津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

光岡 明氏死去

2004-12-23 08:19:08 | 歴史
 在熊の直木賞作家光岡明氏が亡くなられた。
皇太子が結婚されて何年になるのだろうか。6・7人がやっと座れるような
スナックで飲んでいたら、入って来られたのが光岡氏、「皇太子の結婚が
決まった」とおっしゃる。そんな出会いが思い出される。
まだまだ頑張っていただきたかった。在熊全国区の人が又消えた。
                                      合掌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「川越名号伝来記」その後

2004-12-06 11:27:03 | 歴史
 宇土細川家に在ったと伝えられ、かって太閤秀吉が愛蔵したという
「川越名号」についてその伝来記が見つかって当サイトで紹介した。
いかにも和歌の道の達人らしい幽齋の逸話として受け止めていた。
ところが小野武次郎が著した細川家正史「綿考輯録」は、忠興の事
として紹介している。しかし詳細な内容には触れていない。
この食い違いに些か頭を悩ましていたところ、広島市の高橋様から
貴重な情報が届けられた。江戸末期の広島の医術士で儒学者の野
坂完山という人が著した「鶴亭日記」というものに、この「川越名号伝
来記」が記載されているというのである。文章を見ると全く同じ物であ
り、当方サイトにおいて「読み」が分らず、伏字にしておいた部分まで
が一挙に解決してしまった。そしてこれはまさしく細川幽齋に関する
逸話であることが証明された。綿考輯録の著者小野武次郎の間違
いであろう。「鶴亭日記」は野坂完山が40年にわたり記したもので、
当時の広島の社会、経済、文化などを知る上での貴重な史料となっ
ているという。                先人の偉業に頭が下がる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

疲れる

2004-12-02 16:24:43 | 徒然
 三刀屋田邊記(續群書類従638)をタイピングしているが、遅々として
進まない。仮名交じり文の故だ。濁点がないから中々読みづらいし、漢
字も旧字でどの程度まで残すかに頭を痛める。七合目を突破といった処、
さて完了は何時の事やら・・・・                  疲れる
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする