津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(8)

2019-05-31 13:16:53 | 家紋

                                                  

  ■西村作左衛門は「西村新一(南東8-6)家」の6代目、((傳左衛門)とも、新知百石
                寛政五年一月~寛政九年一月 八代郡代を勤めた。

   家紋は「杏葉」か

  ■西村又七は「西村又十郎 (南東8-9)家」の5代目
   家紋は「丸に?」

  ■西村運蔵は細川家家臣略歴には名前が見当たらない
   家紋は「丸に?」
  西村文蔵の名前も併記されているが?こちらは「西村弾蔵(南東8-17)家」の7代目

  ■西 八兵衛は「西 源次郎(南東7-12)家」の 6代目・兵四郎(八兵衛)である。
   家紋は「丸に松葉菱」

  ■丹羽源吾は「丹羽尉一郎(南東8-5)家」の 6代目・源五 八代御城付組脇・八代御番頭組 五百石
   家紋は「左巴」

  ■二宮新右衛門は「二宮新一郎 (南東8-1)家」の6代目・弁五(新右衛門)と思われる
   家紋は「隅立て角に六つ丁子」 肥陽諸士鑑では「八つ丁子」「蛇の目」の二つ

  ■仁田四郎作は代々御中小姓の「仁田四郎左衛門 (南東8-11)家」の6代目、寛永九年から文化八年まで五か所の郡代を勤めた。
   家紋は「隅切り角に?」

  ■仁保多兵衛は「仁保角平(南東8-8)家」5・6・7代が多兵衛を名乗り人物の特定ができない。
   家紋は「丸に三つ引両」

  ■西浦久之丞は「西浦流藻・九郎兵衛 (南東8-14)家」の4代目。
   家紋は「丸に左三階松」

  ■西岡濃助は「西岡乾太(南東8-13)家」の7代、佐敷御番を勤めた。
   家紋は「梃子に釘抜き」

  堀 丹右衛門は「堀 丹太 (南東9-1)家」の5代目・丈八(丹右衛門・勝文)である。
    名は勝文、字は廉卿、一名大簡、丹右衛門と称す。堀氏五代にして平太左衛門の子なり。食禄三千五百石、藩の家老たり。
                   文政七年四月十日没す、享年八十二。
   家紋は「餅に石持地抜き三つ星」及び「不詳」   肥陽諸士鑑に於いては「丸に三つ星」である。

  堀 次郎右衛門は「堀 勝馬 (南東9-2)家」の 5代目・次三郎(次郎右衛門)  大組附九百五十石
         天明三年家督 五十石減知九百五十石 小姓頭、番頭 文化五年六月歿・五十七歳

        家紋は「隅切り角に石持地抜き三つ星」及び「八重桔梗」
参考:上記堀家二家の系図

  ■堀 尉右衛門は「堀 渡 (南東9-18)家」の4代目・尉左衛門・通景(養子 実・沢村主膳子)である。
     700石取だが上記二家とは別系である。

   家紋は「隅入り平石持地抜き蛇の目」

  ■堀 求右衛門は「堀 逸人 (南東9-23)家」の7代目・求右衛門(岡右衛門)佐敷御番で400石
   家紋は「隅立て角に梅鉢」肥陽諸士鑑では「梅鉢」「隅立て角に六耀」の二つが記されている。

  ■堀 歴次は「堀 新吾 (南東9-24)家」の4代目である。
   家紋は「隅切り角に三枚柏?」

  堀部義之助は「堀部次郎(南東9-6)家【甚之允系】」の 6代目・義之助・庸直(養子)、御番方200石
   家紋は「四つ目結」

  堀部右学は「堀部源次 (南東9-4)家【右学系】」の 5代・右学・清貞) 御物奉行800石
   家紋は「丸に繋ぎ四つ目結」 肥陽諸士鑑では「四つ目結」「丸に四つ石」の二つが記されている。

  堀部藤馬は「堀部 安 (南東9-3)家【文五郎系】」の 4代目・藤馬金宣 御奉行触御知行取・江戸詰御奉行触 定府200石 
   家紋は・・・記載なし

参考【赤穂浪士・堀部弥兵衛関係四家】
竜田藩片桐出雲守家臣  同左・後浪人  浪人・正保4年来・肥後  慶安元年(1648)召出
 堀部助右衛門---弥兵衛---+--次郎左衛門---+--甚之允---+--三右衛門・・・・・・・・・・→甚之允家
             |       |     | 
             |       |     +--重蔵(左近右衛門)・・・・・→右学家
             |       |     |  
             |       |     +ーー伊右衛門(成田家養子)
             |       |
             |       +--庄兵衛・・・・・・・・・・・・・・・・・→庄兵衛家
             |         元禄16年(1703)召出
             |                                                     
             +---弥兵衛ーーーーー+==安兵衛====文五郎・・・・・・・・・・→文五郎家
                      |         ↑
                      +==文五郎ーーーーーーーーー・
                     弥兵衛妻わかの甥・忠見氏

