著者:桐野作人氏より3月7日第一刷発行の御著「明智光秀と斎藤利三・本能寺の変の鍵を握る二人の武将」を御恵贈給わった。厚くお礼を申し上げる。
作中で紹介されているある資料の出典をご連絡申し上げただけの事である。しかしこの資料はあまり顧みられることはなかったので、見つけていただくとともにご紹介いただけたことに大変うれしく思っている。手元に届いたばかりでまだ詳しく読んでいないが、一気に精読したいと思っている。
11
まはら成躰ニ而居申由申候 城ゟ夜討をも打
申候ハヽ中/\こたへ申間敷と相聞へ申候事
一、肥後守様御人数被差向候儀御無用と
上使衆ゟ被仰進下候由申候 榊原飛騨殿ゟハ御
子息伯耆江戸ニ被居候けるか今朝行方知不申候 別
頃城ニ被居候ニ付鍋嶋勢かせき不申候哉別
夜討なと候ハヽ取紛たる内ニなへ嶋殿御子息御
両人今度之大将ニ御出候を味方之内ゟ打可申かと
候て鍋嶋殿取立之侍衆ハ内證其用心と聞申
由申候 又鍋嶋殿をとなの内ニきり志たん御座候由
も申候 実正ハ知不申候事
一、右嶋原表之儀ハ 肥後様ゟ度々御使ニ被遣候
永
山本三四郎・長良長兵衛・町正市丞へ申候を承候事
〃
新型コロナウイルス感染拡大防止に伴う臨時休館のお知らせ
■熊本県立図書館及びくまもと文学・歴史館は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、2月28日(金)から3月15日(日)まで臨時休館いたします。
■熊本市立図書館・とみあい図書館・植木図書館・城南図書館・プラザ図書館
2月29日(土)から当面の間
■熊本現代美術館 2月29日から当面のあいだ閉館することといたしました。
■熊本城特別公開 3月1日(日)から当面の間(3月1日、8日、15日は確定、それ以降は未定)中止
(寛永三年十一月)廿四日
| (是友)
| 廿四日 御横目米田甚左衛門
|
横目坊主入牢 |一、御横目坊主玄佐、籠者被 仰付候、曽根ゟ熊谷九郎兵衛召連、被罷越候、則籠ニ入申候事、
罠ニカゝリシ木莵 |一、規矩郡内徳光ゟ、ミゝつくわなニ懸り候をとり上ヶ候、横山九助ニ相渡し置候事、
ヲ鷹匠へ渡ス |
| (政朝)
本多政朝へ蜜柑 |一、本多甲斐様へ被進ミかん壱籠、御船頭南次兵衛ニ相渡候事、
|一、飯銅庄内・石寺加兵衛ゟ京都へ被上候を、右同人ニ相渡候事、
| (有吉英貴)(三淵重政) (牧興相)
中津家中借米増借 |一、中津衆ゟ、頼母殿・右馬助殿、左馬殿へ書状参候、只今之御借米斗ニ而ハ、礑飯米ニつまり、う
ヲ願フ | へニ及申候間、御増借を被成下候様ニと、被申越候、如何御返叓被成哉と、右御三人衆御登城
| (松井興長) (米田是季)
談合 | 被成候而、式ア少輔殿、監物殿へ可被成御談合通、申候事、
中津ヨリノ肴買入 |一、中津ゟ、当津ニ御肴買奉行両人被為付置候、御肴持候者三人居申候へ共、今朝迄ニ中津へ参候ニ
| (鰤)
奉行 | 付、只今ぶりを御買被成候へ共、遣候儀成不申候由、御肴奉行被申由候而、吉田少右衛門登城被
| 仕候間、則次飛脚を以進上申候事、
焼火ノ用ニ黒木調 |一、深野左助所ゟ、御焼火ノ御用ニ、黒木の誘ニ仕候而、上ヶ可申旨、曽根ゟ被 仰下候間、則御薪
