鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.3 <訳者解説>2 ~教理統一方式~

2016年09月08日 | バプテスト自由吟味者の道





【教理統一方式】

 第二の方式の話に入ります。

 教理統一方式は、初代教会が発生してから、約百年ほど後、紀元後二世紀に出現しています。

 これが出来る経緯は次のごとくに推定できます。






【参入障壁の低下】

  初代教会は冒頭から爆発的成長をしました。
 
 新しい宗教運動が急成長すると、近隣者は気味悪く感じるものです。

 初代教会に対しては、人々は恐怖と怒りで集会を襲撃したりしました。

  にもかかららず教会は成長し続けました。

 開始後30年で、信徒がローマ帝国全土に散在するようになりました。

+++

  宗教活動が広く普及するようになり、かつ、思ったほど有害でないとわかると、人々は徐々にその存在を容認するものです。

 キリスト教活動もそうでした。

  また当時のクリスチャンには、いのちを投げ出しての病人看護活動などを積極的にする人も多くいました。

 それもあって、迫害する人は急減していきました。

 こうしてキリスト教会への参入障壁は、様変わりに低くなっていきました。





【現世利得は多々あった】

 教会ではまた、発足以来、メンバーが生活面でも互いに助けあっていました。

 「信徒はもてるものを使徒たちのところに提供し、使徒たちはそれを信徒の必要に応じて分け与えていた」
    ~と聖書にあります。(『使徒行伝』2章44~45節)。

 教会では加えて、病の癒しも現れ続けていました。

  一般人はこのような現世利得を得られることも、徐々に知っていきました。

 そうなると、人々の教会への参入欲求は上昇傾向をたどります。

*****

  教会参加への障壁が低下し、同時に参加誘因は高かった。

すると、現実的な利益を得るのを主動機にして、教会に参加を希望してくる人が、急増します。

 キリスト教会は「来る者拒まず、去る者追わず」という大原則で活動する組織ですから、こういう人々も受け入れます。

 その結果、紀元二世紀に入ると、この種の人々が、新参加者の大半を占めるようになりました。






【指導者が聖書の要約をつくる】

  かくして信徒の数は急増した。

 すると、運営上の新しい問題が、教会に起きてきます。

 新会員の大半の人々には、自ら聖句吟味活動を実行する力がありませんでした。

スモールグループに編成してあげても、できないのです。

+++

 彼らの聖句へ探究心は強くありませんでした。

 文字を読めない人も多数いたでしょう。
 
 裕福だがビジネスが忙しく、教会活動に多くの時間を割くことが出来ない人もいたでしょう。

+++

  それでも彼らの世話を任された指導者たちは、彼らにある程度、聖書の思想を知ってもらわねばなりません。

 教会員の自覚を持ってもらうためにも、それは必要でした。

 結局、聖書を簡素に要約して、「これがキリスト教の正統な教えだよ」と示すことになりました。

 こうして、教理統一方式が萌芽したのです。

このころ、イエスの直接の弟子たちは、もう死んでいませんでした。





【自由吟味方式の実像】

  ここで初代教会でなされてきた聖句自由吟味方式の実像をのべておきましょう。

 聖句を自由に探求吟味していくと、誰もが体験することがあります。

 探求過程で、奥義と感じられるものを発見できるのがそれです。

 そのとき「真理を見出した!」という霊的感動と深い喜びが得られます。


+++


  こんどはそれを、スモールグループでの相互吟味の場にもっていきます。

 披露すると、同意をうけることが多いです。

 人間は解読過程で同じような奥義にぶつかるものだからでしょう。

 もちろん 霊的感動という心情体験もわかりあえます。

 他のメンバーが、その解読の展開を試みてくれることも起きます。



  その結果、メンバーは聖句解読において、基本的なところで同意・共有できるものを多くもつことになるのです。

 それ故、個人の聖句解釈自由を原則にしてやっていっても、解釈が個々バラバラになってしまうことなど、起きません。

 教会がバラバラに分裂していくこともありません。

 やってみたらわかります。

 むしろスモールグループが深い理解を共有し合う核集団となって、教会全体の一体性をも極めて高いものにするのです。

 それは、米国南部のサザンバプテストと称される教会で容易に観察できます。







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Vol..2 <訳者解説>1 ~聖句自由吟味方式~

2016年09月07日 | バプテスト自由吟味者の道


 


