鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.28 <中国論(19)> 「小沢さんと中国・米国」

2012年12月31日 | 政治見識のための政治学



角栄さんに続いて、小沢一郎さんについての論考も試みましょう。
前回に続いて、
「小沢さんが座敷牢に入るにつけては、米国と日本の同調者が黒幕だったという仮説」
に立っての分析です。




<司法試験勉強中に急遽政界へ>

小沢さんは、角さんと違って、二世政治家です。
父・小沢佐重喜は岩手県人ですが、一郎が生まれた当時弁護士にして東京府会議員でした。

1946年、戦後初の総選挙で岩手県にて自由党から出馬し衆議院議員となり、
1948年に第二次吉田内閣で運輸大臣、以後、郵政・電気通信大臣、行政管理庁長官
などを勤めた政治家でした。

+++

一郎さんは3歳の時、父の生まれ故郷の水沢に疎開し、そのまま、中学校2年までその地で暮らします。
以後、東京に移り父と同じ弁護士を目指して勉強を続けています。

 慶応大学経済学部に入学しても、経済学よりは法律関係の授業を熱心に聴講し、
卒業後も日本大学大学院で弁護士試験の勉強をしていました。

 彼が、経済学部出でありながら、資本主義、共産主義という経済体制の実体にうとく、
角さん同様に中国との親交に注力していったのは、一つにはそのせいかもしれません。

もう一つは、角さんでした。
1968年、父が急逝したのを機に、彼は政治に転向し、翌1969年岩手から自民党公認で
衆議院選挙に立候補し当選します。このとき彼は27歳の若さでした。
そして、この総選挙で党幹事長として彼を指導・援助したのが角さんでした。

父・佐重喜は以前より一郎が政治家となることを望み、高く評価していた角さんに
その指導を頼んでいたようです。
この選挙以後、彼は角さんをオヤジと呼び、角さん門下で一筋に政治を学びました。



<角さんの分身に>

角さんは、選挙技術と政治資金調達の名人でした。天才でした。
おまけに苦労人で暖かく、物心両面で面倒見のいい大物でした。
その反面、たたき上げてきた政治家の常として、国際外交にはほとんど盲目でした。

小沢さんは、東北・岩手人の純朴さを精神基盤に持っている人のように見えます。
もちろん政治家としての権謀術数も身につけていきますが、角さん同様に
心の底には田舎者の純朴さを濃厚に持っている人と鹿嶋はみます。

+++

彼は角さんと違って、経済的には海外に遊学する余裕は十分ありました。
だが、政治に転向する直前まで司法試験の勉強に注力していて、すぐに、国会議員になった。
そのため、結果的に遊学はしませんでした。

遊学しないで角さんの懐で一筋に育ちました。
だから、角さんに同化し、その利点も欠点をもそのまま模倣吸収した分身のようになったわけです。




<民主党を率いて圧勝>

その小沢さんが、民主党を率いて、選挙で圧勝しました。
彼は、幹事長として角さんの中国親交の志を受け継いで行動しました。

そのやり方は、強烈でした。
自らを名誉団長として、民主党議員143名と一般参加者など483名からなる大訪中団を結成し、
2009年12月10日から4日間中国を訪問しました。
またこの訪中には民主党と中国共産党との定期協議も兼ねさせました。

小沢さんは、随行した143人の現役国会議員の一人ひとりに、
胡主席主席とのツーショット写真撮影をとらせました。

さらに帰国後の12月15日には、次期最高権力者が確実視されていた習 近平に
日本の天皇を会見させています。

驚くべき中国志向です。
これはある意味では、東北風、田舎風と言えるかも知れませんが、
同時に事実上の中国との親交宣言でもあり、かつ恩師角栄さんの弔い合戦にもみえました。