達ヲ薪奉行ニ命ズ | 奉行ニ申付候事、
| (規矩郡)
黒木ノ拵 |一、黒木誘ニ西大野へ御鉄炮衆一人申付可遣通、篠山勘右衛門ニ申渡候事、
江戸ヘノ蜜柑六千 |一、江戸へ、岡嶋二兵衛持せ被下候ミつかん六千を、かこ拾弐ニ入候由、山中弥次右衛門・熊野半左
運送方 | 衛門被申候、但、馬二疋ニ付申はすノ由、わく四つさし、其行ニかこ十二入候由也、
筑後へ鴨買入 |一、深野左介奉りにて、筑後へ鴨買ニ、明石源左衛門与池田次兵衛・佐分利兵大夫与ノ高林村七兵衛
| 参候也 〃
| (宗由)三淵家初代・重政の弟、500石
江戸へ年賀ノ使者 |一、三淵藤十郎殿、江戸へ年賀之御使者ニ被遣ニ付、上様幷方々へ馬代銀いつれゟ出申哉と、御尋
祝儀馬代銀之出所 | ニ候、それニ付、惣銀ニて可渡哉、御自分ゟ可渡哉と、金子・中神ニ相尋候へ共、か様之御使ニ
惣銀ヲ渡ス可否 | 被参衆ニ、惣銀ニて渡り申たる例無之由候、さてハ御自分ゟ可出哉と申候処ニ、是も例無御座由
| 被申候ニ付、さてハ明日ノ御出船ニ、曽根迄得 御諚申儀も不相成候間、藤十郎殿書物取置、入
相渡 | 申ほと、江戸ニて御遣候而、重而得 御諚、御意次第ニ可仕ニ相談相究候事、
使者先ズ私ノ銀子 |一、三淵藤十郎殿ゟ、御使者ニて被仰越候ハ、右之馬代銀之様子、今度先私之銀子ニて、何とぞ仕舞
ニテ済ス | 見可申候、罷帰候て之儀ニ可仕候間、可被得其意との御使ニ付、得其意申候通、申遣之事、
忠利ノ水風炉ノ居 |一、そねゟ深沢百介奉ニて、御すいふろノ御おり湯桶御用候間、御納戸衆へ申持せ可遣旨、被申越ニ
湯桶ノ用 | 付、則御長柄衆両人ニ御鉄炮衆弐人相そへ、遣候也、
|
閏年や一日遅き花の春 子規
正岡子規の句である。そうか春の到来が例年より一日遅いか・・・うまいな~とほとほと感心してしまう。
「閏(うるう)」という字は「じゅん」と読むが、「本来は門構えに壬(じん)」が本当ではないかといいはる友人がいた。
王はどう考えても「じゅん」とは読めんという。ご高説は左の耳で聞いて右の耳から聞き流したが、随分のこだわりだった。そのご仁、名前が潤一だった。
しばらくして、「そういう説もある」という先生の話をきいて、してやったりという顔でまた講釈を受けた。
4年ごとの2月29日を迎えると思い出す話だが、その友人とも会う機会が全くなくて面影さえ浮かばなくなった。
例えば「正閏」という言葉がある。「南北朝正閏論」の正閏だが、この場合の「閏」は「本来あるもののほかにあるもの」「正統でないあまりもの」と解されている。この意味を気にしていたのかしらと今では思ったりする。
お~い、潤一元気にしてるか・・・
(寛永三年十一月)廿三日
|
| 廿三日
| へ
蜂須賀忠英ヘノ使 |一、阿波ゟノ御使、此度ハ被差延、被遣間敷旨、そねへ才兵衛をめし被 仰下候事、 忠利曽根の茶に滞在中
者派遣中止 | 〃
| 本多
|一、あ波守様へ被進之候ミかんの内、壱籠五百入、甲斐守様へ可被進之候間、藤十郎殿舟ニつミ、
| (政朝)
| (室) (名村)
| むろの左太夫ニ 御書もミかんも可相渡 御意、飯田才兵衛奉、
|一、江戸へ被遣ミかんも、井谷莵右衛門替ニ参候者二可遣旨、 御意之事、
| ?猩々緋とは緋色のものをいう?