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元和七年御印帳(八月朔日~廿九日)

2019-05-31 06:15:49 | 細川小倉藩

       |  八月朔日
       | 一、星山九兵衛御扶持方八人扶持可遣候事 

知行之口明け | 一、懸り米・御借米無之知行ハ口ヲ明可申候、又懸り米・御借米有之知行ハ当年被成御取立程 
       |   引退、残知行ハ給人次第ニ米可出ス候事 
       | 一、乃美主水家屋敷黒田蔵人ニ被遣候事 
                              
乃美主水・景嘉 (父・浦兵部允宗勝)
                                (大阪御陳)手ニ合候者---七月朔日御饗応、御褒美被下候
                                銀子廿枚 鑓ハ不合、首ニ討取、生捕壱人、此外内之者首三討取 (綿考輯録・巻十九)

                              黒田蔵人召出しの経緯(大日本近世史料・細川家史料 7-1710  元和五年十月十五日書状 )
御召舟    | 一、御召舟六拾丁立之だいかきの道具大阪へ申上せ可買下ス之事 
       |
       |  八月二日
木屋理右衛門 | 一、木屋理右衛門尉貸米之儀御城米同前ニ被仰付可被下候間、八木千石下シ候ハヽ先一年之所
の貸付米   |   御心得被成旨御諚之事 
       |      (朽木)
       | 一、薮図書ニ内匠前廉之下屋敷壱ヶ所被下候事 ●                  
                                                                                     薮 図書・正成  (1)馬廻組四番組頭 二千石 (於豊前小倉御侍帳) 
                               中村一氏家老近藤左近養子、同家断絶後牢人 元和三年忠興に仕、牢人分にて知行
                               千五百石 内匠歿後知行召上られ、新知二千石 本姓藪に改 承応元年八月十日歿
                              (父・内匠、政一(初・弥次右衛門 忠綱)  壱万二千石
                               中村式部少輔一氏に仕、江州日野の内二千九百石領地、後九千石
                               同伯耆守代様子有之致仕 京都牢人頭 忠興豊前召寄壱万石、のち大隈知行二千石加増
                               都合壱万二千石 元和五年八月五日歿・八十一歳(肥後藩・主要系図)
                               娘は長岡主膳信友室(後の大和松山藩初代藩主・・四代目以降柏原藩主
                               織田出雲守(一ニ出羽守)高長
                              

                              朽木内匠・昭知(与三郎 昭正)(1)馬廻組・組頭 朽木、父ハ朽木六兵衛昭貞 「源」 三千石 
                                                    (於豊前小倉御侍帳)             

                               部屋住にて知行千石、番頭、着座 家督後上着座、島原陣手負
                               寛永十九年八月致仕、隠居料百人扶持 寛文十一年九月十三日歿、七十一歳
                              (父・三渕弥次郎、朽木六兵衛・昭貞 細川幽齋実兄・三渕藤英二男)
                               秀吉に仕、後家康に召出さる、藤孝・忠興に召呼ばれ現米二千石、後奉願知行二千石
                               元和九年六月十一日歿   
              
                  

       | 一、御船頭舟瀬理兵衛せがれ少吉ニ理兵衛跡を被仰付御諚之事 
       |
       |  八月三日~四日は欠
       |
       |  八月五日      (錠)
       | 一、所々御番無之御門之しやう・かぎの入候箱林弥五右衛門・川田八右衛門尉ニ被成御預ケ御
       |   諚之事 
       |
       |  八月七日
       | 一、伊藤金左衛門尉・入江仁兵衛田原山之湯へ御暇遣候事      田原山(鋸山)大分県杵築市、標高542m
                                         湯とあるのは山香のことか      
下毛郡奉行  | 一、木村九郎兵衛下毛郡奉行ニ被仰付候事 
       
       |  八月八日欠
       
       |  同九日
       | 一、御のほりの衆廿五人三人扶持ニ御切米八石被遣、かたを被成御免可被召置御意之事 ●
中津衆明屋敷 | 一、中津へ罷越候衆明屋番之事、何れへ成共かし、前かとの家主之番ノ者引可申候事 
       | 一、御詰衆御役儀引可申候、但小豆嶋へ遣申分ハ其まゝ置、江戸へ御供仕候ハヽ直ニ召連可申

       |   事 
       |
       |  十日欠
       
       |  同十一日
知行折紙の発 | 一、手嶋三郎右衛門尉ニ下毛郡之内田口村ニ而御知行五拾石被下候間、私共判ニ而折紙可遣旨

給      |   御意之由、飯田才兵衛奉りニ而申渡候条折紙遣申候事 
       | 
       |  同十二日
       | 一、藤懸蔵人ニ御米三拾石・大豆弐石無利ニ借被下置御意之事 
                              藤懸惣左衛門(蔵人・永勝)  
                               物奉行 五百石 (於豊前小倉御侍帳)
                               * 藤掛蔵人内儀(冷泉為将長女) 百石(於豊前小倉御侍帳)
        