  この本を理解するには、キリスト教の活動様式と教派に関する本質的な知識をもつことが決め手になります。

 それがあると、胸躍る本となり、読み進むほどに驚くべき知識がえられる書物となります。

 反対に、活動様式の本質的知識がないと、いってることが皆目わからなくて、さっぱり面白くない本になります。

 そこで訳者は、少々長めな解説を述べようと思います。



 


【聖句自由吟味方式】


キリスト教会の活動方式には、大きくいって二つの型があります。

+++

 第一は、聖句自由吟味方式というべきやりかたです。

 歴史教科書にも出てこない、聞きなれない言葉だと思いますが、実はキリスト教会はこの方式で発祥しているのです。

 初代教会と呼ばれている初のキリスト教会は紀元後35年頃に始まり、以後100年余にわたってこの方式のみで活動しています。
 
 その状態で教会発足の30年後には、ローマ帝国全土に信徒の群れが散在するほどの破竹の拡大をしています。

  この活動方式では、個々の教会員に聖句を自由に解釈させます。

 そして彼らに数人の小グループを結成させ、リーダーを一人選ばせます。

  そこに個々人が自分の解読を持ち寄って集まり、自由に議論し吟味しあいます。

 それ故これは、聖句自由吟味方式とでも言うべきものです。

 略して自由吟味方式です

 この活動方式は公式の歴史教科書に記されていません。

 理由は、この会派が、これから述べるもう一つのタイプの教会勢力に抑圧されてきたからです。

 この勢力が国家権力を手に入れて、自由吟味方式を歴史に記録するに値しないものと扱ってきたからです。





 【正統教理統一方式】

その第二の型の方式は正統教理統一方式、とでも言うべきものです。

こちらは教会や教団の高僧たちが、議論して合意した聖書解釈を唯一正統なものと定めて、活動します。

+++

 解釈は本来、個人によって個性が出るものです。

 それを自由にやらせておけば、教会員の聖書理解がバラバラになる~とこの会派は懸念します。

 そこまで行かないにしても、少なくとも教会を統一して整然と運営することはできなくなる~と考える。

そこで教団幹部が議論して合意した解釈を一つ造り、これを唯一正統なものとして信徒を統一的に導いていこう~とするのです。

+++

 解釈のことを教理ともいいます。

 ですからこれは正統教理統一方式とでもいうべきものとなります。

 略して、教理統一方式です。

    +++++++++

 以上の二つにつき、もう少し具体的に述べてみます。





【初代教会は聖句自由吟味教会】


  キリスト教会はイエスの直接の弟子たちが開始しました。

 これを初代教会といいます。


  この教会が発足する様は、聖書(『使徒行伝』)の記述によれば驚くべきものでした。

 イエスは十字架刑で殺された三日後に、復活して人々の目の前に現れました。

 教えを追加した後、天に昇っていきました。


  弟子たち二百人以上は、エルサレムの大きな部屋に集まっていました。 

 すると轟音がなりわたり、弟子たちに奇跡的な出来事が起きました。

 
  彼らの口から、各々当人にも意味のわからない他国の言葉があふれ出しました。

+++ 

  当時、エルサレムには聖書(この時点では旧約聖書だけがあった)を熱心に調べている人々が沢山いました。

 彼らは轟音に驚き、弟子たちの大部屋に入ってきて、その様を見て仰天しました。

 そしてこの事象を聖書でどう理解したらいいのか、知りたがりました。

+++

   弟子のリーダー格だったペテロが、それを聖句から解き明かしました。

 これを聞いて目から鱗が落ちた人々は、このイエスの弟子たちの仲間にすぐに加わりました。


+++

  次々に人々がやってきて、この初日だけで三千人が教会員になった。

 今示した『使徒行伝』(新約聖書の中の一分冊)という書物にそう記されています。


  以後も参集者は続き、エルサレムだけでも教会員はは三~五万人くらいに達したと推定されています。

