みなさん、こんにちわ。
きょうも「キリスト教の正しい学び方」進めて参りましょう。
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ローマ人のパブリック精神、合理精神は、対外的な戦闘力を強くしただけではありませんでした。
この精神は、征服した諸都市を、快適な社会空間に設計する能力をも造り上げました。
<各地に「小ローマ」を建設>
帝国政府は、諸都市に穀物貯蔵所と、円形の大闘技場と市民大浴場を建設しました。
定番のようにどの都市もそう設計した。
その都市原型は、首都ローマです。
地方都市はそれと同じ形式で造られたので「小ローマ」と呼ばれました。
<市民に穀物を無償供給>
ローマ政府は、そこを市民が「食べる心配」なしでくらせる空間にしました。
彼らに穀物を無料で与えたのです。
そのために、今の北アフリカや南フランス地域の穀倉地帯を征服しました。
そこから各都市への道路や海路など輸送網を完備しました。
そして各都市に穀物の貯蔵所をもうけたのです。
<娯楽も無償提供>
加えて政府は、各都市に大闘技場を建造しました。
そしてそこで市民が、剣闘士同志の戦い、や、剣闘士とライオンや牛など動物との戦いをみられるようにもした。
十分に食べさせた上で、娯楽も提供したのです。
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さらに観戦が終わったら、身体を温めリラックスできる大浴場も建設した。
市民にとってローマはまさに、至れり尽くせり、の福祉国家だったのです。
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「ローマはパンとサーカスを与えた」という言葉は、それをさしています。
いうまでもなくパンは穀物、サーカスは娯楽を意味しています。
<水道設備もあった>
各都市には水道設備も作られました。
水源から水を流してくる水路を、高い橋げたの上に作りました。
今でもローマ市近辺にその名残がみられます。
また、ローマ政府は上水道だけでなく、下水道も造って市民に快適な生活環境を提供しました。
<ポンペイの遺跡>
余談です。
ローマ国における都市の快適さは、遺跡都市ポンペイにもうかがうことができます。
近代になって発掘されるまで、この都市は大噴火による火山灰に埋まったままできました。
だから、当時の都市そのままの姿を見せてくれているわけです。
そこには水道も、喫茶店もあります。
今の都市生活に比べてみても、電気がないだけで、現代都市さながらの快適さを備えています。
<ニームの街>
火山灰でそっくり保存されてはいなくても、古代の「小ローマ」の姿を濃厚に残している都市もあります。
ニームという小都市はその一つで、これは地中海沿岸のイタリアとフランスの国境近くのフランス側にあります。
リゾート都市として知られたフランスのカンヌからローマに向けてクルマで走ると行き着きます。
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そこには古代の闘技場もそのまま残っています。
見学者用の入場料を払って上方の観客席に座りますと、当時のローマ市民になったような錯覚にとらわれます。
下方に剣闘士が戦った砂場が見えます。
敗れた剣闘士や剣闘士に刺された動物の血は、この真っ白な砂にさっと飛び散り、染み込んだでしょう。
その時観客の市民は鮮烈な印象を受けたでしょう。
その光景がリアルに想像されます。
市民が暮らした住居地の区画も、闘技場から歩ける位置にあります。
そこに通された道路も昔のままで、今も市民はそこで暮らしています。
少し離れたところには、大浴場や穀物貯蔵所の跡地もあります。
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余談の余談ですが、ニームではローマ時代の人ではないか、と思わせる市民もも筆者は見ることができました。
市内のレストランで「ローマ戦士の家族か・・・」と思わせるような四人連れの隣で食事をしました。
ジャイアント馬場のような骨格の夫に、意志の強そうな妻、そして小学生くらいの姉と幼い弟、という4人家族だった。
親も子供も、驚くほど大量に食べていました。
また、外に出ると、ローマ時代の青年のカップルかと思わせる若い男女にも出会いました。
男性は短いパンチパーマのような金髪で、顔つきも体つきも映画に出てくるローマ戦士にそっくりでした。
女性も小柄な金髪の美人でした。
ローマ人(純正ラテン民族)の女性は、小柄なのです。
<「デニム」の発祥地>
もう一つ余談です。
このニームには、耐久力ある綿の布地を織る技術に優れた職人が沢山いました。
彼らのつくる綿織物は、デニムと呼ばれ、今日でいうブランド名になりました。
「デ」はラテン語のdeで、英語のof, fromに当たり、「デニム」は「ニーム産の」という意味になります。
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後年米国で、この布地に織り込む糸に、蚊を寄せ付けない草の汁を染み込ませて織った布地が造られました。
後の「ジーンズ」です。
そしてジーンズは、戦後長らく、「デニム」とも呼ばれていました。