黒ノ猩々緋上方ニ |一、上方へ申上せ、江戸へ之為御音信ニ、くろきしやう/\ひ百間、当暮やすく可有之と被 思召候
テ購入 | 間、可買調候、左候て、来正月五日ニ江戸へ之御物可被遣候間、其次而ニ、江戸へ越候様ニ可申
| 遣、御意之ふく事、来ル廿五日ニ出船可仕旨、 御意之事、
|
| (久我梨) (喜左衛門)(與兵衛)
久我梨買入 |一、こかなし五つを、銭三百文ニ国東ニてかい来候、金子・中神所へ遣、ひかへニ付させ由候事、
|一、続少右衛門被罷帰由ニて、登城被仕候事、
香箱ノ金銀吹ノ横 |一、友田二郎兵衛与ノ久兵衛、御香箱ノ金銀ふき申横目ニ遣候也、
目 |
|寛永三年十一月十九日
加子二百五十人 |一、弐百五拾人之御加子之事、 白井兵介
| 鏡善右衛門
| 右之弐百五十人之御加子、方々ゟ戻次第
賜暇 | 追々成共、御暇遣可被申候、但、月引な
| しニ御暇可被申候也、
召替船四十二丁立 |一、御召替四十弐丁立ノ御加子四拾弐人之事 白井兵介
| 鏡善右衛門
| 右之御加子乗組ハ、相定御役目ニハ
| いつれノ御舟ニても方々へ遣可被申候也
| 右之分ニ肩書仕、遣候也、
|一、弓削與次右衛門、知行所ゟ被罷帰候由ニて、登城被仕候事、
| (国遠)
長崎判紙ノ請取 |一、我等長崎判紙三枚、道倫へ遣候を、慥ニ請取申候也、 飯銅庄内(花押)
|一、庄村ニ左衛門儀、御台所へ被参、左介手伝可被仕由申渡、遣候事、
| (典通)
稲葉典通歿 |一、稲葉彦六様御遠行被成之由、 殿様そねへ被成御座候ニ付、そねへ注進御座候、そねゟ 御書被
之書状 | (稲葉一通)室・忠利妹・多羅
一通へ弔問ニ時付 | 遊、民ア少輔様江戸へ被成御座候ニ付、御飛脚両人申付、時付にて江戸へ可遣旨、式ア殿へ被
| 仰下、則申付候、御小早御船頭ハ中靏弥吉、御飛脚ハ山田市左衛門与ノ藤崎新介、続亀介与ノ前
| 川茂次右衛門遣候也、
誅伐ニ様斬 |一、伊藤武左衛門今日誅伐物被仕候、売わきさしニてきり被申候処ニ、殊外きれ申ニ付、其段可申上
売脇差ニテ殊ノ外 | 由ニて、そねへ被罷越候事、
切ル |
| 大たか
高麗ヨリノ兄鷹ヲ |一、下関伊藤木工允所へ、高麗ゟ○兄鷹売ニ参候ハヽ、可被申越由申入候処ニ、参次第可申上由之返
求ム | 事、他国之段ニ入置候事、
京ヨリ袖判持参 |一、御小早御船頭小出惣左衛門、京都ゟ御袖判持参申候事、
| (ママ)
|十一月四日ニ遣弐十人
薩摩ヘノ飛脚ニ銀 |一、薩摩へ被遣候御鉄炮衆西沢文右衛門与ノ田中左兵衛、御小人ノ九右衛門、薩摩ニて、弐人間ニ銀
子ヲ給与サル | 子壱枚被下候由申候、今日罷帰候事、
|
奥方が買物から帰ると「二三軒回ったけど、トイレットペパーがない」と怒っている。
誰やら買い占めをしているらしい。これは国内事情ではなく、海外へ流れていくものだろうと思われる。
スーパーなどに出かけると、外国語が飛び交っている。マスクを求めて動き回る人たちも多いと聞く。
トイレットペーパーについては、パニックになるということはあるまいけれど、そうそうため置きもなかろうから、店頭から姿を消すと不安も募る。
ティッシュについても同様らしい。
そうなると洗浄便座なども買い占められるのではないか等と、いやな連想をしてしまう。
もっともコロナウイルスの騒ぎで、T社の便器などの衛生陶器などの製造や輸送などに支障をきたしているらしく、納期が遅れて、建築現場は頭を痛めているらしい。
中国の人口は14億人、生産・流通が停滞すると、勢い日本に於いてこのような現象につながる。