+++

 イエスに直接教えを受けた弟子を使徒といいます。

 十二人いたので、十二使徒とも呼ばれています。

 イエスと彼らを取り巻く72人もいつも共にいました。


  この時には、イスカリオテのユダという弟子がいなくなっていたので使徒は十一人でした。
 
 彼らと72人をあわせても、参集者に比べたらあまりにも少数で、多数の信徒を直接指導することはとても不可能でした。

 使徒たちは参集者を小グループに分け、リーダーを一人選ばせ、その内の一人の家で聖書の吟味を自由にさせました。

 こうして初代教会は聖句を自由に吟味する教会になりました。

+++

 ちなみに、この小グループの集いは、後に「家の教会」とも呼ばれるようになります。

 初代教会は、こうしたスモールグループの連携体だったのです。




【自由吟味教会は今も続行中】  

 ただし、この活動方式については、聖書にはそのものズバリで直接記されてはいません。

 けれども、この方式を今日まで延々と受け継いできている精神的子孫といますか、そういう人々は沢山います。

 本書でバプテストとされている一派もそういう人々ですが、彼らは現在、米国南部だけでも四千万人ほどいます。

 
  いまの我々はこれをみることで、初代教会当時の活動状況を確認することが出来ます。

 彼らが、いうなれば、生身の歴史資料になっているわけです。



(Vol..2 <訳者解説>1 ~聖句自由吟味方式~  完)



     



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Vol,1 資料文献の邦訳で行こう

2016年09月07日 | バプテスト自由吟味者の道


 


「キリスト教の正しい学び方」の連載、長らく間を置いてしまいました。

 あれ以後は、ほぼ聖句自由吟味者の歴史の話になります。

この人々の活動を知ることが、すなわち、「キリスト教を正しく知ること」にほとんど重なるのです。


+++

だが、この活動方式の手がかりになる資料は、極端に少ないです。

自由吟味方式の教会が、権力の側に立った教団側から、抑圧され続けてきたからです。






権力者が、活力ある弱者集団を抑圧する強力な手段は、

書物の焚書も含めて、弱者側の言い分をすべて抹殺し、

自分の側の言い分を大量に流し続けることです。






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余談です。

これはいつの世にも繰り返される常套手段でして、

最近の我が国では、新潟県の泉田知事にたいしてなされています。

権力と金力に富む原発ムラが、新潟新報という地方新聞を使って、

知事が関わっていると想定した事件をかき立てた。

知事の反論を一切掲載せず、攻撃記事を書きまくり、

ついに、泉田氏を次期知事選挙出馬を撤回させるところまで,追い込みました。

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話を戻します。

自由吟味者は1200年間にわたってその目に遭ってきました。

だから、その活動を知らせる文献資料は非常に少ないのです。


++++

そうした少ない資料を用いて自由吟味者の歴史を書けば、

実際上、資料情報の言い換えになる面が多くなります。

そこで、そんなことしてるより、資料そのものを邦訳して示した方がいいではないか。

その方がコミュニケーションが効率的になるではないか、~等々と思案していました。




+++

このほど、それを試みる決心をいたしましたので、開始します。

資料の書名は暫定的に『バプテスト自由吟味者の道』と表記します。

著者や原著書名などは、機会を得て示していきましょう。

邦訳作業は、(訳者解説)を書くことから始まります。


(Vol,1 資料文献の邦訳で行こう  完)








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