                       * 藤懸蔵人内儀消息  細川家文書・御印之物より
                                  藤懸蔵人内儀へ米拾俵遣候間可相渡者也
                                    寛永三年十二月廿八日 tadatoxi(忠利印)

       | 一、宝之岩村左大夫知行百石如前々被遣候御意之事 
       |  (貼紙・異筆)
       |   「次めノ御印取候へ共可改事」

知行物成の蔵 | 一、市村重左衛門尉知行物成当年ハ如前々御倉米二而可被遣御意之事 
米支給    |
       |  十三日~廿八日は欠
       
       |  同廿九日
       | 一、御鷹匠上野六右衛門女房渡辺三十郎ニ九月廿日迄御預ケ被成候条、其後又女房之儀可申

       |   上事 
       

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■サボテンが咲きました

2019-05-30 12:53:20 | 徒然

            

            今年もサボテンが咲いてくれました。今年はなんだか花が小さいようですが、ピンクをおびて奇麗です。
                      (写真ではピンクが飛んでしまいました・・・)
            1999年娘が結婚した時に、お客様に高さ3センチにも満たないサボテンをお贈りしました。
            我が家には二鉢有るのですが、こちらは大きいほうで18センチの高さに育ちました。
            孫の成長と共に、毎年奇麗に花が咲くと大変うれしく思います。あとの一鉢はまだ花芽がついておらず、
            今年は無理かもしれませんが・・・・

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■綱利の須佐美源左衛門宛 宛行状

2019-05-30 08:08:33 | オークション

                               

                    須佐美源吾家二代・須佐美源左衛門宛の綱利の宛行状である。
                          細川家家臣・須佐美氏

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■木下宇太郎記録するところの松井氏の諫言

2019-05-30 06:54:25 | 木下韡村日記

  天保十五年十二月廿八日の「木下韡村日記」に、松井氏が藩主綱利に呈した「諫言」の書を紹介している。
そしてこの諫言の書を呈したのは松井壱岐(だと紹介している。
これらは明らかな間違いであり、この「諫言」の書は松井興長が呈したものである。
こういう大先生が書残されたものだから、当初は信じ込んでしまい、大いに頭が混乱してしまった。
最末尾にその出典が記されており「續兵家」における「茶話」を「日夏繁高」が撰したとある。

       妙解院様江長岡佐渡指書二通 1

ここで紹介しているスキャン史料は、宝暦期の大奉行・堀平太左衛門が密かに書き写したとされる「秘書」だという。
上妻博之先生の書写によるものだが、上段部分とニ段目中央あたりまでが、宇太郎が書き写している諫言の部分に該当する。

後段の諫言文は松井文庫所蔵であり、図録「ザ・家老 松井康之と興長」でも紹介されている。
「木下韡村日記」の翻刻は、早稲田大学の島 善高教授のご努力によってなされたものだが、このことについてのご指摘はない。
大変影響力のある貴重な資料(日記)であるから、向後刊本になる機会があれば「頭注」にでも記していただきたいものだと考える。

 後書き部分四行の記述も大変興味深いが、「出頭(出世)用人知行取上、両人共ニ遠流」とあるものの一人は堀江勘兵衛だと思われる。
又「岩間主税(鈴)、片山典膳甚出頭」したのは事実だが、「家老と成壱万石つゝ授之」という事実もない。
家老になったのは木村豊持で、細川采女正利昌(新田支藩2代藩主)二男を養嗣子(豊章)に迎えている。
いつまでも藩主の座に縋りつく綱利に諫言して隠居させたのも、この木村豊持である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一、本庄通見煙
  細川家の長臣松井新助、其始光源院殿に奉仕し、其後細川幽斎ニ
  随身し、幽斎より長岡氏を授け、長岡佐渡守康之と改称セリ、其
  男長岡佐渡興長は三斎カ妹聟となり、後年寛永九年申肥後封国の
  時、興長八代城代と為て禄五万石(三万石)を領知し、其男佐渡寄之、其男       
  佐渡直之、其男佐渡某、元禄十年丁丑壱岐と名改、其男即今の佐
  渡某也、世々細川家第一之長臣也、図書興顕と云有、何か不知
  然るに右の壱岐之代ニ當て主人越中守綱利、行跡不冝沙汰有り、依          
  之一封之諫書呈セリ

