鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.163『説教で教えるのはもうこれまで』(12章)

2006年07月31日 | ヨハネ伝解読
~~「ヨハネ伝」にもどります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
「真理を言います。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒の麦のままです。だが死んだら、豊かに実を結びます」(12章24節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

               

 イエスはエルサレムに入りました。そこではもう、イエスに会いたい、一目見たいという人ばかりです。中にははるばるエルサレムに上ってきたギリシャ人もいて(20節)、もう、会いたい、会いたいと大騒ぎ・・。一緒に記念撮影でもできたら、故郷への大変な土産になる・・といったところでしょうか。

 彼らは弟子のピリポのところに行って、頼みました。

 「イエス先生に会わせて下さいよ!」

 ヨハネは、これを記すに際して(ピリポはガリラヤ地方のベッサイダの出である)と付記しています(21節)。

 このギリシャ人たちも、ベッサイダに住んでいたのでしょうか。そうであれば、同郷の人からの頼まれごとです。ピリポも冷たくするわけにはいきません。「どうしたものか・・」とアンデレに相談します。「そうだなぁ、とにかく先生に口利きしてみようか」ということで、イエスにその旨を告げました(22節)。

 その時、イエスは「時が来た」と判断したのではないでしょうか。「人の子が栄光を受けるときが来た」と言った、とヨハネは記しています(23節)。

               


この時点でまでイエスは、エルサレムの神殿の、おそらく中庭で、依然として多くの奇跡を行っていたようです。

 「(イエスは)このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、彼らはイエスを信じなかった」(12章37節)

~~とありますから。奇跡は説教で教えるための「しるし」であります。

 こうした中で、前述のギリシャ人が、対面したい、と言ってきたのですね。イエスは考えたのではないでしょうか~~もう群衆は説教に耳を傾けなくなってきた。スター的興味の対象としてやってくる人の方が多くなってきた~~イエスは「もう教えるべき時期は終わった」と判断したのではないでしょうか。

               


 すると次は「死ぬこと」となります。イエスは直接そうは言わないでこう言いました。

 「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒の麦のままである。しかし、もし死んだら、豊かに実を結ぶようになる」(24節)と。

 ---私の身体の内にある、無限のいのち、これは父なる創主から私のうちに注ぎ込まれているものだ。それは、今は私の内にとどまっている。癒しなどのしるしを行うときは流れ出すけれども、基本的には留まっている。しかし、私の肉体が死んでなくなったらどうなるか。無限のいのちは、信じる全ての人類に流れ込むだろう。このようにして、飛躍的に豊かに実を結ぶのだ---

あるいは・・

~~私が身体を着てこの地上にいるうちは、私は一時点に一カ所にしかいられない。癒しもそこでしかなしえない。だが、私が死んで復活し、天の創主王国に昇ったら、無数の聖霊を地上に送る。その方が地上のあらゆるところで癒しなどの働きを豊かにすることになるでしょう~~~

 イエスはそう言っているような気が春平太にはします。

               
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霊感の豊かな人

2006年07月30日 | キリスト教活動の歴史
~~また臨時版です。
・・・霊感の豊かな人っているんですねぇ。

http://blogs.yahoo.co.jp/kyo46912/14506086.html

こういう方が、みことばを深くやられたら大きな働きをする人になられるでしょうね・・・。 鹿嶋
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Vol.162『旧約預言の通りだった!』(12章)

2006年07月29日 | ヨハネ伝解読
~~では、「ヨハネ伝解読」に戻りましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
 「その翌日、祭りにきていたおおぜいの群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、しゅろの枝を手に取り、迎えに出ていった」(12章12~3節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                


 イエスは一転して、自分を殺そうとしているグループが陣取る、その中心に向かって進んでいきました(すごいなぁ~、すごいなぁ~:鹿嶋の声)。

 そして、ラザロたちの住むベタニアに再び滞在しました。それを知ってたくさんのユダヤ人たちが押し寄せてきました(9節)。

 ラザロを生き返らせた事件で、今や民衆のイエスへの信頼と期待は鰻登りでした。人々は、死後四日もたって生き返ったというラザロという若者を一目見たいと熱望しました。どんな顔をしているだろうか。死んでいたことによる跡は残っているだろうか。死斑は残っているだろうか・・。

 これを聞いた祭司長たちは、また、新たな決定を下しました。

   「ラザロも殺そう!」(10節)。

 彼がいるおかげで、イエス人気が沸騰し続けている。ユダヤの民が伝統宗教を捨てて、イエスを信じていってしまう・・・(11節)。

               


 イエスはそれをも無視するかのように、2キロ先のエルサレムに向かって進み始めました。過ぎ越の祭りを祝うために、多数の民衆がエルサレムに来ておりました。彼らは、イエスが来るといううわさを聞いて通りに向かえに出ました。

 手に手にシュロの枝を持ってイエスを歓迎しました。

 「ホサナ(創主を誉めたたえよう)! 主の御名によって来られた方に、創主が幸いを与えられますように! イスラエルの王に!」(13節)

 イエスはロバの子を見つけ、それに乗ってすすみました。弟子たちは、後になって、それが(旧約)聖書預言の通りだった、と気付いた---とヨハネは書いています。イエスが復活した時、そのことに気付いたと言うことです。民衆も、預言の通りに行動しておりました(16節)。

「シオンの娘よ、恐れるな! 見よ、あなたの王がロバの子に乗っておいでになる」というのがそれだ、とヨハネは書いています(15節)。

 今の聖書でいきますと---

 「シオンの娘よ。大いに喜べ。エスサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ロバに乗られる。」(ゼカリヤ書、9章9節)

 ---が、それに当たるのでしょうか。

               


