みなさま、こんにちわ。
「キリスト教の正しい学び方」、(臨時版)を終えて、本筋にもどります。
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いまわれわれは、キリスト教活動を西欧の歴史の中で把握する試みをしています。
そうすると、キリスト教活動の姿が立体的にみえてくるからです。
そこで今回も続けていくわけですが、ここで、是非とも確認しておくべきことがあります。
<キリスト教活動二つの系譜>
それは、紀元後二世紀以降のキリスト教活動には、明らかに異なる二つの系譜があるということです。
一つは、初代教会ではじまった、聖句自由吟味活動の流れです。
第二は、二世紀に出現したカトリック方式での活動の流れです。
この二つは実は併行して進行してきています。
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にもかかわらず、今日まで西欧史は、後者だけが存在するという前提で説明されてきています。
これはどう言ったらいいか、片肺のエンジンだけで飛行をしている状態というべきか。
飛行機は迷走し、眼下の風景もゆらゆら揺れて正確に観察できません。
筆者はこれまでにも、二つについてある程度のべてきました。
今回は、改めて二つを比較しつつ、今一歩踏み込んで述べてみましょう。
<初代教会方式>
初代教会方式での教会は独特な活動目標をもっています。
ひと言で言えばそれは「世界を知る」こと、「世界の全てを知る」ことです。
もう少し具体的にいうと、「霊界も含めた実在世界」の認識をすることです。
それを、個々の会員が自由に探究し、知ろうとするのです。
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そこではまず教会員個々人が、自由に聖句を吟味します。
そしてそれを、自らが所属する数人の小グループに持ち込んで再吟味します。
それによって個々人が、いわば「知」の充足をうるのです。
それが活動の主目標です。
初代教会方式の教会は、知を求める個々人の集合体なのです。
<カトリック方式>
カトリック方式での教会は、それとは対極的と言えるほどに異なった活動様式を取ります。
まず教会活動は、すべて職業聖職者が指導します。
そして彼らの活動の主目標は、信徒の集団である教会を、維持し発展させていくことにあります。
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この教会の信徒は聖書をあまり読まない大衆的信徒です。
指導者は、彼らを信徒集団としての一体性(まとまり)をもたせつつ、様々なサービスを提供し、献金を受け、教会を運営していきます。
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カトリック方式では職業教職者は、聖書のエッセンスを簡易にまとめたものだけを信徒に教えます。
それを教団本部が定めた唯一正統な聖書解釈だとして教えます。
信徒には聖書を吟味することを禁じます。
唯一にして正統なものがあるのでしたら、もう吟味する必要はありませんからね。
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一般信徒には聖書を読むことも、禁じます。
聖書の内容は複雑だから、素人の信徒がそれを解釈するのは危険だ、というのが理由の一つです。
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その状態で教会は、日曜には礼拝サービスを提供し、週日には信徒に葬式や結婚式などのサービスを提供します。
それらの費用や、教職者の給与や様々な教会活動の費用は信徒の献金でもってまかないます。
こうやって教会を発展させ成長させていく。
この面は、現代社会の会社、企業に共通しています。
<両方式の比較~カトリック教会~>
カトリック方式の教会はまた、この世に存在する他の多くの宗教教団と共通した性格を多く持っていきます。
たとえば日本の浄土宗や浄土真宗は次のような方式をとっています。
まず、どちらも、全国に存在する配下の寺(末寺という)を管理する本部(本山という)をもっています。。
そこが全国の支部寺(末寺という)を管理・運営するのです。
浄土宗の本山は京都の知恩院です。
浄土真宗は本山が二つあって(関ヶ原の戦いの後に分立)、西本願寺と東本願寺がそれです。
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本山は、各地の末寺(まつじ:まつでら、といわれることも多い)に自派の寺として運営する認可を与えています。
また、教会の正統教理を教える学校(神学校)をつくり、その卒業生に僧侶資格を与えます。
