Sabiaさんのブログ(ブックマークにあります)で、ブログへの「のめり込みが」話題になっておりました。
それが家族との交わりを希薄にする反省等々の議論がなされていました。
ブログ中毒といったような問題は前から指摘されてきました。
結構きめ細かな交信が出来ますし、手軽に自分の意見も発信できる。
それに対するコメントも来る。そういう交信行為は楽しいものなんですね。
現代通信技術の生んでくれた人類へのプレゼントでしょうが、楽しさの余り、入れ込んで、
職業生活・家庭生活へのエネルギー注入が希薄になることも起きるんですね。
<信教が同じ人の間の交信は弾む>
それに加えてSabiaさんのブログは、もうひとつの「入れ込み」要素を持っています。
そこでの会話のほとんどがクリスチャンの方々の会話であることです。
信頼する思想を同じくするもの同士の会話は、弾むものですよね。
価値観が同じだから、「言外の言」が解り合えて、ツーカーで意志交信できる。
それが楽しいからますます家族との交流が阻害され易くなる。
もちろん、これは家族の他のメンバーがクリスチャンでない状況を前提としての話です。
クリスチャン・ホームだったら、みんなでブログの会話内容を話題にしたり、
そのブログを全員で眺めて楽しんだり、ということが出来ます。で
も、日本の場合、ほとんどの場合そういう状況ではないのですね。
<ブログでなくても起きる問題>
この後者の側面は、ブログ交信でなくても発生しうることです。
家族の誰かがクリスチャンで、他がそうでないと、前者がどうしても孤立するんですね。
話が通じにくい。これが進むとまるで他人のようにさえなります。
日本の場合、この問題が多そうです。
この問題の打開策はないものか、というのが今回の臨時版のテーマです。
皆さん、是非コメントをお寄せください。議論してください。
<人間誰しもが持つ根底問題>
とはいえこれは難しい問題なんですね。
そうした中で、春平太は、こんな方法で何とかならないのかなあ、という漠然とした夢のようなものを持っています。
それは、「人間の根底問題を家族で相互検討する手がかりとして、聖書を使う」という方法です。
人間には、だれしもが常時もつ、根底的な問題意識があります。
それは「自分は何故存在するか、死んだらどうなるのか、存在する意義はあるのか、
何のために生きるべきか」等々の疑問です。
これらを我々は通常、答えの出ないもの、問うても無理なもの、として意識の奥に追いやって暮らしています。
だから話題として家族で互いに語り合うこともありません。
しかし、これを考える手がかりとして聖書を用いれば、
家族の間でも人生の基本問題を話題にする可能性が生まれないでしょうか。
討議の後、各々が自分の見解を抱けばいいです。共通の結論は出さなくていい。
そういう形で聖書を家族交信に利用することは出来ないものか、と思います。
でも現状では難しいでしょうね。何が障害になっているのでしょうね。
<成熟した手がかりがあれば>
そもそもなにかについて「こんなこと話し合ってもムダだ」と思うのは、これといった成果が出ないからでしょう。
結論が出ないからではない。共通の結論が出なくたって、各々が一定の成果を手中に収められたら、
「ムダだ」と最初からやめてしまうことはないでしょう。
では、一定の成果が得られないのは何故でしょうか?
頼りになる「手がかり」がなんにもなしで始めるからではないでしょうか。
こういう膨大な問題は、ただ自己の経験だけを手がかりにして話し合っていっても、実りが少ないんですね。
各々がある程度の成果を得るには、やはり、これについて深く考えられた、
いわば成熟した手がかりが必要に思うのです。
そして春平太は経験上、聖書はそれにとても適した手がかりになるとみます。
<老いることのない世界が並行存在

>
この世は無常です。人は老いていきます。
だが、これに併行して「老いることもない」世界がいま現在もうひとつあるなんて。
こういうことを大まじめで述べている古典があるなんて。それを知るだけでも意識が変わってきますよ。
おシャカ様は~
、
「生老病死は世界の本質だ、これから目をそらさず逃げず、
しっかりと心に刷り込めば心を動揺させることなく(涅槃をもって)生きられる」
~~と教えました。
対して、聖書は「生老病死のない世界がこの世に併行してあるんだよ」と大まじめで述べる極楽とんぼ・・・。
また聖書は、「世界にはこの世を創造した存在がいるんだよ、人間はその方によって作られたんだよ」と
「自分はどうして存在するか」に対して、大まじめで答えます。
「何のために生きるべきか」に対しても、
創造主の意図を知れば答えは出てくるよ、それもこの本の中に書いてあるよ、といいます。
それを、うわあぁーと信じないで、考える手がかりにしたらいい。
そして各々その時点での自分の見解を抱けたらいいです。そういう風になれば、聖書は使えるでしょう。
<信念をぶつけない>