+++

このように親交を深めていけば、外務機密もまた漏出します。
政権者の彼には、様々な機密情報も入ります。
これは米国には一大事でした。

そこでまた政治資金に関する事件(陸山会事件)でもって、
民主党幹事長の地位から1年で引き下ろしました。
のみならず、マスメディアに一斉に悪人イメージ情報を散布させ続けました。
ついでに鳩山首相も、母親からの政治資金問題を暴露して、辞任させてしまいました。

ともあれこうして小沢さんを座敷牢に閉じ込めてしまいました。
前述の仮説に立つと、こういう認識が自然に出てきます。




<地方人の純朴さ>

角さんも、小沢さんも、地方人に特有の純朴さを持っています。
むろん、政治権力の中枢を占めた人ですから、政治的な権謀術数も
身につけていますが、同時に、心の底に純朴さがあるのです。

小沢さんは、日本に政権交代可能な状況を作るという夢を持って、
自民党内で手にしていた権力をうち捨てて、党を出ました。
そして、細川政権を誕生させました。

これは,自民党が社会党を引き込むというウルトラC戦略を打ったことによって、
短命で終わりましたが、夢は抱き続けました。

そして2009年についに、民主党単独の圧倒的多数による政権を実現しました。
少なくとも形の上では、小沢さんの二大政党の夢はなりました。

だが、その政権は、中国との親交を深めることによって、
対米依存度の低下をはかるという動きに繋がっていました。

小沢さんには、それは正しいことでした。
でも、果たしてそうでしょうか?
その成否は、より広大な歴史観の中で定めねばなりません。
次回にそれを考えましょう。





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Vol.27<中国論(18)>「角栄さんと中国・米国]

2012年12月29日 | 政治見識のための政治学




総選挙も終わりました。
もう鹿嶋の論述が、その選挙に影響することはありませんので
田中角栄さんと小沢一郎さんに関して論じようと思います。

春平太はこれから、このお二人に降りかかった災難は、
「お二人も含めて日本人の政治見識の狭さ」からきているということを示します。

しかし、問題を指摘するだけという論考は、不完全なものです。
問題を指摘したら、それを打開する方法をも提示しておくべきだと思います。

それで、先に、その打開策を提示して、それから角栄さんと小沢さんへの災難の構造を
仮説的に明かそうと思いいます。




<数人の談話会が誰にも出来る時代に>

で、「日本人の政治見識の狭さ、低さ」への打開策です。

この問題は、世界に関する全体観の欠如から来ます。
そして、その8割以上は、歴史観の希薄さから来ます。

では、その歴史観を豊かにするにはどうしたらいいか。
その対策は、結論だけ聞いたら論理の飛躍に見えるでしょうが、これ以外にない現実的なものです。

それは、「聖書の中の語句、である聖句」の自由な吟味を続けること~これです。
それを数人くらいの小グループで自由に吟味することを続ければ、歴史観は自然に豊かになっていきます。

そして、そういう吟味会が、互いに離れてすんでいる人の間でも、ネットでできるようになりました。
グーグルにグーグルプラスという無料サービスがあります。
そのなかの「ハングアウト(Hangouts)」というサービスを使いますと、10人までの小グループで
映像付きで談話することが出来ます。

それが日本に住んでいる人の間だけでなく、米国や欧州に住んでいる人ともできます。
だれかが世話人になれば、簡単にできます。
これは驚くべき事件に鹿嶋には思えます。すごい時代が開けたと思います。

とにかく、そういう誰にでもとれる打開策があることを、まず、提示しておきます。
これをすれば、歴史観を持続的に豊かにしておくことが可能になります。




<ネットで大勢の角栄・小沢認識>

さてインターネットでは、田中角栄さんを失脚させ、小沢一郎さんを政治資金関係の容疑で
「座敷牢」に閉じ込め続けた黒幕は米国だったという認識は、大勢になっています。
ほとんど常識になっていると言っていいくらいです。

