古今肥後見聞雑記に、小天・野出についての興味ある記事があった。
一、明和元年甲申年夏の比飽田郡白濱村邊玉名之内小天村と
の間に海邊に湯涌出ス同年秋に至て小家出来るよし
一、飽田郡野出村に古へ領主有し野出殿と云 館跡今に有と云按るに野出に住し三名(三名字衆)
の内にてハ無キヤ不分明 曽て領主に一女ありしか領主の児小姓に千馬と云
し者有て是と密通の事あるを領主耳に入大二怒て千馬
を殺害す其母なげき伏沈むと云事里俗の口牌にあり然とも
何の年と云叓を不知今土俗童唄にうたふて云
小天峠からよんて来る雨ハ千馬母御のなき泪
と云り其墓小天村に有印に松木有といふ千馬の墓の邊ニ
時々今に火が出る事有り土民センマジョウノ火と云り右の
童唄ハ河内谷邊にうたふと云
熊本県の広報サイトに「小天温泉・玉名市」があるが、次のように記している。「温泉の発見は、意外に新しく明治のはじめといわれています。しかし、古くからの地名に「湯の浦」とあることから温泉としての利用はなされていなかったものの、湯がわくことは知られていたようです。」 明和と明治では100年ほどの開きがあるが・・・・・・?
上記見聞録に有る温泉湧出の場所がはっきりしないが、白浜と小天の間の海辺に湧出したとあるから、当時の地形などを考えると小天温泉なのではと思われるが如何であろうか。白浜は熊本市河内町の一番はずれに当たり、玉名市小天と隣とおしである。
熊本からこの小天にいたる野出峠は、夏目漱石の「草枕」で知られる所だが、このような話は今回の見聞録の記事で初めて知ったことである。
悲しい話だが童唄などが残されたというが現在はどうなのだろうか。センマジョウとは千馬丞なのか・・・・
古の悲しい話は数多あるが、もう地元でも忘れられた話かもしれない。
教育委員会か小天の区長さんなどに尋ねてみようかしら・・・・・・