<「小ローマ」の都市と米国の地方都市>
話を戻します。
小ローマの街は、今のアメリカの地方都市に似たところが多いです。
どちらも合理的に設計された、市民生活の快適化を主眼にした現実的な街です。
アメリカは初代教会方式の聖句自由吟味活動者が設計して作った国家です。
自由吟味者は虚飾を避けるので、彼らが設計する都市は簡素で合理的になります。
それもあって、アメリカの地方都市は、小ローマの都市に似ているのです。
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ただし、都市建設の精神には違いがあります。
米国市民にはまず福音の思想が浸透しています。
住んでいる人間の多くの心に、「永遠の自分のイメージ」が存在している。
市民に先にそういう思想があって、その思想の果実として合理的な地方都市が形成されています。
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対して、小ローマ都市建設者の出発点には、合理的で快適な現実生活を実現しようという合理精神が強くありました。
それが華美と優美さ徹底して避けた、質素で現実的で合理的な小ローマを造らせています。
<快適な合理都市は精神に余裕を与える>
小ローマのような都市で、食べることの心配なく快適な生活を送っていると、人間には自分を思いめぐらす余裕が生まれます。
すると、今現在の自分をこえた、「永遠の時の流れの中の自分」にも、だんだんと思いをはせるようになります。
「自分(人間)はどうして存在するか、死後どうなるのか」などを本格的に考えるようになる。
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ローマ市民にも、良き行いをし、美しく生きる道徳はありました。
そういう倫理思想はあった。
だが、自分に関する永遠のイメージを与えてくれる思想はありませんでした。
彼らの心には、そうした理念への渇望が生まれました。
それは時と共に加速度的に大きくなっていきました。
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そこにキリスト教は入ってきたのです。
キリスト教の教えには、人間の永遠のビジョンを与える言葉(福音)があります。
それはローマ人の渇望感のなかに、砂漠に注がれた水のごとくに、しみこんでいきました。
<東方はぐちゃぐちゃ社会>
その様は、エルサレムから東の方の東方アジア地域と比較してみるとよくわかります。
アジア、特にインドから極東の国、日本に至る古代アジアの地方社会には、小ローマのように合理的に設計された都市空間はありませんでした。
都市といっても、人間が無計画に集まって暮らしているうちに、自然発生的に出来上がる集落でした。
いってみればそれは「ゴチャゴチャ社会」です。
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そういう空間では、在物神(モノの中に存在しているとイメージされる神々)が蔓延し、人民は無知・無思考な状態で暮らします。
常時的に貧困と病と苦しみのなかにあります。
とはいえ、そういう生活空間には、人が常時肌でふれあう温かさはあります。
その意味で、孤独感は少ない社会です。
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だが、そこでは人民は強者に支配されているのを当然と感じています。
そこには「個人の自由意志のある生活」は成立し得ません。
そういう精神的余裕は、そもそも、経済的豊かさがないと、形成されないのですが、
たとえ物資が豊富でも、生活空間がごちゃごちゃでは駄目です。
合理的に設計された、すっきりした生活空間の中にいないと、人間は日常生活感覚を超えた,永遠の自分を考えるようにはなれないのです。
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つまり、東方アジアには、キリスト教の説く、永遠のイメージは、入っていかないのです。
こうしたアジア社会に照らしてみると、ローマ社会が、キリスト教を受け入れるために最適な空間だったことがわかってきます。
すると帝国はそのために準備された、広大な受け皿(土壌)だったようにすら見えてきます。
<聖霊、パウロに「西へ行くように」働きかける>
聖書にはこれに関連する、衝撃的な記述があります。
パウロという人は、キリスト教伝道で、大車輪の活躍をする人です。
その彼が東の方に宣教に向かおうとしたとき、聖霊(創造神の霊)が「西の方に行くように」働きかけます。
(『使徒行伝』16章6~10節)
西の方角とはすなわち、ローマ帝国の社会空間がある方角です。
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もしパウロが東南アジアなどに行っていたら、その宣教活動は、泥沼の中で足を取られるようになっていたのではないでしょうか。
パウロ宣教の大成功はローマ帝国でこそ、成し遂げられるのです。
キリスト教が人間に形成する精神構造は、こうした社会空間の特性との対応をみることで、
一層よく理解できそうに思われます。
(「キリスト教の正しい学び方」 第18回 完)