 パリサイ派の僧侶たちは互いに言いました。
「もうお手上げだ。ユダヤ教の祭りのために来た民衆が、祭りそっちのけでみんなあの男の“”追っかけ”してるじゃないか!」

~~ユダは困惑していたのではないでしょうか。
 (これはまずいぞ、こんなに人目に立ったら身を隠しようがないではないか。まいったなあ・・・。 俺たちどうなるんだ・・・困ったなあ)

               
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「ヨハネ伝」臨時版『福音の自由について』

2006年07月25日 | ヨハネ伝解読

「ヨハネ伝解読」ここで臨時版を一つ提示しようと思います。

鹿嶋は、思うままにヨハネ伝の解釈をしています。
これに対して、とまどいを感じられる方も多そうに思われます。

「聖書解釈の自由(Freedom of Bible Interpretation)」という行き方に触れたことがないが故だと思われます。そこで、この段階でその立場を明確にしておこうと思います。その上で「ヨハネ伝」を再スタートするのがいいと考えるのです。

~~Skyさんという方が、以前下さったコメントがあります。これに対する鹿嶋の応答をここに再現するという方法で「鹿嶋春平太チャーチ」がとる立場を明示いたしますのでどうぞご覧下さいますよう。
(若干の加筆、修正があります)

                


+++


初めまして (Sky)

2005-09-23 23:58:24

鹿嶋先生、こんにちは、初めまして。

「聖書の論理が・・・」などの、愛読者で、キリスト者です。(所属は日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッドで、内科医をしております。教会では伝道局の責任者を主に許されてさせて頂いております。)

9月20日のブログ拝見しました。

                


>これって、いけないことでしょうか?鹿嶋は、素直な反応だと思います。健全だと思います。

>礼拝説教で聖書の概略説明を毎週繰り返すだけではですね。納得できないものが、毎週残るのが当然でしょう。
 
> 聖書という教典は深いものです。納得できないことがあっても、探求していけば答えが見つかることが多いです。 「もっと納得できる説明になりえないのか」と聖書を探求する姿勢が鍵です。
  そういう態度を牧師さん自身がまず持つことが大切なんですね。

>“丸の内のビジネスマンにとってもかったるくない宗教”が日本にも欲しい。
>この人たちの知力は高いですよ。

                

 
~~以上、すべて、(失礼ながら)私のふだん考えていることと同じで、読みながら感動して、嬉しくなりました。
「この人たちの知力は高いですよ。」と、まさに、そうだと思います。
これからの、日本宣教には、そういう視点が必要であると思います。

(私も、進化論と創世記につまづいて、創造主を知る機会を長年逸してしまったという切実な経験がありますので、強くそう思います。)

『納得できないことがあっても、探求していけば答えが見つかることが多いです。「もっと納得できる説明になりえないのか」と聖書を探求する姿勢が鍵です。』
との、先生のお言葉は、私には大変励まされました。
私も伝道のために、「もっと、納得できる説明はないか」を常に考えています。

ほんとうに、つたない考えですが、例えば、
「なぜ聖書に書かれている事は『おとぎ話』のような内容で、事実とは簡単には信じがたい内容なのか?」
について、(私なりに、祈りつつ)以下のように考えてみました。

(私の(伝道目的で始めた)拙HPの「聖書」の所にも書いてありますが要点を再掲致します。)

                


「①天地創造の話。②人類の始祖(アダム、エバ)の話。
③バベルの塔の話④ノアの箱舟の話」
などの「おとぎ話のような話」について、私は ある時こう思いました。

「神は、『真理を【誰にでも】わかるようにする為に』あえて、起きる出来事を、物語のように、分かりやすくしたのではないのだろうか?」と・・・・・・・。

聖書に次のようにあります。
「 人間的には、知恵のある者が多くはなく、
 権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
それだのに神は、・・・この世の愚かな者を選び、・・この世の弱い者を選び、 」

つまり、あえて、「おとぎ話のように分かりやすくした」という事にこそ、実は、全ての人に公平に真理を伝えたい(真理を伝えて救いに導きたい)という
【神の愛・知恵・奥義】
が隠されているのかもしれません。

                


・・・以上ですが、間違っていますでしょうか?
大変不躾なお願いですが、もし、鹿嶋先生のように聖書にお詳しい先生のお考えをお聞かせ頂けますと大変感謝に思います。

最後になりましたが、先生のこのHP宣教の祝福と発展をお祈り致しております。
(長くなり、失礼しました)


                    




聖句主義と自由 (鹿嶋春平太)

2006-07-21 10:39:24

Skyさんへ、
 返事、大変遅くなってごめんなさい。

>・・・以上ですが、間違っていますでしょうか?

~~という意識は、この鹿嶋チャーチではもつ必要のない意識です。のみならず、努めて捨てていただきない意識です。

 このチャーチは、聖句探求主義に立っています。それは「これぞ絶対的に正統という聖句解釈は、人間の短い生涯においては得られない」という考えの上に立つ主義です。

「間違っていますでしょうか」という意識には絶対的に正しい解釈が一つある、という意識が内包されています。それは聖句主義(Biblicism)と相容れない教理主義(Creedalism)の基本意識なのです。まず、それをはっきりさせておかないと、鹿嶋が何を言っても誤解される道に入りやすいです。

                


聖句は膨大な内容を持っていて、絶対的な解読は人間にはほとんど出来ません。にもかかわらずそれが出来ると思うと、人間は心が萎縮します。そして、これがニッポンキリスト教者の99%以上の実体だと鹿嶋は観察しています。

ほとんどの人が、正しい解読ではないと「救われないのでは・・・」と漠然と感じています。その結果、自由に解釈を考えようとするやいなや、怖くなって萎縮することになるのです。

それで聖句解釈に関して「確信のない」状態で、誰か他の人(牧師さんとか、三浦綾子さんとか)の解釈にしがみついています。そして、そのしがみついた状態で、他の解釈に触れると「異端!」といったりしてヒステリックに非難しています。

