鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.18 市民に「パンとサーカス」を無償提供する快適社会

2016年02月23日 | キリスト教の正しい学び方




みなさん、こんにちわ。

きょうも「キリスト教の正しい学び方」進めて参りましょう。


+++

ローマ人のパブリック精神、合理精神は、対外的な戦闘力を強くしただけではありませんでした。

この精神は、征服した諸都市を、快適な社会空間に設計する能力をも造り上げました。





<各地に「小ローマ」を建設>

帝国政府は、諸都市に穀物貯蔵所と、円形の大闘技場と市民大浴場を建設しました。

定番のようにどの都市もそう設計した。


その都市原型は、首都ローマです。

地方都市はそれと同じ形式で造られたので「小ローマ」と呼ばれました。





<市民に穀物を無償供給>

ローマ政府は、そこを市民が「食べる心配」なしでくらせる空間にしました。

彼らに穀物を無料で与えたのです。


そのために、今の北アフリカや南フランス地域の穀倉地帯を征服しました。

そこから各都市への道路や海路など輸送網を完備しました。

そして各都市に穀物の貯蔵所をもうけたのです。




<娯楽も無償提供>

加えて政府は、各都市に大闘技場を建造しました。

そしてそこで市民が、剣闘士同志の戦い、や、剣闘士とライオンや牛など動物との戦いをみられるようにもした。

十分に食べさせた上で、娯楽も提供したのです。

+++

さらに観戦が終わったら、身体を温めリラックスできる大浴場も建設した。

市民にとってローマはまさに、至れり尽くせり、の福祉国家だったのです。


+++


「ローマはパンとサーカスを与えた」という言葉は、それをさしています。

いうまでもなくパンは穀物、サーカスは娯楽を意味しています。





<水道設備もあった>

各都市には水道設備も作られました。

水源から水を流してくる水路を、高い橋げたの上に作りました。


今でもローマ市近辺にその名残がみられます。

また、ローマ政府は上水道だけでなく、下水道も造って市民に快適な生活環境を提供しました。




<ポンペイの遺跡>

余談です。

ローマ国における都市の快適さは、遺跡都市ポンペイにもうかがうことができます。

近代になって発掘されるまで、この都市は大噴火による火山灰に埋まったままできました。

だから、当時の都市そのままの姿を見せてくれているわけです。


そこには水道も、喫茶店もあります。

今の都市生活に比べてみても、電気がないだけで、現代都市さながらの快適さを備えています。




<ニームの街>

火山灰でそっくり保存されてはいなくても、古代の「小ローマ」の姿を濃厚に残している都市もあります。

ニームという小都市はその一つで、これは地中海沿岸のイタリアとフランスの国境近くのフランス側にあります。

リゾート都市として知られたフランスのカンヌからローマに向けてクルマで走ると行き着きます。


+++

そこには古代の闘技場もそのまま残っています。

見学者用の入場料を払って上方の観客席に座りますと、当時のローマ市民になったような錯覚にとらわれます。


下方に剣闘士が戦った砂場が見えます。

敗れた剣闘士や剣闘士に刺された動物の血は、この真っ白な砂にさっと飛び散り、染み込んだでしょう。

その時観客の市民は鮮烈な印象を受けたでしょう。

その光景がリアルに想像されます。


市民が暮らした住居地の区画も、闘技場から歩ける位置にあります。

そこに通された道路も昔のままで、今も市民はそこで暮らしています。

少し離れたところには、大浴場や穀物貯蔵所の跡地もあります。


+++

余談の余談ですが、ニームではローマ時代の人ではないか、と思わせる市民もも筆者は見ることができました。


市内のレストランで「ローマ戦士の家族か・・・」と思わせるような四人連れの隣で食事をしました。

ジャイアント馬場のような骨格の夫に、意志の強そうな妻、そして小学生くらいの姉と幼い弟、という4人家族だった。

親も子供も、驚くほど大量に食べていました。


また、外に出ると、ローマ時代の青年のカップルかと思わせる若い男女にも出会いました。

男性は短いパンチパーマのような金髪で、顔つきも体つきも映画に出てくるローマ戦士にそっくりでした。


女性も小柄な金髪の美人でした。

ローマ人(純正ラテン民族)の女性は、小柄なのです。






<「デニム」の発祥地>

もう一つ余談です。

このニームには、耐久力ある綿の布地を織る技術に優れた職人が沢山いました。

彼らのつくる綿織物は、デニムと呼ばれ、今日でいうブランド名になりました。

「デ」はラテン語のdeで、英語のof, fromに当たり、「デニム」は「ニーム産の」という意味になります。


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後年米国で、この布地に織り込む糸に、蚊を寄せ付けない草の汁を染み込ませて織った布地が造られました。