一、御當家者御先祖幽斎公、三斎公、忠利公、於所々戦功被励、尤
  武道専一御心懸有之候故、近代迄御家風相残、諸士武藝心懸候
  處、當御代至諸御家中武藝止、遊興長日送候、是皆 殿様武藝御
  嫌有而御遊興与宗被遊候故、諸家中学之風俗悪敷罷成候事
一、昼夜酒御好被遊、終夜御酒宴之儀、御近習之士も労御養生も不
  可然候事
一、御代々忠勤励候侍者被捨置、當時任御出頭、御小姓之美麗成者
  共江ハ過分之高禄被下候事不可然候事
一、忠勤之励候も無御加増、又新参ニ無功者江ハ高知被下候故、御
  代々之侍共不快存候事
一、不相應之金銀被出、跳子被召抱、毎度之跳御見物不可然、別御
  慰も可有之事
一、近年御出頭用人致出来候而、諸事渠等申上候事御承引被成候
  故、両人中悪敷者ハ讒、又懇意成者ハ不奉公仕候而も能様ニ取成
  申上候事
一、此度御参勤之節、御側廻等に美簾殊更御小姓道中之過美、御
  代々無之儀、不宜奉存候事
一、近年之御物入、御代々無之儀御座候故、御勝手及困窮候事
一、御遊興被長、公儀之御勤愚罷成候儀不可然事
一、御奥之女中任御寵愛我侭申候、是皆 殿様女中之申次第被成候
  故、御威勢借我侭申候事
一、公儀訴訟之儀、御出頭用人江贈賄送候得□□人非公事も利有
  之様ニ申上、又不叶筋之訴訟も相叶候様ニ申上候事
一、ケ様之品々 公儀ヘ相知候者、忠利公以来之御領国危ク奉存候
  事
  右之條々御承引無御坐候ハヽ、八代之城地并私知行指上、長御暇
  拝領可仕候、恐惶謹言
      月日           長岡佐渡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→松井壱岐ではなく松井興長である。
 

  右願之通相達、綱利江も至極過分之旨ニて、則出頭用人知行取
  上、両人共ニ遠流也 但名不知、其後又岩間主税、片山典膳甚出頭、女
  人形仕隠居時、家老と成壱万石つゝ授之、而又料理人山本武左衛
  門悪人形仕甚出頭セしと也 以上、續兵家茶話日夏繁高撰

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■月刊誌「ひととき」が紹介する、地震後の熊本の今

2019-05-29 10:38:36 | 書籍・読書

旅の月刊誌・ひとときの6月号が発刊された。
時代劇研究家の春日太一氏が熊本を訪れ、各地を訪問して多くの人たちと語り合いながら取材をされた。

とくに熊本城石垣の復旧にかかわる記事が目を引く。ご一読をお勧めする。

   新品本/ひととき  旅の月刊誌・ひととき

 

 

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■元和七年・御印帳(七月廿一日~廿八日)

2019-05-29 10:25:46 | 細川小倉藩

       |  七月廿一日
       | 一、御鉄炮衆御門番ニ引申分抱たし可申旨御意之事 

城下諸口の米 | 一、御門諸口御米留之儀如前々之ニ可仕事 
留      |
郡々人足遣  | 一、御郡々人足遣之儀過分ニ人足入申候ハヽ御印を取遣可申候、少々之儀者御自分之者を
       |   可被遣候、若御自分之者指相候時者駄賃ニ而可申付事 
       |
       |  七月廿二日
       | 一、額賀二郎左衛門御隙被遣事 
       | 一、高野徳右衛門御のほり小頭藤田弥兵衛相衆ニ被仰付候事 
       | 一、末久左介・岸茂介両人御台所御肴幷ニ人足之分被成御預ケ御意之事 
代官の任命  | 一、加藤新兵衛・中嶋茂左衛門・坪井五郎大夫・恵良半右衛門尉御代官被仰付候事 
       |
       |  七月廿三日~廿四日は欠
       