(実は、考えないで鵜呑みした他人の解釈は自分の意識の中で不安定な状態にあるのです。その不安感から逃れようとしてそうしているのです。他者を非難すると、一時的に自分の解釈が確信あるもののような錯覚が得られますからね、人は・・。)


ここには「キリスト者の自由」は全くありません。そしてこれでは多くの一般市民がこの動きに交わろうとすることは、まず起きません。鹿嶋自身も、そういう人々と交わろうという気は全く起きません。(だって、楽しくないも~ん)

                


 こういうと、次のような疑問が出るかも知れません。では、自分のものが絶対的に正しい解釈だと思えなくても、そういう解読でも「救われる」のか?~~と。


 鹿嶋は、「救い」から漏れないと思っています。救いの条件、基準は別のところにあると思うからです。聖句に対する「信頼心」がそれです。

そもそも聖書を色々解釈し続けるのは、この書物の中の聖句に「真理有りと信頼している」からでしょう。それがなかったら、あれこれ解釈を巡らすことはしませんからね。

そして、その信頼が「救い」の必要にして十分な条件だと、鹿嶋は考えています。

「春平太チャーチ」は、そういう理念をベースにしてやっているチャーチです。

そんなわけで~~

>間違っていますか・・、

~~という意識を意図して捨てるのが、「真理は人を自由にする」という福音の神髄にそって聖書をやるための条件と、春平太は思います。
 ~~以上を、まずなすべき応答だとさせていただきますね。

その上で、「Skyさんの見解に、鹿嶋も当面」同感してる、といいます。だが、時がたてばまた新しい局面が見えてくるかも知れません。お互いに。

そういう風に自由に考えることが「福音のきらめく素晴らしさ」をエンジョイできるための、一番のポイントだとこの教会は考えていますよ。

                 

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Vol.161『師匠の精神世界に住むのが弟子』(12章)

2006年07月23日 | ヨハネ伝解読

~~絵画は「使徒ヨハネ」(1866)by Peter Nicolai Arbo~~



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
 「弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った『どうしてこの香油を300デナリで売って、貧しい人たちに施さなかったのですか』」(12章4~5節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ユダ考察の続きです。今回も聖句はおなじです。

               
           

 ユダヤ国家では、イエスを見つけたら捕らえて殺すべし、という公的決定を下しました。イエスは、一旦、荒野に逃れて危険を避けました。ところが、一転して、危険の地にいくという。それは、死ぬためだという。

 ~~ここまでは前述しました。


                  


<もうやっとられない・・・>

 ユダは困ります。
 それでは、成長した大教団の幹部になる夢は砕け散ってしまいます。
 「一体何を考えているんだ・・・」

  他の弟子たちも、途方に暮れました。しかし、彼らは、イエスの言うことが理解できなくても、とにかく、それに従おうとしつづけました。彼らは依然として、精神的にイエスワールドの中に住み続けたわけです。

 この点、ユダは違いました。「もう、やっとられない・・・」彼の精神はイエスワールドの外に出てしまいました。彼は、自分の世界に立って外からイエスを見るようになりました。

 だから、批判が自然に出るようになったのです。
「この香料を売って、貧民に施すべきではないのか。先生だって日頃貧しいものに施せと言っておられたのではないか。自分の足に注がせているのは、自己矛盾ではないか」と。

 ここは大切なポイントになっています。師匠と弟子との関係のエッセンスを教えられます。

               


<まだ全ては理解できないから「弟子」>

 弟子というのは、師匠の言うことがまだ全ては理解できない存在なのです。にもかかわらず、言われたとおりにやる。素直に真似る。それを通してしか、わかっていくことは出来ないのです。

 では、そうして理解できるようになったら、彼らはどうなるか。
 弟子でなくなります。

 イエスは後に、その状態を兄弟といっています。兄弟の間では、話せばわかるという姿勢でありのままに説明します。そして、実際、イエスは後にそれをやるのです。次の聖句をご覧下さい。

 「そのときイエスは彼ら(弟子たち)にいわれた『恐れることはありません。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい』」(マタイによる福音書、28章10節)

               


<ユダは「イエスワールド」の外に>

 でも、ユダの心は、すでにイエスワールドから出ておりました。
 彼は、自力で考え、独自な打開策を実行せずにはいられなくなっておりました。
 ユダの動機に関しては、もう一つの推察をすることができそうです。が、それはもうすこし後になって、スペースがあれば書くことにしましょう。

                

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Vol. 160『事務局長が一番裏切りやすい』(12章)

2006年07月22日 | ヨハネ伝解読


~~絵画は「使徒ヨハネ」(1866)by Peter Nicolai Arbo~~



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
 「弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った『どうしてこの香油を300デナリで売って、貧しい人たちに施さなかったのですか』」(12章4~5節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前回に続きユダ解読を続けましょう。聖句も同じですよ。

                
                

 ユダに関する情報は少ないです。詰まるところの正確な結論はわかりません。
 けれども、それだけに色々想像を巡らすことが容易になるのですね。制約条件が少ないですから。

 その一つを書いてみましょう。

                



<出世志向の苦労人は事務局長になりやすい>

 実のところは世的な出世の夢を胸に秘めて入団を希望してくる人物に対して、ボスたる教祖はどうするでしょうか。教祖といってもこの場合は新しい教えをする開祖です。

 彼はそのあたりは通常、鷹揚に認め、容認するのではないでしょうか。自然なことです。新しい教えは広めねばなりません。そのためには「来る者拒まず」で少なくとも当初はやっていく方が効率的なのです。

 こういう信徒は、世的なセンスに長けていることが多いです。事務的な仕事が他のメンバーよりもよくできる。事務仕事というのは、この世での集団を現実的に管理運営する仕事ですからね。彼はその執行役に回ることが多いです。

 もちろん、全般的決定はボスが行うでしょう。けれども、その下で、日々の雑事を処理していくのは、事務局です。世的意識の強い信徒は、そのヘッドに位置する事務局長に回ることが多いです。公益法人などではその仕事をする人は専務理事とも言います。