後の「ジーンズ」です。

そしてジーンズは、戦後長らく、「デニム」とも呼ばれていました。




<「小ローマ」の都市と米国の地方都市>


話を戻します。

小ローマの街は、今のアメリカの地方都市に似たところが多いです。

どちらも合理的に設計された、市民生活の快適化を主眼にした現実的な街です。


アメリカは初代教会方式の聖句自由吟味活動者が設計して作った国家です。

自由吟味者は虚飾を避けるので、彼らが設計する都市は簡素で合理的になります。

それもあって、アメリカの地方都市は、小ローマの都市に似ているのです。

+++

ただし、都市建設の精神には違いがあります。


米国市民にはまず福音の思想が浸透しています。

住んでいる人間の多くの心に、「永遠の自分のイメージ」が存在している。

市民に先にそういう思想があって、その思想の果実として合理的な地方都市が形成されています。


+++


対して、小ローマ都市建設者の出発点には、合理的で快適な現実生活を実現しようという合理精神が強くありました。

それが華美と優美さ徹底して避けた、質素で現実的で合理的な小ローマを造らせています。





<快適な合理都市は精神に余裕を与える>

小ローマのような都市で、食べることの心配なく快適な生活を送っていると、人間には自分を思いめぐらす余裕が生まれます。

すると、今現在の自分をこえた、「永遠の時の流れの中の自分」にも、だんだんと思いをはせるようになります。

「自分(人間)はどうして存在するか、死後どうなるのか」などを本格的に考えるようになる。

+++

ローマ市民にも、良き行いをし、美しく生きる道徳はありました。

そういう倫理思想はあった。


だが、自分に関する永遠のイメージを与えてくれる思想はありませんでした。

彼らの心には、そうした理念への渇望が生まれました。

それは時と共に加速度的に大きくなっていきました。

+++

そこにキリスト教は入ってきたのです。

キリスト教の教えには、人間の永遠のビジョンを与える言葉(福音)があります。

それはローマ人の渇望感のなかに、砂漠に注がれた水のごとくに、しみこんでいきました。





<東方はぐちゃぐちゃ社会>

その様は、エルサレムから東の方の東方アジア地域と比較してみるとよくわかります。

アジア、特にインドから極東の国、日本に至る古代アジアの地方社会には、小ローマのように合理的に設計された都市空間はありませんでした。

都市といっても、人間が無計画に集まって暮らしているうちに、自然発生的に出来上がる集落でした。

いってみればそれは「ゴチャゴチャ社会」です。

+++

そういう空間では、在物神(モノの中に存在しているとイメージされる神々)が蔓延し、人民は無知・無思考な状態で暮らします。

常時的に貧困と病と苦しみのなかにあります。


とはいえ、そういう生活空間には、人が常時肌でふれあう温かさはあります。

その意味で、孤独感は少ない社会です。


+++


だが、そこでは人民は強者に支配されているのを当然と感じています。

そこには「個人の自由意志のある生活」は成立し得ません。


そういう精神的余裕は、そもそも、経済的豊かさがないと、形成されないのですが、

たとえ物資が豊富でも、生活空間がごちゃごちゃでは駄目です。

合理的に設計された、すっきりした生活空間の中にいないと、人間は日常生活感覚を超えた,永遠の自分を考えるようにはなれないのです。

+++

つまり、東方アジアには、キリスト教の説く、永遠のイメージは、入っていかないのです。

こうしたアジア社会に照らしてみると、ローマ社会が、キリスト教を受け入れるために最適な空間だったことがわかってきます。

すると帝国はそのために準備された、広大な受け皿(土壌)だったようにすら見えてきます。





<聖霊、パウロに「西へ行くように」働きかける>

聖書にはこれに関連する、衝撃的な記述があります。

パウロという人は、キリスト教伝道で、大車輪の活躍をする人です。

その彼が東の方に宣教に向かおうとしたとき、聖霊(創造神の霊)が「西の方に行くように」働きかけます。
(『使徒行伝』16章6~10節)

