鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

<イエスの血と「いのち」の力>(7)『聖書の歴史観』

2011年05月28日 | イエスの血の権能


  ここで鹿嶋が当面理解している聖書の歴史展開の思想を示してみましょう。
(解読の詳細は、鹿嶋『誰もが聖書を読むために』新潮選書、を参照してください)

少し長くなります。 (右上に「文字サイズ変更」機能があります。
クリックすると、文字が大きくなります)

                    


1,まず創造神だけの無限界(無限の過去より存在する、無限の広がりを持った空間世界)がある。

2、創造神、天国(創造神が王として統治する王国)という被造空間をつくる。

3,天国が聖霊(創造神の霊)で満たされる。
  
4,天国の一角に「神の名」が置かれる。
 
5,天使を造ってそれを礼拝させる。

6,天使の一部が悪魔・悪霊に変容する。

7,創造神の無限界に霊イエスが出現する。

8,イエス、統治の全権を持って天国に入り、暗闇(宇宙)を創造し、天使に命じて悪霊達をそこに落としこむ。

9,イエス、暗闇(宇宙)を膨張させその中に天地を創造する。

10,ついでアダム、イブを造り、エデンの園に住まわせる。

11、アダム、イブ、創造神と協和する意識を維持し幸福そのものの生活をする。

12,アダム、イブ、「あなたも神のように賢くなれる」とサタンに誘惑される。

13、アダ、イブ、創造神と協和する意識失い、エデンを追われ「呪い」の下の生活にはいる。その子孫が、今の人類である。

14,旧約時代(救い主の到来を待つ時代)が続く。

15,新約時代(イエス出現以降の時代)が来る。

    イエス、「人の子」となって世(宇宙)にきて、人間の罪の代償として十字架にかかって死ぬ。
    創造主、三日後にイエスを復活させる。
    イエス、福音(イエスの十字架死が人の罪の代償だと信じると救われるという知らせ)を
          地の果てまで宣べ伝えよとの命令を弟子に下し、天にのぼる。

16,弟子達が福音を宣べ伝え、でキリスト教会が生成・発展する。

17,今の時代ーーー世界に福音が述べ伝えられている時代。

18,将来ーーある時、地上に七年間の大艱難が発生し空にイエスが再臨する。

19,イエス、天使に命じてサタンを「底知れぬ所」に閉じこめ、
    地上に降りてきてそこを楽園とし、千年間統治する(千年王国)。

20,イエス、サタンを解放し宇宙を焼却してしまう。

21,イエス、これまでのすべての人の霊を裁き、永遠の天国行きと、火の池行きとに仕訳する(最後の審判)。

22,イエス、すべての仕事を終え、創造神の無限界に帰る。

 

                     

  

 聖書解読は人によって差が出るものですが、細部はともかく流れの大枠はこうでしょう。
聖書の世界観・歴史観は無限大の空間と時間を踏まえた上で述べられています。
だからあるときそれ以上に視野が広まって変化するということがない。
極めて安定的なものです。

 安定的な歴史観は知っているだけでも、これを絶対と信じていなくても、
人の知性に新事態をそのなかに収容することを自然にさせるのです。
だから普段においても安定した心で人をいさせるのです。

                    

 人は生きていく過程で次々に未経験なことに直面します。
なかにはどう受け止めたらいいかわからなくなるような事件もある。
原発に関わる昨今の出来事はまさにその例でしょう。

  福島原発事故で原発は安全どころか極めて不安定なものだとわかった。
そしてそれがこの小さな日本列島に54基もあると知らされた。
使用済み核燃料も危険がなくなるまで何万年もかかるという。
その状態でこの十年来地球上の地盤は活動期に入り、大規模地震の頻度が急増しているという。
既成の原発すらもう個々人の力ではどうにもなりません。

                    