そこでは、こういう情報も披露されています。

~日本の検察庁あるいは東京地検の事務局でしたか、そこに直結した部門が米国大使館にある。
日本は昭和26年にGHQによる占領統治から解放され、独立したが、
その際、そういうホットラインが作られた。
それが日本の政治への操作力をもつために維持されている、~云々です。

ネットの情報には、もちろん、ガセネタもあります。
また、上記のようなことは、当事者以外に直接の証拠は知り得ません。
だから、鹿嶋にも、そうしたことがらが事実だとも、事実でないともいうことは
証拠主義でいけば出来ませんが、
科学には(社会科学も科学です)「仮説」という用具があります。

究極的なことはわからないが、それが事実だという「説を仮にたてる」。
このようにして設定する命題が仮設です。
そしてそこから推論を試みる、という方法が科学にはあります。

鹿嶋は、いま、それをしてみようと思います。




<日中国交回復>

その仮説に立てば、問題の発端は、1972年9月の日中国交回復調印にありました。

この間の事情を、『日中国交正常化』(服部龍二著、中公新書)はよく描いてくれています。
用いている大量の資料は、みな公式資料で、裏情報はほとんど使われていないのですが。
そして、新書版の本ですけれども、
鹿嶋のような門外漢には、日中国交回復の状況に関しては決定版に見えました。

それも大いに援用して述べますと、まず田中角さんは、
国交樹立の調印を7月に首相に就任した2ヶ月後にやってのけています。

それに先だって、1971年当時、自民党の幹事長だった角さんは、
中国問題の勉強会を立ち上げていました。
1971年7月にニクソン大統領が北京訪問することが電撃的に発表されたことが契機です。

そ時の首相は佐藤栄作さんでしたが、彼とか、福田赳夫さんとかは中国首脳との
交流はできませんでした。
当時の中国の首相・周恩来はこういう官僚あがりの人物と会談をする気は全くなかったと言います。
肌が合わないんでしょうね。

対して角さんは、自称、「小学校出のたたき上げ」です。
こういう創業者的な人格とは周恩来は気風が合ったようです。

また角さん自身も、こういっていたそうです。
「毛沢東、周恩来はいまの共産党中国を作った創業者だ。日中国交回復のような大仕事は、
こういう人物にしか出来ない。後継者が政権を継いだらもうチャンスはない」~と。

そこで首相就任二ヶ月後に電撃的に国交回復の調印をするという離れ業をやってのけたわけです。





<急転落へ>


ところが角さんは、日中国交回復という大仕事をしたわずか2年後の1974年に、
政治金脈問題を追求されます。
マスコミは、最大トピックとしてこれを報じ続け、田中は首相辞任に追い込まれました。

さらに二年後の1976年7月に、今度はロッキード事件で逮捕され、
8月には東京地検特捜部に受託収賄と外為法生違反容疑で起訴されます。
以後、1993年に逝去するまで被告として公判生活を送ることになります。

この事件はアメリカのコーチャンというロッキード社の副会長が、
免責を受けて公聴会で証言するという事態から起きたものです。

その一方で角さんは、田中派という最大派閥を運営し、1978年盟友大平を総理大臣にします。
角さんも大平も福田赳夫と血みどろの戦いをします。
ところがその大平は、二年後の1980年、心不全で70才の生涯を閉じます。

親友を失った孤独の中で裁判を続けつつ、田中は若き政治家を派閥のなかで育てる日々を過ごします。
ところが、1985年に彼らの中から創政会という派閥内派閥を立ち上げるのが出現します。
物心両面に渡って可愛がってきた弟子たちの裏切りを受け、
角さんは衝撃でまもなく脳梗塞で倒れてしまいます。
以後立ち上がることもなく、1993年に逝去するわけです。

もしこうした一連の事件がアメリカ主導で起こされたとしたら、それらが田中失脚の工作だとしたら、
米国はなぜこんなことをせねばならなかったのか。これを考えてみます。




<電撃的な動き>

日中国交回復は、米国が開いた中国との国交の道に決定的な恩恵をうけていました。
具体的には、同時のニクソン政権の大統領補佐官だったキッシンジャーの周恩来との
機密外交のおかげです。

