ブログでの「聖句自由吟味」試行、
なかなか簡単には進行しない。
提示テーマが難しかったこともあったようだ。
今回は、(旧)統一教会対策をもう一つのべておこう。
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先回、聖書を改造した新宗教に、子や孫が飲み込まれないようにする策として、「聖書の基本思想を教えておけ」、といった。
とはいえ、多くの祖父母、親にとってその理念を教えるのは簡単ではないケースが多いだろう。
今回は、それよりももっと実行が容易な防止策を述べておく。
<家に一冊常備>
それは「聖書」という書物を手に取ってみられるように、一冊常備しておく、ことだ。
本物の「聖書」をリビングのような、手に取って見やすいところに、おいておく。
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手に取ってみると、それがどういう厚さの本か、体感できる。
内容は難しくとも、どんな感じの本かも、実物に触れたらある程度わかる。
たとえば~
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「旧約聖書」と「新約聖書」という二部構成になっているな・・・。
「旧約聖書」の冒頭には、この世がつくられた様の話が書かれているな・・・。
「新約聖書」のはじめには、「・・・による福音書」という題名の書物が四本ならんでるな・・・。
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~こういうことは、内容が理解できなくても感蝕できる。
そうすると、案内された改造キリスト教の勉強会で、改造聖書を「聖書です」と与えられても、違いが観察できる。
「なんか、本物の聖書とエラいチャウな・・・」とすぐ感知できる。
こうして言われるままに誘導されていく危険を回避できる。
<3~4千円は安いもの>
聖書は大冊で、一冊3~4千円する。
だけど、知らずに誘導されて、夢遊病者のようになって何百万、何千万と寄付させられる危険は回避できる。
信仰者の献身とかいって、「ただ働き」させ続けられたりするのも避けられる。
それらの危険に比べたら、安いものだ。
大きめの本屋ででも、ネットででも簡単に買える。
本物の「聖書」をリビングのような、手に取って見やすいところに、おいておくことだ。
(続きます)
鹿嶋はこのブログで「キリスト教会の思考停止打開策」を5回述べた。
(2022.08.06 ~ 08.22 )
唯一の打開策は、聖句自由吟味方式だと述べた。
いまこれを理屈だけでなく、実際にここ(下のコメント欄)でやってみようと思う。
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現在、アクセス個人数が毎日200人近くある。
たまたま「鹿島春平太チャーチ」というブログを開いたという人もおられるだろうが、常連もおられるはずだ。
どなたでもかまわない。自由に見解を述べてほしい。
互いに自由な見解を、相互吟味し合う体験をしてみたい。
とりあえず、鹿嶋がリーダー役を務めよう。
<死後の信徒はどこにいるか?>
今回のテーマは、「信徒は死後、イエス再臨までどこにいるか?」にしよう。
イエス再臨の際、地上にいる信徒は、身体が霊の身体に変化して、空中に上がってイエスと会う。
これは日本では掲挙(けいきょ)とも呼ばれ、第一の復活と言われているようだ。
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このとき、すでに死んでいる信徒の霊もまた霊の身体に復活する。
それはいいのだが、そのときまで、その信徒の霊たちはどこでどうしているだろうか?
それをみんなで聖句的に考察してみたい。
では、思うところある人は、この下のコメント欄によろしくお願いします。
(面白かったら続けます)
前回の続きだ。
聖書の根本思想(福音)を聞いていれば~、
「神様のたっての目的は、この地上に楽園をつくることですよ」と言われても
「あれ? 天国に導き入れてくれることでなかったの?」と比較することが出来る。
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「地上楽園を実現するためには、イエスは殺されてはいけなかったんですよ」といわれても~
「ずいぶん話が違ってきてるなあ」と思える。
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「でも大丈夫。神様は私(教祖)という究極の救い主を送ってくださっているから」といわれても~
「あらら! 救い主が置き換わってしまった」と気づくだろう。
<世界観の力>
福音の知識がなければ、「勉強会」での宣伝情報に押し流されるのみだ。その世界観を注入・形成されるがままとなるしかない。
そうなったら、その世界観の中で、「あなたのなすべきこと」が示唆され、それに従うのみとなる。
外部者が脱出させるにも、その世界観を吟味する姿勢を持たせないことにはばどうにもならない。
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「オウム教団事件」の林郁夫だったか、彼もそれだった。
慶応の付属校から医学部を出て、その大学病院の医師になっていたと言えば、人は最高レベルの知性を想像する。
だが、見えない領域も含めた世界観においては、そのレベルは幼稚園児並みだった。
注入された世界観の中で行動を示唆されたら、言われるままに、夢遊病者のように地下鉄でサリンをまくしかななった。
年老いた母親は「長く生きすぎた」と嘆いた。
きちんとした世界観を持ったことのない人間に対する、世界観の人間呪縛力はすごいよ。
みなさんの子や孫も、同じ危険の中で生活を送るのです。
聖書の根本思想を「知らせて」おきなさい。
(続きます)
統一教会問題がマスコミで一大テーマになったとき、筆者はこのブログでも自説をのべてきた。
旧統一教会による、国民・国家の迷走・・・これを打破する手段は、聖書本来の根本思想を知ることにのみある、と。
だが、その本体を示さなかった。
いま、それを追加しておこうと思う。
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聖書の根本思想は次の三つのポイントで示せる。
① <天国の存在を知らせる>
万物の創造主がこの世に送った「ひとり子」イエスは、
人間が永遠に幸福に生きられる霊的空間・・・「天国(創造神が王として統治する世界)」があることを、
初めて人類に知らせた。
② <罪の代償を予告し十字架刑死する>
イエスは、人の霊がそこに入れるため、その罪を自らの死でもって代償する、と宣言し、
十字架刑死した。
③ <復活の姿を肉眼視させ確信させる>
弟子たちは、イエスの死を目にしても、その言葉にいまひとつ、確信もてない状態のままだった。
ところが復活の姿を肉眼で見て一変した。
イエスが神の子であると確信し、それまでの言葉が口だけのものでないと悟った。
「イエスは復活した、我々はその証人だ!」
彼らは大胆に証言しはじめ、福音は今日我々日本人が知るまでに広がった。
復活の五感認知は、決定的事件だった。
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聖書の根本思想は以上の三つからなっている。
弟子たちの同世代人の中から、それらのことを書き残す人が現れ、
四本の福音書(イエスの伝記)が今日まで一連の事件を文章で伝えてくれてきている。
(その文章から、復活のイエスの姿を肉眼で見ることが出来るか、の考察を今、しているのである。 )
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我々は、この根本思想を自分の愛する子、孫にも知らせねておかねばならない。
聖書の要点をすり替え、それを聖書の世界観の枠組みを使って語り、洗脳しようという輩は、
これからも引き続き出る。
それが「世」だ。
基本思想を知らねば、子も孫もその改造世界観にとりこまれ、
隷従するという悲惨な人生を送ることになる。
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オウム教団事件でもそうだったが、
説得しても我が子を洗脳状態から目覚めさせられない親や祖父母の苦しみは、いかばかりか。
聖書本来の根本思想は早いうちに知らせておかねばならない。
信じさせるのでなく、知識として「知らせて」おかねばならない。
自分が地獄の苦しみにあわないために。
(続きます)