前回、鹿嶋は旧約聖書には政治事例が満載されている~といった。
それを聞くだけだと、「ああそうか」、で終わるだろう。
だけど、それが数人の「スモールグループでの吟味」と組み合わさると、事態は一変する。
<スモールグループの奇跡的効力>
一人が照らす事例の側面は、一時点一箇所だ。
もちろん立ち位置を変えて別の面を照らすことも出来るが、その時には時間が経過している。
その間に、前の側面の記憶は薄れもする。
だが、数人で吟味すると同時に多面を照射することに結果的になる。この照射は同時的である。
一つの事例を多面から同時に照らすと、メンバー個々人の意識の心の中で、事例は立体化する。
立体化されたイメージ像はすなわち、リアルな現実のイメージ像だ。
こうしてケースに記された過去の現実が、その現実として再現されるのだ。
再現は、吟味が入念なほどに、リアルさを増す。
故に歴史事例を吟味すると、現実実在を経験認識して学ぶのと同質の効果が得られるのである。
<ケース吟味は認識を広範囲にする>
事例というのは小冊子程度の分量の文書データだ。だから人はこれをいくつも吟味することが出来る。
そして旧約聖書の中の政治事例をいくつもいくつも吟味していくという方式は、
実地体験以上に広範囲な知識を獲得させてくれる。
一人の人間が歴史実在の中で得られる経験情報には空間的に限りがあるのだ。
だが、ケース吟味には空間的限界はない。
吟味者はだからはるかに広範囲な知識を得ることができるのだ。
<聖句主義教会は広報しないが>
だが、聖句主義教会は、彼らの側からこれを外部に広報しようとはしない。
だからこうした効果は、聖句主義者の仲間に加わって実際にスモールグループ活動をしてみないことには認識できない。
彼らはそういう限界を持っている。
けれども、この効果を広く一般に証明してくれるものが20世紀初頭に出現した。
ハーバードビジネススクール(HBS)が開始した教育法、ケースメソッドがそれである。
これについては前回にも述べたが、比較を容易にするために、もう一度示しておく。
HBSは二年間の大学院(MBA)大学だ。
ここでの学生が行う勉強はほぼ、数多くの経営事例冊子(ケースブックという)を吟味することだけである。
それを~
① 個人研究
② グループディスカッション
③ 教師のリードのもとに、全員が会して行うクラスディスカッション
~という三段階で行う。
この教育が大いなる効果を発揮したが故に、
今や、世界のビジネスマンが最も評価する経営教育機関と、HBSはなっている。
だが、実はこれは聖句主義方式のまるまるコピーなのだ。
聖句主義教会では教会員は聖句を素材としての学習を~
① 個人研究
② グループ吟味
③ 全員が礼拝堂に会して行う礼拝(そこでは牧師が聖句解読メッセージをする)
~という三段階で行う。
そっくりだが、この活動は初代教会以来2000年にわたって行われてきている。
だからHBS方式の方がこれをコピーした側なのだ。
<ハーバードは聖句主義の神学校が発展した学校>
どうしてこんなことが起きたか。ハーバードは聖句主義土壌の上にできている学校だからである。
これはバプテスト聖句主義の神学校が発展した学校なのだ。
世の説明書きには、前身がメソディストの神学校とか、コングリゲーショナル(会衆派)の神学校だったとか
記されていることもあるが、それは「外装」にすぎない。
ハーバードのあるボストンは、かつてピューリタンが圧倒的に優勢なる都市だった。
彼らは聖句主義活動をことあるごとに激しく攻撃した。
その攻撃を避けるために、ハーバード神学校は他教派の外装をとったにすぎない。
ハーバードにはだから、聖句主義教会がとる認識方法に影響を受けた学問や教育方式が他にもある。
ウイリアム・ジェイムズの「プラグマティズム哲学」もそうである。
最近、テレビの「白熱教室」でなじみになったサンデル教授の授業などもまさにそれだ。
<旧約における政治歴史ケースのグループ吟味を>
歴史の事例(ケース)をスモールグループで吟味することがもたらす効果は、現場を見ると明らかである。
これを常時行っている聖句主義者の知的レベル、政治見識を観察したら驚嘆するだろう。
だがこの効果は、アメリカや聖句主義教会やHBSだけに限ったものではない。
クリスチャン、ノンクリスチャンをも問うことなく、人類すべてに発揮されるユニバーサルな効果だ。
日本でもこの知的資産を活かせばいいのだ。
旧約聖書に満載された政治事例を吟味すること、
これが、人類が見出した最大の政治見識体得方式だからだ。