キッシンジャーは1971年、当時ソ連との関係が悪化していた中国に、
東南アジアのどこかの国を経由して極秘に中国に入るという離れ業をしました。
そして周恩来との二回にわたる会談を成功させて、中国が資本主義側の国との交流をする道を開いたのです。

米国はそれに次いで、中国との国交条約を結ぶ予定でした。
だが、その機に乗じて角さんは1972年、米国に先んじて国交条約を結んでしまいました。
首相就任わずか二ヶ月後のことです。ちなみに米中間に正式に国交が樹立したのは、1979年1月です。

角さんは、中国に出向いて国交条約に調印するのに先だって、ハワイで田中・ニクソン会談をもっています。
米本土に行かずに、ハワイで行ったのは、日米の国家地位対等に向けての含みも、
日本側にはあったようです。

がともかく角さんはそこで中国との交渉を了解させました。
ニクソンはそういう方向を了承しただけであって、むしろ懸案の日米繊維貿易問題への対処を
要求するのを第一としました。

ところが角さんは、電撃調印をしていち早く中国との国交を樹立してしまいました。
それに伴う、蒋介石台湾との国交断絶も、いち早くしてしまいました。




<外交は大平に全面委任>

国交交渉において、角さんは自分は外交は全く出来ないことを自覚していました。
そこで彼は盟友の大平正芳外相にすべてを委任しました。
事務方、すなわち外務省官僚は、橋下恕課長を重用したといいます。

角さんは彼らを信頼して外交業務を全面的にまかせました。
そして、責任は自分が取るとした。
これが田中の政治家としての大きなところだったと言われています。

しかし、大平は国交回復がなった後、自己の政治業務に忙殺されていきました。
角さんは、中国との交りの唯一の「前さばき人」を失っていきました。




<言論自由の有り難さと一党独裁の怖さ>

ここからは、鹿嶋の推測です。
中国は、個人的なつながりを大切にします。
40年経った今でも、娘の田中真紀子さんに式典の招待を出すお国柄です。

国交正常化の恩人として、調印以後も角さんに様々に交流と求めてきたでしょう。
当時強硬な台湾派政治家も沢山いました。
それをくぐっての交流となれば、マスコミにも悟られない隠密交流となるでしょう。
そういう人物も目白の田中御殿に出入りしたでしょう。

それに応じるなかで、豪放で酒好きな角さんは、国家的な機密情報も時として
友好的にもらしたのではないかと思います。
中には軍事上の機密もあって、それは米国軍事指導層を青ざめさせたでしょう。

この状態は、続けるわけにはいきません。
かといって、角さんは有力政治家です。
これはもう、事件でもって失脚させるしかなかったのではないかと思います。

+++

角さんの行動の背景には、中国に対する無邪気な姿勢があったと思います。
つまり、日本は戦後、言論自由制度で国造りをしてきています。
中国は共産党独裁体制で、言論統制をしつつ国家運営をしています。

言論自由制度がいかに人間の幸福感に大きな貢献をしているか、ありがたいものか、
を角さんはわかっていなかった。
それを社会に実現するのはいかにに困難なことで、創始者はいかに多大な犠牲を払ってきたか。
鹿嶋は、それをこのブログでの「幸せ社会の編成原理」に詳しく述べたのですが、
そういうことはわからなかった。

加えて、角さんは中国との友好関係を進めて、日本のアメリカ依存を
少なくしようという姿勢をもっていました。

その結果、中国に対して、一党独裁体制の暗く恐ろしい面が見えなかった。
二つの体制は決して相容れないものであること、もわからなかった。

~かくして、豪放にして無邪気に中国要人と接触し続けた。
そういう基本姿勢からは自然に、気楽に情報を漏らす行動も現れるのです。

~問題の基盤は、
共産党一党独裁体制の怖さが「原理的に」わかっていなかったことにあります。
そしてそれは歴史観の希薄さから来ています。

それに由来する被害を受けた角さんへの同情は、個人的には禁じ得ません。
だが、共産党独裁体制に、万一日本国民が引き込まれることが起きたら、
その被害は何百万倍になります。