日本政府は、コロナウイルスの抑え込みに躍起となっているが、このような現状の解消にも心してほしいものだ。
トイレットペーパーを求めて、明日も又、奥方の行脚が始まる。
10 所ニ人数弐百四五拾候て被置候由申候事
一、内膳殿ハ子息御陳取ゟ弐町余程跡二黒田右衛門
佐殿てつほう三百丁侍拾人二てかこい居被申候
由申候叓
一、立花飛騨殿有馬玄蕃殿両手ハ内膳殿
御陳所ゟ二三町跡に内膳殿を置候ニ付両手
之衆先手へ遣被下候へと度々被申候へ共無御同心
後陳ニ被置鍋嶋勢へ斗かせき候へと度々内膳殿
被仰候由申候 此王けハなへ嶋勢ニかせがせ時分を
諸勢王るすいをいたし鍋嶋勢も差而働不申候
右之分ニ申居候由被申候時ニなべ嶋勢寄口ハ足入尓
御座候由申候事
一、きり志たんハてつ本うも打不申城々間王り二白
昇を一間程ニ一本宛立内々はこう地をやり見
事ニ家作いたし居申由申候 朝夕之いけふり
少もたち不申候か何たる■ニて御座候哉とよせ衆 ■(状=さま)か
不審かり申由申候事
一、寄衆之御陳所ニハ長門殿外ハ柵をもふり不申
(寛永三年十一月)廿ニ日
|
| 廿二日
|
| (東福門院和子)
親王誕生ノ祝儀ニ |一、今度 中宮様 若宮様御誕生ニ付、方々ゟ御太刀上り申はすニ候ハヽ、能被聞合、只今被成御上
太刀進上 | (葵)
長光ノ鞘ノ葵紋ヲ | せ候長光ノ御太刀ノさや、青いノ丸ノ内をけし、きくニ仕直シ可申 御意ニ候事、
菊ニ仕直サム |
| あがり 御太刀
|一、御太刀上り申候ニ究候ハヽ、右之分可仕直候、上り不申候ニ究候ハヽ、仕直間敷由、 御意ニ候
| 〃〃
| 事、
| 御
祝儀ノ太刀進上ハ |一、今度之御祝儀ニ御太刀上り申筈ニ御座候ハヽ、 上ヶ可被成ためニ、国本ゟ長光ノ太刀上せ被申
板倉重宗ノ指図次 | (重宗)京都所司代 (秀成)
第トス | 候、此段板倉周防様御さしつ次第と被申越候通、周防殿へ、佐藤少三郎被罷出、被得御意旨、被
| 仰出候事、
| (秀政) 様
祝儀ノ進物津田與 |一、今度御祝儀ニ上り、様子万事ノ儀、津田ノ與庵を以、周防殿へ可被相尋候、若其分ニてはか不参
庵ニ肝煎ヲ頼ム | 候ハヽ、六条ノ 殿様御宿主如庵を頼、周防殿へ万事内証ニ而頼可申旨、被 仰付候、表むきハ
| 與庵様ニて被調候様ニとノ 御意ニ候事
|
津田興庵という人 津田興庵という人 - 2
つ
禁中ヘノ使者ノ人 |一、禁中様へ之御使者ニハ、寺嶋平兵衛ニ而も可相済様子ニ而候ハヽ、各ノ下々迄も被付、はきりと仕
選 | シ
| 出可申旨ニ候、但、平兵衛とをりのものニてハ悪敷候ハヽ、急度可被下候、道家次右衛門を御
| 使者ニ可被成御上せ旨ニ候、其元能聞合られ、早々可被申下候由、 御意ニ候事、
|
| (細川忠隆)
諸方ヘノ書状 |一、休無様へ之 御書一つ、
|一、山田喜斎へ之 御書一つ、
|一、宝珠院殿へ之 御書一つ、
| (烏丸光賢室、三斎女)
|一、御まん様へ之 御書一つ、
大坂京都買物奉行 |一、寺嶋平兵衛・小野九右衛門・佐藤少三郎・石本三介、此四人へ之御書壱つ、
| (田中氏次)
| 右之分、北原新十郎万事ニ而、被 仰下候を、與左衛門奉次候事、
進上太刀ノ仕直 |一、右之御太刀たゝなく■■見苦と存候ハヽ、仕直シ可申旨、 御意ニ候事、
太刀ノ飾金具ヲ菊 |一、御太刀ノ金具、あかり申ニ究候ハヽ、此方ゟ伊藤ブ左衛門・成田與平次ゟ、菊桐ノ御金具上せ被
桐ニ改装ス | 〃〃〃
| 申候間、其元ニて被仕直仕はめ被申、前ノかなくハ此方へ下シ可被申候事、