       |  七月廿五日
米払の手伝人 | 一、御米払申手伝拾弐人、内四人ハ抱可申御意、残而八人ハ御小人衆加へ申候へとの御意之事、
       |   かさねて宗立様ゟ御指帰被成時引かへ可申御意之事 
       |    (ママ)
       |  七月廿五日
       | 一、大崎五郎左衛門家屋敷河井権丞ニ被遣候、同所之そはに明屋敷御座候を御宿守へやのため
       |   ニ河井権丞ニ被遣候事 
       | 一、東ため池矢倉之御番仕樽井左衛門尉、小篠次大夫組へ被成御入候事 
郡中懸物   | 一、御郡中へ之御かゝり物毎年員数定候而、かゝり申分者此方よりふれ不申候共時々ニ納候様
       |   ニ可仕候、員数不定物者其時之積次第ニ可申付旨野田小左衛門尉・田中猪兵衛両人へ申渡
       |   候事 
       | 一、下村己安家三上宗於ニ被遣候事 
       |
       |  七月廿六日~廿七日は欠
       |
       |  七月廿八日
       | 一、本庄長五良ニ谷三丞家屋敷可相渡御意ニ候事 
       | 一、煩人のり物ニのり候事先年宗立様仰付ことくニ可仕事
姫様借銀   | 一、小篠次太夫・西郡長次良両人ニ御姫様御借銀取立候へととの御意ニ候事 
       |                             
 御姫様とは忠利の正室・徳川秀忠養女千代姫(小笠原秀政娘)の事だと思われる。
                                                                                                            結婚に際し細川家からお化粧料として五千石が贈られた。                                                                                                                                      これらの内の一部が家臣たちに貸付されている。詳細はなかなか伺い知れない。

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■御恵贈御礼「秀林院の謎」

2019-05-29 06:15:20 | 書籍・読書

                                                                                

 御著「秀林院の謎」を御恵贈いただき深く御礼申し上げる。
著者「小倉葡萄酒研究会」の小川研次氏は、今回多くのキリシタン関係の資料を精読され、ガラシャを中心に夫・忠興や忠利、関係する宣教師、切支丹信者である家臣などを取り上げて見事な検証の成果をこの御著にまとめられた。
豊前の「葡萄酒」は、ガラシャの御霊に捧げるために作られたとの深い想いが一貫している。「葡萄酒LOVE・ガラシャLOVE」に覆われている。
小川研次氏とのお付き合いは「葡萄酒」を通じてだが以前、氏の御著「小倉藩葡萄酒事情」を御恵贈いただて以来お付き合いが続いている。
忠利公が上田太郎右衛門に葡萄酒を作らせ、これが記録に残る日本で一番古い葡萄酒の醸造の始まりとされており、地元では「がらみ」の栽培が始まり、葡萄酒の再現が試みられ成果を出し始めている。

 上田太郎右衛門は曾祖母の実家に連なる先祖である。
私は諸資料から太郎右衛門に関することを調べ、ある程度の成果を得たが限界があった。
その後、熊本大学・永青文庫センターの後藤典子氏の「小倉藩細川家の葡萄酒造りとその背景」が発表され、また北九州市立自然史・歴史博物館の永尾正剛氏の論文「細川小倉藩の『葡萄酒』製造」が発表されるなどして大きな成果となって表れた。■回想・細川家のぶどう酒製造
忠利の葡萄酒」を味わうことが出来る日を待ち望んでいる。

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■細川家起請文の世界

2019-05-28 11:25:33 | 書籍・読書

   D0224 図録 細川家の起請文の世界 熊野 午玉宝印 古文書 細川三斎 忠興 忠利 藤孝 幽斎 熊本藩 永青文庫

  現在ヤフオクに3,240円で出品されているが、永青文庫に直接注文すれば新品が1,500円+郵送料360円で入手できる。
 これは東京の永青文庫で平成27年3月21日(土)~6月28日(日)に開催された 春季展「細川家起請文の世界」の図録である。
 熊本ではその前年「第30回熊本大学付属図書館貴重資料展」で「誓いを立てる武士たちー細川家血判起請文の世界ー」展が催されており、
 それを受けての東京開催となったものである。
 「事実は小説よりも奇なり」というが、誠にその通りで大変興味深いものがあり、「目から鱗が落ちる」。
 時代小説でもものにしようと思われる諸兄には為になる一級資料である。

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■元和七年・御印帳(七月十一日~廿日)