政治は結果が問われるゲームです。
米国も、やはり、角さんは座敷牢に入れざるを得なかった、という結論になります。
もちろんこれは、米国と日本の同調者が黒幕だったという仮説に立った時の話です。






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<動画>「ヨハネ伝解読」シリーズ

2012年12月19日 | 政治見識のための政治学





鹿嶋春平太「チャーチ」なのに、政治の話が続いて、
期待外れが続いた感をお持ちの方々におわび申し上げます。

中国論は終盤の田中角栄さんと、小沢一郎さんについて論じるところで
足踏みしていました。
ご存じのように、小沢さんは党員を率いて選挙に臨んでおられましたので、
記事が誤解を生み、選挙に影響するのを避けるため、投稿を控えておりました。





その一方で鹿嶋は、ユーチューブで、動画の「ヨハネ伝解読」を始めておりました。
このチャーチではすでに「ヨハネ伝解読」を連載してきていますので、
このブログでは「再論・ヨハネ伝解読」となると思います。

ともあれ、最近までの映像に行き着かれるように、以下にアドレスを記します。
(クリックすると各々の動画にジャンプします)

聖書関係の情報をお待ち下さった方々、お待たせしてすみません。
「政治見識」に関する記事は、まもなく終了いたします。



+++

<動画>「ヨハネ伝解読」シリーズ

1.はじめに ~「一解読を聞く」姿勢で


https://www.youtube.com/watch?v=8iz7FmUYtYw


2.まず信頼と期待を


https://www.youtube.com/watch?v=a9FlWwYGAsg


3.イエスの伝記は四本ある

https://www.youtube.com/watch?v=2Yq8UKLcgiQ






4.共觀福音書とヨハネ福音書

https://www.youtube.com/watch?v=ygggifzLMAc

5.聞き書き情報と体験情報の違い

https://www.youtube.com/watch?v=HK3BvzjghB8


6.ヨハネ伝には神学がある

https://www.youtube.com/watch?v=okcgx4z8xZQ






7.万物の創造神イメージを持とう

https://www.youtube.com/watch?v=s4qLsRjIREQ

8.イエス全体像のために

https://www.youtube.com/watch?v=nt9yOlN72sw

9.「言霊」と「生き霊」

https://www.youtube.com/watch?v=MnCz8Q2Ji04





10.この世は霊イエスが創った!

https://www.youtube.com/watch?v=lpuVYP88yhs

11.いのちはエネルギーか?

https://www.youtube.com/watch?v=5YVMGK1YSAE

12. ライトの光とグローリーの光

https://www.youtube.com/watch?v=yuss2_LNRq8&feature=player_embedded





13.闇と光と聖書の空間理念

https://www.youtube.com/watch?v=lEZVr0W8pzM

14.「世」は創った方を知らなかった

https://www.youtube.com/watch?v=XtvTjTqz3OY

15.霊が生まれた、とは?

https://www.youtube.com/watch?v=s1U2HG65jFA


(当面、以上にします。シリーズは今後も続きます)





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<臨時版> 政治の最大害悪は無能

2012年12月17日 | 政治見識のための政治学





衆議院選挙の結果が出ました。
自民党の圧勝に喜んだ人も、悲しんだ人もいるでしょう。

鹿嶋は、ひとまずほっとしています。
もう少し、原発即時廃炉に向かうことを主張する党が伸びて欲しかったのですが、
基本的には「まずは一安心」です。

+++

政治の最大罪悪は無能ということです。
これによる被害と機会損失は巨大です。

これに比べたら、個人的なカネの問題など小さな、小さな問題です。
この問題を取り出して、有能な政治家が失脚させられることが多いのですけど。
カネのことは大衆にわかりやすいので、マスコミも~無能もありますが~
これを大問題のごとくに書くのです。

