鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

創造主を超入念に説明したDVDと堀越牧師

2017年11月26日 | 政治見識のための政治学




今回は、今年8月に老衰のため91才で逝去された堀越暢治牧師のお仕事について書いてみます

堀越牧師に初めてお会いしたのは拙著『神とゴッドはどう違うか』新潮選書、が発売された年だから、1997年でした。
ついこの間のような気がしますが、もう20年前になるんですね。

突然電話をいただきました。
「私は四日市で牧師をしている。本を読んだ」
「私もゴッドを神としていたのでは日本人は聖書もキリスト教もいつまでたっても認識できないままだ、と痛感してきた」
「お会いしたい。おうちに伺いたい」




<長老派の小教会を成長させる>

結局どういう理由だったか、私の方から教会に伺うことになりました。
初対面でした。

四日市にある長老派の教会で、日本では明らかに大きな部類に入る教会でした。
教会員は250人くらいかそれ以上だったと記憶しています。

+++

教会は高台にありました。
そのベランダから、教会が経営する幼稚園が見下ろせました。
庭で子どもたちが遊んでいました。

「こんな田舎でこれだけ大きなキリスト教会は珍しいですね」
と述べた私に、堀越牧師は~
「それにはこの幼稚園が鍵になっていますよ」と応えられました。




<鍵は幼稚園開設に>


堀越師は、日本基督神学校を1962年に卒業し、そのまま日本長老教会四日市教会牧師に就任されたとのことです。
教会員20名程の小さな教会だった、と言っておられた記憶があります。

堀越師は、そこに附属幼稚園を創られました。
入園してきた子どもに、聖書の神様である創造主をしっかり教えた。
人間はその愛の元に大切に造られている、と教えた。
そのうえで聖書の世界観、道徳観をわかりやすく教えられたそうです。

すると子どもが凄くいい子になった。
母親が子どもの変化に驚き、その教育に関心を持って、尋ねてきました。

そこで、母親にも創造主の理念を入念に教え、それを基盤にして聖書の思想を説明しました。
そうしたら、お母さんたちが、聖書の教えを期待して学び、受け入れ、教会に来るようになったそうです。

噂が広まって幼稚園児も増え、お母さんや同行するご主人の数も増えて、教会が今日に至っている、と説明されました。





<定年退官後のビジョン>

堀越師は、近い将来長老派教会から定年退官されることになっていました。

「これだけ大きくした教会を、定年で去られるのですか?」とたずねた私に~、
「この教会はそっくりそのまま長老派本部にお返しします」
「また新しく教会を開拓します。もう名前も決まっています」
~と応えられました。


「創愛キリスト教会」がそれだという。
「創造主を愛する人々が群れる教会」と鹿嶋は想像しました。
堀越師は創造主を明確に認識することを一貫して教会成長の基盤と考えておられました。
(1999年から、単立創愛キリスト教会牧師となられている)



<創造主訳聖書>

その観点から、堀越師は「ゴッドを創造主と訳した聖書」の制作をも志しておられました。

「いまは教会員に邦訳聖書の「神」を「創造主」と読み換えさせていますが、いちいち労力がかかります。きちんと創造主と訳した聖書を作ろうと思う」と言っておられました。

その目標は、2013年に実現されました。
他の牧師にも呼びかけ、『創造主訳聖書』(ロゴス出版社)を刊行されたのです。
聖書キリスト教会牧師の尾山令仁氏による現代訳聖書を底本にしての、堀越氏宿願の達成でした。

現在、アマゾンからも販売されています。

https://www.amazon.co.jp/%E5%89%B5%E9%80%A0%E4%B8%BB%E8%A8%B3%E8%81%96%E6%9B%B8%E2%80%95%E6%97%A7%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8-%E5%B0%BE%E5%B1%B1-%E4%BB%A4%E4%BB%81/dp/4907252005/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1511579385&sr=8-1&keywords=%E5%89%B5%E9%80%A0%E4%B8%BB%E8%A8%B3%E8%81%96%E6%9B%B8




