不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.25<中国論(16)>「米国または中国に併合されたら起きること」

2012年10月21日 | 政治見識のための政治学





長々と中国の歴史を見てきました。
米国とならんで日本が隣接する現代世界の二つの大国の一つの性格を知るためです。
米国については連載した『しあわせ社会の編成原理』でわかると思います。

日本はどちらにも関わりを持たないわけにはいきません。
といっても両国の体質は大きく異なっていますから、両方に均等に関わるわけにはいきません。

各々にどういうウエイトで、どういう風に関わっていったらいいか。





<中国の統治特性>

それを知るためにまず両者を比較しつつ各々の特質を浮上させてみましょう。

比較のためのキーワードは「思想言論の自由度」です。
中国という国は、人民の思想言論を統制して国家を運営していくという、統治方式を取っています。

(これに好悪の感情を伴わせてみるのは、本稿の趣旨に沿いません。
ただ冷静に一つの統治方式とみるのがいい。一国の統治方式は
相応の必要から出来てきている面が大きいのです)

米国は思想言論の自由を大原則にして国家を運転してきています。

この違いがもたらすものをまず一般的にみてみましょう。
そのために、このシリーズの冒頭に示した「マックス・ウェーバーの統治の二本柱」
を思い起こしましょう。

①政府に対して人民がもつ正当性の意識と
②政府のもつ物的暴力手段(警察と軍隊)

~がその二本でした。

一般的に言って、最初の①「人民が統治者にもつ正当意識」が大きいと
②「物的暴力手段行使が必要な局面」は少なくなります。

逆に①が小さいと②は大きくなります。
言うことを聞かないやつが潜在的に増えるからです。

+++

このメガネを通してみると、中国は後者になると思われます。

人間というものは、思いの自由とそれを表現する自由を本能的に求める動物です。
だから与えられる事重度が小さいと、人民が政府を正当と思う意識は小さくなります。

そうすると、政府は国民の一体性を保つために、
もう一つの柱である物的暴力手段を陰に陽に多用せざるをえなくなります。

共産党独裁で国家運営するにも強い物的な力が必要になるのです。
人民に一党独裁の政治思想を容認させるのは大変な仕事です。

統治者は政権確立時だけでなく普段にも「白色テロ」をすることが必要になる。
白色テロとは、知識人に自由な言論をさせないようにする脅しの行為です。
それは、当人だけでなく家族に対する脅しをも含みます。

思想統制のためには、まず知識人を黙らすことが必須になるのです。

+++

2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波も抑圧の中で生きてきました。
中国在住の中国人として初のノーベル賞に輝いた彼は、その知らせを獄中で聞きました。
その間家族も迫害の中で暮らしたといいます。

思想統制には、そのほかにインパクトの強い政治思想宣伝(プロパガンダ)
を繰り返すことも必要になります。





<米国の統治特性>

対して米国は、思想言論の自由を原則とした国家運営の創始者です。
だから中国とは多くの面で対照的になります。

人間は自分の思いの自由を求めますから、これを容認する政権者には
正当意識を大きく持ちます。

すると、統治のために物的暴力手段を用いる必要度が小さくなる。
用いてもその手段は、思想統制国家と比べると、遙かに穏やかなものになります。
白色テロの必要性も小さく、
インパクトの強い政治思想プロパガンダをうつ必要も少なくなります。




<吸収合併された場合の比較>

この二つの大国に対して日本はどういう行動をとるべきか。
その基本哲学をいかなるものにするべきか。

それを浮上させるために、奇想天外な事態を想像してみましょう。
日本がこの二つの大国によって突如吸収併合された事態をイメージします。

米国による場合は、その51番目の州に併合されたとする。
中国では省の一つとして併合されたとイメージします。

これは当面の現実では奇想天外そのものの事態です。
いうまでもなくそんなことは当面起きえません。

万一将来起きるとしても、そのためには様々な交渉がなされるでしょう。
それを通していろんな約束が取り交わされるでしょう。
だから、いまのままでそっくり併合されることはありえませんが、
突然そうなったとイメージしてみます。

そして各々について、生じる事態を想像してみましょう。
するとこの二つの国の本質、および、それら各々と日本との関係の本質が
浮上してくると鹿嶋は考えるのです。





<米国の一州になったら>

まず米国について。
日本が現状のままで突如米国に併合され、その51番目の州になったらどうなるか。
結論から言えば、日本人はさほど不幸にはならないだろうと思われます。