西の方角とはすなわち、ローマ帝国の社会空間がある方角です。


+++

もしパウロが東南アジアなどに行っていたら、その宣教活動は、泥沼の中で足を取られるようになっていたのではないでしょうか。


パウロ宣教の大成功はローマ帝国でこそ、成し遂げられるのです。






キリスト教が人間に形成する精神構造は、こうした社会空間の特性との対応をみることで、

一層よく理解できそうに思われます。




(「キリスト教の正しい学び方」   第18回  完)










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Vol. 17  ローマは「明かるい市民国」

2016年02月14日 | キリスト教の正しい学び方




こんにちわ。

「キリスト教の正しい学び方」・・・今日はキリスト教を大宗教にした土壌である、ローマ国をみておきましょう。

イタリア半島の中央を東西にくねるようにして川が流れています。
チベレ川です。
この流域には小さな部族国家がいくつかあったと思われます。

+++

国家というのは、統治者がいて、彼が発する秩序とその統治を大半の人民が受け入れて、
軍隊と警察がいれば、できあがります。

天才社会科学者マック・ウエーバーは、国家成立のための二本柱を、人民の「正当性意識」〈時の統治者の統治を正当と思う意識)と「物的暴力手段」〈警察と軍隊)だといっています。

国家はこの二本柱が成立すれば、出来上がるのですから、どの地方の部族社会も国家となることが出来るわけで、ローマ国はその一つでした。

これが異例に発展拡大したのが、後のローマ帝国です。




<血族王制>

異例に発展した原因のひとつ、それは、このが異例に濃厚なパブリック精神をを持っていたことでした。

人間は産まれてまず、肉親の濃厚な愛情の中ではぐくまれて育ちます。

それによって出来る血族感情は、成長後も意識のベースになります。

だから、社会のなかでも、各々は血族を土台にして活動します。

+++

その内の力ある一つが部族の全体に関わる問題でリーダーシップをふるいます。

そうして、全体を指導していく内に支配権をもち、統治者となります。

だから、国家統治は一つの血族が中心になって行うのが通常でした。

その頂点にたつ人物が王です。

そして王はその血族の中で継承されていきました。

それは自然の情に沿ったことで、古代の国家はこの血族王制が通常でした。




<パブリック意識が異例に強い部族>

ところが、後にローマ帝国となる部族の民は、パブリック精神を強く持っていました。

パブリックという語の意味を適切に伝える日本語はなかなかみつかりません。

当面、「公民」とか邦訳されていますが、日常語にはなっていませんね。

むしろ、「市民」の方が近そうですが、これも我が国では単に「都市に住む人」を意味することが多いです。

なかなかいい邦訳語がありません。




<パブリックとピープル>

英語で考えましょう。

パブリックはピープル〈人民)というのとは違います。

ピープルは国内の人々全部です。

対してパブリックは、一定の条件を備えた限定された人々を意味します。





<マン・オブ・ノー・プリンシプル>

ローマ国市民は現代の米国市民に似た面を持っています。

そこで、米国の例でいいますと、米国でのパブリックは、自分の哲学(人生観)をもち、普段それを明白に表に出す人々です。

人生哲学を持たなかったり、隠したりする人には「マン・オブ・ノー・プリンシプル(行動原理を持たない人間)」という言葉があるくらいです。

こう判定されたら、その人はバブリックではない、単なるピープルとなります。



米国では、このパブリックが「市民」です。

この多くの市民にもてる力をフルに発揮させ、それを結集して運営している。

これが米国の強大な国力の源泉です。


+++

こういうとそんなこと、当たり前じゃないか、そうでない国なんて有るか?
と思う人もいるでしょう。

ところがあるんですね。

人間は、自己の心情を隠して行動を読まれないようにしたうえで、他者の裏に回るようにして生きることもできます。

そしてその方が、当の個人には概して益が多いものです。

だが、そうすると、裏に回られて損をした人の中には、以後自分もそうしようと考えるものも出るでしょう。

この過程が進めば、ホンネを隠して腹を探りあう人が大半の社会になってしまうでしょう。

こうなるとコミュニケーション効率が急低下して国家社会の効率も悪くなってしまいます。



米国は社会の「効率」を金科玉条にしている国です。

こういう「コソコソ人間」に敏感なのです。

嫌悪して、「パブリック」(市民)として加え共に働くことをしないのです。


+++

歴史を学ぶと、ローマ人にもそれに似た精神資質が濃厚に感じ取れます。

社会効率重視の合理性を強く持っていた。

パブリック志向が、血族志向に勝るとも劣ることなく強かった。




<王制と共和制を入れ替える>

それは統治システムにも現れています。

当初この小部族国家は、王制で、王の血族が王位を継承していました。

ところがあるときに、王制をやめて、元老院での合議政治に切り替えているのですね。

これがいわゆるローマの共和政治です。