<DVD「いのちありがとう」>

堀越師のもう一つの仕事は、人間の身体が創造主の驚異的な知恵と設計で創られている様を、詳細入念に示す動画を遺すことでした。

そしてその志をDVD「いのちありがとう」シリーズ、全6巻として実現されました。
それは現在、HP「ノアの箱舟記念館 設立準備会」でネット販売されています。

http://inochi39.cart.fc2.com/ca2/31/p-r-s/

鹿嶋としましては、堀越師の最大遺産は、上記聖書よりも、むしろこのDVDシリーズだと考えています。

これだけ入念に被造物の中に創造主の知恵と設計を示したAV資料は、ないでしょう。

これは、あらゆる教会で使える教会活性化資財です。

創造主をきちんと認識させることの効果は、絶大です。
堀越師はそれを長老派四日市教会と、創愛キリスト教会との二つの事例で実証されています。

DVDは2007年4月に完成し、同年5月に発売されたとのことです。

今回は、その十年後の今年、2017年8月に逝去された堀越師のお仕事と遺産の紹介までと致します。







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=山本周五郎、没後五十周年連続ドラマ「赤ひげ」=

2017年11月20日 | 政治見識のための政治学




山本周五郎、没後五十周年だそうです。
NHKBSプレミアムで「赤ひげ」(毎週金曜、午後8:00~8:45)8回連続番組をやっています。

周五郎の人間哲学「人間がひたむきにした事はみな善だ」が、久方ぶりに私の心によみがえってきました。

この作家は、「たとえ殺人であっても、飢えた我が子に食べさせるのにそれしか出来ない人間が行った行為なら」それは善だ、と考えます。

「貧困と病気と絶望に沈んでいる人たちのために、幸いと安息が恵まれますように」

~周五郎のことばです。

彼は小説の中で、貧しく無知になるしかなかった人間に、限りない慈しみの念を注ぎます。

そうした目で特に、江戸時代の庶民の、いとおしいほどの「ひたむきな姿」を描きました。

昭和40年代の日本人の多くが、彼の「人間愛」に心を温められました。

鹿嶋も二十代のとき、特にそうでした。
周五郎の突然の逝去に衝撃を受け、喪失感を埋めるようにして追悼書のようなものを、買いもとめたりしました。


『人間・山本周五郎』木村久邇典、
『山本周五郎~宿命と人間の絆』山田宗睦、
『わが山本周五郎』土岐雄三、
『山本周五郎~人間愛のうた~』川端康成編

・・・などが、今も書棚に残っていました。
久しぶりに取り出し、懐かしく読み返してみました。




<昭和年代最大の作家>

周五郎ってどうしてこんなに物語作りが巧みなのか、と当時思いました。
いまあらためてドラマを見てもおなじ驚きを感じます。

「昭和年代最大の作家」という評も、昭和がまだいつ終わるかわからない頃から、彼に対して有りました。

いま、平成になって30年近くが過ぎています。
あのときの評は間違いなかったと鹿嶋は思っています。

ちなみに彼は、まるで聖書の論理を知っているかの如くに「世の栄誉」を生涯拒否し続けました。
今も直木賞を断った只一人の作家ですし、その後の毎日出版文化賞、文藝春秋読者賞などみな辞退しています。




<西欧では共感は得られない?>

周五郎の物語の精神世界は、人間が共感と同情と慈しみの感性を全開させて生きる世界です。
だからこそ、江戸の庶民の心情をあれほどまでに深く繊細に想像し描けたのだと思います。

だが彼の作品が西欧社会に翻訳本で紹介されたという情報は、鹿嶋の知る限りではありません。

西欧で出版されても、読者からの共感はほとんど得られないからだろうと思います。

周五郎ワールドは、創造神理念はかけらも持たない人間たちの物語世界です。
だからこそ、あれだけ庶民が喜び、悲しみ、愛し、誤解し、憎しみあう世界を、あれほどに深く繊細に描き慈しめるのです。

手放しで慈しみの心に浸りきれるのです。

日本というのは、まことに不思議な文化圏だと思います。




<熟成した創造神理念を植え込めるか>

ここに不用意に、創造神の視野を介入させたらどうなるか。

物語に余計な不純物が入るだけに終わるでしょう。

+++

だが、もしも創造神理念を十分熟成させて介入させたらどうか。

それが成れば、周五郎の「慈しみの心」を損なうこと無く、知的な自立心を読者の心情に植え込むでしょう。

創造神への視野と、人間への愛と慈しみは基本的には併存できるのです。

イエスの命令~
「まず創造神を心から愛し、次に隣人(人間)を愛しなさい」
~は、それを示唆しています。


でも具体的にそんなことが出来るのでしょうか?