2019-05-28 06:39:49 | 細川小倉藩

         十一日

職人町の町家 |   (職人)
売買            | 一、志よく人町之家、奉公人相たい仕買候而不苦御意之事     
中津・小倉の | 一、御米之納様中津と小倉違可申、三齋様被仰付様よく候由御蔵奉行衆へ申渡候事
蔵米納入方式 | (からむし)                  (修理)           (料)
       | 一、苧御年貢代ニ請取申事、幷諸々寺社領何ほとしゅり料、何ほとハ宮寺れうとの儀書出シ可
       |   懸御目旨野田小左衛門・田中猪兵衛ニ申渡候事
       |   岩石か)  (松茸)
       | 一、がんじゅくの松だけ出来次第如前可取立候、不入分ハ所へ人を遣塩付ニ可申付、御台所人
       |   壱人・久右衛門壱人可遣之由申渡事
小倉城下の  | 一、町之火用心由断仕候ハヽ奉行よりよこめを出シ、由断のものハ右ゟ如御定過銭を取可申す之
火用心    |        (沖)
       |   由、町奉行仲津弥五右衛門・吉田勝右衛門ニ申渡候事                   森鴎外著「興津弥五右衛門の遺書」
御用米    | 一、上野弁城ノ木御用木可有之間、唐人むさと不切様ニ御郡奉行向四郎左衛門・山本次郎右衛    福岡県田川郡福智町弁城
       |   門ニ申渡候事 
       |             (突棒) (刺股)
       | 一、所々の御門ニおき申つくほう・さすまた上方へ申遣候事 
家中訴状の処 | 一、御家中より上り申訴状見分候而、我等とも不及分別儀者年寄衆へ可申候、年寄衆さはきニ
理方式    |   不成儀者言上可仕事 
       | 一、香山半大夫家住江甚兵衛ニ被遣候事               
(幕)
       | 一、四拾弐丁立之新造、三拾六丁立之新造弐そうの分御舟のかきノ本を定、まくむらさきニ御
       |   紋白ク付ケ下シ可申通、京山田七左衛門・山崎吉左衛門・唐沢長介方へ申遣候事 ● 
       |        
参考 「細川氏御座船鶴崎入港図」 (大きくしてご覧ください)

御召舟    | 一、六拾丁立之御召舟のあかねまく、色上ケニ右両人かたへ遣シ候事 
猪膝・大里往 |   (猪膝)   (大里)
還筋での米・ | 一、いのひさ・たいり両所へ当年之以来を弐拾石三拾石大豆相応ニ遣置、往還之者ニ時之相
大豆販売   |   場ニ所之庄屋・年寄・百姓ニ宛置うらせ、銀子とき/\ニ上ケ可申す事 
       | 一、銀山へ一ヶ月ニ米六石、あなた灰吹百六拾目遣、為御奉行まふ壱ツニ御小性衆壱人宛五日
       |   替ニ申付、右之米銀子拾日切ニ可遣事  
       

       |  (十ニ日~十八日 欠)
       
       |  十九日
       | 一、万事御奉行御算用之仕様、面々さはき申しな/\の切手を揃、御帳奉行所へ持参申、御帳

       |   ニ付申時小払之上ケ所ニ其奉行之判をいたし、惣上ケ所にハ御帳奉行判をくわえ候筈之由
       |   諸御奉行へ申渡事
       | 一、井上道意ニ銭之談合仕、則銭を下申はすニ申上せ候事 
小倉町人の銀 | 一、銀山へ当町之者ほり申度候者、ほり候へと御意之通沖津弥五右衛門尉・吉田少右衛門尉へ
山採掘    |   申渡候事 
金銀米加判  | 一、金銀米加判松本彦市・栗野伝介両人之者可仕御意之事 
       |
       |  七月廿日
       | 一、野田喜兵衛妻子御代官所へ引越可申御意之事 
       | 一、林弥五左衛門・河田八右衛門役儀引可申御意之事 ●
       | 一、井谷莬右衛門ニ御代官被仰付御意之事 
上り家・上り | 一、上り家・上り屋敷望次第書付ケ上ケ可申御意之事 
屋敷     | 
       | 一、御年貢方ニ布・木綿可被召上御意之事 
種子・籾   | 一、籾種子郡々毎年御定之分百姓手前ニ残シ不置、こと/\く  
       |   所小庄や請取惣庄や手前請取御代官衆請取被置郡御奉行衆切手可出事相尋候て御蔵ニ詰可置御意ニ候 
       |   種子籾之外ニ付而籾弐石五斗宛余けい残可置御
       |   諚之事
       |    (高台院)     (蜂須賀至鎮)   (孝蔵主・高台院付上臈
       | 一、かうだいいん様、八すか千松様・かうざうすへ当九月ゟ毎年正五九月之呉服被進せ由
       |  (宗朱)                                                       
       |   そうしう院様へ可申上御意之事 ●              蜂須賀至鎮の生母は忠利室の姉妹(小笠原秀政娘)故義甥
       |