 まともに考えたら心はパニックになり混迷状態が続きます。
だがそうしたとき事態を所定の場所に位置づけることの出来る安定的な世界観・歴史観があると、
途方に暮れ続けるだけでなくなります。
聖書の歴史観は、日常の感覚では奇想天外といえそうなイメージも含んでいますが、
予想もしなかった大惨事はこういうストーリーでないと収容できないのです。

 現在の放射能散布と将来起きるかも知れないさらなる事故と放射能災害も
「七年大艱難の始まりかも知れないなあ」と心に収納することが出来る。
「だとしたら次いでイエスが空中再臨し、至福の千年王国がくるかも」とイメージに納めることが出来る。
すると人の心は現実の事態を放念することなくして現実を直視すること、
とるべき行動を比較的知的に定めていくことが可能になるのです。

                    

 知ってるだけの人にもそれだけの効能があるのですから、
聖書を真理の書として信頼している人への効能は巨大でしょう。
こういう人は「地球上が放射能だらけになるとしても、次はイエスの再臨で自分の身体は
一瞬に変容して携挙(空中にあげられること)されるのだ」と確信していてびくともしない。
そこに信仰の力というものを見ることが出来ます。


                    

 

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<イエスの血と「いのち」の力>(6)『世界観・歴史観の力』

2011年05月12日 | イエスの血の権能

 
  聖書が提供する世界観・歴史観が今の我々の心を安定させてくれる、その効用について述べます。
「イエスの血」から離れるようですが、のちにつながっていきます。

                    

 原発と放射能情報について考えつづけています。いまほど、ネットの情報とマスコミの情報とが乖離している例は少ないでしょう。
すごいですよ。両方見ていたらわかります。

ネットでの識者の情報は事態の深刻さ、危険さを伝えるのが主流です。
テレビや大新聞は逆です。「放射能は大したことない」を繰り返しています。

もしネット情報が事実であって、関東圏全域が暮らすには危険だとしてもマスメディアはそれは報道しません。
人々は実際にその地(東京も含めて)で、生活し、働いて食を得ています。このシステムから離れるわけにはいかない。
そんなところにどうして恐ろしい情報を報道できましょうか。

 こうした状況に置かれた日本人のとる行き方は二つになるのではないかと思います。一つは精神の強靱なリアリストです。
彼らは「そうであっても我々はここで生きるしかないでしょ」と覚悟して暮らすことになるでしょう。
「将来のことは、そのときのことだ」と開き直るのです。まさに「覚悟」ですね。

第二は一般の庶民です。彼らはそれほど精神的が強靱ではありません。
そこで、マスメディアの「大丈夫だよ」という情報だけを信じて暮らします。情報乖離はおきるべくしておきるわけです。

                    

けれども、一般人が事実を直視しても精神がやられにくいようにしてくれる道具もあります。
それは事実を心に収容させてくれる世界観・歴史観です。
これがあると人は事態をその中に位置づけ、理解して心に納め、心の安定を得ることが出来る。

聖書にある次のような聖句は、一つの歴史観を供給してくれます。 
 
                    
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   
   「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、
・・・・(中略)・・・・・地上では諸国の民が海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、
人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。
天の万象が揺り動かされるからです。
そのとき人々は人の子(イエス)が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗ってくるのを見るのです」
                  (ルカによる福音書、21章10~2節) 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                    


   これはイエスの言葉で、いわゆる7年間の大艱難とそれに続くイエスの再臨を述べたところだと解釈できます。
そして、これに続いて地上に至福の千年王国がやってくると解せられる聖句もあります。
これらが一つの歴史観を形成してくれます。

 当初の悲惨な歴史展開は平和な時代の我々の感覚からはなかなかイメージできません。
ダイナミックで、奇想天外でもあります。
だが、いまの福島原発に懸念されている恐怖の事態は、こういう歴史展開イメージの中になら、収まってくれます。

                    

 北関東で大地震がありました。そして原発設備の崩壊と放射能の空と海へのの放出がいまも続いています。
 これが続けば多くの土地と水が汚染され、飲食する物がなくなります。
食べるものを確保すべく、民族は国外に出たり手を出したりするでしょう。