それを実践したのではないかと思える牧師さんが三重県四日市市におられました。

その方は「創愛キリスト教会」を創立され、今年亡くなられたた堀越暢治牧師です。

鹿嶋は、機会を得て師の仕事を考察してみたいと思っています。








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=「やってみなわからしまへんで」の難しさ=

2017年11月18日 | 政治見識のための政治学




前回、鹿嶋は「やってみればわかります」と一度ならず申しました。
実際、聖句を手がかりにして想像の世界を巡るという知的精神的作業がもたらす効果は、
「やってみて体験」しないことには悟りがたいところが多いです。

だた実のところ、これは日本人の読者には、とてもとても実行しがたいことです。




<もう「見えない世界の話」は絶対信じない!>

戦後日本文化は、第二次大戦での敗戦によって開始されました。
それは「見えない世界」を信じたことへの大反省によって始まりました。

+++

~曰く、我々は「天皇は現人神であり、そのために死ねば霊魂は靖国神社に祀られる」と小学校から教育されて、信じ込まされてしまった。
そのため「神風が吹いて鬼畜英米をやっつける」と思って特攻隊員となって多くの若者が死んでいった。

だが、沖縄を米国艦隊が包囲しても、神風は吹かなかった。

目が覚めてみたら、あれは犬死にだったとわかった。
あれは真っ赤な嘘だったのだ。

もう宗教は金輪際信じないぞ。
見えない世界のことは絶対に信じないぞ。




~この単純な信念を敗戦後の大人は心に固めました。
そしてその哲学をベースに、戦後日本の精神文化は積み上がっていきました。

~鹿嶋は戦後当時、4~5歳の幼児でしたが、その空気をなぜかリアルに感受していました。

お兄さんたちは宗教を毛嫌いしていました。
彼らは「ああ、さっき坊主(お坊さん)を見てしまった。今日は一日縁起が悪い」と日常的に口にしていました。
われわれ子供たちもそれを真似しました。


今の若い人には信じがたいかも知れませんが、これ本当ですよ。

今はそれほどダイナミックではありませんが、基調は変わっていない。
今も日本は戦後文化の中にあります。




<強い嫌悪は「恐怖」につながる>

宗教を毛嫌いする心理は、「見えない世界」を想像することへの恐怖感につながっています。
戦後の大人たちは、見えない世界の話を聞かされると、とたんに、フリーズし固まってしまいました。
私たち幼児もその空気に中で、同じ心理習慣を身につけていきました。

鹿嶋も例外ではなかった。
そしてその気質は、成人になっても続きました。
「見えない世界」の話を聞くと、反射的に恐怖しました。




<戦中派に顕著>

この習性は、いわゆる「戦中派(戦時中に青少年だった世代)」にはとりわけ顕著でした。
現在はその世代は90歳近くになって、多くは逝去しています。
だが、その後の世代にもこの習性は濃厚に残存しています。

これはよほど意識して論理的に対決しないことには、消えることがない。
現在の鹿嶋は例外的日本人なのです。

+++

だから、「やってみればわかります」の言葉は、当面空転し続けます。
けれども、それでも正論は言い続けるべきと、鹿嶋は思っています。




経験的現実に標準を合わせてしまえば、本は売れやすくなる。
だがそれでは、『バプテスト自由吟味者』の制作主旨が貫徹しなくなってしまいます。

~今は売れなくても、これから一人、二人と「読んでみようか」と思う人が出てくるだろう。
そのとき、本が入手できるように、訳者の費用で在庫を保持しよう。

~そういう姿勢でやり続けます。

みなさま、恐怖感が希薄になったら、「やってみて」ください。
それまで鹿嶋は、「やってみなはれ、やってみなわからしまへんで」という
鳥井信治郞(サントリー創業者)の言葉を復唱し続けましょう。