                



<教団が動機にかなわなくなったら別の道を進む>

 世的意識の強い事務局長は、実によく働くんですね。身を粉にして働く。見ていると、ついつい可愛くなる程です。そして、世的センスがありますから、やることにソツがなく、実に役立ちます。

しかし、それは自分の出世のためでもあるわけです。だから、教団がその動機にかなっている間は、従順に働きますが、そうでなくなったら態度は変わります。彼は、教団の進む道とは違った道を進むようになります。

 それは、彼にとっては自然なことです。彼は、依然として自分の出世のためにがんばっているのであって、根底動機には何の変化も起きていないのです。だが、教団から見たら話は別です。彼は、教団を裏切りはじめた、ということになるのです。

 このように、概して事務局長的仕事をする人が、一番裏切りやすいのが人間組織です。裏切りの被害を避けるには、よく観察し、「おかしい」と思うことが一つでも見られたら、面倒くさがらず、同情心も捨てて、事務局長は早めにとり代えることですね。

                


<中川一郎の秘書>

 タイミングよくそれをしないと、ボスはある時裏切られます。ひととき鈴木宗男という人がマスコミの話題にのぼりましたね。彼は少年時代から、国会議員になるという夢を抱いていたそうです。そのため北海道の大物代議士、中川一郎の秘書を志望しました。

 希望してきた彼に会った中川一郎の奥さんは、直感的に問題に思ったそうであります。彼は、終始相手(奥さん)の目を見なかったそうです。それを危険と感じたというのです。

 もっとも、これは、奥さんが後に述懐した言葉です。彼は、文字通り身を粉にして働きます。中川事務所の秘書の中でも、抜群の働き手となる。無くてならない存在になります。

 彼は、地元の人々の世話を、一手に引き受けて働きます。その結果、彼自身が多くの有力者に顔やつながりが出来ていきます。そして、時が充ちると、それを利して自分も国会議員選挙に打って出たいと申し出ました。

 中川は、それでは困ります。彼らはもともと、自分の支援者であったのです。ところが鈴木は自己目的を押し通す行動を、さらにあちこちでとるようになります。「一生忠実に働く」といってたのに・・・。

                


<親分は裏切られると神経を破壊される>

 中川は精神的被害を受けます。「北海のヒグマ」と呼ばれた中川は神経をやられていきます。可愛がり信頼しきっていた働き手に裏切られると、ボスというのは神経を深く傷つけられるようですね。

 自己派閥の中で、ひそかに経世会を作って独立した竹下登の出現で、田中角栄さんも深く傷つき朝から酒浸り。オールドパーを一本二本とあける日々だったといいます。

 中川一郎代議士はあるとき、ホテルで首をつって死にました。直接的な原因は不明なままです。鈴木は、国会議員選挙に出て当選します。そうして今もマスコミで話題になっています。

 ユダの裏切りは、そういう、この世の法則のようなものから、理解することが出来るのではないでしょうか。春平太も還暦を過ぎるまで生きながらえ、色んな人間を見、かつ体験してきました。

                


<先生、何を言い出すのですか!>

 ユダヤ教高僧の会議は、イエスを殺すという公的決定をいたしました。それを知ったイエスは、危険を避けるために荒野に近い町に退きます。そこまではいいでしょう、ユダにとっても。

 ところが、過ぎ越の祭りが近づいたら、イエスは危険なベタニアの地に行くと言い始めたのです。なぜかというと、死ぬためだという。それによって、人類を救うのだと。

 ユダは仰天したのではないでしょうか。「先生、何を言い出すんですか! 教団を成長させるのではないのですか。それでは、私たちはどうなるのですか!」

                 

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Vol.159『新教団に入る人の動機は様々』(12章)

2006年07月20日 | ヨハネ伝解読



~~絵画は「使徒ヨハネ」(1866)by Peter Nicolai Arbo~~



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
 「弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った『どうしてこの香油を300デナリで売って、貧しい人たちに施さなかったのですか』」(12章4~5節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


               



~~聖句は前回と同じです。

 イスカリオテのユダに関連してもう少し考えましょう。
 ヨハネは彼を、「シモン・イスカリオテの子、ユダ」と書いています。イスカリオテというのは、地名ではないかと思われます。「ナザレのイエス」はナザレ出身のイエスでしたし。

 エルサレムの南にイスカリオテという地があったらしいです。そこは南の旧ユダ王国の地ですね。イエスが育ち住んでいる地域は北の旧イスラエル王国のあった地域です。ここは新開地で田舎です。北の新地。南はこれに比べれば都会ですよね。

 江戸時代での江戸に対する京都・奈良といったところでしょうか。江戸中後期においても、京都人は都会人でした。これからしたら江戸人は「あずまえびす(東夷:東方の田舎もの)」でした。

 ユダ以外のイエスの12弟子で、出身地が記されている人は、みな「北えびす」でありました。旧イスラエル王国地域の出身だから。中でもほとんどはその中のガリラヤ地域の出身ですね。

 田舎者からしたら、都会人は概して「すれて(擦れて:世でもまれて純真さを失って)」います。都会人ユダは、どうして早い時期に「北の田舎者」であるイエスの弟子になろうとしたのでしょうか。


               


~~色々想像できます。

定職がなかった。
各地の情報をす早くキャッチし機会をうかがうタイプだった
現世的野心があった。
急成長ベンチャーのイエス教団で職を得て出世しようとした。
 頭がよく計算が得意。
 
~~などなど。

                


<ヨハネ、ペテロは中産階級の息子>

 別の福音書に、ヨハネやペテロは漁師であったと記されています。漁師といっても、雇われ人夫ではありません。自分の船や網を持っているんですね。これは日本でいう網元でありまして、彼らは一定の資産家というか中産階級の息子でした。

