復活したイエスの復活体が、波動体であって、
さらに、以後天国におけるイエスの身体も波動体である、とすると
量子論的には筋が通る。
~前回、そんな考えを述べました。
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今回、そのアイデアをもう一歩推し進めてみます。
するとイエスの「本来の身体は波動体」ではないか、とのアイデアも出てきます。
つまり、本来、波動体であったイエスは、この地上世界にいる間だけ、
物的肉体として存在していたのではないか、と。
正確には、生まれて十字架刑死して墓に葬られるまでの間だけ、イエスの身体は
物的肉体だったのではないか、と。
~そういう解読も浮上してきました。
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<人類の罪を代償するには>
それには、次のような理由も加勢してくれます~。
物的肉体でないと「死ぬ」ことはできない、というのがそれです。
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イエスがこの地上世界においてなすべきとして、父なる親神から与えられた最大の仕事は、「死ぬこと」でした。
彼は十字架刑死することによって、アダム以来の人間の原罪を代償しました。
その「死」は、物理的力を加えられることによって「壊れる」ことによってもたらされます。
壊れて、循環運動をしなくなったことによって、もたらされます。
そういう事象は、物的肉体でないと起きないのです。
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<復活するためにも>
福音の神髄である「復活」もそれに直結しています。
人間に復活の姿を見せるには、イエスは「死」ななければなりませんでした。
イエスはそのためにも、物的肉体を持った人となったとも考えられるのです。
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<マリアの胎に宿ったのも>
そうすると、イエスのこの地上世界に現れる際、生母マリアの胎の中に宿った理由も特別な意味を持ってきます。
聖書はイエスが処女マリアから生まれたと記録していますよね。
だが、そもそもどうしてそんなドラマチックというか、奇抜な方法で生まれねばならなかったのでしょうね。
父なる親神様は、ドラマチック好みだった、というのは理由にならないでしょう。
後に人類がクリスマスのお祝いが出来るため、なんてのは、もっと理由になりません。
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だが、人間であるマリアの胎に宿り、そこで育って誕生することによって、
イエスは物的肉体を持った存在として、地上での生涯を送ることができるのです。
それによって、「死ぬ」ことが出来る。
波動体では「死ぬ」ことはできません。
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そして、復活以降のイエスは、本来の波動体としての身体にもどったのだ、と。
マリアからこの地上に生まれて、死んで墓に葬られるまでの間の、イエスの身体は一時的な身体だった、と。
この考えは、筆者にかなりなリアリティを与えてくれます。
(続きます)
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