日本は敗戦によって、米国の統治下で米国流の国造りをさせられました。
米国で聖句主義者たちが多大な血を流して憲法に組み込んだ思想言論自由の原則を、
そっくりいただいて日本国憲法を編成しました。

実際にはGHQの担当者たちが、多分に働いてくれました。
日本に幸せ国家を作る夢に燃えて編成してくれました。

以後日本人はそれをちゃっかりいただきエンジョイしてきています。

一般的に言って、この原則のもとでの統治は
人民にものごとを強制する度合いが小さいです。

国民は比較的自発的に相互連携して社会生活を営んでいきます。
こういう暮らしには苦痛は少なく、幸福感は高いのです。





<中国の一省になると>

今度は中国について。
もしも、日本が中国の一省に組み入れられることが起きたらどうなると推定できるでしょうか。

中国は社会主義思想に反する思想が出ないように統制しつつ、一党独裁で国家を運営している国です。
日本省だけを言論自由にしておくわけにはいきません。

まず共産主義肯定の思想に日本民族の意識を改造しなければなりません。
それを中国政府は共産党特有の方法でするでしょう。

白色テロは必須です。
知識人が勝手にいろんな思想を論じてくれるというのは、何よりも困るのです。
不従順な知識人には見せしめの公開処刑もほどこすでしょう。
直系親族の連座制も実施するでしょう。

中国はこういう体質を好き好んで身につけているのではありません。
近代中国が歴史的にたどってきた国造りは、結果的に共産主義方式になりました。
それには相応の必然性もあったでしょうが、とにかくいまここまできた。
だから共産党独裁方式でやるしかないのです。

+++

階級闘争も学習させるかも知れません。
ホームレスや不定期雇用者、非正規社員などを結集させる。
これら低所得層の心に富裕層に対する憎しみを駆り立て、彼らに富裕層の財産を没収させ、
即決裁判で公開処刑させもする可能性もゼロではありません。

階級闘争的な政策手法は、毛沢東によって中国共産党のなかで体質化されてきました。
そこでの残虐性の資質も人民や軍隊(人民解放軍)のなかに蓄積してきました。

毛沢東はそれを土改(土地改良)で植え付け、以後の大躍進運動、文化革命で補強してきました。

そしてこれらの政策は、いま現在もチベットやモンゴル人民に対してなされています。
当局の情報隠匿努力にもかかわらず、その実態情報は部分的ながら
インターネットを通して流出してきています。




<中国の統治環境は過酷だった>

実は、中国における過酷な政治行為は毛沢東共産党に始まったものではありません。
残虐性を強烈に打ち出す政策の体質は古くからありました。

秦の始皇帝の中国統一(漢民族の一体化)政策からしてすでにそうでした。

彼が民族統一のために漢字を統一させたのは驚くべき慧眼でした。
だがそれのみでは漢民族の統一はなりません。

皇帝は自らの統一思想を貫き通すために、別方式の思想を主張した儒学者ら460人を
生き埋めにして殺しています。
これは儒学の文書焼却とあわせて、始皇帝の焚書坑儒とよばれています。

このようにやることがダイナミックなのは、あの広大な国土に散在している億の人民を
統一するには必要でもあったからでした。


+++

人種的な政治環境も過酷でした。
ほぼ単一民族の日本と違って、中国では常に異民族が統治権を奪取する可能性がありました。

実際モンゴル族は元を建国し、漢民族を統治下におきました。
蒙古民族の凶暴さは、日本人にも蒙古襲来時の対馬人民への処置でもって知られています。
彼らの体力の強さは、今でも朝青龍や白鵬、日馬富士といった力士が
日本大相撲の頂点を占めていることからもうかがわれます。

だがその彼らでさえ、漢民族の明王朝に政権を奪われるときには、悲惨な歴史をたどっています。
中央政府のみならず、地方政庁で働いていた元人の役人までもが皆殺しにあっているのです。

+++

異民族による征服、政権奪取というのはそういうものです。

よく、日本の皇室は万世一系といいます。
建国以来続いてきているのは、世界に類のないすぐれた皇室だからと誇る国粋主義者もいる。
これに神道の神のちからといった宗教的な意味を加える人もいます。

だが、それは異民族による政権奪取がなかったからというだけのことなのです。
もし異民族による征服が起きていたらその時点で全血統は断絶となったこと必定です。
(皇室礼賛者の方々にはごめんなさい)


