鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

=天理教と聖書の奥義=18   ~物質化直前の波動体~

2023年05月20日 | 天理教と聖書の奥義

 

 

こんな疑問を考えてみましょう~。
 
イエスの復活体は、十字架死して葬られる前の身体とは違っていたのではないか。
だから、弟子たちも即座にイエスだと認知できなかったのではないか?
 
では、それは具体的にどういう身体だったのか。
 
これも物質に投影して物理的に比喩認識したいです。
 
それには、量子物理学(量子論)の知識が役立ってくれました。
 
量子物理学の知識にはまだモヤモヤしたところがたくさんあります。
 
けれども、その中から筆者の目的に役立つところを簡明に援用し、考えてみます。
 
 
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<粒子論から波動論へ>
 
量子論以前の物理学では、物質の根源はツブツブの物体、すなわち粒子と考えられていました。
 
具体的には原子(アトム)です。
それは、陽子や中性子や電子でなっているのですが、それらもまた粒子でした。
 
ニュートン物理学のニュートンも、アインシュタイン物理学のアインシュタインもそう考えてきました。
 
 
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<二重存在>
 
ところが、後に量子物理学者と呼ばれるようになる人々は、それは波動と粒子とで成っている二重存在であると認識しました。
 
それを証明した実験「二重スリット実験」は有名ですが、とにかくそういう「重なった存在」だと発見した。
 
そしてそれに量子(クオンタム:quantum)という名を付けました。
 
 
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<波動が根源>
 
 
そして、その後、根源は波動の方にあり、これが凝集した部分が粒子であった、と認識しました。
 
波動というのは、より根底的に言うと「振動:バイブレーション)」です。
けれども振動は外に向かって拡散し、波となって広がっていきますから、波動でもあります。
 
そして波動の方がイメージしやすいので、通常波動と言われています。
 
この波動が凝集するとその部分は、(つぶつぶの塊)と感じられ、粒子と認識される~というわけです。
 
 
 
 
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すなわち、根源は波動(振動:バイブレーション)の方であって、その波動の海の中に、振動が凝集する領域もある~と。
 
それが(つぶつぶの塊)と感じられ、粒子と認識されてきただろう~と。
 
量子という物質はそういう風景でイメージされました。
 
筆者は、このアイデア部分をちゃっかりいただくことにしました。
 
 
 
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<素人には「凝集体」の方が>
 
 ちなみに量子論学者はその凝集体に「波束(はそく:波動の束)」という名をつけています。
 
 だがこの思想は、筆者のような素人にはそのまま「凝集体」としておいた方がイメージしやすいです。
 
 我々聖句吟味解読者は、直感的、感覚的に「イメージ」出来ればいいですから、主に凝集体と呼ぶようにしましょう。
 
 
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<聖書の「霊」も物理的にイメージできる>
 
 
この思想は、聖書に出てくる「霊」という存在を物理的に投影してイメージするのにも助けになります。
 
それをたとえば極小の凝集体が組み合わさってできた存在とイメージするのです。
 
もちろん、量子ですから粒子は、波動の中に漂うようにして波動と共存しています。
 
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そこでもうひとつ、その粒子体は人の意識活動をも形成する、とイメージするのです。
 
 
 
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<サイ科学会>
 
 
実は、それに似た思考は、以前にもなされてきております。
 
 
かつて人間の心理を科学的に研究する国際的な学会がありました。 
 
 「サイ科学会」という名称で、「サイ」は、サイコロジー(心理)のサイです。 
 
 集っている研究者は、人間の意識(心理)は、物質の素粒子の10億分の一にもあたる、極小のつぶつぶの粒子からなっていると仮説認識していました。 
 
  そしてその粒子を「サイ粒子」と呼んでいた。 
 
  その上で、その意識(心理)を科学的に研究する学会を立ち上げていました。 
 
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 その意識体は聖書で言う「霊」にあたります。
だから、聖書的には、「霊心理を研究する学会」ということもできます。
 
がとにかく、その学会では、人の心理の実体は、超微細なサイ粒子のネットワーク体と仮設認識していたわけです。 
 
 
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<「霊なら肉や骨は構成しない」とイエス>
 
 
 聖書の「霊」も量子論を用いてこのように、似たようにイメージすることが出来ます。
 
 すなわち、霊は波動が凝集してできた超微細な粒子の結合体とみるわけです。
 
 
 すると、聖書における、復活して現れたイエスの次の言葉もイメージ理解できてきます。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
 「イエスご自身が彼ら(弟子たち)の真ん中にたたれた。 
 彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。 
 
 するとイエスは言われた。 
『・・・(中略)・・・わたしの手や足を見なさい。 
 ・・・・(中略)・・・・・霊ならこんな肉や骨はありません。』 
 
            (ルカの福音書、24章36-40節) 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・
 
 
イエスはもちろん、霊は実在し意識を形成するという認識です。
 
だがそれが超微粒子で成っている、とすれば、
骨や肉は構成しないと想像することは出来るでしょう。
 
 
 
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<図式的に考えてみると>
 
では、イエスが復活前にもっていた肉体はどうイメージできるか?
 
これは、霊よりも粒子がどんどん大きくなったものとしてイメージしたらいいでしょう。
 
図式的に考えましょう。
 
たとえば、霊粒子を左の端とする線分を右に描いていきます。
 
右に進むどの時点でも、波動は凝集化しうるとします。
そして右に進むにつれて、凝集する粒子は大きくなっていく、とイメージしましょう。
 
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<右端は物質の粒子>
 
そして右の端では、粒子は固定的なものとなる、とイメージします。
固定化した粒子、すなわち物質の粒子です。
 
すると復活前のイエスの身体は、その大きくなって固形化した物質粒子で構成されていたとイメージできます。
 
 
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<固形化直前の波動(粒子)体>
 
 
さあ、これでイエスの復活体の量子論的イメージを形成できます。
 
それは、波動が「固形化して物質化する直前」の、波動凝集体が組み合わさってできた波動体だとイメージするのです。
 
直前ですから、それは、物質の身体の様態も持っています。
 
だが、物質には至っていないので、波動体の特性も持っています。
 
イエスの復活の身体は、そういう波動体だったとイメージできるのです。
 
 
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それは固形化(物質化)直前ですから、物質の身体の様態をももっています。
 
だが、それはまた波動体でもありますから、物質の身体のようなメリハリはありません。
 
波動であるが故の「ゆらぎ」ももっていたかもしれません。
 
ともかく、そのようにして、マグダラのマリアや弟子たちが、復活のイエスをイエスだとしばらくの間認知できなかった理由(状態)も、物理的にイメージできるのです。
 
 
(続きます)
 
 
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