イエスは、我々に多くのものをプレゼントしてくれました。
そのうち、どれを中核的、あるいは基盤的と見るかによって、教会の特色は分かれてきます。
前回、基本理念に書きましたように、当チャーチでは、
イエスが与えてくれた最大にして中核的なプレゼントは「永続確信」である、
という見解をとります。永続確信とは「
人間死んでおしまいでない という確信」です。
(その背景には、永遠に存続する世界、天の創主の王国、KINGDOMのイメージがあります。
「KINGDOM原理からの聖書解読」のカテゴリーもぜひご参照下さい)
人の身体は、100年もすれば壊れます。死んで腐って崩壊して消滅します。
身体だけ見ていたら、人間は「死んでおしまい」です。
永続なんてするわけがありません。
しかし、イエスは、
人間には霊(霊体)もあり、それは永続する 、と教えました。
のみならず、その教えに確固としたリアリティ(本当らしさ)感を与えていきました。
<しるし(奇跡)は理論にリアリティを与える>
イエスは、霊的にして論理的・体系的な教えを与え、
かつ、それに組み合わせて様々な奇跡を見せました。
病人をいやし、死人をよみがえらせました。
「いやし」などの奇跡は、それを受けたものだけでなく、
その状況を観察するものの心にも、教えに対するリアリティを強烈に与えます。
現在、米国でベニーヒンという説教者たちを通してそれが現れています。
テレビで放映されている彼の「癒しの聖会」の番組を見ていますと、
癒された当人だけでなく、その証言を見る観客たちも、歓喜しています。
ベニーヒン自身も、喜び感動しています。
自分たちが心に受け入れている
教えに対するリアリティが増す から、嬉しいのです。
イエスは、その力を、弟子たちにも現れるようにしていった、と聖書に記されています。
そして、実際そうなった様が『使徒行伝』という書物などに数多く記録されています。
<教えの深さ・体系性もリアリティの源>
イエスの教えの、霊的な深さ、論理的・体系的であること、も教えにリアリティを与える強力な要素でした。
現代では、奇跡はそうあちこちに見られはしません。
だが、聖書の言葉を深く探求・解読していくと、そのリアリティ感は深まっていきます。
教えに対するリアリティ感は、実は、信仰心といわれるものの中身でもあります。
思想・理論へのリアリティが心の中で増すと、その教えへの信頼感が増します。
信仰心というのは、教えへの信頼心 のことなのです。
また、そうして信仰心が増していってある線を越えるときがある。
するとその人に、事後的にしるし(奇跡)の力が現れるという例もあります。
がともかく、イエスも、その弟子たちも、その又弟子の弟子たちも、
こうして、「人間死んで終わりでない」という確信、永続確信を
楽に抱かせていくことが出来ました。
『鹿嶋春平太チャーチ』では、それをイエスが与えてくれた最大にして基底的なプレゼントと見るわけです。
その見解に立ってメッセージを蓄積します。どうしてか?
次回にそれを考えましょう。