 こういう人は、生活のためとか職を得ることを主目的に新興教団に加わることはありません。もともと一定の思索をする余裕が生活にありますしね。参加の主たる動機は、真の理念の追求にあることが多いです。精神的な渇望を満たそうとするんですね。

 彼らはまことの理念、真理を求めて様々な教祖を巡り歩いていた。そういう中でイエスに出会ってその教えに信服したという人たちだったでしょう。

                



 <苦労人は組織による出世が主動機であることが多い>

 ユダはそうではなかった可能性が高いです。
 教団に加わるには、いろんな動機があるのですね。サリン事件などの問題を起こしたオウム教でもそうでした。報道されたところによりますと、Y.Hという幹部などはそうだったようです。

 苦労人で、夜学に学んでいて入団しました。入団後に親に送った手紙などには、教団が成長し、その中で自分も出世する夢が切々と書かれていた、といいます。

 そういう動機が深くにあっても、他方で教祖の教理もよく学びます。だが、深いところでは社会的な出世のため、という意識がどうしても無くならないのですね。普段それは表には出ません。表向きは、他の信徒と同じように、ひたすら教えに心酔しているように見えます。

                


<苦労人は身を粉にして働く>

 こういう人は、また、よく働くんですね。
 身を粉にして働く。
 概して、事務的な仕事、雑用的な分野でよく働きます。

 その働きぶりを見て、精神的・理念的なところを主動機として入ってきた人は、それを彼の信仰の深さと受け取ったりするんですね。それでほめたりして・・・。ボンボンの人の良さというか・・・。

ユダに関する推察は、もう少し続けましょう。

                

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Vol.158『ユダにも自由意志はあった』(12章)

2006年07月19日 | ヨハネ伝解読





~~絵画は「使徒ヨハネ」(1866)by Peter Nicolai Arbo~~




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
 「弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った『どうしてこの香油を300デナリで売って、貧しい人たちに施さなかったのですか』」(12章4~5節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 今回はユダについて考えましょう。
彼はどうして「香油を売って貧しい人に施したら?」といったのでしょうね。これに関して、ヨハネはこう記しています。

 「ユダがこう言ったのは、貧しい人に対して関心があったからではない。彼は盗人だ。財布を預かっていて、日頃そこからお金をくすねていた」(6節)。

 これは「香油をイエスの足に振りかけないで、売って貧しい人に施したらどうか?」という意見をどうしてユダが言ったのか、という疑問に対する答えとしては少しポイントがズレていますね。ユダの心理・動機の分析が欲しいところです。

 だが、ヨハネはそこには立ち入っていません。ただ、「ユダというのは貧しい人への関心を持つ人ではなかった。また、会計係であって、日頃そこからお金をくすねていた」という意味のコメントだけをしています(6節)。

             


 これを読むと、また別の疑問も湧きますね。
 イエスはどうしてこんな人物を12弟子の中に入れていたのだろうか、と。

 イエスの12弟子といえば、一番身近に置かれた弟子です。その外側に、さらに72人の弟子がいたときもあるくらいですから、文字通りの側近です。その中に、どうしてこんな人格の人間を入れていたのだろうか。イエスともあろう方が・・・。

 ユダについては謎が多いです。春平太にもわからないところがたくさんあります。しかし、わからん、わからんだけでは解読になりませんので、微力ながら少しやってみましょう。まず、どうしてユダのようなのが弟子になっていたか、から。

                    


 理由の第一は、イエスは来るものについては拒まなかったから、ということでしょう。弟子選びには、イエスの方から指名したケースもありました。このヨハネ伝の記述ではピリポはその一例でしたよね。彼はとても霊感が強い人だったことが、他の聖書箇所で示されています。

 が、向こうから望んでくるものをイエスが拒否したケースはほとんど記されていないのではないでしょうか。そのことから「弟子に加えてください」との強く意思表示をすれば、拒否されることはなかったと推測されます。イエスが宣教活動を始めた初期の時点ではとりわけそうでしょう。

 ユダは早期に希望を表明したのではないでしょうか。そこで「まあ、やってみなさい」と弟子のうちに入れてもらえた、と推測されます。で、事務能力を見込まれていつの間にか会計係をしていた、というイメージです。

              


 するとまた新しい疑問がわきますね。

~~しかし、彼は後にイエスを裏切ることになる。イエスは、それを知っていたはずだ。全知なる創主の子だから。なのに、どうして入れたのか?と。

 この疑問には人間の心の自由意志の部分を見逃しているところが見えます。
 ユダには人を裏切りやすい素質があったかも知れません。けれども、彼の心が、そういう資質を持ちながらも、以後、どう展開していくかは、ユダ自身の自由意志が関与する部分がある~~これが聖書の人間観ではないかと思います。

 裏切る方向に行くか、そうしないでイエスの教えを受け入れる方向に行くか、は最終的にはユダのこの自由意志部分による。そういう余地があった、といえるでしょう。

 もし、そういう自由意志部分ががなかったというならば、ユダはロボットと同じだったことになりますね。裏切りロボット、裏切りマシン。

 ~~そういうことはないでしょう。

 ユダはなにやら現世意識の強そうな男、計算高そうな男でした。そういうことはイエスにはすぐにわかったでしょう。けれども、そのユダがその後どうなっていくかは、彼の自由意志がどう展開するかに詰まるところはよるはずです。イエスもそういう人間観だったと春平太は解します。


               


 そしてある時点で、イエスは「彼はもうダメだ」と判断することになった、と。それまでは、別の方向に来る可能性をも認め期待していたのですが、もうダメとわかるときがきました。

 その時イエスは~~
  「その人(ユダのこと)は生まれてこない方が、当人のためによかった」(マタイによる福音書、26章24節)

  ~~と言います。これは、結果的にそうなったということでしょう。

               



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Vol.157『マリア、イエスの足に香油を注ぐ』(12章)