+++

話を戻します。
毛沢東は詩人でもあり大変な読書家だったと伝えられています。
彼は中国政治史もその政治土壌と共に学んだのでしょう。

地理的人種的に形成された過酷な政治環境には、凶暴な政策も必要だった。
歴代統治者の歴史にそれを悟ったのでしょう。
毛沢東はそれを人民集団にさせるという方式を考案した。
これは彼の「発明」でした。

これらによって出来た体質は、日本省にも発揮されるでしょう。




<意図的政治見解ではない>

鹿嶋は今回このことを、政治的意図をもって述べているのではありません。
嫌中国感情を意図的に造成するために語っているのではない。

春平太の意識は客観的です。

このシリーズにおいても、日本がかつて中国に多大な恩恵を受けてきたことを示しました。
唐王朝時代には儒教思想でもって、日本の親として暖かく留学生を迎え文化を学ばせてくれました。
彼らが長安で学びもち帰った漢字とそれによる文化の恩恵に対しては、
いくら感謝してもしすぎることがありません。

日中戦争の敗戦時にも、国民党政府(蒋介石)は以徳報恩でもって戦争賠償を免除してくれました。
おかげで戦後日本の経済復興は速やかに進みました。

そういう事実も冷静に踏まえ、感謝と共に客観的に春平太は述べています。
そのうえで、現在日本が中国に接近するには限度があると鹿嶋はいっているのです。

明治維新以来、日本政府は共産主義方式を採用することは一度もしませんでした。
共産主義思想のもつ正義感、理想に心酔する運動家や学者は少なからずいましたが、
国家がこの方式をとることはなかった。

戦後も米国方式で国家運営をしてきました。
だから日本人民は、共産党独裁による国家運営がなされる中で暮らすのが
どういうことかを体験していません。

その状態で歴史的現実を知らずにナイーブに中国に接近していけば、
政治的面から不幸に陥る危険が大きいと指摘しているのです。

+++

現在、日本には無邪気な嫌米気分が盛り上がっています。
マスコミも無知だから、それを煽る報道ばかりしている。
民放テレビもワイドショーで「米国支配を逃れましょう」と
まるでプロパガンダのように報道しています。

この気分に乗って中国に抱きついていくようなことになったら危険極まりありません。
あほうどりのように幼稚に接近していってパクリと飲み込まれたら、
仰天の不幸に陥るよ、地獄を見ることになるよ、といっているのです。

中国もそれを悪意でもってするのではありません。
政治構造として、ごく自然にそうせざるをえないのです。

中国が自国の国民にしていることが、日本人には、地獄に感じられる。
恵まれた地政学的環境のなかで甘ちゃんとして暮らしてきた民族には
そう感じられることになるよ、といっているのです。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.24<中国論(15)>「農地分与は茶番劇だった」

2012年10月17日 | 政治見識のための政治学





共産党による土地改革、いわゆる「土改」は凄まじい内容を持っていたようです。
これに関する情報には複雑なところがあります。

平和な日本で育った日本人には、聞くだけで胸がつぶれそうになる悲惨さもあります。
ここではその多くをスキップします。




<分与して2年で召し上げる>

毛沢東は、戦後の土地改革を完遂するために、500万人の中国人民を殺したといわれています。

ちなみに戦前にも支配地域で共産党は同じ内容の土改をしたようです。
だがそれは表に出なかった。
戦後それが全国規模でなされた結果、その構造が明るみにでたという。

+++

話を戻します。
この土地改革を毛沢東共産党はまず、大地主から農地を没収し
これを小農民に分配するという名目で始めています。
そしてそれを政府の指令によってでなく、農民自身にさせています。

各地の地主に対して小農民の憎しみをあおり、財産没収、処刑をさせています。
そのやりかたはここでは書きませんが悲惨だった。
加虐趣味的、サディスティックだった。
それは小農民に階級闘争を習得させるためでもあったといわれています。