| 〃〃〃
| 分
松井興長旱損ニヨ |一、速見郡式ア少殿御知行日損ニ仕ニ付、御銀子被借下候へ共、わきニて才覚可仕候間、御銀子ハか
ル借銀ノ断リ | り申間敷由、使兵左衛門ニて被仰越候事
|
| (ママ)
| 廿二日
| (蜂須賀忠英) (蜜)
蜂須賀忠英へ蜜柑 |一、阿波守様へ密柑被遣御使者ニ、深野新介被遣との儀、申上せ候へとの 御諚候、新介人或間敷候
進上 | (ママ) (慰英)
| 間、御加子を如御意上せ、それニ持被蜜柑ノ持せ可遣之由被仰出候、新介下候ハヽ、仁保太兵衛
| (ママ) 〃〃
| ニ持参候へとの被仰出候、
|
| (ママ)
| 廿二日
| 可遣旨
曽根ノ茶屋不寝番 |一、曽根へねすの夜番ノ者八人不破角丞・湯浅角兵衛両人ノ小頭ニ申渡候、 忠利泊にて逗留中
忠利ノ革着物入ノ |一、そねへ御かわきる物ノ入候御はさミ箱を、歩之御小性井田小兵衛持せ被参候事、
挟箱 |
| (鞍馬、山城愛宕郡) (初 穂)
鞍馬山初穂料 |一、くらまのくわせうゐんへ、銀子弐枚御はつをとして可遣旨、式ア少輔殿ニ被 仰付由、加々山主
| 馬登城被仕候而被申候、則銀子ハ奉行手前ゟ被請取候而、被相渡候事、
蜜柑籠ノ調達 |一、江戸へ被遣候ミつかんの入候かこノ儀、山中弥二右衛門方へ弥堅申付遣候事、
| (三淵宗由)
|一、藤十郎殿御上りノ御舟ニ、岡嶋田兵衛御上せ可被成旨を申遣候事、
| 松
|一、御太刀持登候御舟頭石枩作内ニ上方都上り被申付、大坂ゟ遣銀可被相渡旨を、寺嶋方へ申遣わ候
| 〃
| 事、 (ママ)台
小袖二十載ノ台 |一、阿波守様へ御使者被遣候ニ、太兵衛又新介両人間被遣候ニ、御小袖廿のり之代入申候を、先ニ而
| (入江)
| 調候様可申遣候事、勘三郎被申聞候、
石清水八幡宮松ノ |一、八幡ノ松ノ坊へ、当年之御はつほ銀、京都にて相済申候由、加々山主馬被申候事、
坊ヘノ初穂料 |
高仁親王誕生祝儀 |一、中宮様 若宮様被成御誕生ニ付、御太刀幷 御書、我々状も文箱弐つニ入、小早御船頭石枩作内
ノ太刀書状 | ニ渡、上せ申候事、
|
ヤフオクに於いて「エンタイヤ」というくくりがある。消印が押された手紙・ハガキの事だが、これを収集する人が多いことに驚かされる。
私は、その消印が押された書面に興味をもって時折ながめているが、今回は次のようなハガキを発見した。
明治天皇が崩御された数月後の新年のあいさつ文である。
「諒闇中」のことであり、年賀は差し控えるというものだが、改元に伴う初めての新年に際しこのようなものを印刷している。
「諒闇」などという言葉も知らないから、ググってみると、「諒闇(りょうあん)とは、天皇が、その父母の崩御にあたり喪に服する期間。」とある。
そういう時期だから国民も喪に服して、年賀も遠慮するという訳だが、一般庶民の文章としてはこれで良いのかとも思える。
添えられた挨拶はほとんど現在の年賀状のものと同じではある。
ちなみに明治天皇の崩御は明治45年7月30日であり、則大正元年と改元されたが5ヶ月後はこのハガキの如く、大正二年という訳である。
大変興味深く、ご紹介するものである。
(寛永三年十一月)廿・廿一日
|
| 廿日
| 次
豊後横目へ音信ノ |一、豊後ノ御横目衆へ、蘆田與兵衛御使者ニ被遣候処ニ、御小袖弐つ宛被下候由被申候事、宇野七右
使者ニ小袖ヲ給与 | 衛門所ゟも書状給候事、
サル | (栗野)(加藤)