その方が、より多くのパブリックの力を国家活動に参加させ、力を伸ばさせることができます。

ローマ部族国家は、必要ならそれをチャッカリやってしまうのですね。




<必要なら王政復古もチャッカリ>

ところが、共和制では、有力者が複数で政治を行いますから、見解が分かれてまとまらないことも起きます。

特に国家規模が拡大すると、これが起きやすい。

すると、今度は皇帝を造って、王制復帰してしまう。

まったくローマ人は、目的合理性の民でした。

古代には異例な民族だったのです。




<パウロもローマ市民権を持っていた>

余談です。

ローマの「パブリック」である「市民」、これは特別な権利(市民権)を与えられていた。

そして驚くべきことにこの市民権は、多民族の人間に売り買いすることも認められていました。


初代教会時代に、大車輪の活躍をしたパウロという宣教者がいます。

彼は、ギリシャ居住のユダヤ人(これをグリーク・ジュウといいます)でした。

そしてローマ市民権をもっていたことが、新約聖書から伺うことが出来ます。

父親が買った市民権を相続していたのでしょうかね。

とにかくそんなことで、ローマ人はなんとも合理的な国民だったのです。





<強くなるべき国>


話を戻します。

人民の中から市民を選び、彼らを独自な形で編み上げて造った国家。

こういう国家は、経済力でも軍事力でも血族支配国家を凌駕して成長していきます。
(米国史をみたらわかります)

ローマ部族国家は、、チベレ川周辺の他の部族国家を、楽々と征服、吸収していったでしょう。

それに留まることなく、この国は他の周辺国家をも次々に征服して、大国家になりました。


そして、この国がキリスト教大普及の最初の土壌になった。

その内容を次回もう少し追加しましょう。



(「キリスト教の正しい学び方」   第17回  完)








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Vol.16.ここで全体像を

2016年02月08日 | キリスト教の正しい学び方




拙文を読んでくださっている皆様。
こんな疑問をお持ちになりませんか?

「どうして教会組織がどうこうという話をくどくどするのだ?」

「なぜ、ローマ帝国の歴史など語るのか?」

「そんなものは高校の世界史の教科書にあるではないか?」

「キリスト教の正しい学び方」 なんていいながら、まったく何やってるのか?

+++

そんな疑問に答えるべく、ここで、話の全体像を少々考えておくのがいいと思います。




<そもそも、は>

原点から始めましょう。
そもそも、何故キリスト教を考察対象にしたか、から・・・。

答えは教典にあります。

この教典「聖書」は、万物の創造神からのメッセージ受信記録と自ら宣言するという、とんでもない書物です。

もしそれが事実なら、それは世界の全存在を知る方からのメッセージとなるでしょう。

なぜなら、造った方は、被造物の全てを知っていますから。
テレビを作った人間が、テレビの全てを知っているのとおなじです。

+++

その方からのメッセージであるのが事実ならば、その受信記録(聖句)には、世界の全てを知った上での究極の知識が含まれているはずです。

そしてこんな夢を正面切って提供する書物は、この世にはこの一冊しかないのです。

その夢を筆者は確かめようとしているのです。





<幼少時の願望>


人間は、心の奥深くに世界の全てを知りたいという、願望を持っています。

幼少時には、この望みを、漠然と持っている。

それに関連して、「自分は何故存在してるんだろう?」「何のために生きてるのだろう?」と
漠然と思ったりもします。

けれども、まもなくこの思いは、潜在意識の中に納められていきます。

我々人間は肉体を持っていて、それに食べ物を与えていかねばならない。
大人になったら、その糧を自ら与えていかねばならない。

~それを知って、その準備に努めるので、幼少時の素直な好奇心は潜在していくのです。

+++

けれどもこの思いは、潜在意識の中で生き続けています。

そして、それは全ての知識欲求のベースになっています。

「知」の原動力になっているのです。





幼少期の夢に応じてくれるかもしれない書物。

正面切って応じきる可能性をもった、唯一の書物。

筆者はこの書物を探ってみようと思い立ったのです。


これを吟味・探求した人々は、既に沢山います。

彼らの活動は、歴史の中に埋め込まれています。

掘り出してそれをも手がかりにし、筆者の限られた経験知識にも照らしつつ、

この「大法螺〈ホラ〉」の現実妥当性を探究し始めました。


もう30年にもなります。

人間ですから探究にゴールはありません。

どこまで行くかわからないままに、やってきた。

当面のその知識を述べているわけです。





<キリスト教活動の原点>

キリスト教活動は、この書物に含まれているかもしれない全能者の知恵を求めて、聖句を吟味する活動としてはじまっています。

この最初の教会が初代教会だとは、これまで述べてきました。

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そこでは、数人の小グループでの聖句自由吟味活動がなされました。