そして彼らに各地の末寺で働く許可を与えます。
信徒は、それらの末寺に所属する檀家となります。
そして、葬式などの諸サービスを受け、お布施(献金)をします。
末寺は集めた献金の一部を、本山に収めます。
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カトリックも同様なことをします。
信徒を教区に分け、そこに教会堂をたてます。
そこ(教区教会)に、信徒を所属させる。
これは日本の仏教での檀家に相当します。
そして、それらを本部で管理し運営します。
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本部には神学校も造ります。
そこを卒業した神学生に教区教会の諸行事を司る権限を与えます。
これが司祭です。
司祭は、様々なサービスを行い、信徒から献金を集め、それを本部に上納します。
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カトリック方式の教会では、一般信徒はもちろんのこと、一般の職業僧侶も教典をよみません。
教会本部には教団の正統教理があります。
それと異なる聖句解読をすると「異端!」として攻撃される。
だから、やはり実際には、聖書の奥義の探求はできなくなるのです。
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浄土真宗の職業僧侶も同じで、彼らは教典など探求しません。
そもそも彼らは漢文の解読能力を持っていない。
本部の学校では、漢文の音読だけを学びます。
それができれば、就任した末寺や檀家でのサービスは出来るのです。
ところが教典は漢文で書かれていますから、奥義の探求など出来るわけがない。
その状態で、経文の音読をして、日々の檀家サービスをこなしているのです。
<ベルグソンの「動的宗教」「静的宗教」>
すこし余談をします。
フランスの哲学者ベルグソンは宗教を「動的宗教」と「静的宗教」とに分けています(『道徳と宗教の二源泉』)。
動的宗教とは、教祖が霊感を受けて活き活きと語り、信徒が精神が活性化した状態で活動している時期の宗教です。
大発展する宗教は、発足当時には動的であるとベルグソンはいいます。
<静的宗教>
ところが教団が発展して社会的に大きな勢力になると、事態は変わってきます。
国家を運営する側の人の主たる関心は、国家社会の安定にあります。
そこで、大教団を現実社会を安定させる一機構として組み込もうとしてきます。
大教団も要求に応じて社会機構としての役割を増していく。
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その過程の中で、たとえば活動の儀式化も進みます。
言葉での説明が少なくなりそれが儀式に入れ替わる。
「まあ、難しいこといわないで従いなさいよ・・・」となるわけです。
儀式とは「教え」の内容を、シンボル化したものです。
シンボルとは、複雑な実在を簡易な事物で現した〈象徴した)代替認知物です。
これでもって「教え」を抽象化したのが儀式です。
この儀式の割合が、活動全体の中で、多くなっていくのです。
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こういうことが進むと、その宗教から当初の活力が減退していって、静的になる、とベルグソンは考えます。
その結果出来上がるのが、彼のいう静的宗教です。
<「哲学」の天才ベルグソンも初代方式教会には盲目>
これをいうとき、ベルグソンの意識にある手がかり、ほとんどもっぱらカトリック教会です。
彼は天才的哲学者ですが、宗教の知識は人並みでした。
彼の生きた近代フランスは、カトリックが圧倒的な国になっていました。
彼はそのカトリック方式の教会だけを経験素材として理論を立てているのです。
初代教会方式の聖句自由吟味方式教会活動には盲目なままで理論を作っています。
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けれども、カトリック的な方式の教団の性格変化を見るには、彼の理論は役立ちます。
浄土宗も浄土真宗も、戦国時代の後には大宗教になっていました。
ベルグソンの理論でいえば、静的宗教化していました。
その過程で、浄土真宗も、社会の一勢力として政治と組み合わさっていきます。
徳川時代に本山は、東(東本願寺)と西(西本願寺)に分けられました。
それは強大になった本願寺勢力を弱めるために、徳川幕府がうった政策の結果とみられています。
<発足に現実対処的な要素があった>
カトリック教会のケースでは、そもそもの発足の動機に、現実対応の要素が多分に含まれています。
