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寛永五年三齋は愛娘万(烏丸光賢室)一家を中津に招いて歓待している。
その経過を書状により追ってみる。
・正月廿九日書状(620)
万三月初京を立候て當地へ下ニ付 迎船二月廿二三日之比上せ申候 五十丁立之舟ニ屋形
ノ御入候を船頭一人のせ候て借可給候 櫓を一はい御たてさせ有へく候 水夫ハ此方
ニ存之事
・二月廿五日書状(630)
万迎ニ遣候五十丁立之船給候 一段能舟ニ而祝著候
・三月二日書状(631)
(前略)烏丸宰相殿京を来八日ニ発足之由候 此分ニ天気能候は 當中旬比可為著船と存候
期面之時候
・三月十五日書状(632)
(山田)喜齋事去一日二日之時分京を出候由于今不下候 ふしんニ存候 上関まて迎
舟を出し置候へとも其左右も無之候 已上
万下候事侍従(資慶)疱瘡故延引候 はや験にて去八日ニ湯をかけ候由注進候 来廿日
ニ京都可有発足由候 當月合時分可為下著と存候 廣嶋より参由候て 西條之枝柿一箱給候
則賞玩申候 味勝候 満足申候
・四月三日書状(633)
(前略)侍従殿船中にて風邪ひき候てハとの用心ニ相延 今日三日京発足之由候
・四月九日書状(634)
海上仕合能昨日八日宰相殿(光賢)御著候 然は内々申候 能来十四日ニ興行可申候條 其方
次第来儀待入候 為其申候
・六月廿五日書状(650)
如承 宰相殿上ニ天きよく喜悦候 上ノ関まて送ニ遣候者帰申候 二日めニハとも(鞆)
かしもついまて可為著と申候
・七月七日書状(656)
(前略) 今夕御慰と申候へ共 當地ニハ乱舞之事なく候へ
ハ別ニ何事も無之候 花火仕候者給候 烏丸殿へ此よし申候ヘハ満足かり不大形候
我々も見物可申と喜悦候 小倉より参候舟も帰朝之由珎重候 めつら敷花鳥参候由候侍従
殿逗留之内ニ参候ハゝ鳥を見度由にて候間少之間御かし有へく候 (以下略)
・七月七日書状(657)
追而申候 車火・りうしや・ねすみ火初ニ見申候 事之外慰申候侍従殿(資慶)其外子たちの面
白かり無申計候 此地ニハ何も見せ申遊無候 此比ハ徒然處持給候 満足申候
・七月八日書状(658)
(前略) 万宇佐へ社参申度候間明日召連参候
・七月十八日書状(662)
(前略) 万遣舟之祝儀ニ来廿五能興行可申候間 加平次・かすや新九郎・狂言兵吉
廿三日ニ當地(中津)へ著候様ニ可給候事
・七月廿六日書状(666)
万上ニ付色々子たちまて被遣一段満足かりにて候 珎鳥とも御みせ候 かうちのきし
めつら敷候 侍従殿へ鳥三ツ御やり候 禁中へノ進物ニ可仕との事にてをとられ候
残ハもとし申候
・八月十二日書状(667)
万は九日ひる時分大坂へ著候由申来大慶候 よろこひ事ニ四五日中ニ能可仕と存候事
(完)