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■日常句

2019-05-27 14:13:48 | 俳句

                  ひこばえの又一段と 五月雨

 過日いささかの雨が降っていたが傘をさして散歩に出た。
桜並木の老木は枝が朽ち落ちたりして痛々しいながら、残った枝々は新緑に覆われている。

そして根元にはひこばえが幾筋も枝を広げつつある。ひこばえは元の木を弱らせるというが・・・・

 最近は暑さもまし、毎日毎日古文書や歴史関係の本に接していると、少々疲れも増してくる。
時折脳みそを休ませるために俳句に関する本に親しみ心を癒している。
自らは「才能ないな~」と思いながらもふと思い立ってメモを取ったりしているが、懲りない爺さまである。
                       
                  蛾の飛びて ひと騒ぎせし妻の息     津々

ただ日常を五七五に託し、ボケ防止の文字遊びををしているだけである。ご披露するにも至らない駄句ばかりである。

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■お安く読むー最近の四冊

2019-05-27 12:50:54 | 書籍・読書

 ここ一週間の内に購入した四冊、こうして並べてみると建築を生業としていた自分をどこかに意識しているように思えて、驚いてしまった。
 外れなしの本ばかりで納得・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ■東京大学名誉教授・建築史家 藤森照信著 「天下無双の建築学入門」 ちくま文庫       

         人はいつから「家」に住むようになったのだろうか。自然の中で暮らしていた人間が家を建てるようになったのはいつから
    なのだろう?
       山や川、木や石などに神が宿っていると信じていた頃からの心の習慣が、日本建築の中にはそこはかとなく生き続けている。
       柱とは?屋根とは?天井とは?建築史家であり、建築家でもある著者が、初学者に向け、屋根、床、柱、窓、雨戸、ヴェランダ
     など建物の基本構造から説く気鋭の建築学入門。

                        ã‚¯ãƒªãƒƒã‚¯ã™ã‚‹ã¨æ–°ã—いウィンドウで開きます  藤森氏設計の細川護熙邸(湯河原)の茶室・一夜亭  右・藤森氏

 ■エミール・ギメ著・岡村嘉子訳「明治日本散策 東京・日光」 角川ソフィア文庫

           明治9年、宗教と文化への関心から来日したフランスの実業家ギメ。憧れの地を人力車で駆け巡り、近代日本の目覚めを体感
    するとともに、消えゆく江戸の面影に愛惜を募らせてゆく。茶屋娘との心の交流、浅草や不忍池に伝わる奇譚、料亭の宴、博
    学な僧侶との出会い、そして謎の絵師・河鍋暁斎との対面――。のちに東洋学の拠点となる美術館の創始者が軽妙な筆致で綴
    った紀行を新訳。詳細な解説、同 行画家レガメの挿画を収録する。

 ■ヤマザキマリ 「ヤマザキマリのリスボン日記」 (朝日文庫) 

        創作の源泉はポルトガルのリスボンにあった!イタリア人姑との攻防、運送業者との果てなき戦い、日本の風呂への渇望、古
    代ローマ遺跡へのときめき…。『テルマエ・ロマエ』の作者がヨーロッパの果てで綴った、笑いと涙と煩悩あふれる爆笑日記。

 ■橋本 強司著 俳句的人生 開発コンサルタントが詠んだ118句 (幻冬舎ルネッサンス新書) 

       長年、ODA(政府開発援助)の一環としてJICA(独立行政法人国際協力機構)の技術協力に携わってきた著者。
     テロ被害の中、カブールの新都市開発を目指すアフガニスタン、洪水常襲地で道路整備を進めるミャンマー、10メートルの盛
     土の上に工業団地建設をするバングラデシュ…。発展途上の地に降り立ち、数々の現場を見てきた開発コンサルタントだからこ
     そ感じる、人々の夢、希望、自然の豊かさを「俳句」という形で表現する。

 

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■元和七年・御印帳(七月朔日~十日)

2019-05-27 05:40:43 | 細川小倉藩


       |     七月朔日
       | 一、炭・油・薪余へ渡シ候時、請取人之切手ニ久右衛門加判之事 ●(忠利公朱印以下同)
       |                     (組)

       | 一、荒木五郎介、西郡長二郎・嶋又左衛門両人与ニ被成御入、御役当年ハ被成御免、元和八年
       |   ゟ可仕旨被仰出候事 
新造風呂舟  | 一、新造之御風呂舟与右衛門ニ御預ケの事                         御風呂舟

       | 一、四拾弐丁立之新造五郎介ニ御預ケの事 
       | 一、六拾丁立前かとゟ之御召舟甚右衛門ニ御預ケの事 
       | 一、新平だ小今井長左衛門ニ御預ケの事 ●                         平田船
       |
       |     七月四日
       |  (小倉城松の丸)
       | 一、松丸ニ有之味噌御小人・御中間・御小道具衆へ被下候事 
                    | 一、大橋くさり之御番所へ夜中ニ明候ハて不叶儀候ハゝ、三齋様如被仰付御手しるし可被遣候
       |   事 ● 
                江戸時代の常盤橋 大橋(元禄5年~7年に架け替え後、常盤橋と呼ばれるようになった)
                                 