2006年07月18日 | ヨハネ伝解読




~~絵画は「使徒ヨハネ」(1866)by Peter Nicolai Arbo~~

(アンディ中嶋さんのブログ「バイブル的人生」
http://blog.goo.ne.jp/andygoo/
より引用させていただきました)


~~また「ヨハネ伝解読」にもどります。
12章の最初からです。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
 「その時、マリアは高価で純粋なナルドの香油を一斤持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった」(12章3節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
 12章に入ります。
 ここでは状況が一転しています。危険を避けていたはずのイエスが、一転、危険な地域に自ら足を向け始めるのです。死ぬ気だったのですね。弟子が止めるのも聞かず、彼はラザロ、マルタ、マリアの家に来てしまいました。

+++

 この章でヨハネは、まず、後に有名になるマリアの香油シーンを記しています。彼女は高価な香油をイエスの足に塗り、自分の髪でそれをぬぐいました(3節)。

 マリアたちの兄弟姉妹は、イエスをとりわけ深く愛する人だったようです。加えてこの場面ではイエスは死んだ兄弟を生き返らせてくれた大恩人でした。彼女でなくても、どんなお礼もしたくなる場面です。

 イエスはマリアのなすがままにさせていました。家中が香料の香りでいっぱいになりました。

 それを見ていて、クレームを付けた弟子がいました。イスカリオテのユダでした。彼は後に、イエスの居所をユダヤ教の高僧たちに教えにいくことになります。

 ユダはいいました。「この香油は300デナリなら楽に売れるでしょうに。売って貧しい人に施したらいいのに・・・」(5節)

  (先生、かつてお金持ちに、自分の弟子になるには持ち物を売って貧しい人に施せ、と言ってたではありませんか。ホントに、時によって言うことが違うんだから・・・)とでも言いたそうですね。

                  


 ところが、イエスはこう言います。

 「マリアは私が葬られる日のためにそれをとっておいたんだ。貧しい人はいつでもいるが、わたしはいつも諸君と共にいるのではない」(7~8節)。

 前章で、イエスが身の危険を避けて荒野に近い町に弟子たちと滞在した、とヨハネは記していました。しかし、過越の祭りの6日前になると、イエスはマリアたちの家に来たのです。そこはベタニア。エルサレムから近く、危険な場所です。

 そこに敢えてイエスが来たということは、エルサレムに上ろうということでもありました。そして以前からイエスの言っている「死ぬ日」ですね、これがが来たということでもありました。

+++

 マリアはもう、イエスのいうすべてを従順に受け入れていました。兄弟ラザロを生き返らせてもらって以来、彼女はもうイエスの言葉をそのまま受容するように一層なっていたのでしょう。

 そこで、一家は、一行のために夕食を用意しました。食事の給仕は、マルタがしました。生き返ったラザロも、その席に加わっていました。マリアは、そこで、香油をイエスの足にかけたのです。

 彼女はイエスが「私はこれから死ぬのだ」といっても、それを素直に受け入れる心境になっていました。彼女は、死にゆくイエスの足に、化粧を施したのでしょう。(実際まもなく、ここに釘が打ち込まれて多量の血が流れ出すことになります)

               


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執事会は近代株式会社の取締役会

2006年07月15日 | キリスト教活動の歴史
(写真はハフマンバプティスト教会の執事会)


 執事会に選定され雇用された主任牧師が、執事会で基本方針の演説をしたり、財務状態をカイゼンしたり、音楽監督をスカウトしてきたりするというのは、聞いているとすっきりしないところがありますね。雇われ人がどうしてそこまで出来るのか、経営権を持つ執事会はどうしているのか、とか。

+++

現代の株式会社と照らし合わせて理解したらどうでしょうか。

<教会>  <株式会社>

会員総会 → 株主総会
執事会  → 取締役会
主任牧師 → 雇われ社長(オウナーでない社長)

教会の最終的な決定権は、教会員の総会が持っています。これは会社で言えば、株主総会に当たります。年に一回の株主総会で否決されたら、取締役も社長もどんなにいい案だと思っていても、実行できません。

しかし、全員が集まって審議する機会は多くとれません。多数で日常的な執行事項をいちいち議論するわけにもいきません。そこで、取締役という代表者を選んでそれに執行を委任するわけです。教会運営ではこれが執事会に当たります。

だが、執事さんもまた普段は会社などでの仕事に従事しています。毎日教会の仕事にかかわっているわけにはいきません。そこで主任牧師に日々の経営の多くを委任します。牧師は教会の事項に専念するのがその仕事ですから。これが会社では社長に当たります。

主任牧師は、副牧師や音楽監督を協力させて日々の教会運営に当たります。会社の社長が副社長、専務、常務らを協力させるのと同じですね。

だからティム牧師は、教会の財務状態を分析し、そのカイゼンのためにも動きます。音楽監督を交代させたりもします。どのような方針で教会業務を執行するかを、執事会で演説したりもします。

+++

しかしその主任牧師と再契約するかどうかは、取締役会である執事会が決めます。あるいは時として途中で解任することが議題になったときにはそれも、執事会が決めます。そしてその執事会の決定を承認するかどうかは、株主総会であるところの会員総会が最終的に決定します。


<近代株式会社組織は聖句主義教会のコピー>

なにやら近代株式会社組織のやりかたを模倣しているようですが、事態は逆でしょうね。この方式は、聖句主義の教会ではイエスの使徒たちがいなくなってからまもなくして、つまり紀元後1世紀の終わりには出来上がっていたのではないかと思われます。

使徒たちは長老と呼ばれていましたが、彼らは牧者でもありましたので、長老と牧師は同じ人をさしました。また、彼らは教会全体を監督する人でもありましたので、監督とも呼ばれました。つまり、長老、牧者、監督は同じ人の異なった呼び名でした。

使徒時代には使徒たちの発言権は大きかったでしょう。なにせ、イエスに直接教えを受けた直弟子ですし、彼らを通してしるしと不思議が現れていましたから。なので、初代教会時代には長老会議が取締役会のような業務を実質的に行っていたでしょう。

