ここで少し学問的な考察をしてみます。
哲学で言うと、認識論的な考察です。
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量子論は実験をしてみて、新たに発見できたことと照応させながら理論が構築されています。
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それまでの粒子(根源)論とは、その点で違います。
粒子論の思想は、ギリシャ哲学におけるアトム論に始まっています。
ギリシャ哲学者は、存在の根源を思弁し、二つの主張を展開しました。
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一つは、イデア論です。
これは「われわれが存在すると五感認知するものは、精神ようなもの、人の心に生じるイデア(観念)のようなものから出来ている」という思想です。
もうひとつは、アトム論です。
これは「われわれが存在すると五感認知するものは、物質のつぶつぶのもの、すなわちアトム(原子)からできている」という思想です。
この思想が、近代の粒子根源論にまで発展してきました。
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ちなみにアトム(原子)が電子顕微鏡で五感観察できるようになったのは、1931年だそうです。
それで原子は、陽子と中性子と電子からなっている、という事態が、ようやっと五感(視覚)観察されるようになりました。
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それまでの「原子」は、ギリシャ哲学で考えられた「アトム論」を出発点とする理念ベースの仮説でした。
そういう思考の中に生じたアトム理念を科学者はいろいろとこねくり回してきていました。
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量子論は違います。
この理論は、原子について発見・観察された実態情報を踏まえながら構築、展開されてきています。
それは従来、粒子と考えられていたものが、実は波動との二重存在である、という基本理念に立っています。
これは、実験(二重スリット実験など)で観察された知識です。
量子論は、古典物理学理論に比べると、はるかに豊かに実在に対応している理論、ということができます。
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もちろん量子物理学の理論も、つまるところは絶対の真理ではなく、仮説です。
究極・絶対の真理は、万物を創造された創造神のみの知ることです。
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人間の認識能力には限界がありまして、量子論にもまだモヤモヤしたところが残っています。
その追求は永久に続くでしょう。
その意味でも、理論が100%実体と照応しているとはいえません。
100%なら、それは仮設でなく「真理」ですが、真理は全知の創造神だけが知る領域です。
量子論にはあくまでも「仮設」という性格はつきまといます。
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だが一歩下がって、こうは言えそうです。
量子論は、従来の古典物理学の粒子論に比べれば、実体と呼応するところを多分に含めている、と。
「実体を描写する面が、圧倒的に大きい科学理論」~だと。
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そこで、筆者は、これまでとちがった論調で、聖書の論理を説明してみようと思います。
量子論が実在を記している、という観点をベースにして、実在の説明をはじめてみます。
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たとえば、「イエスが言葉を発すると、実在はそれに従う」という状況を描写した聖句は沢山あります。
筆者は、前著『誰もが聖書を読むために』新潮選書(第1章)にそれを列挙しました。
これらも量子論で説明することができます~。
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言葉は波動です。
人の意識も波動ですが、それを表現する、音声も、文字も波動です。
だから、その波動が、人の肉体の根源である波動に影響するというのは、筋の通った話となります。
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上記、著書の段階では、文章に神話的な余韻がありました。
だが、物理学的な現象だと説明出来れば、もはや神話ではありません。
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たとえば、こう説明出来ます~。
イエスから発せられる言葉は、創造主からの波動で、飛び抜けて強大である。
その波動が、人間の身体を構成している波動に影響して、可視的な変化をさせてしまう~というように。
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米国の教会では、たとえば、このような癒しの事象が報告されています~。
病人は、腰の骨が変形して歩けなかった。
手術で、金属を挿入していたが、歩けなかった。
ところが、イエスの名で癒しを祈ったら、歩いた。
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レントゲンを撮ったら、骨は生来の健全なものになっていた。
また、挿入されていた金属は消えていた。
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これは、イエスの名のもとの波動領域では、イエス自身が発する言葉の波動に近い力が現れることによる、と説明できます。
身体に入れられていた金属も、波動の力で、蒸発、消滅していた~と。
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これに関連して、次のような経験則も報告されています~。
つまり、聖書に見るように、イエス自身が発する言葉による癒しは「即座」である。
だが、イエスの名のもとで行う人間の癒しの祈りは、「徐々に」その結果をあらわす。
結果を得るのに、時間はかかる。
人は信じて待つべきだ~と。
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けれども実際の話、人は待っている途中で「祈りには応えられないのでは」という思いを抱きがちです。
その思いは、主の約束の言葉を傷つけるものです。
その波動自体が応答を得られなくします。
どうしたらいいか。
祈り求めたら、それは「忘れてしまう」
~これが人間には現実的でベストな方法だ思われます。
(続きます)
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