初代教会では、独特な方法で集団組織の運営がなされたのです。




<「旧教、新教」は間違い>

この方法を継承する人々は、今日まで膨大な数で存続してきています。

だが、この方式や活動者たちの情報は、歴史の中で黙殺されてきました。

その結果、現在、人類には~

 「キリスト教には、旧教と新教がある」あるいは「旧教と新教に分けられる」

~という思想が常識になってはびこっています。

この場合の旧教は「カトリック」で、新教は「プロテスタント」です。

新教は、カトリックしかなかったところに、宗教改革によって出来た新しいキリスト教派だという。

+++

だが、これから明かしていきますが、我々が現代、享受できている「精神の自由のある生活」は、

実は、初代方式の教会活動の土壌から産まれているのです。

「個人の自由を大切にする社会」という理念も、そのベースから産まれている。


その土壌をを黙殺してしまうのですから、人類は、人間が求める幸福に関する肝心なところに目を塞がれた状態でいます。

世界の指導者は、その状態で漠然と手探りしながら理想社会作りを試行錯誤しています。





<「正しい学び方」を>

詰まるところの原因は「今のキリスト教の学び方が正しくない」ところにあります。

人類の「すべての表社会」が「キリスト教の間違った学び方」の中にある。

それを「正しい学び方」に戻そうとするのがこのシリーズです。

表世界の全てが間違った常識にあるときに、発進力の小さな一人の人間がする「知らせ」など、大海への一滴です。

ではありますが、一粒の種を蒔いておこうと、筆者はこのシリーズを書いているわけです。


次回から、本論に戻ります。


(「キリスト教の正しい学び方」   第16回  完)







