ヨハネ伝解読、本日は17章の第二回です。
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=聖句=
「それは(創造主がイエスの栄光を現すのは)子が、
あなたからいただいたすべの者に、永遠のいのち与えるため、
あなたは、全ての人間を支配する権威を子にお与えになったからです」(17章2節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第一節でイエスは父なる創造主に「時が来たので、子(イエス)の栄光を現して下さい」と祈りました。
今回はその続きです。
まず前半の「それは子が、あなたからいただいたすべの者に、永遠のいのち与えるため」から。
子はイエスです。
「あなたからいただいた者」は、弟子を始めとするイエスを信じる人々です。
信じた人間を創造主はイエスのものとする。
それが「あなたからいただいた全て者」です。
そしてイエスは自分のものにしてもらった信徒に、永遠にその霊に留まる「いのちエネルギー」を与えます。
「~に永遠のいのちを与える」はそういう意味になります。
人間がイエスを信じるのは、自由意志によります。ここがポイントだ。
創造主は自由意志で信じた人をイエスのものとするのです。
ここを「創造主が特定の人間を選んで、イエスを信じる者とする」と解読すると、
予定説になってしまいます。
「選ばれない者は、信じない者となり、いのちを与えられないもの」
という論理になってしまうからです。
後半の~
「あなたは、全ての人間を支配する権威を子にお与えになった」
~はどうか。
まず「全ての人間を支配する」
~これは「世を意図した状態に保持する」ということです。
全ての人間を支配できれば、世を自分が意図した状態に保つことが出来るでしょう。
ではその状態はなにかというと、
一つには「人間が本当に信じるのは、自由意志によるしかない」という状態です。
これは当たり前のようですが、実はとても特徴的なことですよ。
ロボットのように、ある環境条件が出来ると自動的に信じるようになる、
という状態にイエスは人を造ることも出来ますから。
本日の聖句の前半部分には、その状態を前提にした、もう一つの状態が述べられている。
つまり「(自由意志で)イエスを信じる者がイエスのものなり、
その人がイエスによって永遠のいのちを与えられる」という法則が貫徹する世の状態です。
これも特徴的なことですよ。
「全ての人間を支配する権威を与えられたら」イエスは他の状態に世をすることもできるんですね。
「信じる信じないに拘わらず、全ての人間に永遠のいのちが与えられる(救われる)」ようにすることも出来る。
自由自在です。
そのなかでイエスは、上記の法則が貫徹するような状態に世を造り保持した、というわけです。
そう造った上で、彼は様々なわざをしているという風景になる。
これも一つの奥義です。
その奥義がイエスのこの祈りによって人間にわかるようになった。聖書の論理は深いですね。
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=聖句=
「それは(創造主がイエスの栄光を現すのは)子が、
あなたからいただいたすべの者に、永遠のいのち与えるため、
あなたは、全ての人間を支配する権威を子にお与えになったからです」(17章2節)
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第一節でイエスは父なる創造主に「時が来たので、子(イエス)の栄光を現して下さい」と祈りました。
今回はその続きです。
まず前半の「それは子が、あなたからいただいたすべの者に、永遠のいのち与えるため」から。
子はイエスです。
「あなたからいただいた者」は、弟子を始めとするイエスを信じる人々です。
信じた人間を創造主はイエスのものとする。
それが「あなたからいただいた全て者」です。
そしてイエスは自分のものにしてもらった信徒に、永遠にその霊に留まる「いのちエネルギー」を与えます。
「~に永遠のいのちを与える」はそういう意味になります。
人間がイエスを信じるのは、自由意志によります。ここがポイントだ。
創造主は自由意志で信じた人をイエスのものとするのです。
ここを「創造主が特定の人間を選んで、イエスを信じる者とする」と解読すると、
予定説になってしまいます。
「選ばれない者は、信じない者となり、いのちを与えられないもの」
という論理になってしまうからです。
後半の~
「あなたは、全ての人間を支配する権威を子にお与えになった」
~はどうか。
まず「全ての人間を支配する」
~これは「世を意図した状態に保持する」ということです。
全ての人間を支配できれば、世を自分が意図した状態に保つことが出来るでしょう。
ではその状態はなにかというと、
一つには「人間が本当に信じるのは、自由意志によるしかない」という状態です。
これは当たり前のようですが、実はとても特徴的なことですよ。
ロボットのように、ある環境条件が出来ると自動的に信じるようになる、
という状態にイエスは人を造ることも出来ますから。
本日の聖句の前半部分には、その状態を前提にした、もう一つの状態が述べられている。
つまり「(自由意志で)イエスを信じる者がイエスのものなり、
その人がイエスによって永遠のいのちを与えられる」という法則が貫徹する世の状態です。
これも特徴的なことですよ。
「全ての人間を支配する権威を与えられたら」イエスは他の状態に世をすることもできるんですね。
「信じる信じないに拘わらず、全ての人間に永遠のいのちが与えられる(救われる)」ようにすることも出来る。
自由自在です。
そのなかでイエスは、上記の法則が貫徹するような状態に世を造り保持した、というわけです。
そう造った上で、彼は様々なわざをしているという風景になる。
これも一つの奥義です。
その奥義がイエスのこの祈りによって人間にわかるようになった。聖書の論理は深いですね。