このとき共産党は地主・富農のみならずその直系子女にも、
以後30年間にわたって最下層階級の生活をさせたといいます。

また毛沢東は処刑を常に公開でさせたという。
それは小農民に共産党への恐怖を染みこませるためでもありました。
社会変革は、恐怖でもっていくと速やかに進むのです。

それでも小農民は農地を分与されて喜びました。

+++

だが歓びはつかの間で、その土地は二年足らずのうちに党に召し上げられてしまいます。

1950年に公布された「中華人民共和国土地改革法」を、
2年後の1953年に共産党は新しく運用しはじめました。

互助組と合作社という組織をつくり、それに農民の土地を
「集体」という機関に移管させしまいました。

その後互助組と合作社は消滅させ、集体だけを残しました。

後の1978年になると、そこから土地を農民に「貸与」しています。
以後そのままで現在いまで来ている。
つまりこの時以来、土地はなし崩し的に国有化されたのでした。

+++

現在、住宅地の貸与期間は70年です。
工業用地のそれは50年です。

農地には当面年限が決められていません。
けれどもそれが国のものであることには変わりありません。




<中国では土地の国有は不可欠>

土改による小農民への土地分与は、毛沢東共産党の仕組んだ茶番劇でした。
彼が結果的に国有にもちこんでいくのは考えてみれば当然でした。

中国を国民国家に保つには土地の公有は不可欠だったのです。

中国人の心には儒教の家族重視の思潮が染みこんでいます。
農地を私有にすれば、農民はすぐにその上に一族の構築を始めます。
すると国民国家は崩れていくのです。





<国民国家の本質>

とはいえ国民国家は無条件に必須なのではありません。
これは民族の武力を最大にするためのシステムです。

それは他国の侵略に対抗する時に有益なものです。
だから侵略する可能性を持った国家がなくなれば、必要なくなる性格のものです。

そもそも国民が国家マターを最大優先事項とする状態が、
国民にとって幸福度が高いかどうかは疑問です。

ひとりひとりがもっと小さな集団に別れて、
もっと濃密なコミュニティの中で暮すほうが幸福感は高いでしょう。

けれども残念ながら異民族の国民国家が他国を侵略する可能性は
この地上からなくなっていないようにみえます。

とりわけ中国は清朝時代以来、近代人類史に類がないほどの侵略を受けてきています。
前述のように、西欧列強は沼にはまった牛に食いつくピラニアのように、
中国領土を食いちぎりました。

日本は満州を取り、さらに、国家全体を支配下に置こうとして、
国土を軍靴で踏み荒らました。

このトラウマはまだ200年ほどは続くのではないでしょうか。





<とにかく他国に蹂躙されない国を>

毛沢東は土改で、同胞である中国人を500万人以上殺した、ともいわれています。
その後、いわゆる「大躍進運動」の失敗で5000万人を餓死させたとも言われる。
さらにその失敗で失脚した後、若者や子供を煽って周知の「文化大革命」を起こしている。
彼らに結成させた紅衛兵は1000万~2000万人を殺していると推定されています。

これがどれほどのものか、日本人がイメージするには第二次大戦を
引き合いに出したらいい。
あれだけの戦争をしながら、日本人の死者は約300万人でした。

中国では人間の数に関する事柄は、日本より一桁大きいです。

~がともかくこれらをもってして、毛沢東は極悪非道の人だとする論議もあります。

曰く、ヒトラーは異民族は殺したが、同じドイツ人の大量殺戮はしなかった。
曰く~スターリンは同胞を2000万人殺したが、シベリア送りなどで密かに処分した。
ところが毛沢東は、同胞を公開で処刑し続けた。

「毛沢東は公開処刑を好んだ」と評する論者もいます。
だから人類史上類例のない大悪人だ、と。

+++

確かにそれ自体は、断じて許されるものではありません。
鹿嶋にも今もこの時代に生きた中国民衆への哀れみはつきません。
神は、あるいは悪魔はなんてことをさせるのだろうか・・・。

だが、こと土改に限って言えば、毛沢東はもうこれ以上他民族に侵略されない国に
中国をしたいと切望したのではないか。
そういう推察もできるのではないかと思われます。

それには中国を国民国家にせねばならなかった。
そしてそれには中国人に未曾有の意識改革をさせねばならなかった。
これは一気に速やかにしないと実現できない。
彼はそう考えてことを急いだとも思われます。




<異民族による蹂躙は屈辱感が大きい>

もちろん、繰り返しますが、かといって同胞の大量殺人が許されるわけではありません。
人民を恐怖で突き動かし、無慈悲に殺すのは断じて悪です。

だが、同胞に騙され殺されるのも悲惨ですが、
異民族に武力の優越でもって蹂躙され殺戮されるのはもっと悲惨ではないでしょうか。

このケースでは、国民は屈辱感も味わいます。
日頃住んでる土地で相手の優越をみせつけられると、
民族的劣等感が生まれ、それが屈辱感を生む。

そして、屈辱感は後々にまで残るのです。




<日米流の民主制はほど遠い>

 ともあれ、以上に見てきたように、中国では土地の国有は必須条件です。
私有にしたら、そこに家族・血族が優先順位最高位とする一族集団を中国人は造ってしまう。
儒教気質によって、そうしてしまうのです。

