理想世界のビジョン、社会観は、人間の心に利己心を超えた献身意識を作り出す。
またその実現のために働くことは、当人の内にその新しい精神エネルギーの発露口を創成する。
こうして、当人の精神力は強くなる。
マルクス社会主義思想はその意味での教育効果を大いに発揮する特性をも持つ。
この思想は、日本では戦前にも一定の知識人、政治家、革命家に信奉された。
他方、戦前の日本には、大東亜共栄圏(東アジアを日本を盟主とする諸民族の共栄圏にするという思想)、八紘一宇(世界は一つの家にするという思想)も叫ばれた。
だが、敗戦によってそんなものは「他国侵略のための口実」だったとなって、あえなく消滅した。
<戦後マルクス思想が独り勝ちに>
そうしたなかで、マルクスの社会主義思想だけは残り、その扇情力が戦中派青年に大きく普及した。
それはまた戦後育ってくる新しい青年たちの心もとらえた。
結果的にそれは、たいした根拠もない反米思想を造り、日米安全保障条約改定の大運動を展開させた。
政治暴力団(右翼)をも用いた岸信介の奮闘で安保の継続がなると、学生運動は赤軍派、中核派など過激社会主義運動に先鋭化した。
学生は大学自治会を拠点として活動し、一般学生にも心情的同調者は少なくなかった。
<80年代に下火に>
だが1980年代に入ると、マルクス思想の勢いは世界で徐々に低下を開始した。
1944年に米国で発刊されたF.A.ハイエクの『隷従への道』の影響が広がり始めたことによる。
この本は、社会主義国家は運転される過程で全体主義的恐怖国家になり、人間の自由は奪われることを明晰に論証していた。
それに感銘を受けた有志がスイスの田舎町モンペルランで開始した自由経済学会(モンペルラン・ソサエティ)の運動の影響が拡大したのだ。
日本人も~いつものことながら~漠然と世界の空気に従っていった。
この流れの中で、大学当局が過激派学生への反撃を開始した。
運動の本拠だった学生自治会から彼らを追放した。
こうして大学での社会主義運動は急激になりを潜めた。
だが、学校当局と文科省は、その勢いで学生自治会そのものを破壊し消滅させたままにしてしまった。
いまもそのままである。
<学生の小市民化>
以後の若者文化の変わり様を、筆者は、大学の場でリアルに観察している。
若者の中に一転、世界観、社会観のない小市民的な文化が台頭した。
たとえば80年代になって、従来の反戦歌フォークソングは影を潜め、代わって、荒井由実や小椋佳の繊細なチマチマソングが流行になった。
マスコミは依然としてそれにフォークソングの名称を与え、ニューフォークと称したが、それは文化としては別物だった。
学生の政治意識は突然見えなくなり、代わりに小市民そのものの文化が現れた。
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(筆者はこのとき教育の現場にいて、
この世代が日本社会の中堅を担うようになったら日本はどうなるだろう、と憂えた。
勤務校で自治会を消滅させてはならないと主張したが、鉄の壁を拳でたたくようなものだった。
大学教授という人々のほとんどは、「教育のセンス」を欠いているのだ。
文科省の官僚も同じである)
そして実際にそれは福島原発事故を契機に明るみに出た。
東電の中堅社員の行動に筆者の懸念は実証されてしまっていた。
<問題はマルクス思想しか無いこと>
この問題の根本は、日本に知識層をも納得させる論理構造を持った社会観が、マルクス思想以外に存在しないことにある。
だからこれが破壊されたら、若者が、いっぺんに小市民になってしまうのだ。
この状況を打開せねばならない。
筆者が、聖書思想を探求する一つの理由がそこにある。
聖書の自由吟味活動が普及すれば、この日本的問題も打開されると予感するからだ。
みちくさ(臨時版)はこれくらいにして、次回から、本論に戻ろう。