聖書を読まず、聖書解読の意欲もあまりない大衆の参加希望者が、大量にやってきた。
担当者は、これに現実的に処していく必要性に迫られました。
その状況の中で、前述したような対応策が出来ていったのです。
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それもあって、カトリック教会には現代のサービス企業と共通した面もあります。
もちろん「イエスを信じることによって天国が約束される」という精神はあります。
キリスト教会ですからね。
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だが同時に、現代のサービス企業に共通する要素も運営面にはあるわけです。
そしてこの知恵が、「経営的」には、大成功をもたらし集団は急成長しました。
それは教団の規模と財力を急拡大させました。
ローマ帝国政庁も、これには関与せずにはいられなくなります。
教団も存続のためには、要望に相応に対処してかねばなりません。
そうこうしているうちに、やはり「世的」で政治的な要素は増大していくのです。
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コンスタンティヌス大帝は、そのカトリック教会を、公認宗教といたしました。
大帝は、公認主教の中でも、この教団をとりわけ優遇しました。
それによって、教団には世的・社会的な権力も増大していきます。
<「世の」権力者は権力を際限なく求める>
そして世的な性格を持った人間集団は、その権力をまずます大きくしたい欲望をもっていきます。
権力というのは便利なもので、人を説得の手間をかけずに従わせることを可能にします。
だから人はこれを一たび味わうと、もっと欲しくなるのです。
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カトリック教団は、ですから、自然に国教の地位を求めていくことになります。
教団に、国家の権力を具備させようとするのです。
そこで、大帝亡き後のローマ政庁に対して「国教化」への働きをかけ続けます。
大帝の後継者には、国教のマイナス面(前述しました)を洞察する力はありませんでした。
紀元後392年、カトリック教会はついにローマ帝国の唯一国教となります。
<初代方式の教会員は学者的>
他方、初代方式教会はどうでしょうか?
こちらはカトリック方式教会と対極と言っていいほどの性格をもっています。
まず、この集団はとても学者的、研究者的です。
活動の主目的が、霊界を含めた実在を知ることにあるのですから。
目的が個々人の「知」の深化にあるのです。
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初代方式の教会はまた、聖句解釈の自由を大原則にしています。
だから、各々が自分の解読結果、自分の聖書解釈をもつことが出来ます。
これも学者的です。
学者は学会に出ていろんな人の研究報告を聞き、議論をします。
だが、結局はそれらの情報を自分の知識に生かそうとしますからね。
そうした意味でも、初代方式の教会活動は、学会と共通した性格になっているのです。
<カトリック方式の教会員は小中学生的>
対してカトリック教会では信徒は、教団教理を正統な解釈として与えられます。
こちらは、日本の小学校、中学校の生徒のようです。
日本の義務教育では、学会で定説となった知識を教師が一方的に与えるのみですからね。
その知識の吟味は許されません。
カトリック教会の信徒は、日本の義務教育の学校生徒のような性格を持つことになるのです。
<自由吟味方式はキリスト教界のみのもの>
では、ほかの宗教はどうか?
たとえば仏教界に教典の自由吟味活動する方式の寺などあるのか?
ありません。
他の宗教界でも、初代方式のキリスト教会のような活動は、見当たりません。
初代方式の教会活動は、全宗教界においてもユニークそのものです。
全くもって特異な活動なのです。
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この方式の特性を、今ひとつ踏み込んで把握しておくことが必要です。
キリスト教の正しい認識にも、今後の歴史把握のためにとても重要なのです。
考察の糸口としては、どうしてこんな活動がキリスト教の分野で可能になったのか、などが有効だと思われます。
そして、一つにはそれは、聖書という教典の特異性によるところが大きそうです。
そこで、この辺りから説明に入りたいと思います。
だがそれには、かなりな言葉を費やさねばならない予感がします。
従ってそれは次回にまとめて論じることに致しましょう。
(「キリスト教の正しい学び方」 第20回 完)