+++

そもそも、民主党に政権が転がり込んだのは、小沢一郎氏の選挙戦略が
当たりに当たった結果でした。
この集団による政治運転は、彼の指導でなされることが大前提でした。

その事実をきれいさっぱり忘れて、当面の小細工に走り、彼の指導を離れて
無能な小物たちが政権を享楽した。こういう危険きわまりない状態に日本は
置かれてきました。

鹿嶋は小沢氏にとりたてて肩を持つわけではなく、冷静に距離を置いて観察して
いっています。

<原発廃炉は遠のいたが>

原発即時廃炉の政策は遠のきました。

これは冷静に見て大問題ですが、もう、運ですね。

福島に巨大地震が来たのも人間の力を超えた運です。
当日、金曜日に、現場労働者たちが帰宅せずに現場にいてくれたのも運でした。

これから既存の原発近くで、大きな地震が起きるかどうかも、運です。
人間の力を超えています。

運を天に任せて、進むしかないでしょう。

+++

だが、人為的に出来ること、政治の最悪事態を脱することは出来ました。
まずは一息です。

経済は好転するでしょう。
安倍晋三の述べている金融政策、経済政策は正しいです。

国防軍が出来たとしても、韓国のように、青年に短期間の徴兵義務を課しても
戦争がすぐ始まるわけではありません。
自衛隊の今と状況はあまり変わりません。

すべては、人民が政治的見識を高めるかどうかにかかっています。
(その方法については、これから、すぐに述べます。
中国問題の終わりにのべます)

最後に小沢氏にも一言。
無能者をかき集めて政権を取らせるという、二大政党ごっこは
もう二度としないで欲しいですね。
この練習は高くつきました。





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Vol.26<中国論(17)>「尖閣暴動を鳥瞰すると 」

2012年12月03日 | 政治見識のための政治学






みなさん、長い間記事を中断してすみません。
鹿嶋はこの間、ある事情で、「ヨハネ伝解読」シリーズを映像で発信せねばならなくなりました。
その作業に追われていました。

この映像シリーズは、もう10回をこえています。
すでにご存じの方も多いかも知れませんが、ユーチューブで連載していますので、
「鹿嶋春平太」、ないしは、「ヨハネ伝解読」で検索してみて下さい。

+++

この中国論を中断させたも一つの理由は、尖閣諸島を巡る暴動が中国で起きたことです。
連載途中で、はからずも尖閣暴動がおきました。

これで、春平太がここで言ってきた中国に内在する性質が表面化してくれました。
このブログで百の言葉を費やすよりも、事件が明瞭にそれを示してくれることになりました。
鹿嶋は改めてこれをみて、しばし考え込んでしまいました。

そこには人民の大規模デモにより意思表示をする体質、デモが暴動に展開する体質、もみられました。
小泉元首相の靖国参拝暴動以来、久方ぶりであります。





<毛沢東が植え込んだ「造反力」>

この体質はみな、毛沢東が、人民に植え込んだものです。
それは決して彼の邪気から出たものではない。深い思慮の上での政策だったと思います。

これまでの中国史で見てきたように、中国が列強諸国に蹂躙されないためには、
国民国家化が絶対必要でした。
それを第二次大戦当時の中国人民を相手に迅速に実現するには、一党独裁の強権が必要でした。
そして、それを実現する思想は、共産主義思想しかなかった。