 そして他の国においても、大地震と原発の崩壊が起きれば、その民族も同じことをする。
そうなれば、食物をめぐっての戦いは必然的です。
また、放射能の影響で従来にない疫病の流行があるかもしれません。人類の三分の一が死ぬとも記されています。

                    

  しかし、それらは万物の創造主が計画されたことであって、
その後にイエスが空に再臨し、地上に降りてきて千年王国を実現する、という計画もあるという歴史観を
心に抱いていたらどうか。
 いまの出来事も、これから起きるかもしれない悲惨なこともその中に位置づけて理解することが出来ます。
そうすれば心は整理されます。その分心が安定します。
悲惨な出来事を収納する歴史観が何もなかったら、ただただ恐ろしい出来事の情報に翻弄され、心が大きく乱れるのです。
乱れるから、もう現実は見ないようにしよう、とするしかなくなるのです。

                    


 「この世界観は絶対に正しい、その歴史展開は100パーセント起きる」と信じなくても、それは我々の心で力を発揮します。
そもそも一つの歴史観を絶対に正しいと信じることなど人間には出来ません。
こういってある牧師さんにたしなめられたことが鹿嶋にはありますけれども
「信じます! 信じます!」と叫んでも、百パーセントにはならない。
7割とか8割とかの確率で信じているのです。(「できないのに自分は百パーセント信じてると思ってしまう」これが狂信です)

確率で信じていても
その歴史観は一つの仮説となって、怖い出来事もしかるべきところに位置付けてくれるのです。

                    

                    

 

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<イエスの血と「いのち」の力>(5)『地震と放射能と「いのち」について』

2011年05月08日 | イエスの血の権能


                    

放射線物質の予想外の拡散と、世界および日本における原発の驚くべき実態を知ってしばらく考え込んでおりました。
前回まで四回に分けて、イエスの血について書きました。
ポイントは「人間の血はいのちエネルギーの液体充電池」であり、
「イエスの血はいのちエネルギーの凝縮体」という解釈にありました。

これと放射能とはどういう関係にあると解されるか、考えこんでおりました。

                    

福音の骨子は「いのち」の方程式にある。いのちは物理学におけるエネルギーのような概念で、
これを「いのちエネルギー」と言い換えてもほとんどその論理は理解できそう、というのが鹿嶋の従来からのアイデアでした。
これを用いて、「人間の血はいのちエネルギーを充電されて身体各部にいのちを運び、その運動を保っている」と解しました。

「イエスの血はいのちエネルギーの凝縮体として、あらゆる癒しの源にもなっている」のであって
「これを乞い求めればすべての病の根源に対処できる」のではないか、とも考えました。

病の根源は「死」エネルギー、すなわち「マイナスのいのちエネルギー」です。
これに大量の(プラスの)いのちエネルギーがぶつけられたら「死」は圧倒され追い払われて病はいやされることになる、
と理解していました。

                    


 ではそれと放射能とはどういう関係にあるか。これがもつ人間という生命体の細胞を破壊する力と、いのちエネルギーの関係とは?

むずかしい問題です。
ヒントはあります。それはいのちエネルギーは創造主が物質を創造するときの素材でもありそうというアイデアです。

物理学で「エネルギーと物質とは相互転換する」ことがあかされている。
だから1グラムの物質にもすごいエネルギーが込められている。
これを分裂させてエネルギーを出すのが核分裂の手法なのでしょう。

 創造主はその逆のことをして物質を創造している。人間の身体も創造している、と理解できます。

 その物質を核分裂させてエネルギーを放出させると、エネルギーが不足して安定状態になくなった物質が出来るのか。
それが放射性物質なのか。それは生命体のいのちエネルギーを吸収し奪い取ってしまおうとするのか。

いま少し、考えようと思います。聖書の言葉にはすべてをあかす知恵があると信頼して。


                    

 

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