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聖句吟味が精神を活性化する仕組み

2017年11月16日 | 政治見識のための政治学





先回、読者の『バプテスト自由吟味者』の要約について考えました。
読者の考えるそれと、訳者の考えるものとが違っている~その理由を考えました。

自然発生的にできあがっていく統治(政治)体制が、社会成員個々人の精神の自由に最大価値を置くことは起きえない。
~そのことへの知識の欠如が理由だ、と申しました。




そういう統治体制の中にいながら、個人の精神自由に最大価値を置く国家ができていったのは奇跡だとも言った。
その奇跡を成し遂げたのは、聖句自由吟味者たちだと、あらためて指摘しました。

今回は、そうした奇跡を起こす知的・精神的活力の由来を考えましょう。
聖句自由吟味活動をすると、どうしてそれが生じるか~その仕組みと構造です。





自由国家建設の奇跡のためには、信じがたいほどの知力が必要でした。
その上に、驚異的な忍耐と努力と、聖句自由吟味活動が迫害を受けずにできる社会実現という理想~このために命をかける勇気が必要でした。

実際それには、1500年以上にわたる流血の犠牲が伴いました。

そうした信じがたい精神活力を聖句自由吟味活動は、どうして育成したか。

その構造を考えるのです。





<見えない世界の事柄>

理由の第一は、聖書が広大にして深遠なイメージ世界を提供したことでした。

聖書が示す世界は、無限大の空間と時間を持った「見えない世界」です。

この世界のことがらに関する思索では、見える世界の思索に比べて、イメージ(想像)する作業が飛躍的に多くなります。

これがいかに強烈に、人間の想像力を訓練し、育成することか。




<想像と論理能力>

想像とは「見えないもの」を「見るように思う」ことです。

「見えない世界」への想像を進める際、人はその世界イメージを詳細化していきます。

そのためには人は推論をします。

これには人は、持って生まれて与えられている論理能力を用います。

そのギフト(たまもの)を無限大の世界に対して適用することが、いかに論理力を強大に鍛えることか。
やってみればわかります。




<『ダニエル書』と『黙示録』の解説書>

ニュートンは、物質の中に「万有引力」があることを発見したことで有名です。
彼は、その思索に入る前に、聖書のなかの『ダニエル書』と『黙示録』の解読書を書いたと言われています。

この二つの書物には、聖書の中でもとりわけ奇想天外というか、夢のごとき幻の世界が記録されています。
こういう幻の解読には、とりわけ大きな想像努力が必要になります。

ニュートンは、その世界への解読・思索を、物理世界を考える前に試みていました。
この作業は、彼の発見に大きく貢献したでしょう。

それ故に、すべての物質に存在する「他者を引きつける力」引力という「見えない存在」を彼は発見できたとみられるのです。

のみならず、その力の大きさは、物質自らの質量に比例し、引きつけようとする他者との距離の二乗に反比例するという量的関係すらもニュートンは発見できました。

われわれはいまでも、建築や宇宙旅行などの領域で、その恩恵を受け続けています。




<神学を「セオロジー」というのは>

ちなみに、聖句に示された事物の間に存在する論理体系を追求する作業を「神学」と言います。
この英語がtheology(その直接の意味は「理論学」)であることも意味深いです。

学問はみな理論作りをします。
だが、神学ではセオリー(理論)作りが思考の大半を占めるのです。
その特徴を捉えて~そういう精神活動が大半を占めるという~聖書の中の論理体系を探る学問に、「セオリー作りの学問」という名がつけられたのでしょう。




<推論の手がかり>

聖書が提供する認識世界の広大さについて、もう少し考えましょう。

見えない世界を推論するとき、人は論理だけでなく、様々な手がかりをも用います。
その際、人がまず用いる「手がかり」は、見える世界の経験知識でしょう。
つまり人はまず、見える世界で得た経験知識を、見えない世界に投影して考えるのです。