だが、それだけでは党の権力者が横暴化し、腐敗するのは火を見るよりも明らかでした。
そのままでは、中国は党内の腐敗が加速化し、内部崩壊に至ることが必至でした。

これを防ぐには、人民の方にも強い抗議力を植え付けることが必要でした。
それが造反の力、いわば造反力です。

毛沢東は、これをまず、土地改革(土改)で教育しました。
地主を犠牲にして、いたるところで農民に彼らを急襲させ、即決裁判をさせ、公開処刑をさせました。

一党独裁の党権力は強大です。
政府は警察、軍隊という物的暴力手段をもっています。
これに対抗させるには、やはり、人民にも暴力手段を身につけさせねばならなかった。

それが暴動に展開するデモです。
暴動デモ体質です。


このために、毛沢東は土地改革運動で、地主を血祭りに上げさせたのでした。
政治手段にされたとはいえ、儒教道徳で所有農地を運営していた地主家族の
悲惨さに同上を禁じ得ません。

だが、毛沢東は土地改革に続いて、文化大革命運動をも扇動しました。
これを若者たちにさせることによってデモ、暴動、権力者の公開リンチ、公開処刑の
体質を人民に再刷り込みしました。
ここでも知識人、富裕者がサディスティックに血祭りに上げられました。
この光景の映像を見て、同情を禁じうる人は少ないでしょう。

+++

現代でも中国では毎日全国で3000の抗議デモがなされていると言います。
その一部は、日本でも報道されています。
地方政庁に対しても、人民は大規模なデモを仕掛けます。
政庁前をバリケードする警察隊を数の力で突破します。

そして、自治体の長を表玄関に引きずり出して、要求をのませます。
実際、こうして党権力者の不正、横暴が修正されていくのです。

尖閣暴動は、この体質が尖閣問題に対しても出たにすぎないのです。





<食衣の貧困も打開していった>

共産党一党独裁の泣き所は、経済でした。
共産主義の公有体制では、経済は活性化しませんでした。

国民国家になれども、人民は貧しいままでした。
だが、これも改善していきました。

小平が土地を除いた経済市場化に踏み出しました。
まず、深圳などに経済特区を造って試行し、成功するとそれを
全国に拡大しました。
その結果、人民は、食衣に不足のないところ、飢えと寒さで苦しまないところ
までは来ました。





<思想統制の緩和に向けて>

だが、一党独裁政権に必然的に伴う思想統制、言論統制は残らざるを得ませんでした。
けれども、チャイナナイン(今はチャイナセブン担っている)を頂点とする共産党指導者は、
それも徐々に緩めていこうとしています。

その政策を、鹿嶋の限られた情報では、キリスト教において着手しようとしています。
その活動の自由化を、はかる努力をしているのです。

宗教というのは、集団が一つの教理を狂信するという側面を常に持っています。
だが、その側面が拡大すると、宗教活動が共産主義に対抗するもう一つの「主義」になっていきます。

法輪功という気功術を中核にした宗教集団に、当局がすさまじい弾圧を加えたのも
その危険を察知したからでした。

この危険に陥らない活動方式を見出すべく、党の指導層は世界のキリスト教会を
つぶさに調査しています。

+++

党の指導者は賢人たちなのです。
党は賢人の少数指導体制をとっています。
それが指導が衆愚に陥る可能性を小さくしています。
中国のような広大な多民族国家では、ひとたび政治が
衆愚状態に陥ったら、収拾がつかなくなるのです。

彼らの人事には情実はありません。
毛沢東も、あれだけの権力を手中にしながらも、
自分の子供を政府の要職にはつけませんでした。

指導者人事では、派閥的な動きは伝えられますが、
これは情実とは無縁なものです。

+++

これまでのチャイナナインのメンバーには絶大な権限が
与えられていました。
だが、9人では決定が割れすぎることを体験したら、
彼らは速やかにチャイナセブンに変更しました。

彼らは中国の問題をよく知っています。
次の問題が、「思想統制、言論統制の緩和・打開」であることを
よく知って働いているのです。

現代の思想・言論統制は指導者の権力欲による所産だけではありません。
これを悪意の所産といった論調で記事にする日本のジャーナリズムの方が、
目覚めなければならないのです。

我々は、中国の歴史的事実を知恵を持って鳥瞰し
対・中国政策を考えていかねばなりません。






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