だから市場経済化をしても、土地だけは公有に保たねばならない。
ということは社会主義体制を外すことは出来ない、ということです。

外したらえらいことになる。
国民国家が崩れます。

だから、思想の自由も容認することはできません。
思想言論を自由にし、自由選挙で政権者を決める制度にしたらどうなるか。
もし私有財産制への転換を主張する政党が政権を取ったら、
すべてがぶちこわしになるのです。

まだまだ中国には思想統制は必須なのです。
こういう展開で統一国家づくりがなされてきた以上、
少なくとも当面は共産党の一党独裁は不可欠なのです。

現在中国では、その上で共産党員になる機会を全国民に解放しています。
すべての人民に、既成党員2名の推薦があれば共産党員になれる機会を均等に開いています。

中国の共和制はそういうものです。
そういう国に、外部者が日米流の民主主義を要求するのは無責任です。
善意でもって勧める人はつきませんが、勧められる方は
ただ煩わしいだけなのです。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.23<中国論(14)>「毛沢東、土地公有化で国民国家を実現」

2012年10月14日 | 政治見識のための政治学





前回述べた中国人の一族重視の習慣を毛沢東の共産党は、打ち破りました。
彼はマルクス・レーニンの共産主義思想を活用してこの問題の打開案を編み出しました。

マルクス理論は、受け入れる者にはその精神を活性化する力をもっています。
それは時として魔力とさえいえる強烈なものです。
彼の思想は人間に自分が属する世界の全体観をもたせることによって、それを実現します。




<全体観の精神活性化力>

全体観というのは、人間の精神・知性を活性化するに決定的な役割を果たします。
人は全体観をもって、初めてものごとの究極の真偽を考えることが出来ます。

それはまた人間の真理希求心を充足させます。

さらに人は全体観を持つことによって正義とは何かを考えることもできるようなります。
ストレートに正義感を抱けるようになります。

この状態が、人間の精神を活性化するのです。

+++

余談ですが、ある全体観はまたより大きな全体観の一部分です。
ではこれ以上大きくはならないという究極の全体観は何か。

となると、それは聖書のゴッド(万物の創造神)に行き着くのですが、
ともあれ、そこまでいかなくても、途中の全体観であっても、
精神活性化効果は持っています。

人はそれを思いつき、その中に関心のある事象を位置づけると、
一定の真理希求心や正義探究心を充足させて精神を活性化
することが出来るのです。





<マルクス思想の魅力>

話を戻します。
マルクスは人が属する「社会」の全体像を、とても理解しやすいものに作りました。

彼は社会に不平等と不自由をもたらす根源は生産手段の私有にあるとしました。
そしてその諸悪の根源である「私有財産を否定すれば」諸悪は消滅し、
理想社会はオートマチックに実現すると説きました。

そこでは「個々人が利己心から解放され、“一人がみんなのために”生きることができる。

またそこでは「各人が能力によって働き、必要に応じて取る」ことができる、と説いた。

生産手段を公有化すればそういう自由で平等な共産制社会が自動的に出来上がる。
人間社会というのはそういう仕組みになっている、という。

~それが彼が提供した社会の全体観でした。

この全体像はとても簡素で納得しやすかった。
それまたは初めて聞くものの心の琴線に触れ、強く感動させる力を持っていました。




<毛沢東、独自の革命思想を展開>

マルクス理論では、共産主義社会は都市で経済の工業化が熟すと、
次の段階としてやってくるものでした。

私有財産制のもとで産業経済が進展すると、それは無産労働者を大量に生み出す。
彼ら労働者は社会革命を起こし、共産社会に必然的にいきつく~という歴史理論でした。

毛沢東はそれを農民主導の革命理論に転換しました。
私有財産を平等社会実現のために公有化するという思想は、
論理的には農地にも適用できます。
彼はそれを活かしたのです。

毛沢東は、中国では事態は異なるのであって、
そこでの社会主義革命は、まず農村から農民が蜂起することから始まると述べました。

そして農民がゲリラ活動でもって都市を囲い込む。
こうして革命は実現するのだと論じました。

この理論は農民が農地を公有化に差し出す道理的根拠となり、
農民に公共的な動機を形成しました。




<共産主義運動特有の暗さの中で>

とはいえ農地公有化はスムースにはすすまなかったでしょう。
農民の私有地への愛着は深く、いざ公有に提供するとなれば、
心理的抵抗は大きかったでしょう。

共産党支配地域では集団による囲い込み、説得・脅し・強制・陰謀などが
複雑に組み合わさったでしょう。
そのためになされる家族・血族意識の分解工作も過酷だったでしょう。