人間が「見える世界」でおこなう認識活動ではその範囲がしれています。
だから、この手がかりはすぐに種が尽きてしまいます。

その結果、想像作業は貧困なものに終わります。




<聖句という手がかり>

ところが、その手がかりに「聖句」を参加させると、事態は急展開します。

聖句には、超霊感者(預言者)が、万物の創造神と自称する存在によって見せられた幻の記録が多く記されています。
預言者はそれを、創造神からのメッセージと「信じて」記録しています。

それを「事実かもしれない」との期待を持って、手がかりとして用いてみる。
すると、果てしなく広大な世界が目の前に開けてきます。

創造神からのメッセージとして与えられる幻は、時間と空間が無限に広がった世界にわたるものです。

それを手がかりにして思索すると、人の「知性」は無限の世界を飛翔します。

その活動が、人の知性を強烈に活性化するのです。
(やってみればわかります)





<しるしと不思議は知的作業に「激しさ」をもたらす>

さらに、聖句という手がかりは、それを受容した人には、しるしと不思議~癒やしなどの奇跡~を出現さすこともあります。

奇跡を体験したり観察したりした場合、その人の聖句への信頼は高まります。
聖句を手がかりに考えようという意欲は強く、激しくなります。

この激しさが集中力を生みます。
すると、従来使われなかった能力、潜在していた能力が表に出て動き出します。

激しさと集中力は、人間の潜在能力を顕在化させるのです。

すると知性は突然、活性化を開始し、それがごく自然に精神の活性化にもつながっていくのです。






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『バプテスト自由吟味者』への的外れな要約

2017年11月10日 | 政治見識のための政治学



わたくしの新刊『バプテスト自由吟味者』は、思いがけない体験を私に与えてくれています。

この本は小さな冊子ながら色んな新情報を読者に与えています。

だが、それを一言で言えばどうなるか。どう要約できるか。

鹿嶋本人としては、こうとらえていました。

 ~「今我々が享受している、信教自由、言論自由などは、実はバプテスト派をはじめとする、聖句自由吟味主義者たちが造ってくれたものなんだよ」

~これでした。


  

すすんで入手して下さった人、義理で買ってくれた人も含め、様々な方から今までになく多くの方が、感想をくださっています。

これも今までに無い体験ですが、予想外のことが他にもあります。

感想・批評には、通常、その人のとらえた「本の主旨」の要約が明に暗に入るものです。

その要約がすべて、筆者の上記の要約から的が外れているのです。

「これは北欧のすぐれた教育システムはバプテストの方式を使って出来ている」ことを
示した本である・・・とかね。




こういう体験は初めてです。鹿嶋は驚きました。
そしてぼんやりと理由を考えている内に、これも衝撃的な原因に突き当たりました。

+++

日本人には、人間社会とその運営についての基本的認識が無い、というのがそれです。
読者は日本人の現状を代表していると思えるのです。

社会の運営とは、政治であり統治です。
それに無知というのは政治的無識ということでもある。

政治見識が薄い、なんてものでない、ゼロなんだな。

+++

「ああ、そうなんだ。だから終戦後日本を統治したマッカーサーは
“日本人は政治的には13才”との感慨を漏らしたのだ」

~いまさらになって、初歩的な合点を鹿嶋はしてしまいました。





<政治の理解には、社会生成の基礎知識が必要>

 ここに現れた日本人の政治的無識、これを鹿嶋は、このブログで知識補填することにしました。

以下やってみます~。

@@@
 
人間は地上で自己増殖をしながら、まず、あちこちの地域で群れて小集団を形成します。
(聖書では「ノアの洪水」の後、ノアの家族から再び増殖を始めたことになっています)

農業を始め、協働し合ってすると効率が急上昇する活動分野がいろいろあるからです。

それゆえ人々は地域的、部族国家のようなものを創っていきます。

+++

人はそこに一定の「秩序がありそれが守られている状態」を望みます。

集団内の人間には、ならず者的なセンスの者もいるのです。

腕力を使って、他者の家族の食料を強奪したり、当たり前のようにして娘を強姦する者もいる。
なぜかこれはどの地域にも、いつの時代にも現れるのです。

だが、大多数の人々はその被害に遭うことを非常に嫌います。
そこで、こういう行為を許さない秩序(法)を造り、それを守らせる社会に生活することを切望します。




<知的武力的有力者に>

その際、社会の成員は、知的、武力的に有力な者に、その秩序を維持し運営してもらうことを望みます。
ならずものを従わせるには、力(武力:マックス・ウェーバーのいう「物的暴力手段」)が必要なのです。

