鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

=天理教と聖書の奥義=16    ~解釈自由と福音の神髄~

2023年05月16日 | 天理教と聖書の奥義

 

 

 サザンの(聖句主義)教会では、「個人の聖句解読の区自由」を大原則として活動します。
 
これを聞くと、外部者のほとんどは「そんなことしたら教会は(解釈の争いが起きて)分裂してしまう」といいます。
 
だが、実際には、教会は分裂しないです。
 
メンバーが吟味する聖書には、教えの神髄が内包されています。
 
それは、いってみれば福音(よき知らせ)の神髄です。
 
それについては、メンバーの解読・見解は一致します。
 
どうしても共有できない場合は、他のグループを探して参加すればいいのです。
 
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福音の神髄中の神髄は「天の創造主王国での永生」と、その資格を得る方法を教えています。
 
イエスは様々なことを教えましたが、その核心はまず「天国」(天の創造主王国)が存在する、ということでした。
 
マタイの福音書には、特に、その教えが繰り返し述べられています。
 
天国はどういう所かを、イエスは、まずは「消滅するものはなく、すべてが永続する世界」だと教えました。
 
(それ以外の天国の有様は、新約聖書の最後の書物『黙示録』に記されています。)
 
そして、それを「永遠のいのち」を与える、という約束で示しています。
 
永遠のいのちとは、永続するいのちエネルギーです。
 
それが与えられるというのは、将来、永遠の世界である天国にて永生する資格が与えられる
ということでもあるのです。
 
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その資格がいかに福音(よき知らせ)の神髄であるかは、
今、人間が生きている世界の性質を考えるとわかってきます。
 
 
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いま我々が生きている地上の世界は物資でできている物質世界です。
そこではすべてが死んで消滅します。
 
人間は五感がすぐれて明確につくられているので、物資世界が全世界だと思って生きています。
 
(お釈迦様はその世界観で物質世界に平安を持って生きる方法を探求しました。
その考察が知識体系となり、弟子たちはそれを人々に伝えました。釈迦は紀元前6世紀の人です)
 
 
だが、人間には「永遠」という思いも与えられています。
 
それによって人は永遠への希望を抱きますが、同時に死への恐れも抱きます。
 
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<死の奴隷>
 
イエスは、自らの宣教の中で、それを「死の(恐怖の)奴隷」と言いました。
 
それを聞いたユダヤ人たち(特にサドカイ派と呼ばれていた高所得層の人々)は「私たちは自由人で奴隷ではないよ」といいました。
 
対してイエスは、「いや諸君はみな罪の奴隷なんだよ」といった。
 
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どういうことかというと、罪というのは霊の死をもたらします。
 
「罪の報酬は死」という聖句はそれをいっています。
 
霊の死は肉体の死につながっています。
 
死は怖いです。
 
だから、「罪の奴隷」とは「死の恐怖の奴隷」と同じ意味なのです。
 
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これは人間存在の根底を明かす指摘です。
 
だが、イエスはただ、指摘するだけで終えませんでした。
 
この宿命的にもみえた恐怖を、根底から取り除いてくれたのです。
 
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どうやって?
 
まず、前述のように、イエスはまず永続する世界(天国)の存在を教えました。
 
(旧約聖書には「天国」の語は一度もでてこない)
 
 
「悔い改めよ、天国は近づいた」という聖句はそれを言っています。
 
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次いでイエスは、人がそこにおいて永続できる道を開き、人間に教えました。
 
イエスはその方法を、十字架死させられる前から、語っていました。
 
有名な「最後の晩餐」は殺される前に弟子たちととった最後の夕食を意味しています。
 
その時、イエスはこう口に出しています~
 
「私は殺されるが、復活して天国に永住する。 そして、私の言葉を心に抱く諸君も、
そのようにします」
~と。
 
だが、弟子たちはこの時点ではその言葉に信頼を置くことが、今ひとつ出来ませんでした。
 
 
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けれどもイエスは、実際に十字架刑で殺され、死後墓に葬られ、三日後によみがえって弟子たちの前に現れました。
 
これによって、状況は一変しました。
 
実際には弟子たちは、しばらくの間は、それが復活したイエスだと認識しきれませんでした。
だがイエスは入念に繰り返して、それが自分であることを示しました。
 
そして、ついにそれが復活したイエスだと確信できたとき、弟子たちは別人になりました。
 
あたかも、「従来の自分は自分でなかった(どうでもいいものだった)」かのような感覚になった。
 
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五感での認識は、人間に確信を与えます。
 
彼らは、死後、自分の霊が天国で永住できることに「確信」を持ちました。
 
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突然、彼らのうちにあった死の恐怖はなくなりました。
 
彼らは大胆に語り出しました。
 
「イエスは復活された! われわれはその目撃証人だ!」
 
その彼らの言葉に、奇跡が伴いました。
 
こうしてその言葉を受け入れ、確信する人々が爆発的に増大しました。
 
こうしていわゆる「初代教会」がはじまるのですが、
これには、イエスの復活を五感で認識したことが、決定的なターニングポイント
となっています。
 
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<福音書の成立>
 
これによって、弟子たちは地上で生きる限り宿命的な「死の(恐怖の)奴隷」状態から解放されたのです。
 
復活を目撃した人々は500人にのぼりました。
 
その中から、そこのことを後世の人々に書き残そうという活動が起きました。
 
これうしていわゆる「福音書」が作成されます。
 
新約聖書の冒頭には、これが四本収録されています。
 
後世の人々(我々も含めて)この書物によって、イエスの復活の目撃を「追体験」できます。
 
福音書によって、我々は「死の(恐怖の)奴隷状態」から解放されるのです。
 
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復活によって永生の確信をあたえたこと。
 
これが福音の核心であり、神髄です。
 
これについては、聖句主義メンバーはみな、解釈を共有します。
 
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聖書における他の話は、これに付随するおまけのようなものです。
 
イエスは数多くの「癒し」をおこないましたが、癒やされた人間もいずれ死にます。
 
聖書に記録されただけでも、三人の死んだ人間を生き返らせもしています。
 
だが、その人間も百年もすれば死ぬのです。
 
これらは、「死の(恐怖の)奴隷状態」を取り去ってくれるものではないのです。
 
イエスが復活して、自らの姿を五感で認識させた、というのは、福音(よき知らせ)を活きたものにする神髄なのです。
 
 
(続きます)
 
 
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