ソ連ではスターリンの神格化がなされ、家族以上に彼を愛させるための
宣伝工作がなされました。
工作には党員による脅しと陰謀・恐怖・強制が加わりました。
そのすさまじさ、過酷さ、陰謀の暗さは
戦後日本に育った人間には想像も及ばないものです。

政治権力を手にした共産党が、当初人民の意識革命をしていく過程は、そういうものです。
それは共産党支配地域での毛沢東の中国においても例外ではなかったでしょう。


+++

余談ですが、孫文が共産主義から離れていったのも
その暗さを察知したが故だったにちがいありません。
彼は、ソ連から紹介された共産社会思想に最初は興味を持ちました。

だが、すぐにそれを嫌悪していった。
その主因は、共産党という社会運動集団の持つ陰謀体質の暗さでした。




<日本軍が消滅したが故に>

だが毛沢東は結果的に、支配地域での農民の私有地を公有化するに成功しました。
公有化の過程で、中国人民のあの家族愛は、
長期的ではないにせよバラバラに解体されていきました。

こうして共産党支配地域では中国の農民は国民国家の人民たるべき資質を
もたされていきました。
彼らは共産党軍に直接忠誠する兵士と化したのです。

+++

こういう意識改革が本格的におこなえるにつけては、
やはり日本軍という強敵がいなくなることが必要でした。

中国共産党はこの条件が整った戦後になってはじめて、
農民の生活意識にまで踏み込んでの思想教育に本格的に着手することがきたわけです。

その成果が、戦後の国共内戦の中頃から現れていったのでしょう。
そしてかく成立した国民国家的結集力が、
当初は圧倒的に優勢だった蒋介石の国民党軍を、徐々にくつがえしていきました。




<実事求是の認識方法論>

補足です。
毛沢東が独自の農村主導革命論を展開した当時、
マルクス・レーニン思想は世界中で金科玉条の地位を占めていました。

そのなかで中国共産党は、スターリンのソ連共産党のほとんど支配下にありました。
ですからマルクスと異なる理論を述べれば、
国の内外で修正主義者のレッテルを貼り付けられ、処断されるのが自然でした。

そうしたなかで毛沢東は、周到な知的準備をおこないました。

彼はまず中国の古典『漢書(かんじょ)』から
「実事求是(じつじきゅうぜ)」という認識論をもちだした。
それは「真理は事実に即して探究すべし」という理論構築の方法論でした。

毛沢東はこれを持ち出した上で、自らの修正理論を展開しました。
中国では農村主導革命論が現実に即するとの主張をのべ、実践していったのでした。

+++

内戦に勝利した翌1950年、彼は「中華人民共和国土地改革法」を公布しました。
それは、共産党支配地域で実施してきた土地革命を、
残された未実施地域で行おうとするものでした。

この方策でもってのみ、中国は全体を国民国家に仕立て上げることが出来たのでした。
その土壌は今もかわりないでしょう。
我々日本人は、この事実をよく見据えなければなりません。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.22<中国論(13)>「儒教・家族重視・私有農地保全」

2012年10月13日 | 政治見識のための政治学




日本は明治政府を作ると、速やかに版籍奉還と廃藩置県を実施し
国民国家を作りあげた。これは前回のべました。

この国民国家を形成するのに、中国に日本とは違った障害がありました。
儒教思想による、家族・血族の絆重視の姿勢がそれです。
中国人には家族が最大の優先要素でした。




<家族と儒教思想>

これは儒教思想によります。

+++

ここでまた脇道に入りますが、思想に主導された行動形成については、
日本人は盲目なことが多いです。
自らに理念主導の行動様式がないので、他者が理解できないのです。

日本は理念が個人や社会集団の行動を形成していくことが少ない国です。
その時その時の状況で実利的に他者と調整を取りながら行動していく。
だから鳥瞰図・大局を見通せずに、周期的に大事故・大悲劇に陥る。
そして痛い目に遭ってまた修正していく。

これは歴史観の希薄さと表裏をなしていますが、とにかく自分がそうだから、
他国の理念主導の強さが追体験できない。

これは日本民族の長所でもあり、また、病気でもあります。
(この病気面は、聖句の歴史観を体系的に吟味することによって治癒されます)



+++

話を戻します。

儒教では、国の統治論も隣国の運営論も家族をイメージ基盤にして形成していました。
君主は家父長に相当し、家来はその子供たちでした。
隣国である朝鮮(兄)も日本(弟)もその息子でした。