また武力は、隣接する部族国家の侵略行為と戦って防衛する」ためのものでもあります。


+++

こうして、知的・武力的有力者(とその家族)は、その地域の統治者となっていきます。

この地位は通常、その血族によって継承されていきます。

これはどの地域集団にも生じる、自然な現象なのです。




<社会維持動機を共有>


このの際、みんなの最大動機・最大の共有価値は、その秩序を持った社会を「維持」することです。

だから人間社会は自然なままなら、現社会を維持することを最も強く望みます。



   

<王制>

そして、そのために、最も効率的なのは、統治者に広い意味での「王」となってもらうことです。

王は人民の娘を、気に入ったら、王室に召し出す権限を持ちます。
人民の息子を徴兵して戦場に手戦わせる権限を持ちます。

それでも人は王制を求める。
彼に絶対権を与え、社会を統治・運営してもらうのが、最もわかりやすく、効率的なのです。

特に、隣接した地域国家と武力で争う際には、つまり、戦をする際には、これが最も効率的です。

戦争のときには、「命令=服従」のシステムで集団を運営するのが、最も集団に一体性を保ち、迅速な集団行動をするのに有効ですからね。

+++

ですから、自然のままでは、広い意味での「王制」を人類は世界のあちこちでとるようになっていきます。

それは欧州地域だけではない。

お釈迦様はインドの王子様だったと言いますよね。

つまり、インドでも人間は地域毎に王制部族国家を形成していたのです。
彼はその一つの王の後継者の生まれだったのです。

中国でも同じです。
王制という統治形態は、人類に普遍的なのです。

+++

そして繰り返しますが、そこで社会成員が共通していだく第一目標は「現社会の維持」これです。
社会の発展、成長も抱かれる目標の一つです。
だが、それは社会「維持」の上位に立つことはありません。

集団の成員、国民個々人の幸福も望まれますが、その目的が現社会の維持の上位にでることはありません。

+++

この社会集団的欲求がいかに強いかは、明治日本の「大逆事件」というでっちあげ事件をみたらわかります。

あんなに残忍に社会主義者を殺すことまでして、明治国家社会(政府)は現社会の維持に神経を使ったのです。




<聖句自由吟味者のユニークさ>

自然発生した社会、国家では「人民個々人の精神的自由を最大目標とする」ことなど、起きえない。


なのに、聖句自由吟味者は、成員の聖句吟味を自由にする人間集団を初代教会に形成しました。

聖句を自由に吟味するのを許すことは、個々人の「精神の自由」を保証することと重なっています。

彼らは、まず、成員個々人に聖句「解釈の自由」をみとめた。
次に、それを可能にする自由吟味のスモールグループを作りました。
そこにリーダーを選ばせ、彼らの連携によって集団全体(教会)を運転しました。

こういう自由集団が、新約聖書の『使徒行伝』に描かれている初代教会です。

この人間集団(初代教会のスモールグループ)が、教会発足後わずか30年で大ローマ帝国内部に普及する事態となりました。




だが、既成の現社会は、そんな原理の集団が社会に普及することは容認できません。

そして、100年もしたら、自然な(王制)社会の要請、現社会体制の維持を最大目標とする新教会が出現しました。
これがカトリック教会(教団)です。

彼らは、ローマ帝国の国教となり、自然な王制国家の要請を体現して、聖句自由吟味者たちを抑圧しました。
従わねば、見せしめのために広場で火あぶりにして殺しました。
だがこれは自然な動きなのです。