                

       |      (錠)   (鍵)
       | 一、三ッ門しやう・かき前かと如被仰付、山路左介ニ被成御預ケ候事 
       | 一、御船大工谷右衛門屋敷吉田源七郎へ被遣候事 
       | 一、坂本二兵衛御扶持方如前廉七月四日ゟ可相渡事 
       | 一、野原善太郎預り之御門之かき其侭善太郎ニ御預ケの事 
       |
       |     七月五日
       | 一、加こ抱申時、何成共役儀ニめいわくの儀候ハゝ加申上由、御船頭かしらへ申渡之事 ●   
       |
       |    (七月六日・七日欠) 
       |
       |     七月八日
矢野利齋屋敷 | 一、佐川平助屋敷矢野利齋ニ被遣候、となりの町屋敷利齋かいたし、平介屋敷と一所ニ可仕之
       |   由申上候へは、御屋敷のち/\迄一所ニ仕事無用之由被仰出候事 
下毛郡代官欠 | 一、下毛郡御代官両人之内壱人中津へ参申ニ付、不足之所ニ野田喜兵衛御代官ニ被仰付候事 
員時の手当て |
       |     七月九日
菜園場新仕子 | 一、御さいゑんば荒仕子御切米・御扶持方、当年之御蔵米ニて可被下候、来年ハ御さいゑん所
       |   田畠ニ而御わり付可被下之事 ●          (小倉)
新造船帆布の | 一、新造之御船帆・同まく・ぬのもめん・御かい物奉行ニ申当町にて調可申旨被仰出候事 
調達     |        (金錨)   (鞆)
       | 一、新造之御船かないかりともにて調可下旨被仰出候事 
       | 一、御船之かゞす調可申旨被仰出候事                       かがす→【蚊絣/蚊飛白】か?
       | 一、新造之御船之御屋形道具・同御船之御ふろ道具、大坂にて調下り可申旨被仰出候事 
       | 一、新ざうの御船ノかき道具、大坂にて仕下り可申之旨被仰出候事 
御召船    | 一、新ざうの御召船ノつかひ・水竿、何も樋ノ木を以大坂にて仕下り可申之旨被仰出候事 
       | 一、大田八郎右衛門ニ馬詰勘左衛門家屋敷被遣候事 
       |
       |      七月十日
かねかいや茂 |   (仲買屋)
兵衛屋敷の売 | 一、かなかいや茂兵衛家屋敷之事、売申候へと従三齋様被成御意之通申上候ヘハ、御意之通ニ
却      |   可仕之旨被仰出候事 (忠利公朱印なし)
       |(忠興側室・藤、松井興長室)
       |     ↓ (忠興二女)  (不明)  (不明)     

知行口明け  | 一、松丸様・おこほ様・おさい様・恵光院様、御四人之御知行之口如前々明ケ可被遣之旨被仰
       |   出候事 ● 
       | 一、川口御番籠者被仰付候へ共、とが被成御免シ籠ゟ罷出申者如前々川口之御番被仰付候事 ●
       |


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■齊茲公書状

2019-05-26 09:04:57 | オークション

                  江戸時代大名 肥後熊本藩第8代藩主 越中守 細川斉茲 書簡 消息 肉筆 Yahoo!かんたん決済 注目

           

         宛名が切り落とされているのが残念(有るとないとでは大違い)。内容は何の変哲もない新年の挨拶状でである。

             
             

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■暑中お見舞い申し上げます

2019-05-26 07:49:56 | 徒然

 熊本は20日の30度につづいて昨日は32.4度、これには体調がついていけず昼食後にはベッドに倒れ込み、しばらく午睡を取った程であった。
以降ずっと頭痛が続いている。今はどんより雲が出ているが、日中は良い天気になりそうで32度の予想が出ている。
今日は朝の散歩にも出かけておらず、図書館へ出かけて後江津湖の遊歩道を散歩しようと思っていたが、やめたがよさそうである。
数年前熱中症にかかり、公園の木陰の中のベンチで寝込んだことが有るし、一度はもうろうとして道を間違えてしまい自分の居所さえ分からなくなってしまった。
携帯で確認するととんでもないところに来ていることが判り、熱中症の恐ろしさを経験した。
奥方と「太陽と地球の間の距離がちじまっているな~」などと馬鹿な会話をしているが、5月中のこのような暑さは異常で、老人には本当の堪える。
少々時期が早いが「著中お見舞い申し上げます」御自愛のほどを。

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