その理念に主導されて中国では家族、血族が最大の優先要素でした。
「四世同堂(よんせいどうどう)」ということばが中国にはあります。
「四世代の家族が同じ屋根の下に住む」という意味です。
それは「そうして一緒に食事できるのが最高の幸福」というニュアンスにつながっています。


これには自分より前の二代(親と祖父母)と自分より後の二代(子と孫)と共に、
つまり、自分も含めて実質合計五世代が共に食事会を持つこと、という理解もあります。
がともかく、中国人にとって血族の子孫繁栄が最大の幸福という思想が強固でした。

+++

中国人民には国よりも家族と血族が大事だったのです。
血縁重視のこの思想は地縁重視の姿勢にも繋がっていきます。
彼らは、村の外敵には村人と一緒になって戦いました。

この意識がまた地方政府重視、地方分権重視にもつながります。
この地方政府は日本でいったら江戸時代の藩をイメージしたらいいでしょう。

前回述べたように、日本では家族の存在力は藩のように大きくありませんでした。
それは藩の都合に常に道を譲るべき人間集団単位でした。

対して中国では家族の基盤が非常に強固でした。
特に農村ではその思想が染みこんでいました。

そしてそれを支える経済的基盤が、彼らが自ら所有する農地でした。
彼らはその農地の上に何世代にわたって血族を維持してきました。





<儒教思想が支えた私有農地>

中国の農民の所有農地は、時代が近代に入っても安定していました。

多くの国家では経済が近代化して、貨幣経済が進展しますと、
小農民は貨幣的理由で土地を奪われていきます。
英国での「エンクロージャー(囲い込み)」はその一例でした。

経済生活に貨幣が必要な局面が増えますと、
小農民は貨幣の扱いに慣れていないが故に借金をするのです。

その形(カタ、抵当)にするのは農地しかありません。
だが借金の返済はいずれ不可能になり、彼らは農地を取られます。
そして大地主の小作労働者となったり都市の無産階級労働者となっていきます。

+++

だが、中国ではその現象は起きませんでした。
儒教思想がその防壁となってきたのです。
『論語』にある「以徳報怨」はその代表でした。

正確に言うと孔子自身は「徳を以て怨みに報いよ」とは教えていなかったようです。
それは彼への質問「徳を以て怨みに報いるという考えはどうでしょうか?」
の中で用いられている言葉です。

そして孔子自身は「怨みには誠実をもって報い、徳には徳を以て報いるのがいい」
と答えたといいます(憲問第十四の36)。

中国では後に老子が「怨(うら)みに報ゆるに徳をもってすべし」と説いたという。
だが以徳報怨は人間の心底にある人間愛の理想でもあります。
この言葉自体が、人の心に浸透する力を持っています。

それらによって以徳報怨は中国人一般の道徳となりました。

この思想の故に、小農民は私有地を所有し続けられたのです。
貸金者(多くは大地主)は小農民を、土地を取り上げられるところまでは、追い込まなかった。
貧しい農民が食べる糧を失う、その一歩前で許したのです。

例外もあったでしょうが、この儒教の「徳」によって、多くの中国農民たちは
私有農地の上に何世代にもわたって血族を継続させることができたのです。





<私有農地が国民国家の障害に>

ところが歴史とは皮肉なもので、
この麗しき風習が国民国家を作る上での強大な壁になっていました。

そうしたなかで孫文は、まず私有農地制を残したままで、国民国家化を志したのでした。
孫文ほどの人ですから、事態が進めばこの問題に新たな対処を考えたかも知れません。
だが、彼の生きた時代には、そこまで事態は進みませんでした。

蒋介石は、孫文の後継者であり、また、強い反共産主義者でもありました。
それ故に、戦前戦後一貫して私有農地容認の路線を進みました。

だが毛沢東の共産党は、中国人の根っこにある家族重視の意識習慣を解体しました。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.21<中国論(12)>「鍵は『国民国家』だった」

2012年10月08日 | 政治見識のための政治学





1945年に日本は太平洋戦争に敗戦しました。
中国大陸ではその後も日本軍人の残党や技術者はいて様々な活動はしました。
戦後中国のために映画を初めとする技術で役立った人もいました。
だが中国の支配権をもくろむ大軍隊は消滅しました。