+++

ところが自由吟味者たちは歴史を生き延び、その数を増し英国を大変革しました。
クロムウェルによる「名誉革命」はその一つのクライマックスです。

だが自由吟味者はそれにとどまらず、アメリカ大陸の英国植民地という、空間に個々人の精神的自由を最優先目標に置く国家を作った。

既成の王制国家と海を隔てた植民地に、母国英国からの独立を実現するための独立戦争を仕掛けました。

そして、なんと、戦に勝利し、独立権を得た国家に憲法を作り、法治国家とした。

国家の決定権を人民に分散所有させる民主制度もそのなかに組み入れた。

そのうえでその憲法に政教分離、信教自由の原理を追加修正条項として挿入したのです。

こうして人類社会に初めて、国民個々人の精神の自由を最大価値に置く国家が出現しました。




<人類世界の奇跡>

これは人類史における奇跡なのです。

伝統的王制国家社会が世界を覆う状況の中では、こんなことは、通常起きえないのです。

だが、実現した。
それをバプテストやメノナイトを初めとする「聖句自由吟味者」が実現したのです。

これは奇跡です。

もうこんなことは人類史に起きません。
これを可能にするような条件は、もう人類の歴史にできあがらないです。

+++

だが、出来てみると、この社会では個々の成員は、王制国家におけるよりもはるかに暮らしが快適だった。
聖句自由吟味者に限らず、米国国民はみな「快適だなあ~」と実感した。

すると王制国家社会にいる有力者も、そういう快適さにあずかろうとします。

もちろん、全社会を変えることは出来ません。
その全体は、王制的システムで動いていますから。


だが彼らは、この自由国家の要素を出来るだけ模倣、吸収しようとした。

米国も、先駆者として、他国が自国の政治要素を吸収するのを援助した。

第二次大戦後の時期に、米国は欧州諸国、韓国、台湾、日本などにそういう要素を持った統治体制を実現してくれた。

これが現代世界の、米国と他の先進諸国との関係です。

この米国の恩恵を、戦後日本人はいかに大きく受けていることか。

これを見逃したら、あらゆる政治見解は愚者の戯言となるのです。

+++




『バプテスト自由吟味者』は、なによりもます、この奇跡がどのようにして起きたかを明かしているのです。

自然な歴史状態では成立し得ないなかで、聖句自由吟味者たちが、信教自由、言論自由の国家社会を~流血の努力によって~実現した過程と構造を明かしている。

この歴史事実はこれまで、カトリック教団が主導する既成国家社会権力によって、覆い隠され、隠蔽されてきた。
世界史も彼らの都合で書き留められ、それが常識化している。

われわれは、そういう(偽りに満ちた)世界常識の中で生きている。

+++

本書はその事実を暴露し、正しい世界史を描いています。

日本に、いや、人類世界に必要な本だと思いませんか、自分で言うのもなんですけど。
驚くべき本だと思いませんか?

読者がそのことに驚かないのでしたら、そのこと自体を鹿嶋は驚くでしょう。


(完)
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幻影を断ち切ったら新ビジョン造りへ

2017年11月01日 | 政治見識のための政治学





前回「共産社会のおぼろな幻影」から明確に脱せよ、と鹿嶋は述べました。

朧(おぼろ)なユートピア認識の中で、左翼だとかリベラルだとかの言葉を弄している、~
そういう自分たちを日本の政治家は、早く自覚してこれと決別し脱却せよ!といった。

では、「脱してどうしたらいいの?」~これを今回は追記します。





<幸福社会の新ビジョン造りへ>

脱したら、即座に決然として「新しい幸福社会ビジョン造りに進む」のです。
~これがその答えです。

近代政治を志す者が、人民が幸福に暮らせる社会ビジョンを明確に持つのは当然なことでしょう。

その当然のビジョンが、共産ユートピア幻影の熱気と朧(おぼろ)な残像に影響されて持てなくなっているのでは、これはもう政治家失格ですよ。





<政治見識成長開始の鍵>

繰り返しますが、早くその残像を断ち切って、現実に造りうる幸福社会の次善のビジョン形成に進みなさい。

政治家は、これを青臭い青年のように議論し合うべきです。

互いのビジョンを吟味し合って、国民の前に提示すべきです。

+++

それをマスメディアが報道する。

これを目にすれば、国民の政治見識もやっと成長を開始します。

理想の社会ビジョンを考えることは、政治見識の第一歩なのです。


政治能力の幼稚なタレント候補に自然に投票しなくなるでしょう。

国会議員として知力不全な世襲候補者を国会に送ることも自然にしなくなるでしょう。







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