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Vol.15. 職業僧侶による管理階層組織が出現

2016年02月06日 | キリスト教の正しい学び方




こんにちわ。

今日も「キリスト教の正しい学び方」 、進めましょう。
今は、教典〈聖書)の性格の話を終えて、活動の歴史に入っております。

前回の話は、初代教会とは様変わりな教会運営方式が、二世紀に入ると出現した・・・ことなどでした。

今回は、この新教会の運営組織についてお話します。




<職業僧侶制が出来ていく>

教会の指導者は初代教会以来、ボランティア奉仕者でした。

彼らは賛同者の自発的な献金で経済的に支えらることはありました。

けれどもそれが制度となってはいなかった。

生活費は個々人が基本的に、別の仕事による収入でまかなっていました。


その状況で、自ら信ずるところの仕事に、喜びを持って奉仕していたのです。

+++

だが新教会では、指導者の仕事量は初代教会より飛躍的に増大していました。

大衆信徒の世話は、とても本業の片手間にできるものではありません。


その状態で新参加者は増え続けるのです。

会員が増えるのに比例して、指導者の必要数も多くなってきます。


新教会では、もうボランティア制度を続けることは、困難になっていきました。

+++

そこで、信徒の献金で、指導者が教会の仕事に専念できるようにせざるをえなくなりました。

そういう職業僧侶を多数つくるわけです。

こうして新教会は、指導者を職業僧侶制でまかなうようになりました。






<職業僧侶は専門能力を洗練させやすい>


職業僧侶制には、相応の利点があります。

職業として専念すると僧侶の奉仕能力は洗練され易くなります。

各々の仕事が専門化され、その能力が、訓練に専念することによって高められやすくなるのです。


また新教会の僧侶は、独身たることが義務でした。

家庭を持たないと、ますます教会の仕事に専念しやすくなります。


+++

その結果、会堂設計に優れたものも現れました。

音楽編成能力に卓越したものも出ました。

神学(聖書解釈学)能力に優れたものは、神学校を設立し後継僧侶を養成しました。


僧侶が協働で大がかりな仕事をすることも容易になりました。

後に聖書を編集し、正典聖書を造ったのも、この新教会の職業僧侶たちでした。

現在私たちは、その恩恵を受けています。




<信徒の活動は楽になる>

新方式の教会では、一般信徒のなすべき活動が極度に少なくなりました。

礼拝も皆プロがお膳立てしてくれています。

自分は出席して座っていて、献金して帰ればいいのです。

週日サービスも、みなプロがしてくれます。


この状況は、信徒の教会活動を楽にしました。


大衆はますます入会しやすくなりました。

+++

それはまた、指導者側が大量の信徒に一度に対応することも容易にしました。

現代いうところのマスプロ体制が成立していきました。

信徒は加速度的に増大し、献金総額も増大の一途をたどりました。






<管理階層組織に組み込んで信徒統率する>、

他方で、新教会には特有の課題が生まれました。

大衆信徒をまとめて、教会全体としての一体性を維持することがそれです。


初代教会の方式では、信徒は世界理念を深く共有しあいます。

それが成員の相互連携をよくして、自発的に教会の一体性が保持されるのです。


新方式の教会には、それはなかった。

だから、指導者の方から統率してあげねばなりませんでした。

+++

それにはまず、僧侶自身が階層組織を形成せなばなりません。

現代企業のような、ピラミッド型の管理階層組織です。

その命令系統の中で彼ら自身がルールに沿って整然と行動するのです。


そして、その下に大衆信徒を組み込みます。

現代の企業も、管理者組織が一般社員をその下に組み込んで、一体となった活動を実現しています。

新教会もそれと同様な組織体制を取ったわけです。


    

<司祭、司教、大司教>

新教会はまた、信徒を居住区毎に区分けして、それを「教区」としました。

そしてピラミッド管理組織の中の役職に、担当教区を監督させました。

そのポストが「司祭」です。



司祭は、自分の教区の礼拝や聖餐の儀式を執り行います。

聖餐(せいさん)とは、イエスの肉と血を記念するため、パンと葡萄酒を口にする行為です。

イエスは集まる毎にそれをすることを、命じていきました。

+++

新教会はまた、司祭の地区を複数まとめて、大教区も造りました。

この監督には「司教」という役職をあてました。


さらにそれら司教を監督する「大司教」という役職も定めました。

司教の管理する地区をさらに複数集めて、管理統率するのがその業務でした。



教団全体に関わる事柄は、大司教の会議で決めました。


これらの地位を現代企業の役職で言いますと、

司祭が課長、司教が部長、大司教が重役、といったところでしょうか。




<教皇〈法王)>

新教会では後に社長に相当する役職も追加していきます。

教皇(法王ともいう)がそれで、彼には最終決定の絶対的権限が与えられました。


これがあると、大司教会議で意見が分かれて膠着状態が続くようなことがなくなります。

教団はますます統率のとれた動きがとりやすくなりました。

そして、この新教会は後に自らカトリック教会と称するようになっていきます。

世に言う「カトリック」はそれなのです。


+++

筆者はこれから、新教会を「カトリック教会」ないしは「カトリック教団」と呼ぶことにしましょう。

そして、それと区別するために、初代教会以来の方式をとる教会を「初代方式教会」と呼びましょう。

なんか変な名前でもありますけど、明確に区別するために、そういうことにいたしましょう。



(「キリスト教の正しい学び方」   第15回  完)