蒋介石の国民党軍と、毛沢東率いる共産党軍には共通の敵はなくなりました。
両者は再び中国の統治権を求めて戦いを始めました。
国共内戦の再開です。

勝敗は4年後に決しました。
1949年、蒋介石は戦に敗れて台湾に逃れました。
そして台北を臨時首都としてそこを中華民国の本拠地としました。

蒋介石は中華民国は健在で首都を台北に遷都したにすぎないという立場で、
中国全土の統治権を主張しました。
米国はこれを支持しました。

他方、中国大陸の支配権を確保した毛沢東は、共産党政権による
中華人民共和国の建国を宣言しました。
そして逆に台湾も含めた全土の主権を主張しました。
ソビエト連邦はこれを支持しました。

その後、ソ連は崩壊しましたが、以来、基本的にはその状況で今日まで来ています




<軍事力、逆転する>

内戦の前半二年間は、蒋介石の国民党軍が圧倒的に優勢でした。

だが、二年を過ぎたあたりから、毛沢東の共産党軍の方が優勢に転じました。

その根底原因は必ずしも明示されてきたいませんが、それを知ることは、
今日の中国を理解する上での鍵知識になると鹿嶋は感じています。

そしてその知識のキーになるのは「国民国家」の概念だと鹿嶋は考えています。




<国民国家>

国民国家(nation-state)とは、
「国民が最大の価値を認める社会集団が国である状態の国家」です。

人間個々人は様々な社会集団をつくり、所属します。
国もその一つにすぎません。

江戸時代の日本における藩も、また戦国時代の大名国家のような地方政体もまた社会集団です。
家族、血族、氏族もまた社会集団です。

諸集団に属しながらも国民が、国に最大の優先順位を認めているのが国民国家です。

国家の強い軍事力を作るには、こういう国家が出来ていることが大前提です。
武器の優秀さも大切ですが、とにかく国民国家の意識がが確立していないことには
どうにもならなりません。

人民も兵士も国旗の下に一つにまとまる(一体化する)ことをしないからです。




<日本の廃藩置県は大英断だった>

明治維新の元勲たちが、維新がなると速やかに版籍奉還と廃藩置県を強行したのも
その洞察の故でした。

明治維新がなった時点で、日本人民が最大の優先順位におくのは自分の属する藩でした。
藩の重要度は家族、血族を遙かに超えていました。
とりわけ武士階級にはそれが顕著でした。
藩命は絶対で、血族の絆を断とうとも、家族を不幸にしようともそれは従うべきものでした。

その状態は藤沢周平が小説の中で繰り返し克明に描いてみせてくれています。
武士以外の人民にとっても、自藩は最大の所属集団でした。

だが当時西欧列強はすでに国民国家を実現していました。
藩優先意識を持った軍隊のままでは、日本はこれに太刀打ちできません。

それを洞察した新政府指導者は廃藩置県を強行しました。
これには藩主(大名)も驚いた。
武力でもってこの政策を阻止しようとした大名もいたようです。

だが、これは日本が列強の植民地にされないために不可欠なことでした。
西郷隆盛などは、従わない藩は薩長の大軍を持って踏みつぶす覚悟であったといいます。

+++

版籍奉還には皇室、天皇の権威も役立ちました。こうして日本は速やかに国民国家を実現しました。
それなくして日清、日露両戦争における勝利はありえませんでした。
日本はその後も、「♫見事散りましょ、国のため・・・♫」といった軍歌が
自然に受け入れられる国家であり続けました。

その国民意識が、強大な軍国国家日本を形成しました。
最後は敗れたとはいえ、極東の小さな島国が太平洋から東南アジア、中国全土という
広域にわたって戦争を続けられたのは、国民国家だったがゆえでした。




<孫文の洞察>

日本での生活を通して孫文もそれを洞察していました。
彼の新国家建設のビジョンにも、中国を国民国家にすることは
大前提になっていました。

その仕事を、清王朝打倒の革命を仕掛けることから始めたのです。
遠大な理念でした。

彼の三民主義の最初の項目「民族主義」も、彼のビジョンを知ると
わかりやすくなります。

彼の民族主義とは「民族共和主義」でした。
そして、それは多民族国家中国における全民族が、
平等原則の下に共和制政府を樹立するという思想でした。

彼の時代の中国には非常に困難な課題でした。
だが、孫文にとっては絶対の実現目標でした。
彼は国民国家にせねば諸外国は中国を尊重しないことを透視していました。

+++

前回登場した陳炯明(ちんとうめい)は、孫文の思想を
そこまで認知することはできませんでした。

国民国家を目標にしないならば、陳の言うように地域連合型の国家にする方が
遙かに建設が容易で現実的です。

陳炯明が同じ国民党にありながら、これを主唱して孫文に何かにつけ
反対したのもまた自然なことでした。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする