相変わらずヨハネ伝解読です。17章が終わるまではこのまま進みます。
今回は17章22節です。
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=聖句=
「またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。
それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。」
(17章22節)
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また「栄光」という難しい言葉が出てきました。
栄光(glory)には三つの意味があると鹿嶋は考えています。
一つは、創造の光です。この世で我々が見ている光(light)は光子という素粒子でして、
それは一秒間に地球を七周半走る速度を持っています。約30万キロメートルですかね。
対して、栄光の光は、無限の速度を持っていて、たとえば天の創主王国からこの地上まで一瞬にして到達すると考えられます。
第二はエネルギーです。栄光の光を発する実体は、いのちエネルギーです。
ですからそのエネルギーそのものを栄光が指す場合があります。この場合はエネルギーまたは「力」ですね。
第三は、栄誉です。
被造物は深く強い光を見たり、力の成果をみたりすると、それを讃える性質を持っています。
そこから栄光は栄誉という意味が派生します。
本日の聖句での栄光は、二番目の力の意味で用いられているとおもわれます。
「父なる創造主はイエスにいのちというエネルギーの力をくださった」とイエスは言っています。
それによって、イエスは病の癒しをはじめとする様々な奇蹟を地上で実現しました。
それが「創造主とイエスが一体であること」のあかしでした。
創造主にしかできない奇蹟を行うことによって、イエスは自分が父なる創造主と一つなのだと証明してきました。
「その力を弟子たちにも与えた」とイエスはここで創造主に伝えています。
それによって弟子たちに奇蹟の力が現れます。力はみんなに現れます。
すると弟子たちは、おのおのイエスに繋がっていることを実感します。
そしてそれを通して、自分たちはイエスに繋がって一つなのだと確信します。
それが「彼らも一つである」の意味だとおもわれます。