鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.22稲盛さんの輪廻思想

2007年10月14日 | 稲盛「哲学」と聖書の思想
                    


「稲盛『哲学』と聖書の思想」第22回です。

<死後の世界はあるか>

稲盛さんの、「現世の人生目的は、精神のレベルを高めることにある」
という哲学を紹介してきました。
では、死後はどうなるか?
この問題になると、稲盛さんはシャカよりもむしろ聖書の思想に近くなります。

すなわち、人間は肉体と意識体とからなっている、と考える。
意識体とは、聖書でいったら霊です。
死とは肉体が崩壊することにすぎない。意識体(霊)は肉体を抜け出て
あの世に行く、と稲盛さんは考えます。


                    


<あの世でも修行をする>

ではあの世で意識体は何をするのか。
稲盛さんは、そこでも魂のレベル(精神レベル)をたかるための
修行をするだろう、と考えます。

                    


<輪廻(生まれ変わり)で再びこの世にくる>

では、その先どうなるか?
ここでは稲盛さんは心霊科学の成果を取り入れます。
意識体はまた生まれ変わってこの世に来る、と考えるのです。

で、この世ではまた意識体はいずれ肉体から抜け出て
「あの世」にいきますから、稲盛さんは、
「輪廻転生(生まれ変わり)はある」と考えていることになります。


                    


<心霊科学も勉強している>

日本には輪廻転生の考えをもっている人もある程度
いるのではないかと思います。
でもその多くは直感的、フィーリング的な感慨です。
「生まれ変わりがあるか」というと「あると思う」とか
「思わない」とかを簡単にいうだけのものですね。

稲盛さんの場合は、そうではありません。心霊科学の成果を
しっかり勉強してそういう事実判断に至っておられます。
「シルバーバーチの霊訓」も読んでおられるようです。

19世紀の半ばに始まった心霊科学では、前世の記憶らしきものを
持っている子供の言動例(だいたい、5歳くらいを過ぎると
それが心に現れなくなるようです)を、万を数えるほどに記録保存しきています。
それらを検証し踏まえたうえでの結論です。
稲盛さんは、それらの情報を踏まえて、生まれ変わりはありそうだと
判断されているわけですね。


                    


以上をまとめて言うと、

~~人の魂(意識体)は、現世において心を高めるために
色んな修行をして、やがて死んでいく。
そして、あの世に行っても、同じように修行をしている。

そうした後、また誰かの身体を借りて現世に戻ってくる。
そしてまた修行をしてあの世に行く、と。

~~人間はこれを繰り返す存在、というのが稲盛さんの「哲学」の一部です。

                    


<悟りの境地で卒業>

一部、というのは、まだ続きがあるからです。
稲盛さんは「人間はこの世でもあの世でも心を高める修行を繰り返す存在」
だとは考えていません。
それだったら「永久に修行を続行するモルモット」みたいで、
なんだか苦労がつきず、希望がありませんよね。

稲盛さんは、そこを次のように考えています。
曰く。
~~人は修行をして精神レベルを高めていく。
そして心が釈迦のように悟りの境地まで高まってくると、
輪廻転生の輪が切れる。
もう、現世に帰ってこなくてもいいようになる。
満ち足りた悟りの世界で永遠に暮らすようになる~~と。

あるレベルに達したら「よくやった」という賞がもらえるんですね。
ならばそうなるところまで、がんぼろう(魂のレベルを上げていこう)
~~となります。

稲盛哲学には救済も含まれているのですね。


                    


<科学と哲学>

最後に一言、「そんなことが科学的にどうやってわかるのか?
稲盛哲学はいい加減なことも含んでいるんだな・・・」と感じてしまう人に
付言しましょう。

たしかに、人間が来世でどうこうするという知識は
少なくとも現段階では科学的検証済みの知識にはなっていません。

けれども、科学的に検証されていないからといって、
そこを空白にしておいたら、「今この世でよき人生を送るための考え方」は
できあがりません。これが大切なところです。

 稲盛さんは、よき人生を送るという本来の目的を果たすために、
その世界についても大胆に考えるのです。
それを科学ではなく哲学思想として人生観に組み入れていく。

だから稲盛「哲学」なのですね。


                    



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Vol.21 稲盛さんの「成功も試練」

2007年10月05日 | 稲盛「哲学」と聖書の思想
                    


「稲盛『哲学』と聖書の思想」第21回です。
稲盛哲学の中心的なところは、前回までに述べたと思います。
今回より、付加的なところを若干のべてみます。

その一つは、稲盛さんの成功に関する考え方です。
まず、人生には浮き沈みがあります。これに関して稲盛さんは次のように捉えておられます。

~~人生では幸運に恵まれることも、災難に遭うこともある。
だがこれは共に、創造主が与えてくれる試練である。
これらに如何に対処するかによって、人生は更に大きく変化していく。
対処のしようによって、よい方にも悪い方にも変化する~~と。


                     


<成功という試練への対応>

幸運に恵まれると人は成功します。
これも試練だとはどういうことでしょうか。
稲盛さんは、こう考えます。

~~成功は、物欲を肥大させ、人を「欲のかたまりのままもがく」ようにもさせうる、と。
こう言うとお気づきでしょうが、これは「欲望は自然なままでは膨張する本性をもつ」という、仏教でいう煩悩の知識が背景になっていますよね。


                    



<成功を当然と思う>

だが、稲盛さんはさらに、成功には次のような危険もあると述べています。

~~成功は、自分が努力して得たものだから当然と思う。
すると、もっと幸運であってもよいはずだ、もっと成功してもよいはずだ、と欲望が肥大していく。

すると、謙虚さを忘れ、傲慢になっていく。
地味な努力を怠っていく。

しかし、成功をもたらしたのは、その人の謙虚さと地味な努力でだったのである。これをしないと、すべてによかれという宇宙の意識と同調しなくなってしまう。
その結果自然に衰退、没落する~と。


                    



<思わぬ成功と感謝する>

没落しないで、成功を持続していう方法についても、述べられています。

~~ 成功を思わぬ成功として心から感謝する。
周囲の人たちの助けに感謝し、成果を独り占めしないで人々と分かち合う。
そして謙虚な心を忘れず、更に努力を続けていく。

すると、更なる幸運と成功を手中に収め、長く保持できていく~~と。

+++

 これに関して、稲盛さんは、『書経』(中国の古典)の、次の言葉を引用しています。
   「慢は損を招き、謙は益を受く」


                    





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