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Vol.14  新しい教会運営方式が出現する

2016年02月05日 | キリスト教の正しい学び方





こんにちわ。
「キリスト教の正しい学び方」、活動の歴史の話に入っております。
本日も続けて参りましょう。

前回には~

  初代教会方式のキリスト教会は、発足後30年にして全ローマ帝国に普及した

~と述べました。

全土に聖句吟味をする小グループが散在するようになったのです。




<教会への攻撃が減少する>


一般に、新しい宗教活動は、当初は外部から攻撃されるものです。

とりわけ、急成長をみせると近隣者は気味悪く感じます。

そのあるものたちは、恐怖と怒りで集会を襲撃したもします。

けれどもある程度普及し、思ったほど有害でないとわかると、外部の人々の態度は変わはじめます。

その宗教教団を容認していくのです。


+++


キリスト教会は「来るもの拒まず、去る者追わず」の原則で活動します。

このように、対外的にオープンで、さらに社会奉仕も熱心にすることがわかると、好意すら持つ人も生まれます。

初代教会方式のキリスト教会は、大普及しました。

これほどに広がると、外部の人々の初代教会への警戒心は徐々に減少しはじめます。

こうして外部からの迫害が少なくなります。

時が経過すると、そういう状況になっていきました。

そして時代は、紀元後2世紀に入りました。

この頃には使徒たちはもう死んでいなくなっていて、後継者が教会を運営していました。




<迫害は参入障壁の役割をする>

迫害は現代企業でいう、いわゆる「参入障壁」の働きをします。
これがあるがために、人々は教会への参加をさしひかえる。

攻撃されるのが怖いからです。

+++

ところが迫害が少なくなると、恐怖を乗り越えて教会員になろう、という強い精神的動機が必要でなくなります。

それにつれて社会経済的恩恵が得られることを主な動機として、集団への参加を希望する人々が急増します。

+++

教会は発足当初から貧しい教会員への生活の世話をし続けてきました。

病の癒しも現れ続けました。

主にそういう恩恵を受けたいがために参加を希望する人の数が急増してきました。

+++

すると、この時代の新参加者の性格は、以前と様変わりしてきます。

一口に言えば、「大衆的」になってくるのです。




<新しい対応が必要になる>

前述のように、教会は「来るもの拒まず、去る者追わず」です。

みんな受け入れます。

だがそれらの新参加者への対応を担当する指導者は、新しい課題に直面しました。

+++

新参加者の多くは聖書を読んで考えたことがありません。

聖書への好奇心もさほど強くなかった。

裕福でビジネスに忙しく、教会活動に多くの時間を割くことが出来ない人もいたでしょう。

こういう人々に、小グループで聖句の自主的な吟味をさせておくことはできなかった。
会が機能しないのです。

彼らを担当した指導者は、あたらしい対応をせざるを得ませんでした。




<定番解釈を造り与える>

まずとにかく新参加者にも最低限の聖書の思想は知ってもらわねばなりません。

それには、教会としての聖書の簡素な要約を一つ作って、「これがキリスト教の教えだよ」と教えるしかありませんでした。

簡素な聖書の要約とは、すなわち定番の聖書解釈〈教理)です。




<霊的感動を演出で補填>

課題は、さらに現れます。

定番教理を聞いても、「聖書を知る喜び」は味わえません。

聖句吟味活動には、聖書を探究し新しい解読を発見することによる、興奮や深い感動があります。
霊的感動がある。

聖書知識が増える喜びもあります。

+++

ところが、定番解釈(教理)を聞くだけでは、霊的感動はほんの少々しか湧かないのです。

「初心者向けの旅行ガイド」を読んでも、実際に現地を旅行することによる感動が得られないでしょう。

これに似ています。

担当指導者たちは、霊感の充足不足を他のサービスで補填する必要に立たされました。




<荘厳な礼拝儀式>

サービスの代表は荘厳な雰囲気での礼拝儀式です。

指導者たちは日曜日〈聖日)に華やかで厳粛な礼拝を準備しました。
これは出席した大衆信徒に、敬虔な気分を与えます。

音楽は霊感を開く効果を持つので、賛美歌の合唱も取り入れました。

僧侶は、壮麗な式服で登場してあげました。

礼拝堂(聖堂)も献金でもって壮大にしていきました。




<週日にもサービスを>

指導者は、週日にも儀式サービスを提供しました。

一般信徒の日常生活の折々にも、神秘感あるサービスを提供するのです。

近親者が死んだら葬送の儀式をしてあげる。

結婚には結婚式をし、子供が生まれたら祝福の儀式をしてあげました。

信徒はその折々に、あらたまった霊的な気持ちになることができました。

儀式というのは、そういう働きをするのです。


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これはもう、初代教会とは様変わりな状況です。

以後しばらく、この新方式の教会を「新教会」と呼んで話を進めましょう。



(「キリスト教の正しい学び方」   第14回  完)















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Vol.13 小グループで聖書吟味をさせる

2016年02月02日 | キリスト教の正しい学び方





こんにちわ。

「キリスト教の正しい学び方」、本日も続けて参りましょう。

+++

前回、キリスト教会は初日から一気に3000人の大教会になったと申しました。

現在日本の通常の教会の会員数は20~50人くらいです。
100人、200人なら大教会で、1000人教会はないんではないかな。

それからしたら、初代教会の発足時点の規模が、驚異的だったことがわかるでしょう。

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新約聖書を読むと、以後も参加者が続いたと推測できます。

エルサレムだけでも教会員は3~5万くらいになっただろうと推定する人もいます。

ともあれ、初日から何千人規模の教会員が出来てしまいました。




<小グループで聖書の「イエス解釈」をさせる>

これを指導する立場の人は、12人の使徒だけです。

使徒とは、弟子の中でもイエスから直接教えを受けた12人の呼称です。

(そのうちの一人、イスカリオテユダは死にましたが、新しく使徒が一人選ばれ補充されました)

+++

彼らはとにかく、新参加者になにか共通の活動をさせねばならなかった。

人々は「知ること」を求めて殺到してきています。
何を知りたいか?