執事は「使徒行伝」では、教会員の生活の世話をする役柄として作られています。最初はそうでした。最初の殉教者ステパノはこの初代の執事さんでした。

しかし、時と共に長老が毎週の説教や日々の教会運営に時間やエネルギーの大半を注ぐようになります。また、イエスの使徒たちのような特別な権威は教会員からみとめられることはなくなります。それにつれて、教会員の総意を受けて教会運営をするのは、執事会のほうが適しているようになり、執事会が取締役会になった。そういう事態は、初代教会時代が過ぎたらまもなくできあがったのではないでしょうか。

このやりかたが近代株式会社に取り入れられたと思われます。
多くの人々から資金を集め、大規模な会社を運営したい。出資者に株券を与え、株主の総会が会社運営の最終決定権を持つようにしたらどうか。代表者として取り締まりを選び、取締役会が会社業務に専念する社長を選んで日々の執行を委任しよう。こういう方式を、聖句主義者の教会運営をヒントに学んだのでしょう。

                    



<教理主義教会では僧侶が決定権をもつ>

この方式はカトリックなど教理主義の教会ではとられておりません。
最終決定権はプロの僧侶が構成する教会本部が持ちます。
ここでは正統とする聖書解釈(教理)を僧侶の組織が決めます。そのことと最終決定権が僧侶に置かれているというのは表裏の関係をなしているわけです。

<カルヴァン派教会は教理主義なのに・・・>

ところが現実は複雑でして、教理主義の教会でも聖句主義教会に似たような運営形態をとるケースがあります。

英国ではカルヴァン派教会は長老派とよばれています。
宗教改革の立役者カルヴァンは教理主義者でしたので、この派の教会は基本的には僧侶が構成する教会本部が決定権を持っています。彼の教え子たちが英国で造った長老派教会が時の経過の中で聖句主義教会的な運営をするようになりました。ここでは信徒の代表を執事といわないで、長老といいますが、この長老会が会社の取締役会のような働きをするようになっている例が多くなっています。

春平太は、これを英国における聖句主義教会に触れて影響されたことによると推測しています。当時、英国には欧州大陸から聖句主義者が大量に流れ込んでいました。国教会からの圧迫が比較的緩やかだったので、彼らが地表に出て聖句主義教会活動をすることが多くなっていました。長老派の人々は、ここでの方式に感銘を受け、取り入れていったのでしょう。

               


それにつれて、他の教理主義教会でも、形態的にはそれをまねたような事象が広がってきています。けれども、会員総会に最終決定権を持たせるということは、個々の信徒に聖書解釈の自由をもたせるということなくして、完全には成立しがたいです。そのへんを曖昧にしたままでやっているのが、現代のプロテスタント教理主義教会の現状です。

カトリックは、それすらもしない。完全僧侶主義というか、教皇主義ですね。
こちらに所属する信徒さんも多いですから、信徒の好みも様々です。人間様々といったところでしょうか。

+++

カルヴァンと教会運営方式については、もう少し情報がありますが、機を改めて書くことにいたします。


                    

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音楽監督デニス

2006年07月12日 | キリスト教活動の歴史




同じ教会の音楽監督デニスです。

ある程度の規模のバプティスト教会には、有能な音楽監督(music director)がいます。礼拝などで歌われる聖歌の選択、ラインアップは彼がします。のみならず、聖歌隊の編成も、訓練も彼がするのです。

音楽は世界語(universal language)ですし、会衆の霊感を深めます。楽曲選択が自由なバプティスト教会では、音楽監督は牧師と並んで大切な存在なのです。

+++

デニスはとりわけ優れた人材でした。
会衆を「活気づける(animate)」能力にかけては、、鹿嶋はこれだけの音楽監督を見たことがありません。彼が講壇に登場して指揮を執り始めると、背後の聖歌隊も会衆もまるで魔法にかかったように元気になって歌い始めるのです。なにか、人々の目を覚ますような爆発的な明るさというか、そういうオーラを持っていました。

彼は、ティム牧師がスカウトしてきたそうです。

就任するとすぐに、ティムは音楽監督のレベルアップを求めて、従来の監督の交代を執事会に提案し承認をとりました。そしてデニスをスカウトしてきた。ノースカロナイナ州の教会で音楽監督していた彼をアラバマに連れてきたそうです。

どうやって彼を選び出したのか、以前から知っていたのか、については情報が得られませんでした。彼の奥さんもクラシックベースの聖歌歌手で、歌に移入する信仰感がすごく、ソロを聴いて感動の涙を流す人も幾人か見られました。この二人をセットでティムはスカウトしてきたわけです。

こうしてこの教会は、会員の満足度の高い教会になりました。


                

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スカウトされたティム牧師

2006年07月09日 | キリスト教活動の歴史
同じハフマンバプティスト教会のティム主任牧師です。
執事会で基本方針を述べているところです。

写真は2004年当時のものですが、その7年前に彼はこの教会に着任しました。
他の教会にいたところをスカウトされてきました。


                  


サザンバプティストの教会では、教会を経営するのは信徒の中から選ばれた執事さんたちです。

執事会では、現在契約して働いてもらっている牧師について、期限が切れたら再契約すべきかどうか、かなり前から審議します。そして、再契約しないと決めたら、新しい牧師のスカウトに乗り出すのです。

まず、牧師選考委員を数人選んで、選考委員会を造ります。選ばれた委員会は、なるべく近いサザンバプティスト連盟の支局に出向いて牧師の資料を見ます。支局には現在就任中の牧師や休職中の牧師の全資料がファイルされています。

                  

ハフマンバプティスト教会の委員会は、その中からまず60人を選びました。次にそれらを好ましい順番に序列付けしました。これと思った人については実際に働いている教会の礼拝に行って、その説教を聞いたりしました。

