鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

<掲示版>「『聖句主義クラブ』参加のお勧め」

2010年11月14日 | ヨハネ伝解読

みなさんこんにちは。本日は「掲示板」です。
「聖句主義クラブ(Club Biblic )」への参加のお勧めです。

(右上に文字サイズ変更のクリック箇所があります)

                                        

       
<主旨説明>

キリスト教の教典は聖書です。
この書物の扱いには二つの方法があります。

第一は、この大冊の正しい解釈を素人が見出すのは難しいと考え、
熟練した教団の幹部に正統として一つ解釈(教理)を定めてもらって、
一般信徒はそれに従って信仰活動をしていくという方法です。

 このやり方は教理主義といって、現在日本の教会のほとんどが(自覚的無自覚的を問わず)この方法をとっています。

                    

第2は、難しい書物だけれど個々人が自由に解釈を考え、
それを持ち寄って数人の小グループで討議しつつ、
理解を深めていくという方法です。

 これは日本ではまだほとんどなされていませんが、米国ではバイブリシズム(biblicism:聖句主義)といって、
特に南部地域で広く行われています。

 また、キリスト教活動発生当時の初代教会も、こちらのやり方で運営されていました。
「鹿嶋春平太チャーチ」もこの思想をベースにしてきております。

                    

  ただし、この方法は「無政府主義的風潮を助長する」とか
「”真理は一つ”を否定する」等の誤解を受けやすいです。
また、「教会運営者からすると統率がとりにくい」点もある。
そんなことから日本で聖句主義活動をしていくには迫害や困難も多いです。

そこで~

聖句主義的な姿勢や言動の故に教会で叱られたり
多数派から孤立したりして苦しんでいる人
または、周囲に教理主義の教会しかなくて
一人で寂しく聖書を読んでいる人、

~こうした人々のための「避難所}を作ることをこのほど思い立ちました。
名付けて「聖句主義クラブ」です。

聖句主義的な行き方をとる人々が、ここで緩やかに繋がれて
慰めを得られたら幸いと思っています。

                      

SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)というシステムを一つ借用して、その場を造りました。
SNSとは、メンバーになった人だけがログインできる限定的なシステムです。

参加方法は、次の如くです。

                    

<参加方法>


1.下方のコメント欄に、一定期間、申し込み用のメールアドレスを掲示します。

2.参加ご希望の方は、メールに聖句主義的言動の故に
苦労していることの説明を含めた自己紹介文を書いて送って下さい。

3.まずは鹿嶋が参加適性を判断します。
適切とした場合はその方のメールアドレスに鹿嶋が招待状を送ります。

(後に各メンバー自らが推薦する適性者に、メンバーが招待状を送れるようにもなります)

4.招待状にはSNS「聖句主義クラブ」にログインする方法が記されています。

それに従ってログインして下さい(簡単です)。
一度ログインすると以後、そのIDとPWでログインできるようになります。

その後のことは、SNSの内部に案内があります。

5.「入ってみたけれど、退会したくなった」というような場合には、自分で退会処理をすることが出来ます。
やり方は簡単で、SNSのなかに入ったらすぐわかります。

~それでは、コメント欄に申請先のアドレスを記しましょう。 

                    

 

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Vol.311『エホバとイエスの体系的理解』(17章11節)

2010年11月01日 | ヨハネ伝解読


17章11節、もう一つ副産物を披露しておきますね。

それはエホバとイエスという二つの名の関係についてのことがらです。

このブログで鹿嶋は、エホバは創造主から一定の権威をまかされて行動する、
至高の位にある天使が用いる名らしい、と考えてきました。

それはまた、次のように考えることも出来そうです。
「ということはエホバもまた創造霊の名である」と。ただし、天使が持ってきた創造神の名であって、
彼は創造主として(人間に対して)行動する時それを用いた、と。


                    


では、イエスはどうか。これが創造神の名らしいことが、これまでに浮上しました。
つまり、これもまた創造神の名なのです。

すると二つの名の関係はどうなんだ、という疑問が湧きます。


                   

<旧約は新約の影>

それは、旧約と新約という二つの書物の関係から推察できるようにおもいます。
旧約(の論述)は基本的に、ホンモノ(真理)の影と鳥瞰することが出来ます。

ホンモノはイエスが明かします。
それは「わたしが真理である」というイエスの言葉が示唆している。
そしてイエスの教えは新約聖書に記されています。
このことから、「新約で記述されているのホンモノである」といえそうです。

そして、旧約で示されているエホバの名は、
ホンモノであるイエスの名(創造神の名としての)の影(仮に示された仮の名)だと推論できます。

そして、それが御子の名でもあり、聖霊の名でもあったというわけです。
そのことが、17章11節におけるイエスの「祈り」のことばによって示唆されている。

ヨハネ伝の著者ヨハネは、それをしっかり記憶していて記録してくれました。
おけげでエホバの名とイエスの名との体系的理解が、鹿嶋にはなりました。


                    

<創造的誤解を恐れずに>

17章114節に関する考究は、こんなところです。
途中「とてもついていけない」とお感じになった読者も多いことでしょう。

その方々のために、聖書という書物に関する鹿嶋も前記のスタンスを再録しておきますね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  みなさんこんにちは。
聖書の内容は無限です。人間の解釈に絶対の正解はありません。
だから面白いのです。
みんな自分の納得する解釈をし、創造的誤読を楽しみましょう。

それが不安でならない人は、教理主義教会に行って下さい。
そこでしっかり縛ってもらって下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


                    

<「危険です!」はお好きなように>

 最後にもう一つ。
日本の牧師さんの多くは、こうした自由解読の行き方と対極的な姿勢をとっておられるのが現状です。
信徒さんのなかに、聖句の意味を自分の頭で考えてみる人が出る。これどこでも出ますわネ。
人間知性の自然な働きです。そこで信徒は生じた疑問を質問します。

そのとき、牧師さんが発する常套句がある。

「それは(そういうことを考えるのは)危険です!」

常套アドバイスといったらいいでしょうかね。
素人が勝手に考えると、サタンが働いて危険だというんですね。
だから、余計なこと考えないでプロ(牧師)の教えるところに従っていたらいいんだと。

まあ、これも聖書に対する一つのスタンスだといえないこともない。
聖句主義はあらゆる姿勢を容認しますのでそういう判断になる。
そうでないと真の解釈自由は得られないのです。

だから、鹿嶋はそういう牧師さんに反論したり、批判する気などありません。
みんながんばって「お好きなように」というのが鹿嶋のスタンスです。

「ヨハネ伝解読」17章11節、そんなところで、ひとまず閉じましょう。
次回には、掲示板にてみなさまへに一寸面白そうな「呼びかけ」をする予定です。

                    


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