新参加者はみな旧約聖書を読んでいる人です。
(当時は聖書と言えば、今言うところの旧約聖書しかなかったので、聖書と言えばこれをさします)

彼らは、初日に起きたことや、十字架刑で殺された「ナザレ村出身の」イエスという青年を、聖書をどう解釈したら理解できるかを知りたかった。

鍵は、「イエスにつなげて解釈すること」にありました。

言ってみれば、旧約の「イエス解釈」に新参加者の要望の焦点があったのです。




<定番解釈はなかった>

けれども使徒たちに共通した「定番の解釈」・・・それははありませんでした。

イエスがいなくなる直前に語る「イエス解釈」でさえ、「まだわからないのか・・・」とイエスに言われていたくらいですからね。
定番とは、ほど遠い状態にあったのです。

+++

解釈のことを教理とも言います。

「教え」そのものは聖句(聖書の中の言葉)にあります。
その「教え」を筋道立った「理屈」に整理したもの、という意味で「教理」というのです。

具体的にはそれは聖句を「解釈」して造るものです。

だから教理は解釈ともいう。
二つは同じ意味の言葉です。

そして、解釈はいろいろになされえます。

聖句は深く、多様な意味を持っているからです。

その解釈の一つを、「もうこれをみんなで共有していこう」と定めたのが「定番」の教理です。


だが使徒たちは、定番の教理を持つには、ほど遠い状態にありました。




<小グループ聖句吟味をさせる>

そこで使徒たちは、新参加者に数人の小グループを作らせました。

各々のグループににリーダーを選ばせ、メンバーが自分の解釈を持ち寄って、自由討論するようにさせた。

各人は、その吟味を通じて認識を深め、解散するのです。
祈りも礼拝もそこで行わせました。

これは後に「家の教会」と呼ばれるようになっていきます。



    


<小グループが連携活動した>

複数グループが協力して活動するのが必要なときには、各グループリーダーが話しあって連携して行いました。
教会全体の事柄については、リーダー会議を開いて決めました。

+++

使徒たちは時に応じて長老・牧師・監督という三つの呼称で呼ばれていました。

彼らは時には長老として相談に乗り、時には牧師として説教し、時には監督として全体に目配りした。

また時には地区の教会を回って信徒の活動に奉仕し、その開拓宣教を助けたりもしました。




<世界観を共有>

初代教会にはピラミッド型の管理者階層組織もなく命令系統もありませんでした。

その状態で集団全体の一体性が保たれました。

以後その規模は成長しますが、そのままで存続していかれました。

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それは、成員が「イエス解読」を通して、結果的に同じような世界観を共有したからです。


世界観は物事を見るときの「全体観」として働きます。

人は個々の物事の意味を、全体観のなかに位置づけて解釈するのです。

+++

その解釈が全体観を共有すると似通ったものになります。

すると個々の事柄に対する成員の行動の方向もまた似通ってきます。

現代企業で言う「ベクトルがそろった状態」になります。


すると互いに「一を聞いて十を知る」状態にもなりますから、コミュニケーション効率が抜群な人間集団ともなります。

だから集団は高い一体性を保ってスムースに活動していくことになる。

このことは現代企業も同じです。




<全体観共有度と管理組織の規模>

余談です。

一般に会社などの人間組織でもは、成員の間で自発的な一体性が保たれている度合いが高いと、

本社(そこには管理部門がおかれている)部門の規模は小さくなります。

現場に大幅に権限を委譲できるので、管理者は少数ですむのです。

+++

逆に成員の間に一体性が弱い会社では、現場に自由に動く権限を与えがたくなります。

各人の行動に食い違いが起きないために、細部にわたって指示・統制しなければならない。

その結果、現場管理のための本部業務が膨大になります。

つまり本社規模も大きくなるのです。




<30年で全ローマ帝国に普及>

初代教会の以後の成長も爆発的でした。

開始後30年でこの活動はローマ帝国全土に広がっていました。

このような急成長は人類の宗教史上に類例がありません。

次回も、キリスト教活動の歴史を追いましょう。



(「キリスト教の正しい学び方」   第13回  完)






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