ただし、そういう使い方が出来るには、クリスチャンの家族員に一つの知恵がいります。
なによりもまず、聖書を一つの考え方の材料として、終始取り扱いつづける姿勢が必要です。
このときとばかりに自分の信念をぶつけるように提示したら、他の家族員はつきあいきれません。
すぐに身を引いてしまいます。だって、それではもう手がかりの材料でなくなっていますから。
<骨粗鬆症の信仰>
そんなことしてたら自分の信仰が固まらない、と心配になりますか。実はそうではないんだよね。
教理主義的に、一つの解釈(教理)だけにしがみついていたら、たしかに一見信仰は固いように見えます。
だけど、それは信仰の表面が固いだけなんだよね。内側は骨粗鬆症の人の骨のように、粗になっています。
表面的には固いけれども、深さがありません。少し強めに押されると、崩れます。
信頼心というのは、表面だけではないんだよね。
人生の基本問題の手がかりとして使うこともできるくらいの「和らぎ」をもって聖句を検討していると、
奥が深まっていきます。骨が緻密で堅固になります。
こういう聖句主義的な姿勢でやる方が、結局、信頼心も深くなるのです。
<聖句主義の信頼心形成力>
聖句主義にたってキリスト教活動を行っている代表が、米国のサザンバプティストというグループです。
米国には代表的な教派は15~20くらいを数えます。
そのなかで、このサザンバプティスト派だけで、世界に宣教師を5800人送っています。
これは、米国から派遣されている宣教師総数の約6割を占めます。この一派だけで6割を派遣しているのです。
(世界中の宣教師総数のうち、米国から派遣されている人数は訳95パーセントといいます。
米国はこのようにまさにクリスチャン国なのですが、そこから派遣されている宣教師構成は上記のようになっています)。
宣教師一人送るのには、多額の費用がかかります。
彼の海外活動費だけでなく、給与を与え、さらには引退後に安定的に生活できるように年金も積み立てますから。
これを5800人も派遣するには、膨大なお金がかかります。
正社員5800人といえば大企業、この企業の給料総額だけでも想像してください。
膨大なるその費用は、サザンバプティスト連盟という、宣教本部が与えています。
ではそのお金はというと、この教派の信徒が海外宣教献金として寄附(自由献金)しているのです。
この教派の人々がもつ、イエスの「教え」を世界の人に伝えたいという熱意の強さがわかります。
彼等の「教えへの信頼心」は米国内でも群を抜いて深いのです。
この人たちは、聖句への教団としての統一的な解釈は決して作りません。
数人のスモールグループでの聖書研究会でも、結論めいたものは出しません。
グループリーダーがそれをさせないのです。
結果的に、みんな自分ベースの見解を積み上げて帰ります。
いうなれば個々人が自分の見解を持って勝手にガチャガチャやっているのです。
そういう一見いいかげんな信徒生活を送っているように見えるこの人々の、教えへの信頼心が予想に反して抜群に深いです。
だから宣教に行くという者たちのためにダントツの金額を寄付するのです。
<家族の調和と真の知力の向上に>
今はまだ春平太の課題であり夢でもありますが、
この姿勢でもって聖書を語ることが出来るようになったとき、
家族で聖書を手がかりにして人生の基本問題を語り合う可能性が開けるでしょう。
信仰が家族を分けへだつことはなくなるでしょう。逆に、家族の調和が作られていくでしょう。
またそれがなれば、家族の知的水準も根底からの上昇を開始するでしょう。
だって、意識のいちばん底にある問題をもやもやとさせたままで、上層部の訓練をしたって、
知力の向上力には限りがありますから。
短期的にはそれである程度ごまかしていかれるかも知れませんが、
長期的には骨粗鬆症のような知性しか出来ませんから。
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その程度の知性でも、こういう平和な時代に個人が百年ほど波乱のない寿命を生きるには
まあまあ何とかいけるかも知れません。
だが、社会のリーダーとなって多くの成員の幸福をになうとなると、とたんに限界が現れます。
いま、日本の問題は、それなのです。
国家政治ではとりわけそれが現れます。リーダーには深く広い知性が求められれます。
だが、それを身につける知的土壌がないのです。しかたないので、二世、三世政治家に頼ります。
彼等は例外的に、家庭環境の中で祖父や父の影響である程度リーダー学、帝王学を身につけていますからね。
でも、そうでないリーダーが多いです。今の日銀総裁なんてひどいね。帝王学ゼロ。
~~長くなりました。
Sabiaさん、夏の暑さに身体内の各機関(特に内臓)は戦ってきています。
少し涼しくなると、身体はそれを休めようとしますので、一斉にだるく、眠くなります。
上手に身体を休めてあげてくださいね。