速見郡蔵納当物成 |一、速見郡御蔵納、田畠共ニ当物成皆済目録、宇野七右衛門所ゟ被差上候を、伝介・新兵衛へ相渡候
皆済目録 | 事
| (曽根村、規矩郡) 桑原主殿与
赤貝取ノ舟 |一、赤貝取之舟を、今日そねへ廻可申旨、山田忠三郎にて被仰出候、御■鉄炮衆○五郎兵衛を遣、申
| 渡候事、
|
採銅所ノ赤銅山見 |一、採銅所之赤かね山之様子、春木金大夫見及可申旨、道倫御使にて被 仰出之由ニ而、緑青出申候
分 緑青ヲ持参ス | を持参被仕候、道倫ヲ以可被申上通、金大夫ニ申渡候事、
金山鉄炮足軽小倉 |一、金山へ被遣候御鉄炮衆、小倉ニ而御蔵納之田ヲ作り、御年貢納申ニ付而、かわり候て山へ参候由
ニテ蔵納ノ田ヲ作 | 候、御年貢も早々仕廻候て、不替ニ参候様ニ可被申付通、山田加左衛門へ申渡候也、
り交替シテ勤務ス |
曽根之宿割奉行 |一、曽根御宿割奉行歩ノ御小性黒木三太夫ニ、御供衆ノ書立相渡、遣候事、
|
|
| 廿一日
|
忠利泊鷹野 |一、今朝そねへ、御泊鷹野ニ被成御座候事、
| (東福門院和子)
高仁親王誕生 |一、中宮様若宮様御誕生ノ注進のため、御小早罷下候、則上方ノゟノ 御状共、そねへ次飛脚ニて上
| (高仁親王)
| ヶ申候事、
| (広門)
筑紫広門室 |一、筑紫主水殿御内儀、御送候て被参候村上半右衛門、今朝下着被仕候事、
大坂城普請ノ鉄炮 |一、大坂ニ詰居候御鉄炮衆・御長柄衆、御普請仕舞申由ニて、下り申候事、
長柄足軽下着 |
| (正次)
日損幷出府ノ供ニ |一、芦田與兵衛、例年ハ御借米かり不被申候へ共、当年ハ知行日ニ焼申候、其上来年御供之筈候間、
ヨリ借米願 | 御借米かり申度通、理り被申上候、来年御供候間、かし可被申由、松本彦進・豊岡甚丞へ申遣
候也、
知行懸り物 |一、福田吉介、知行懸り物ノ儀ニ付、書物被差上候、新地同前ニ御座候間、懸り内ハ御座有間敷儀と
| の紙面ニ而候、併、吉介方ハ親善右衛門被放御扶持ニ付而、親知行、則吉介ニ被下候間、新地同
| 前にてハ有之間敷候、飯銅庄内なとニも親知行を被下候へ共、是ハ初被下候へ共、親知行ニ上納
| (ママ)
| 物大分ニ御座候ニ付而間、被下候とても身躰罷成間敷由候間、知行ハ被召上、御扶持方被下候様
| 〃〃 〃
| ニと理り被申上、御扶持方被遣、被 召置候へ共、其後又御知行被下候間、是ハ親知同前ニ候
| 条、各別にて候間、申渡候事、
忠利ノ太刀ノ用 |一、御太刀共不残、北原新十郎そねへ持参可仕旨、被成 御書、則申渡、新十郎持参被仕候也、
| (菊野)
江戸ヘノ進物 |一、江戸へ御進物共、いつ調可申候哉、伊織ニたつね可申通、 御意野由にて、熊谷九郎兵衛ゟ申来
| 候間、則林角兵衛にて、伊織へ申届候ヘハ、明日飯田才兵衛参上被申候間、様子具ニ可申上候由
| ニ候事、
江戸ヘノ書状 |一、江戸への 御書共調候て、飯才兵衛明晩そねへ持参可被仕旨 御意ノ由、熊谷九郎兵衛ゟ申来候、
| 則才兵方へ申渡候事、
親王誕生ノ注進ノ |一、中宮様 若宮様御誕生之注進ノ御小早、去十三日ニ大坂出舟仕候て、今日ミの刻ニ小倉下着、延
小早延着ノ弁明ヲ | (白井) (鏡)
船頭惣奉行書上グ | 引之由そねゟ被成 御書ニ付而、則兵介・善右衛門へ申渡、きんミ仕、をそく罷下候子細之書
| 物、兵介・善右衛門仕候を、そねへ指上ヶ申候事、
|
朝山斎助姉下着 |一、斎助あね下着候ハヽ、夜ニ入、ふねゟあかり、風呂なとたかせ候て、入申候様ニと 御意之由、
| 熊谷九郎兵衛ゟ被申越候間、則林角兵衛方へ申渡候也、
|