そして上位3人を候補者として、一位から順番に交渉を試みました。3人選ぶのは、上位の牧師がすでに次に行くところが決まっていたり、あるいは断ってきたりすることがありうるためです。

委員会は、他の教会で働いていたティム牧師を一位にノミネートしていました。彼らは、給与を始めとする諸条件を提示して交渉を開始しました。

                  

ティム牧師は、条件には満足しましたが、決める前にハフマンバプティスト教会で一度説教してみることを要望しました。自分の説教にその教会の会衆がどのように反応するかを確かめたかったのです。やってみてこれならいけそうだと判断して契約し、7年前に就任したのでした。

鹿嶋のみるところ、非常に気配りが細かく、説教も信仰心に充ちた情熱があって、リーダーシップもあり、優れた牧師でした。60人の候補者の中の第一位だっただけのことあるなあ、という印象でした。また彼は就任してすぐに、赤字だった教会財政の立て直しに着手し、2年の内に黒字化したということでした。

では、牧師を引き抜かれた教会はどうするかといいますと、これもまた新たに牧師のリクルートに入ります。引き抜かれたら自分らも引き抜く、というのが常識なようです。こうやって優れた牧師はだんだんと好条件な教会に動いていくことになります。

+++

逆に、お呼びのかからない牧師はどうなるかと言いますと、休職になります。教職者としては失業状態になるわけですね。その期間中、彼等は小売店の店員として働いたり、絵画のセールスマンをしたり、いろんなことをします。

ベトナムやイラクなど戦場で従軍牧師が募集されると、応募するのは多くはこの人々なようです。もちろん、信念で戦場に赴く人もいるでしょう。米国独立戦争時には、バプティストの牧師にこういう人が多かったと伝えられています。が、現代では、従軍牧師の多くは教職としては失業中だった人が多いようです。

鹿嶋は、この類の人で元ベトナム従軍牧師だった方に話を伺ったことがありました。現場の目撃者であった彼の話では、若い米国兵たちの状態は悲惨だったようです。

どういったらいいか、戦後の米国は豊かで自由ですから、その社会で育ってきた若者は、要するにボンボンなわけです。日本流に言えば、いいとこのボンボン。これが突然、殺戮のジャングルにぶちこまれるわけですから、もうなにがなんだかわからない。身体的だけでなく、精神的にも悲惨な状態になるわけです。

彼は、具体的に説明しようとして言葉を詰まらせ、描写しきれまませんでした。

「まあいい・・、彼等はああいう運命に生まれついてきていたんだ・・・」と、自分の気持ちを整えるのがやっとでした。従軍牧師は、軍医たちと同様に、前線から一歩下がった位置にいますので、前線現場のありさまが一番よく見える存在なのですね。

休職牧師とはいえ、この人は、聖書やその他の知識を多く持っていました。教会の牧師に求められるのは、知識の他に、リーダーシップとか教会員への愛情とか、人なつっこさとか、いろんな資質があるようですね・・・。

+++

話を戻します。
この教会では、主任牧師は7年間働いたら3ヶ月の研究休暇を与えることになっていました。ティム牧師は8月半ばから11月半ばまでをその研究休暇にあてていました。

                    

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海外宣教家族のための祈り

2006年07月08日 | キリスト教活動の歴史


同じシニアミュージカルの教会、ハフマンバプティスト教会、の礼拝後の一場面です。
教会が派遣している海外宣教師の家族ために祈っています。

                  

講壇の前に家族がいます。アフリカのタンザニアかどこかの国で宣教している家族で、活動報告をしに里帰りしていたのです。これからまた出かけるにつけ、教会員は彼らを囲んで祈っています。未開地で宣教師が殺害されたという話もこれまでに一度ならずあります。

講壇で祈りをリードしているのは、この教会の主任牧師、ティム・ロベットです。
彼のリードで全員が一斉に祈り続けると、霊感が濃厚に充ちました。

                  

日本とは別の文化圏だなあ・・・。
先回の少年も、教育訓練を受けて鉄の意志を持った宣教師家族を造るのかなあ・・・。

               


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「日本宣教デー」の続き

2006年07月07日 | キリスト教活動の歴史


しばらく中断しましたが、「日本宣教デー」の期間に教会の講壇の前に集まった子供たちを再び掲載します。今度は、立ち上がって唄を歌っています。


                


子供を異国の文化になじませる期間をもうけたり、そんなことして効果があるのか、と思いますが、サザンでは結果が出ることもあるんですね。以前、シニアのミュージカルをしていたバプティスト教会の写真をご紹介いたしましたね。そこの夕拝で、8歳くらいの子供が将来海外宣教師になると決意したことを、大人が講壇から会衆に伝えている場面に遭遇しました。

伝えていた大人は、子供たちに海外宣教の知識を教えている女性の教会員。決意をした当人(少年)を横において、感動の涙を流して状況説明をしていました。

以後、この少年は宣教師になるための教育を本格的に受けることになります。そういう機関があるんですね。たとえばWMU(ウーマンズミッションユニオン: 婦人宣教協会)といったかなあ、そういう団体の本部がアラバマ州にありました。そのビルの中に、宣教師になる子供を本格的に教育する部屋があり、そのための絵本テキストも完備されていました。市販本と全く同じカラフルな印刷と製本がなされたもので、編集も見事、そのまま書店に並べてもいいような本でした。

                

そんな幼いうちから子供に人生を決めさせていいのか、もっと成長してものごとを知ってからでないと可哀想ではないかなあ、と鹿嶋はつい思ったりしました。が、そこは信じるものをはっきりもたない日本人的な考えでしょうね。サザンの教会人には、福音を海外で宣教する人生は、疑いなく輝かしい人生です。もう海外宣教師用に徹底訓練して育て上げてしまっていいんでしょう。

「自分は日本と大きく違う文化圏にいるんだなあ・・・」 そうあらためて実感させられた出来事でした。

                


コメント (2)
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