申
候、玄渓被申候は、於江戸内海道億にも御知人に御成候段、扨々御深志の儀、於拙者も忝存候、内蔵之助存命之内、去極月十八日、同二
十四日、二月三日、書狀三通に委細申越候、死後之儀共、傳右衛門殿御京著の上承候様にとくれ/\申越候、越中守樣結構成被仰付、不
及承御馳走共、誠以冥加至極難有、手紙述かたく御座候段、此上も不可有之と申越候、扨々難有儀、私式迄乍憚難有と被申、右内蔵之助
書狀とも見せ被申候、拙者申候は、不苦候はゞ此御狀は御寫被下候へと申候へは、安き事とて玄達寫給候、其紙面
一筆令啓達候、兼而我々存念の通、今月十四日夜同志相催、吉良上野介殿屋敷え致推入候、家來中出合候者は、薙切に討捨、如本意
上野介殿討取、印を泉岳寺へ持參備亡君御影前候、春以來の散鬱憤候儀、大慶御察可被下候、貴丈にも御満足と押計申候、定而先達
而欣悦と、粗及御聞候と令推察候、御同名玄達老御登、可被相達候へとも、討入候次第、引取候樣子、玄達老も、委細御聞届有之間
敷候に付、荒増書付進候、皆共へも御預に罷成候條、暫之餘命と存候内、生涯覺無之、他にも不承及御馳走共、誠以冥加至極、難述
筆紙仕合に御座候、追付罪品も可被仰付と相待罷在候、段々之次第、武運にも叶候儀、本望此上不可有之候、右爲可得御意、餘命の内如此認置候、恐惶謹言
十二月二十四日 小野寺十内
原惣右衛門
大石内蔵之助
寺井玄渓老參
追啓、此書付之次第、同志の者共眷属の内、若も御仕置に洩而、殘候者御座候はゞ、速に被仰聞可被下候、晩秋龜山赤穂に有之者に
は、和田喜六より相達候樣に被仰達可被下候、將又寺坂吉右衛門儀、縦四日の晩迄有之候處に、彼屋敷には不見來候、輕者の儀、不
及是非候、以上
追而一札之事、無相違以時節御あみ立所庶幾無他候、爲其如此書附達候、又々申候、此狀夫々御届候はゞ、此節より便有之との儀、
面々沙汰不仕候様に、被仰聞可被下候
一筆令啓達候、兼而度々被仰聞候御内存之趣承届、御尤之至、別而致感心候、然は今後一同に御下り之儀は、拙者を初、同志願立候
衆、銘々にも申談候通、御下には不及儀と存候、御志を破り候段、無本意可被思召候へとも、元來御勤方違の貴様儀候故、御同道仕
候而は、此方より斷催候かと、萬一人口に可懸候段、互に無本意儀に候、勿論戰場え警役にて供奉之筈之儀に候、是はさすが戰場に
て無之候、然は御止り候儀却て道理當然と存候、御身命をいとひ候て、如此申にては神以無御座候、皆共いか樣にも罷成候はゞ、跡
にては定而世間取々毀譽可有之候、年月之寸志を能御存の貴様にて候間、其時相應之噂被成被下候儀第一之御芳志と頼存候、此段御
聞届、是非共に御止可被成候、奥野将監も此頃の上りに貴公御噂被申候、右同前に宜相心得、拙者より可申達と、呉々被申置候、猶
惣右衛門、傳兵衛、源五右衛門、源四郎、十内等、面談可申述候、恐惶謹言
傳言、川村伝兵衛、進藤源四郎、此時迄将監一列也
八月六日 大石内蔵之助
寺井玄渓老
(129) 愛欠か
一玄渓宅は、京都柳馬場押小路上ル西側にて、内匠頭樣に相勤居申候、内海道億は、江戸住居にて宕下通り居被申候由候事
(130)
一片岡源五右衛門妻子借宅は、伏見兩替丁筋銀座にて尋參候、妻之弟有之候に逢申候事
(131)
一淀川船中より上り、八幡山大西坊に尋參候、本社之後に結構成住居座敷、チウタイの間の樣成所も有之、段々馳走なと被致候、大西坊は
二十斗と見え申候事
(132)
一大坂天満丁九丁目、茜屋次郎兵衛借宅、樋口杏庵と尋候へは、和田喜六も此所に居被申候故見廻申候、尤拙者旅宿へも被參候、是は浪人
にて、原惣右衛門娘四人預り居被申候事
(133)
一早水藤左衛門頼之、大阪町與力大森次郎兵衛と申仁、天満與力屋敷に居被申候、潮田又之丞頼之狀も遣し申候事
右之通候間、貴殿御奉公も相勤、若江戸罷越被申候節、此面々ゆかりと申候て、自然尋可被申事も可有之候、其時無音なと無之樣にと書
置候也
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古城貞吉校
今回を持ちまして「堀内傳右衛門覺書」は終了致しました。